【長崎】再び広島原爆の悲劇を繰り返さない為に!

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135革命的名無しさん
○○○○○○○○○○○御中広島世界大会感想文回収係り様へ

毎日暑い中、建設現場で働く仲間のために戦い続ける活動をありがとう。
広島世界大会参加者として参加を許してくれたお礼をかねて感想を送ります。

で、広島に着いてすぐにお土産の話になった。
俺は「なんでお土産なんて買わなくてはならないんだ?
俺はもみじ饅頭の運び屋じゃないやい」
なんて川崎で待つ仲間にけして聞かせられないようなジョークを飛ばしていたら、
後ろにいたある書記が「広島についてすぐお土産の話ししている奴がいるぞ」っ
て皮肉を言った。
俺は負けじとばかりに「俺なんてそれどころか昨日感想文書いたんだけど」って
笑い飛ばした。
俺は当初、俺が広島で何を見るべきで、何を考えるべきで、何を思うことを求め
れれているのか知っているつもりだった。
さすがに今はそう思っていた自分が情けない。
もしここにあの書記がいたら自分を恥じ謝りたいぐらいだ。
もちろんここに居ないなら謝るつもりは全然ない。

広島が俺の考えるものとはまるで違っていたなら正直に書くべきだろう。
だから思ったことを正直に書く。
後のことは考えないことにする。
俺も少しでも今の思いを軽くしたい。
136革命的名無しさん:2009/02/08(日) 12:12:31
感想文は3つ書いた。
最初のひとつ(1.txt.zip)は感想文として認めることもできないだろう。
俺も無視して欲しいって思う。
今日の昼間聞いた、昨日の執行委員会で何があったのか知らないけど、あれじゃ
ないかって思うことがある。それだったら俺も言いたいことがある。
実際には何が話し合われたか知らないし、広島に限定して語る。
不愉快な話になると思うから運営側に連絡することがあったら、
○○○○○のメンバーはどんなに広島に行って問題意識を持てたか、
その機会を作ってくれた運営側の人に感謝しているのかを強調した上で
○○○○○のメンバーとは関係ないけど風のうわさで小耳にはさんだってことで
少しぐらいは伝えてくれるとうれしい(^^;;

137革命的名無しさん:2009/02/08(日) 12:13:15
二つ目の文書(2.txt.zip)は正直な感想だ。
いつものように思い違いはあるだろう。
それぐらい俺が無知で思考力がないのは認める。
だけど、俺としてはこれを感想文として認めるべきじゃないと思う。
少なくとも労働組合の広島行きの感想文としては失格だ。
読めばわかるけど結論を「被爆者の反原発の、反戦の、平和を求める戦いは原爆
者自らの人間性を取り戻す戦いなんじゃないだろうか」って書いている。
悪くないような気もするけど、平和運動を、原爆病認定訴訟の戦いを、個人の問
題に矮小化して理解することが組合運動にプラスになるとは思わない。
それにこの文章を読んで不快に思う被爆者が居ることが問題だ。
分科会で質問したことで何度も発言を求められて広島について最初に感じた疑問
をぶつけた。
最後の質問はかなり俺としては抑えたけど被爆者について詰問したものだ。
被爆者や運動をしている人から直接じゃないけど俺に対するものと思われる反論
が出た。
土建の参加者は被爆者が俺の発言をどう聞いて、それを被爆者がどう感じてどう
反応したのかは理解できなかったみたいだ。悪気はないけどそう思う。
俺が痛いほど彼らの発言に感じたことを俺は土建の仲間には説明できない。
その説明できないことをじゃなくて、疑問について書いている。
ともかく、組合運動のためにならない、平和に対する戦いを個人の問題に矮小化
しようとして運動を破壊しようとしている、被爆者に対する配慮に欠けている、
これだけの理由があればこの感想文を採用しない理由としては十分だろう。

三つ目(3.txt.zip)は組合員の文章として、広島の世界大会の参加者の意見と
して、
とにかく○○の労働組合員として恥ずかしくないようなことを書いたつもりだ。
(「つもり」以上のことを俺に期待しないでくれ)
つーか、だからとても恥ずかしい文章になっているけどw
もちろん無知だし、素朴すぎるって感じを受けるかもしれない。
それはわざとではなく俺がそのレベルにしかないってことなんだけど・・・(^^;;
138ぎゃはっはは 組合に送ったメールさらしてやる:2009/02/08(日) 12:14:25
つーことで長いけど3つの感想文を送ります。
圧縮しているけどウイルスチェックしてないんで自己責任で(^^;;

