【堤氏ね】クソ西武を糾弾するスレ・パートII【豚松坂】
一年目はそうでもなかったが、2年目3年目と年を重ねるごとに堤の「現場干渉」の
度合いは露骨になり、オリンピックへの松坂派遣を自分には何の相談もなく決められた
ことには、東尾もさすがに腹を立てていた。
(オリンピックに松坂を送り込みその姿を見る、というのは堤にとって、
なによりの「舞台装置」であった。結果は惨敗だったが、堤は大満足だったに違いない。
またあとでふれるが、このへんは今年の日本シリーズの結果とダブってしょうがない)
松坂入団後は1・2年目ともに惜しくも2位。そして運命の3年目。
東尾は今年優勝できなければ、仮に慰留されても辞任する腹づもりで臨んでいた。
堤の関心が松坂に移ったことと、黄金時代は作れなかったものの思いがけなく7年も
監督をやれて、まあよかったと思っていたのかもしれない。
最後の年、東尾は勝つために手段を選ばずという選手起用はあえて行なわず、淡々と
「監督」という名の「ピッチング・コーチ業」をこなした。
どこまでも人のいい男ではある。
松坂については「天の声」の通りに酷使し続けた。
結果、チームは3位となり、松坂は15勝15敗という成績だった。
東尾は今年無茶をしたことで、松坂は来年故障するかもしれないと、投手としての長年のカン
で予期していた。
そして辞任のときを迎えた。
どうせ辞めるなら、200勝ボールを譲った松坂のために、せめて一言でも堤に対して意見して
やれなかったものかと思う人もいるだろう。
しかし東尾には、それさえもできないもうひとつの理由があった。
(本物です。ちょっと荒れてきたようだから今日はここまでにしておこう)