石原慎太郎と共産党は仲良くできるはず

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1今日は。日本共産党です。
石堂清倫(いしどう・きよとも、評論家)
内村剛介(評論家)
工藤幸雄(ポーランド文学者)
澤地久江(さわち・ひさえ、作家)

の4人による座談会だった。
その一部を引用します。
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『文藝春秋』1983年9月号
「〈激突激論座談会〉 日本人にとって満洲とは何か」


 中国農民から奪った耕地

 石堂 私は昭和十三年の七月に満洲の大連
にまいりまして、二十四年までいました。あ
そこには、昔、日本で社会主義運動をやった
人が割合にたくさんいたんですが、そういう
一人で、多少知られた「マルクス主義者」と
馬車(マーチョ)に同乗したことがあります。
 馬車夫は十銭で行くことを承知していたの
ですが、途中で「十五銭にしてくれ」といい
だした。よくあることなんですがね。そうし
たら、その「マルクス主義者」の友人がいき
なりたち上がって、土足で馬車夫の後頭部を
蹴るんです。
 澤地 まあ・・・・・・。
 石堂 そして、「交番に連れていくぞ」と
怒鳴る。私はびっくりしましたね。建前では
民族の独立とか平等とか、きれいなことをい
ったり書いたりしてても、日常生活のなかで
は中国人を蹴とばす。
 
2今日は。日本共産党です。 :2000/09/13(水) 23:27
大連に宿舎をもらって住みはじめると、三
日に一回ぐらい消防車が走るんです。何だろ
うと思って聞くと、中国人の工作団が関東軍
倉庫に火をつけるんだというんですね。共産
系らしいんですが、厳重に警戒しているはず
の日本軍の倉庫に放火する。日本で聞いてい
たのとは大分ちがうぞと痛感しました。
 工藤 馬車夫を蹴とばす日本人も放火する
中国人も、同じ共産主義思想をいただいてい
るところが面白いですね。
 石堂 私は満洲は初めてのものですから、
勤め先の満鉄に「一応、満洲全体を見てきた
い」と頼みました。OKが出て、最初に飛行
機で全満の上を通り、それから汽車であちこ
ち行ったんですが、牡丹江から佳木斯(チャムス)にゆく
あいだに軍用列車が二列車ひっくり返ったま
まになっている。そのころは、いわゆる匪賊
がだんだんいなくなって治安が回復したとい
われていたんですが、新聞に出さないだけで
実際には軍用列車がやられている。体じゅう
寒くなるような気がしました。
 この旅行の途中で、日本の開拓団で最も成
功しているといわれていた弥栄(いやさか)村と千振(ちふり)開拓
団に一晩ずつ泊まって、話を聞いてみまし
た。経営的にはわりあいうまくいっているけ
ど、よく聞いてみると日本人が開墾したわけ
ではないのです。名目的には買収ということ
になっているけど、実は軍の腕力で中国人の
農民を追いだして、土地を取ったところなんで
す。
 開拓団の人に近隣の中国人部落との関係を
きくと、自分たちは武装しているから大丈夫
だという。武力によってやっと周辺の農民と
の関係を維持しているんで、内地で新聞に書い
てあるのと全く違うんです。関東軍の軍事力
がなくなったらどうなるかわからないという
肌寒い思いがする。それが第一印象でした。


以下略

共産主義者も石原も本音は一緒ってことかな?
3今日は。日本共産党です。 :2000/09/13(水) 23:34

 開拓団の人に近隣の中国人部落との関係を
きくと、自分たちは武装しているから大丈夫
だという。武力によってやっと周辺の農民と
の関係を維持しているんで、内地で新聞に書い
てあるのと全く違うんです。関東軍の軍事力
がなくなったらどうなるかわからないという
肌寒い思いがする。それが第一印象でした。


以下略

共産党も石原知事も本音はいっしょなんだから、うまくやれるはず。