と、せめてばかりでも、元も子がないから、病との付き合い方
(距離感)を自分なりに掴むことが先決ですね。こんなところに連投
するのは、認知されたいという衝動でしょう。
推測では、京大赤ヘルとの争闘がトラウマになっているのではなく、
それ以前の幼児期や青年期に、両親や周囲とのあいだで「優等生になり
なさい」「けんかはダメよ、暁宣ちゃん」「なにかしらぐちゃぐちゃ
あっても、真実は一つ、正解は一つよ」というメッセージが刷り込まれ
ていることは、ないだろうか。
こういうときには、赤ヘルシンパの先生の本で申し訳ないが
森毅の「まちがたっていいじゃないか」とか
河合隼雄の「生きる力」なんかが、ほぐれるかもしれない。
しょせん「鬱」は直らないから、どうその気持ちと付き
合ってゆくかがメルクマールで、その原因をもう30年前
の京大赤ヘルに求めたってしょうがないじゃん。
終わったことは、月曜日の「生ごみ」の日にポイ。
ひとつひとつの「体験」は、たしかにその人にとって、かけ
がえのないものかもしれないけれど、その悩みは、月面からアー
ムストロング船長と一緒に眺めてむれば「絶景かな」、屁のつ
っぱりにもならないだろう。
さらに、ホモ=サピエンスの歴史でみたら、僕らは一瞬の
存在。共産主義は、今はまだない/けれど、いつか獲得する
「生産諸力、生産諸手段、消費諸手段」の新たな運動態かい
なと気長にみると、無理せんから、いい。
一歩でも良い方向へ歩めれば、ええやんか。
コーチングでペーシングしてもらうとか、インディアンの
ビジョンクエストとか、丹田とか自立訓練法とか、ほいほい
とチャレンジする「軽やか」の精神こそ、時代と戯れると言
い放った、赤ヘルの最大のスター浅田彰の言説。1975年
入学だから、きっとかぶっているのね。あ、ヘルメットは、か
ぶらない方でしたね。すんません。