【堤氏ね】クソ西武を糾弾するスレ・パートII【豚松坂】
どうも堤というのはあのナベツネをしても、口に出せない「何か」があるようだ。
それまでの上機嫌ぶりはどこへやら、「もうこれくらいでいいだろう」と言って席を立った。
多分、気楽な雰囲気では話せないものがあるのだろう。
本当はナベツネが堤と合意したとかいう「1リーグ構想」とやらについて
もっと突っ込んで聞いてみたかったのだが…
(ちなみに、ナベツネさんとは、むろんサシで話を聞いたわけではない。
堤と違って、ナベツネは一応元新聞記者なので、うまくチャンスが作れれば、
一般人でも彼と会って話をすることはそう困難なことではない。)
話が大幅に逸れてしまった。
ライオンズが所沢に移転したとき、堤は福岡のファンが育てた球団なので大事にします、
とご立派なことを言っていたが、その栄光の西鉄時代の歴史とOBたちについて
その後、どういう処置をとったか、ここで改めて述べるまでもないだろう。
それどころか、なるべく西鉄時代のカラーを捨て去ることを第一に考えていたことは、
事実が証明している。
これはやはり、あの「黒い霧事件」でのマイナス・イメージと、その背景となった
「黒い交際」を選手からシャットアウトする目論見があったからだと思う。
陰でダーティーなことをやっている人間ほど、イメージだけは奇麗にしておきたいと
思うものである。
漫画家の手塚治虫が死去したとき、その追悼の言葉の中で堤はこう言った。
「ライオンズを買収して、一番先に考えたのはマスコット・キャラクターに、手塚先生の
『ジャングル大帝』のレオを採用するということだった。
手塚先生が承諾してくれなければ、『ライオンズ』というニックネームは変更していたと思う。」
つまり、たかがマスコット・キャラクターの件だけで、あの「ライオンズ」という名前は
なくなったかもしれないというわけだ。
最初から西鉄時代のことや福岡のファンのことなど、微塵にも気にかけていなかったことが
よく分かるエピソードではないか。