共産主義と恐怖政治

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201あみ〜ごみ@名無しさん
横やりみたいで悪いが196氏が反共なのは確かだ。
この現代の日本の社会において社会主義を語るものは
反共か、夢想家か、低能の似非理論家だけだ。
いつまでも変わり無く社会主義を口にする輩が多いのは残念である。

このような議論に参加すること自体不愉快ではあるが
いくつか指摘してみよう。

>・個人の自由が完全に消滅する.
もちろん、個人が生産手段をもつ権利など許されない。誰も低賃金で人をこき使うことも、勝手に首を着ることも、自分が贅沢をするために人を虐げる権利もあり得ない。
ブルジョア的自由は革命とともに速やかに消え失せる。それが人間的な新の自由を手にいれるための大前提だ。

>・経済計画の決定は独裁的手段でしかできない.
もちろんそうだ。計画経済の前提は独裁である。プロレタリア階級による独裁が実現しなくては計画経済の意味をなさない。もちろん、プチブル似非理論家の196氏はプロ独などはご存知無いだろうが・・・

>・経済計画の立案者は社会全体を意のままに操れるほどの巨大な権力を持つことが可能となる.
196氏は計画経済によって巨大な権力が生まれるという。頭でっかちでものを知らないやつは考えることが違う。話は逆である。プロレタリア独裁という絶対的な権力によって、その巨大な権力によって初めて計画経済は可能となる。権力は結果ではなくて前提である。

プロ独を知らない196氏のために少し説明すると地上にいる絶対多数であるプロレタリア―トによる独裁は、「独裁」という言葉がどのような語感を呼ぼうが人類が今まで経験したことの無い平等な民主主義である。

無知を恥とは思わない、資本主義の情報に洗脳された196氏は「独裁」という言葉を彼なりに最大限有効に使う。彼はブルジョア的自由をまるで普遍的自由のように人々に語り、いくつかの過去の歴史(たとえばスターリン下のソ連邦、ホルポトのカンボジア)の部分的事実を人々に思い起こさせるようなかたちで「独裁」という言葉を使い、理論そのものを破壊している。

彼の試みはまるで成功していない。彼の言葉遊びになど誰も興味を示さないだろう。
大切なのははるか未来の社会の話ではなく、生きている今なのだから。
くだらない言葉のつまった頭では大地を踏み締めて歩くことも出来ず、
生活を見つめることのない観念論者は事実を知ることもない。