163 :
革命的名無しさん:
>>そのきっかけは?
民青の告訴事件と聞いてるが。
あ、おれ京大じゃないから、間違ってても怒らないように。
164 :
革命的名無しさん:2008/02/26(火) 14:15:38
>>163 民青の告訴事件と聞いてるが
誰が誰を告訴したの?
ちょうど新日和見主義騒ぎの後だよね。その混乱?
吉田寮で「松浦君」って呼ばれてる人物が
実は松浦玲センセのことだと知って驚きました。
166 :
革命的名無しさん:2008/02/27(水) 21:27:50
>>162 赤ヘルにつかまった教授を救出しようとして逆につかまったミンセイのジーパンをみんなの前で脱がせて下半身をさらした事件があった。あそこで俺はひいた。人格までを毀してはあかん。
167 :
革命的名無しさん:2008/03/01(土) 18:55:42
野間宏の「暗い絵」
数十年ぶりに読んでしまったが
京大にはその頃から
「暗い花盛り」の伝統があったんやなあ、
いつかまたそういう日が来る、きっとまた。
168 :
革命的名無しさん:2008/03/01(土) 19:54:44
>野間宏の「暗い絵」
滅茶苦茶懐かしいな。
あれは現在の銀閣寺道交差点あたりが舞台なんですかね。
中核派スレより
>671 :革命的名無しさん:2008/03/04(火) 00:45:47
>ついでにいうと
>橋本には染みのような権力欲はないよ。そこがある意味、欠点。
>京大医学部トップの成績で合格との噂もあった秀才、弟さんも
>活動家だったが不慮の死。
>脱落とか反革命化とか中央派いうのだろうが、うまく追い落とされ
>たという方が近いだろ。
>もちろん塩川派という組織があるわけではない。
名前は聞いたことがあります。
1962年の医学部入学で、ひとつ学年下が上野勝輝さん。
橋本利昭氏は、
1964〜65年 京大同学会副委員長(3回生)。そのときの委員長は
赤軍にいった高原浩之氏。1965年にブント系から、民青に政権移行し
たときの中央執行委員会の一人。
卒業は、1973年。11年かかったわけ。
>誰が誰を告訴したの?
>ちょうど新日和見主義騒ぎの後だよね。その混乱?
無知にも、程度というモンがあるんでは?
172 :
革命的名無しさん:2008/03/05(水) 12:13:52
>無知にも、程度というモンがあるんでは?
そんな説教垂れ手ないで教えてやってくれ >上田はん
>>教えてやってくれ
>>152 :革命的名無しさん:2008/02/17(日) 12:32:37
152さんに聴いたらよろし。 ウザイくらいだから、知悉してはる
んでしょうから。
174 :
革命的名無しさん:2008/03/05(水) 13:34:12
学生運動している人は中退とか多い。
中核派も中退が多いらしい。
175 :
革命的名無しさん:2008/03/05(水) 13:58:27
同学会OBで毛沢東主義者のTAMO2は最近元気?
176 :
学生運動/完敗:2008/03/05(水) 13:58:41
|| ___
||. /γ\ \ヽ
||└/_@└‐》_] / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|| .`(´∀`)0)\ < や〜い、今じゃリストラ対象!
|.| /|日V日|| ̄ ̄ ̄| \
(⊃))】.| |: .|| ━━ |
[ニ回ニ.|| ゚ ゚|
|__人_|| ゚ ゚|
|_|_|| ゚ ゚|
(__.(_||____.|
赤い思想に 想いをよせて 語り尽せぬ 青春の日々
時には闘い 時には傷つき 議論を交わした あの日・・・
あれからどれくらい 経ったのだろう
逃げる同士を いくつ数えただろう
マルクス主義は 今でも君の心の中にいますか?
完敗! 今、君は人生の 大きな大きな節目に立ち
はるか辛いリストラを 語りはじめた 君に総括あれ!
元歌:長渕剛/乾杯!
