共産主義と恐怖政治

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456hdk
>>453 拝読しました。意見の相違の原因を論じます。私は以下の如く解釈しております。
「共産主義」
必然性を踏まえて社会形態の在り方が「如何に在るべきか」を考える思想。
(ブルジョア的所有の廃止等は二次的なものに過ぎない)

[民主主義]
権力者の偏見と独善を排除する為に,多角的な視野を
権力に組み込もうとする主張。

[プロレタリア]
出生の身分に関係無く、正当でない利権を捨て、自ら働き、考え、
弁証法的唯物論を実践する人。

[プロレタリア独裁]
利己的な視点や、偏見の排除を目指し、客観的視点から正義を
実践する「議会」によって、政治を行う状態。

以上,私が勉強不足な点と、勝手な解釈で用語を誤って理解している可能性が
大きい・・・というか、辞書とは大分変わった表現かも。
# 識者諸兄、修正の必要等ありましたら、御指摘をよろしくお願いします。

>共産主義を目指す国家体制では、民主主義はありえないと言うのが
民主主義が上記意味合いであるなら、共産主義も民主主義的でなければいけません。

社会という身体が持つ神経として、我々は機能すべきであり,
「社会の人格(客観)を想定し、個々の主張が止揚(しよう)された判断」、
すなわち「正義」を追求すべきです。

>それでも無理やり押し通そうとすれば、力のある一方の意見がもう片方の
>意見を力で封殺する、という事態になるのは火を見るより明らか。
>そういうのって、もう民主主義とは明らかに違うよね?

疑問や懸念は、合理的に解決されるべきと思われ。
(力により封殺する権力はたいして持続しないだろうと思われ。長くても数百年だろう・・・)

>>454>つーか、それって宗教国家と何が違うのだろう、とも思ってみたり。

大抵の宗教は、詐欺師と見分けがつきません。懐疑を認めていないのです。
教祖や指導者という、疑わざるべき絶対の人、が、大抵居ます。
懐疑は認められませんが、天国へ逝く「間違いない方法」が教えられ,実践します。
教義に修正する余地は まず ありませんし、信じれば安心した人生が歩めます。

対し,共産主義は偉人は居ても聖人は居ないので、マルクス君を批判する自由もあります。
共産党すら、資本論内の誤りを既に指摘されているそうです(資本論は聖書ではない)。
懐疑する自由があり、アフォな人の企てた方針は、修正する余地しかないです。
共産主義者は、比較的マシな方向へ あがき続けるだけのキツイ人生でしょうね。

以上,私見でした。長文失礼。