この文書も含めて3.txt以外は私信だってことでよろしくね(はあと

あと、3.txt.zipは適当に書き直してくれるとうれしい。
俺が馬鹿と思われるより、やっぱり書き直されていい印象をもたれるほうがいい
(^^;;

以下圧縮して送った文書
139革命的名無しさん:2009/02/08(日) 12:27:03
1.txt.zip の内容

1、組合は労働者の学校であって欲しい

広島第二夜、○○の仲間でその夜は夕食をとった。
十五班に別れ、それぞれがその日に参加した分科会、その後の行動を報告した。
その中で複数の班が報告したことがある。
じつは俺もそれは感じていた。
「分科会が難しすぎる」「難しすぎて付いていけない」そんな発言だ。
俺の参加した分科会は原爆症認定訴訟を考える分科会だ。
俺ってなんて運がいいんだろう。熱海に行くと賃金分科会、広島行くと原爆症認定訴訟分科会、それ以外にないってところに入れる (^^;;
と思っていたんだけど・・・
始まって一時間、運動の報告と今後の方針みたいなことを話している。
どう考えても事前学習をしてないものには何を言っているのかすらわからない。
途中で分科会運営側が気がついたらしい。
被爆手帳を持っていることと原爆症認定は同じじゃない(俺は知らなかった)とか、
DS86とか、原因確率とか、(俺はこの言葉を知らなかった)
被爆者は認定されているいないにかかわらず医療費はかからないとか
(これは重要なことだけど俺は知らなかった)
そんな基礎的な説明を始めた。
会場の雰囲気でその説明の必要性を感じたのかもしれない。
俺はだから発言を求めた。
「事前学習をしないでここに参加すること、事前学習をしないで質問することが失礼なことは知っているけど、あえて質問させてください。
今までの発言で俺自身がまったく問題を知らないことを理解した。だから、あえて聞きたいんだけど、原爆症認定訴訟って何なんですか? どう考えればいいんでしょうか?」って。
俺は運がよかった。「継承と発展」という大会が求める全体的な雰囲気の中で俺の発言は馬鹿にされ無視されることなく、分科会の流れを変えることができた。
だけど、他の分科会はひどいぞ。広島で「地球温暖化」だの広島で「格差・貧困の戦い」だとか。
夜酒飲みながらみんなに「わからん」って報告する班長の気持ちがわかる。
140革命的名無しさん:2009/02/08(日) 12:28:29
○○ってイメージとしていつもそうなんだよね。
「○○○○」をやるから参加しろっていうように。
何故参加するのかっていうことがわからない。
その意味について学習する機会が奪われている。
俺は○○○○については地域貢献、組合の社会的認知、子供達に職業的な偏見を持たせずに職業的な評価を得る、組合員に行動力と活動家としての自覚を促す、こんなことぐらいしか思いつかないけどじっさいには他の目的で行っているのかもしれない。
ダイエットってやせようと思いながらやるのと、なんとなくやるのじゃ結果が違うらしい。
ダイエットと同じに語るべきじゃないかもしれないけど、ただ参加させればいいって思っているなら違うんじゃないか?
それは「拡大」も同じだって思う。
ただ拡大だ、拡大だって叫んでいても限界がある。
組合の意味を、組合員になるって意味を、一人一人の組合員が考える機会を組合が持つ責任があるんじゃないか?
組合に加わる人もいるけど、去っている人もいる、組合員であることは認めても組合活動に参加することは避け続ける人がいる。
拡大を強調しても拡大の結果入った組合員を組合の中で取り込めないからだって思う。
韓国の話でいうとたった2%の組合が韓国の建設業界を動かしたらしい。
(俺の認識とは違うけど組合がそう考えるならそれでもいい)
韓国じゃたった2%の組合員が韓国を動かした。
だけど土建は土建内部すら100%動かすことができない。
内部を動かすこともできないなかで「拡大」の意味がわからん。