>そんな説教垂れ手ないで教えてやってくれ >上田はん
かいたるわ、ところで、そんな名前じゃないぞ。
せめて、上記のhandle nameで呼ばんかい。
1970年安保闘争、1971年の沖縄闘争といったあたりまでは、京大学生運動も
全国的な学生の政治運動の流れの中にあった。1970年安保、アスパック闘争、
1971年沖縄奪還闘争、三里塚闘争など。
ところが、それが変わってくるのは、1972年の、いわゆる民青系学生による告
訴・告発問題からだった。個人と旧同学会(同学会を牛耳る民青)の名前で、まず
5月に2人が告訴・告発された。
その直接の発端は、1972年の初めに、全国の大学で戦われた学費3倍値上阻
止闘争(年1万2千円が一挙に年3万6千円へ)だった。このとき、民青は、「ストライ
キは、授業をうける権利の放棄」と陳腐な主張を展開し、学費値上げ阻止運動に全
国、とくに京大では敵対を続けていた。その過程で、民青と全闘連(学費値上げ粉砕
全学闘争委員会連合)が衝突していったのである。
史実をならべると
1972年1月から全学バリケード闘争や百万遍の解放区闘争を展開するなど、大
きな盛り上がりをみせたが、民青系学生はことごとく反対。
2月に無期限ストを決議しようとした文学部学生大会において、肉体をも使った衝
突が発生した。
5月に2人が告訴され、その後、確か10人くらいが続いて告訴・告発された。
9月には八島久男さんという、後に再建同学会の委員長となる人が、釜ケ崎の地域
闘争の支援活動を展開している際、釜ケ崎の現場で逮捕された。さらに酒井一君という、
文学部学友会の委員長だった人物も逮捕された。
そういうことがあって、当時あった全闘連と各学部の自治会によって告訴・告発を糾
弾する運動が展開されていった。
11月10日、教養部代議員大会で、民青系の教養部自治会執行部が罷免された。
このころは、自治会執行部は民青系が握っているものの、代議員大会になると全共闘系
の流れである全闘連が勝つという構図があった。もっとも、教養部自治会に関しては、結
局、民青系執行部は罷免したものの、全闘連系の自治会は再建されないままとなった。
11月29日には、全学学生大会が開かれ、同学会の執行部を罷免し、代議員会の解
散が決議された。
12月20日には、選挙を経て第1回の新たな代議員会が行なわれ、八島委員長が選
ばれ、同学会が再建されたのである。 (なお、八島久男氏は、京大職組(共産党系)の
開催する教室に、前日夜もぐりこんで、黄金のうん●を壇上にのこし、実力で、反動的な
民青系の集会を粉砕したと伝えられる、伝説の委員長であった)。
俯瞰すると、学費の問題で盛り上っていたエネルギーが、学生を権力に告訴・告発する
というような民青系学生の行為によって、パッと燃え上ったという感じだった、という。
179 :
革命的名無しさん:2008/03/05(水) 17:55:31
>>177,178
いやーおもろいなー、ありがと、元祖はん
この八島って人が今トリノで数学の先生してる人なのね、理学部?
同じ頃に東Cでは
現在T大教授のK川とかTVに出てくるK大教授のK子とか
新日和見主義連中が民青の分際で無期限ストとか跳ね上がってたんだ。
面白いなあ。
同学会のOBタカモトに対して、誰か批評してみてよ。
やっぱり「新左翼は偽左翼」だったんですかね?
181 :
革命的名無しさん:2008/03/05(水) 18:06:02
↑ 田中(爆笑)
しつこい粘着質なタカモト一派(大爆笑
たかもと=米軍基地外^^
↑ やれやれ、「馬鹿に馬鹿が吸い寄せられるの法則」発動か┐(´ー`)┌
185 :
【マッチョイズム=体育会感性=男根思想=モーホー】:2008/03/05(水) 18:18:30
モーホーとは、「男の肉体こそ至高」とするマッチョ・ファシズムの思想である。
男尊女卑の古代ギリシャ社会では「愛」といえばデフォルトでモーホーの事を指していた。
男尊女卑の武家社会では男色は女色より高尚であるとされ、男色は「武将の嗜み」であった。
この事は、あの「三島由紀夫(モーホー兼ファシスト)」を見ても歴然としているし、
全身黒革で肉体(筋肉)を誇示したモーホーお馴染みの吐き気を催す「マッチョ・スタイル」を見ても歴然としている。
今尚男尊女卑の風土が濃い九州でモーホー行為が多いのも決して偶然ではない。
そう言えば田中(うちはだいこ)の居る福岡も九州である。
また児童心理学や教育心理学においても、
何らかの精神的外傷などで大人の女性とキチンとした関係を築けない対人能力障害者が、
「代償行為」としてロリコン、モーホー、ヲタク、といった指向に走り易い事は立証されている。
あの三島由紀夫も度し難い肉体的コンプレックスからボディビル(筋肉マッチョ)・モーホーへと走り、
その人格的歪みは「力への崇敬の思想(ファシズム)」「男根思想(男尊女卑)」へと進化していった。
現実の運動圏には全くコミットできず、こんな匿名掲示板でしか威勢のいい事が言えない、
(他にもこういう輩は居るが)これらの事象は全て「一本の糸」で結ばれているのだ。
408 :革命的名無しさん :2006/09/08(金) 11:25:52
オランダ極右政党の某党首:
同性愛者を攻撃するアジテーションを散々行ってきたが、
事もあろうに自分自身がモーホーであることが発覚( ´,_ゝ`)プゲラッチ
ホモだいこ(福岡の田中):
「コイツはホモだ。気持ち悪い。」「あんたホモなんでしょ?好みの男は何よ?」
「〜は女装趣味の持ち主。」「ぶん殴られたお釜の×××〜」などと眉をしかめる様な誠に上品な発言を連投しまくったが、
事もあろうに自分自身がモーホーであることが発覚(◔ิc_,◔ิ )クスクス
・・・確かに「同類」かも知れんな。
>いやーおもろいなー、ありがと、元祖はん
>この八島って人が今トリノで数学の先生してる人なのね、理学部?
