【堤氏ね】クソ西武を糾弾するスレ・パートII【豚松坂】

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やんちゃ坊主はやんちゃ坊主、悪ガキは悪ガキなりに、自分自身を知っていた。
むろん根本が残してくれていたバックアップ体制と、堤からの信任があったればこそ
ではあったが、監督になって現場の最高責任者ともなると、なにか自分がえらくなった
と勘違いして、周りの意見を聞かず(あるいは聞いたフリをして)なんでも思い通りに
なると錯覚して失敗する監督がいまだに多い中で、東尾はきちんと「身の程を知っていた」
といえるだろう。
(この点は根本から十分すぎるアドバイスを受けていた。)

監督就任後、東尾が自身の考えを采配に取り入れようとしたのは、自分の経験に基づく
投手起用法のみであり、打者はバッチング・コーチに任せ、作戦面も伊原にかなりの部分を頼っていた。
それでも、時には自分の考えで作戦指揮をとることもあったが、これがことごとく失敗するので、
伊原に任せた方が安心となったようだ。
このへん、意固地にならず素直に転換できるところは、いかにも彼らしい。

つまり西武における東尾の立場はピッチングコーチであり、監督としての彼は単なるお飾りに過ぎず、
実質的にライオンズの現場は、コーチ合議制の運営だったといってもいい。
これで選手が不満を持てばうまくは行かないが、東尾自身がああいう性格だし、ピッチング・コーチ
としての彼の手腕はなかなかのもので、投手陣からも「やりやすい」との支持を受けていた。
さらにコーチたちにも大幅な権限を持たせていたので、彼らもやりがいがあったろう。
東尾が堤の「お気に入り」であることは、コーチ陣の誰もが知っており、彼らのうち誰かが
「クーデター」を起こすなどという気遣いは全くなかった。

そういうわけで3・4年目に念願のリーグ連覇も達成し、さらに3連覇・4連覇と続いて黄金時代を
築くことも決して夢ではなかった。
ところが東尾自身、思ってもみなかった事態が発生する。
松坂大輔の入団である。