問題は学習だって思うんだよね。
たとえば俺は原爆症認定訴訟にもう少しだけ知識があれば、
あの分科会でどんな問題意識を持った人が発言するのかを知る機会があったら
あんな恥ずかしい質問をして分科会を破壊しなくてもすんだ。

原爆症とは? 被爆者手帳とは? 原爆症認定訴訟とは? 原因確率とは?
DS86とは? 現在の被爆者が受ける医療とは? 原爆症認定訴訟をどう考え、何が問題なのか?
そんなことをまとめたレジュメが一枚あるだけで俺はもう少しあの分科会に積極的に参加できただろう。
たった一枚のA4サイズに書いたレジュメでみんなが積極的に問題意識を持って会議の議事を理解しながら参加できたはずなんだ。
141革命的名無しさん:2009/02/08(日) 13:27:16
えっ? 何を偉そうにって?
確かに認める。自主性ってものを意識的に無視しているのも認める。
分科会の発表があった1日から4日の出発まで時間はあったというならそれは正しい。
少なくとも俺は今更だけど俺が見たものをもっと知りたいって欲望に駆られている。

えっ? じゃお前がやればいいだろうって?
問題意識を持つ奴が最初に一歩前に出るべきなんだ、俺はそう思う。
だから、それは正しい。
だけど、そのことで俺以外の奴が責任を感じないなら違う。
俺は批判をしているんだから批判される対象は少しは考えて欲しい。

後同じことだけど、俺はどこの団体で広島に行ったのかいまだにわからない。
たぶん直接には○○で行った。
でもそれじゃ説明できないことが多かった。
○○○は○○の上部団体なのか下部組織なのか、それとも関係ないのか?
俺は大会側から見るとどこの組織で参加していることになるのか?
これって重要じゃない?

細かいスケジュールでも土壇場まで知らされないことが多かった。

知りたいって思う人もいるんだってことぐらいは知って欲しい。
142革命的名無しさん:2009/02/08(日) 13:29:15
2.txt.zip の内容

2、俺が広島にいる意味、被爆者が被爆を語り続ける意味

広島3日目。職人の慰霊碑で8時15分を向かえ黙祷した俺たちは
爆心地を中心に戦争の悲惨さを今に伝えるものを見るために歩いていた。
広島平和記念公園に隣接する川沿いの本川小学校の横の公園に無料の休憩所が作られていた。
俺たちはそこで少し休んだ。
小学校の運動会で見るようなテントを日よけとして椅子がいくつも置いてある。
テントにはA4版の紙に手書きで「無料休憩所」って書いてある。
端では無料に提供される冷たい麦茶とカキ氷がある。
「どこでやっているんだろう?」
ただ黙って麦茶とカキ氷を配っている人たちを見ながら最初そう思った。
印象としては学校のPTAか、町内会のボランティアだ。
「何のために?」そう俺は考えていた。
でも、その無料の休憩所を出て本川小学校に向かう道で気がついた。
彼らは今でも聞いているんじゃないかって。

「水を、水を、水をください・・・」って声を。

その公園で63年前にわずかの水を求めながら死んでいった人の声を聞きながら
水を上げられなかった無念さを自分のことのように感じながら
道行く人に麦茶や氷を休憩所を提供しているんじゃないかって。
それは反戦とか反核とかとは異質な人の情じゃないかって思った。
彼らは平和を叫ばない、ただ自分の心に占める悲しみに向かい合っている。

一杯の麦茶、少しだけのカキ氷を道行く人に提供しながら
彼らはあの日水を飲みたいって苦しんでいた人のことを
水を上げることができなかったことを後悔し苦しんでいた人を
思い出しているんだ、きっとそうだ。

忘れてはいけないことだから。
143革命的名無しさん:2009/02/08(日) 13:30:35
たぶん前日に見た国立広島・長崎原爆死没者追悼平和祈念館のビデオが心に残っているからそんなことを考えたのかもしれない。

※国立広島・長崎原爆死没者追悼平和祈念館
http://www.hiro-tsuitokinenkan.go.jp/index.php

平和情報ネットワーク(GLOBAL NETWORK)
http://www.global-peace.go.jp/

今はここには行かなければ良かったって後悔している。
この施設では被爆者の手記や追悼記を公開している。
マルチメディアを多用して一人でも多くの人に被爆の事実を静かに語りかけている。
俺が見たビデオでは当時軍人だった人の被爆体験が語られていた。
救援に駆けつけたその軍人は焼け爛れた全身に子供を抱いた母親に

