【堤氏ね】クソ西武を糾弾するスレ・パートII【豚松坂】

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4U-名無しさん
名前:727[sage] 投稿日:02/10/28 22:33 ID:???
広岡を切れば、来季の優勝は難しくなるので、そうなれば根本に責任を取らせ首を切って、
自分の言いなりになる人物を据えようと、堤は思っていた。

ここで、当時の堤と広岡との「辞任会見」を思い出して欲しい。
広岡の辞任理由はなんと「通風が痛んだため」という仰天するものだった。
古今、数多くの監督が退任してきたが「通風」を理由にした監督などそれこそ前代未聞。
その「通風」が何を意味するか、堤にはよく分かっていた。
しかし、堤の陰険なやり方を「通風」と表現した広岡もなかなかのものだ。

堤はそれを聞き「通風が痛むというのは、痛む理由があったからだろう」と彼独特の皮肉
で返した。おそらくはらわたは煮えくり返っていたろう。
辞任会見後、側近に当り散らし、会見設定でちょっとしたミスをした社員を即刻首にしている。
かつての大物オーナー・大正力を敬愛していた広岡は、物事をずばりという正力と比較して
陰で陰謀を画策する堤は許せなかった。堤と縁を切っても球界で生きていけるだけの自信が
彼にはあったので、あの皮肉が言えたのである。

しかし、いかに広岡といえどもマスコミに対して直接的な表現での堤批判は出来なかった。
あの「通風辞任」が彼の出来る範囲での抵抗であった。
「通風」のなんたるかを感づいているマスコミ記者も、いることはいたが、むろん真実は
書けるわけがない。せいぜい広岡・根本の確執劇としてお茶を濁すのが精一杯だった。

(続くかも。評判が悪かったらこれで打ち切り)
5U-名無しさん:02/11/04 18:45 ID:???
名前:727[sage] 投稿日:02/10/29 11:44 ID:???
広岡は堤を暗に「通風」にたとえてマスコミの前で堂々と批判した。
それは同時に西武グループとの決別も意味していた。
しかしのちに広岡はこのことを大いに後悔することになる。
彼が強く望んでいたのは、実は巨人の監督の座である。
選手時代、あの有名な「長嶋ホームスチール事件」がきっかけで
川上監督を始め首脳陣批判をしたばっかりに、石もて追われた球団。
できれば古巣巨人の栄光の監督の座にどうしてもつきたい。
そしてあのとき俺を追い落とした奴らを見返してやりたい。

そしてそのチャンスが巡って来た。
王が監督を解任される昭和63年、シーズン終盤のことである。