共産主義と恐怖政治

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上の続きです。

「客観的視点」について、私はそのような物が実際に存在するとは
到底思えません。
人間がある視点でモノを見ようとする時、そこにはその人個人の
それまでの経験や思想・感情等で構成された「主観」が多かれ少なかれ
入ってしまうのは当然ですし、また、そうでなければ、ある視点からの
「判断」を下すのは不可能です。
人間がある「判断」を下そうとするときには、必ず、外部からの情報を
参考に、自分の経験・思想・感情に基づいて、それを行うものだからです。
これは、「人間」が「集団」に代わっても、変わる物ではないです。
なぜなら、集団を構成するのがやはり「人間」であるからです。

つーか、「宇宙のありとあらゆる事象それ自体には善悪が無い」という
考えを採ると、ある事象に対して善悪判断をするだけでも、すでに
そこには「主観」が入っている、と考えるのですが、どうでしょうか?

次に「正義」ですね。
貴方の解釈と意見を読んでいると、どうしても
「正義は唯一無二のものである」という前提の元に
意見を述べられていると感じられるのですが。

正義って、それを為す人間が相対的であるのと同様に、相対的なものであると
私は考えています。
ある視点から見た正義は、異なる視点から見ると誤りだと言うのは、
割と世界のどこにでも転がっています。
十字軍の正義、軍国日本の正義、アメリカの正義etc...。

つまり、「客観的視点から正義を実践する」という理念は、それを行う
「人間」が主観的で相対的な生き物である限り、不可能事であると私は
考えているのですが。

>民主主義が上記意味合いであるなら、共産主義も民主主義的でなければいけません。
貴方の解釈に従えば、確かにその通りです。
共産主義は、民主主義を内包できる可能性を十分に持つでしょう。

けれど、今までの「共産主義を目指した国」の実績が、貴方の意見を空しいモノに
してしまっていると、残念ながら言わざるを得ません。
人は、すでに実績が出ている物に関しては、その実績を判断材料に用います。
即ち、今までに、共産主義を目指す国で民主主義が行われてこなかったという実績が、
人をして「共産主義って良くないね」と言わしめているのです。

>社会という身体が持つ神経として、我々は機能すべきであり,
>「社会の人格(客観)を想定し、個々の主張が止揚(しよう)された判断」、
>すなわち「正義」を追求すべきです。
うーん、その「社会>個人」の思想が、私にはどうしても・・・。
いや、私も会社勤めしてるので、上の文をこう置き換えると、実はすごくよく
理解できる物になってしまうんですケド・・・(w
「会社という身体が持つ神経として、我々会社員は機能すべきであり,
『会社の人格(経営判断)を想定し、個々の主張が止揚(しよう)された判断』、
すなわち『利潤』を追求すべきです。」
こう書かれると割とすんなり受け入れてしまうのは、会社が給料を払ってくれ、
生活を直接的に保障してくれるから、でしょうか?
あと、割と会社組織というのは目的もはっきりしていて、そのなかでの
価値観が分裂する事も少ないですけど、社会全体となると、その中にある
価値観も正義も分裂する傾向が強い、というのも、上の文は受け入れられないけど
下の文は受け入れられる、というのにつながっているのかもしれません。

さらに続きます。もうすこしだけお付き合いを(^_^;)