そう。経歴は複雑で、もともと68年文学部入学、
1972年に文学部学友会委員長
そのころは、卒業するとブル転といわれていたのを
カレが最初に、文学部哲学の大学院へ進学する道を開いた。
語学と論理の天才的な能力をもっていて、23泊24日で
拘留されるたびに、ギリシャ語、ドイツ語などをマスターしてゆき、
拘留されるほうが勉強になるから、逮捕されていると言われたぐらい。
1977年9月竹本処分に抗議して、時計台の前に、羽織を広げて
断髪式をおこない、総長不在の総長室へ奉納(ぶらさげた)し、博士
課程を中退。
その後、八島氏の能力を高く評価していた、理学部の山口昌哉(物理数学で、
フラクタル理論の日本での導入者、もちろん赤ヘルのシンパ)
そして、数学のメッカ トリノへ留学し、勝手に空いている部屋を自分の
研究室にして、そうじのおばちゃんと仲良くなり、教授よばわりされていたら
本当に教授になってしまった。日本へは、一部の知り合いと手紙でやりとりを
日本語をべースにしていましたが、1980年代終わりには、近代文明にも
日本の運動圏にも絶望し、通信手段としての日本語と英語を放棄。
古い親友とでさえ、イタリア語とギリシャ語など限定した言語でしか
交歓しなくなった。それほどに、現前のものに絶望をしたわけである。
なお、京大山岳部(AACK)の重鎮でもあり、彼の考案した山の携行食
はまでも「ヒゲパン」と呼ばれて伝わっている。通称「ヒゲ」さん。
187 :
革命的名無しさん:2008/03/05(水) 18:53:02
反共右翼盲従集団タカモト一派が執念深く追い掛け回している!
188 :
革命的名無しさん:2008/03/05(水) 22:07:29
>>同じ頃に東Cでは
現在T大教授のK川とかTVに出てくるK大教授のK子とか
新日和見主義連中が民青の分際で無期限ストとか跳ね上がってたんだ。
誰のことやら、判らん。実名で書いても問題ないだろ。
以下、このスレの話題とはずれるけど。
川上・大窪「1960年代」を読むと大窪さんらは東大闘争当時、
構改派の「層としての学生運動」などにシンパシーを感じていたよし。
革マルらとともに文学部のストライキやら教授軟禁?やら、民青と
してはけっこうハネていたのだが、そこへ党が介入し、東大共産党の
ヘゲモニーは党忠実派にとってかわられた、というようなことが書かれていた。
てことは、その後また一定の党批判意識を持つ新日和見派が東大をおさえた
ということなのか?
ところで、京都において、新日和見主義事件がどのように影響したのか、
しなかったのか、ほとんど何処にも書かれていない。誰か教えてくれ。
>京都において、新日和見主義事件がどのように影響したのか、
>しなかったのか、ほとんど何処にも書かれていない。誰か教えてくれ。
そりゃわからんわ。
1981年に、除名された広谷俊二の講演会を聴いたが、新日和見主義
という言葉じたい、ずっとあとから明らかになったことだし、すくなくとも
京都においては、1970年代は、民青は東京とは違って不抜の勢力
を誇っていたんだから。1978年まで、蜷川府政があって「民主連合
政府」構想が信じられていたから。
ただ、1980年以降の右傾化に際して、危機を感じた民青が「学費
値上げ反対」をとなえて、東Cや京都でも「1日スト」をでっち上げよ
うとしたけれど、それ以前の反トロでの「ストライキは授業を受ける権
利の放棄」言説との矛盾から失笑をあび、おおきな動きとならなかった。
学費へ値上げ反対の主張そのものはただしかったが、それまでの
戦う学生との対立から、まったく人民戦線路線も組めなくなり、裸単騎
になり、また体質の変化からストライキも汲めなくなるほどの、ズブズブ
の組織になってしまった。
そんなときに、広谷は「俺がいれば立ち直らせるのに(マヌーバー的にで
も、またゴリ民になれるように指導できる)」と講演していた。つまり、体
質変化が慫慂として進み、また、それを快復させる指導層もいなくなったと
いう影響を、1980年代の京都(立命・京大・同志社)では読み取れるかも。
この時期、民青の主張の左傾化は、ノンセクトとしては恐怖だったんだけれど、
それは一時的なものに終わった。たしかに広谷がしたら、もっと左傾化して、
なお、人民戦線的な学生統合の絵をかけたかもしれない。
1990年代にはいると、京大では、民青が握っていた自治会が次々と
崩壊し(教育学部、医学部、教養部)、理学部はノンセクトへ。
唯一のこった法学部自治会は、2005年に中核派になり、ついに
京大では「京大班」としてしか残っていない惨状。
1980年代初頭でも、民青同盟員は200人を超えていて、学部毎
に「班」があったのに、どういうわけかは、理解できない。主張が面白
くなかっただけでは、片付けられないなにかがあったのだろうか?