「水を・・・水を・・・水をください。少しでいいんです。私は要りませんからこの子に少しだけでも水をください」って言われたことを書いている。

上官に「水を飲ますと死ぬぞ」って言われて水を上げることができなかった。
でもあの放心状態の母親の姿をいつも思い出しして
「どうしてあの時に俺は水を上げなかったんだろう」って自分を責めるんだ。
何十年も、自らの命が尽きるまで。

開会総会で被爆者が言っていたことが心に残った。
「私は聖なる死者を踏みつけて逃げたんだ」って。
普通死者に「聖なる」なんていわない。
俺は彼が自ら全身にやけどを負い、炎から逃げるために黒焦げの死体を踏みつけにしたことを、そんなに浅ましいまねをしたことを、自分がやってしまったことを責めるために「聖なる」って言葉をつかったんじゃないかって思った。
「私は私だけが生き残るために苦しむ人を見殺しにし、黒焦げの人を踏みつけて逃げたんだ」って。
144革命的名無しさん:2009/02/08(日) 13:37:00
7.13の暑い横須賀は、ジョージワシントン母港化反対の集会は同時に熱い横須賀だった。
その熱さが広島にはない。
何か静かだ。俺の最初の印象だった。
俺はその意味を最後の最後に知ったような気がした。
黙ってカキ氷を作る男に感じたものが広島の答えのような気がした。

戦争は人を殺し、町を壊す。
だけど、そうじゃない。少なくとも広島じゃ違った。
広島の原爆は人を殺した、だけど許せないのは生き残った人の人間性を奪ったんだ。
人として生きるために必要な人間性をたった一つの光が奪い去った。
それはいつまでも人を苦しめた。
戦争は人から人間性を奪うんだ。
人として生きたいって素朴な人々の思いを踏みにじるんだ。

原爆の被害者でありながら、被爆者が自分を責めることしかできないなら、
生き残ったからこそ自分を責め続けて苦しまなければならないなら、
俺は戦争を憎む。原爆を憎む。

被爆者の話をいくつも聞く機会を持った今回、
俺が感じたのは被爆者の平和運動が原爆症認定訴訟が被爆者自らが人間性を取り戻そうとする叫びに聞こえてならない。
145ラスト。これ笑えるぞ。このために長い文書を書いたんだから。:2009/02/08(日) 13:42:25
3.txt.zip の内容

3、感想文。「反戦の思いを新たに」

土建の仲間の好意で私は広島に行くことになった。とても感謝している。
広島では被爆者の高齢化、時代の流れの中で忘れられつつある危機感を感じて「継承と発信」が求められていた。
地元テレビ局は「あの日」を語り続け、新聞は一面を含めた数ページを原爆の記事で埋めた。
その事件の風化を恐れる広島で被爆者の体験を聞き、原爆の卑劣な被害を知り、原爆の犯罪性を改めて知った。
その中で感じたのは同じ核の恐怖、戦争の不安を私達に押し付けようとしている横須賀のことだ。
もし、広島や被爆者を継承し発信させるならそれは私たち自らの問題の中で、
今私達が感じている核の恐怖のかなで、戦争の不安の中でこそ正しいのだろう。
広島と横須賀は同じ問題なんだ。
今横須賀がジョージワシントンの母港になろうとしている。
いつの時代も一般庶民が戦争の犠牲になる。
そして、原爆は軍人や政治家じゃなく一半庶民を殺す兵器だ。
ジョージワシントンは原爆をつんでいないとしても常に波の上の不安定な場所に原子力発電所を二つも建設するのと同じことだ。
しっかりとした地面の上に立った原子力発電所ですら事故を起こすのに、
ジョージワシントンが波に揺られながら発電を続けて事故がないっていえるだろうか。
原子力空母は非戦闘時すら放射能の危険を市民に押し付ける。
広島に行き、原爆の悲惨さを感じながら、
戦争の危機をあおることでしかない空母に、
しかも、放射能の危険と背中合わせに暮らすことを庶民に強制する
ジョージワシントン母港化に、
反対する戦いを強く広島の地で感じた。
日本に、神奈川に、横須賀に、ジョージワシントンは要らない。
原子力空母を阻止しよう。