共産主義と恐怖政治

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453名無しさん@1周年
>>451-452
「民主主義」ってぇのは政治体制の一形態、
「共産主義」ってぇのは経済体制の一形態、
同列に語るのはどうかと思われ。
(民主主義と同列に語るのは全体主義、独裁主義等だし、
 共産主義と同列に語るのは資本主義だろう)

んで、
共産主義の行き着く先というのは、「政治のない状態」であるわけで、
そこではもはや民主主義がどうの、全体主義がどうのと言った
「政治的」な概念は意味をなさないと言えるんじゃないかな?
「己の欲するだけ働き、欲するところを取る」という理想の姿には
政治的な欲求はもう見えてこない。

ただ、それを実現しようとする過程において、共産主義を目指そうとする
国家の大部分が、いわゆる「民主主義」とは程遠い政治体制になっていったのは
事実だよね?
ちょっと考えればわかることだと思うけど、民主主義って言うのは
社会に異なる価値観が存在することを認める主義、つまり
意見の相違が存在することを前提にしている体制ってこと。
対して、「プロレタリアート独裁」の政治体制は、プロレタリアート達の
中に、意見の相違が無い事を前提にしないと成り立たない体制だよ?
けれど人間って、たった2人いるだけでも対立が生じるほどの生き物
なんだから、違う意見が無いという前提の上に成り立つ体制には、
必然的に破綻が生ずるのはすぐに見えてくるはず。
それでも無理やり押し通そうとすれば、力のある一方の意見がもう片方の
意見を力で封殺する、という事態になるのは火を見るより明らか。
そういうのって、もう民主主義とは明らかに違うよね?

ってことで、
共産主義自体は民主主義とは何の関係も無いし、
共産主義を目指す国家体制では、民主主義はありえないと言うのが
オレの意見でした。

最後に、長文レススマソ。