共産主義と恐怖政治

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209名無しさん@1周年


電機工場の女子労働者に「ベルトコンベアは見ているのと、実際に仕事をしているのとではスピードがちがう」といわれた彼は、自分がどれだけベルトコンベアの「単調労働」「単純反復作業」を理解しているかを問うためにコンベア労働に身を投じる。

彼の担当したのは「ミッション組み付けコンベア」というところで、流れてくるミッションケースにさまざまなギアを取りつけ、ボルトで固定する作業である。ゆっくり動いていたはずのコンベアは実際に自分で作業をしてみると物凄い速さだと気づく。この初めての体験のとき、流れている部品を見ているうちに突然その流れが反対方向に動いているような錯覚さえ経験する。

作業の順序を覚えるだけで5日を要し、作業を始めてから一ヶ月以上経ってもコンベアのスピードには追いつけない。コンベアの速度は熟練労働者のそれに合わせて作られているのだから当然だ。ハンマーを握りっぱなしの右手の薬指の付け根は関節がバカになり、曲がらなくなる。休みたいと思ってもコンベアが動いていると無理をしてでも身体を動かしてしまう。徐々にコンベアに慣らされてきているのだった。ミッションの組み付けをしていてもそれがいったいどこに使われているのか見当もつかず、技術の習得などとは無縁な、ただ部品の一部を組み付けるだけの作業をひたすら繰り返す。

このような作業を毎日しつつ、コンベア労働の本質に迫っていく。働いている六カ月のあいだでさえベルトコンベアの速度が上がること、労災のほとんどは自分の不注意のためとして片付けられること、組合は完全に御用組合であり、労働者の権利を守る気がなく、生産性向上に一役かっていることなど、広報を通してではまずでてこない事実が次々でてくる。コンベア労働については、「これは労働かもしれないが、何も作らない。作るのは機械であり、コンベアであるだけだ」という。

「さあ、また地獄が始まるか」。ベテランの労働者でさえ休憩のあとでこう呟かずにはいられない、無限地獄ような単純労働にコンベア労働者がおかれていることをこの本は告発する。

日本車の燃費の良さと値段の安さ、安定した性能がメディアを通して喧伝され、貿易黒字が問題になったりしているとき、私の頭に浮かぶのはテレビのコマーシャルで見た車であり、それらはアイドルや芸能人の笑顔とともに華々しく映っている姿である。現場の労働者がどのようになっているかをこういったコマーシャルなどで窺い知ることはできないし、考えることさえなかった。ベルトコンベアで働く労働者たちは、単調な、そして高密度の労働により、表に現れることなく使い捨てられている。工場から運ばれてゆく新車の群れはコンベア労働者たちの労働の成果というより、苦役の結果である。

ここに描かれるのは普段省みられることのない労働者たちであり、歴史の表舞台に華々しくあらわれることのない人びとである。底辺にいる労働者の苦悩や会社への怒りなど、会社の広報などからは絶対に得ることのできない、歴史の底に消えゆく運命のものだった声を丹念に拾いだし、深い共感をもって語る。それは教科書に載っているのとは違う、労働者たちの目から見た歴史といえる。