その真意は内部にいた方にしか、わからない事情だろう。
不幸なことに、民青の衰退は、赤ヘルの衰退にもつながるから
「民青の諸君 がんばりたまえ」と1980年代なかばから、赤
ヘルからもエールをおくっていたけれど、賢いやつほど、民青には
入らなくなった、見た目にもアホばかりになり、すると、赤ヘルの
主張も雑になっていった。これは、共犯関係だろうな。もっとアホ
な中核派の台頭も痛かった。ノンセクト運動のブント的カー
ニバルの魅力が発揮できなくなり、結局、中核派のみ、宗教的に
京都(熊野寮)では残ったというわけだろう。
191 :
革命的名無しさん:2008/03/06(木) 11:42:54
>>188 >>同じ頃に東Cでは
現在T大教授のK川とかTVに出てくるK大教授のK子とか
新日和見主義連中が民青の分際で無期限ストとか跳ね上がってたんだ。
誰のことやら、判らん。実名で書いても問題ないだろ。
キツカワ、カネコだな。
実際、彼ら東C自治会執行部の提案どおり無期限ストに入ったのだよ。
192 :
革命的名無しさん:2008/03/06(木) 17:05:08
以前京学連のことを質問してシカとされたモノですが、
> 俯瞰すると、学費の問題で盛り上っていたエネルギーが、学生を権力に告訴・告発する
というような民青系学生の行為によって、パッと燃え上ったという感じだった、という。
この同学会奪還の時期はモロにL研・C戦・京学連の全盛期とかぶってるのではないか?
同学会とどういう関係にあったのか
佐野さんとか八木さんはなにかややこしい画策はしていなかったのか、
そこらへんの昔話キボンヌ。
>>170 卒業してるの>橋本
多分、任期切れ退学なんじゃないの。知らんけど。
194 :
革命的名無しさん:2008/03/06(木) 20:23:53
195 :
革命的名無しさん:2008/03/06(木) 20:24:45
ピーナッツ
196 :
革命的名無しさん:2008/03/06(木) 21:58:49
カルトは烽火でしょ?
タカラブネ労組はどないなりました?
近所のタカラブネはつぶれましたけど。
197 :
革命的名無しさん:2008/03/06(木) 22:16:59
タカラブネはお菓子は和菓子はうまかったけど、ケーキが和食みたいで
あんましだった。砂糖がちがっていたのでは?
198 :
革命的名無しさん:2008/03/06(木) 22:54:53
1989年6月4日天安門事件への抗議集会で、民青と同学会が合同で集会を
打ったね。一緒にインターを歌った。勿論、中国人留学生も。
へぇ、民青同盟員ってインター歌えるんだ。
君が代歌うのは知っていたけどインター歌うのは知らなかった。
自らの思想に忠実じゃなく歌は歌として楽しむんだね。
200 :
革命的名無しさん:2008/03/07(金) 03:52:11
民青同盟員のインターなど
ここ10年も聞いたことない。
201 :
革命的名無しさん:2008/03/07(金) 16:08:05
八島の話は何が言いたいのかよくわからんが、そんなに立派な奴の跡を継いだ
キカイなどが武本処分のボス交を許し、シロに病院送りにされても無抵抗で
同学会にぺんぺん草がはえる廃墟を残したことは、どうなんじゃ
八島は結局、何も出来なかったことに言い訳もたたず、日本から逃げ出した
ただそれだけじゃ!
202 :
革命的名無しさん:2008/03/07(金) 16:51:39
とりあえず今度、みんなで京大行って白殴ってスカッとしようじゃないか。
203 :
革命的名無しさん:2008/03/07(金) 19:37:21
中にしろマルにしろ
宗教団体に対する暴力は許されない
204 :
希土暁宣:2008/03/08(土) 03:54:23
ああ、先月に、読んでいますよ。悲しい(あほな)姿ですね。
暴力反対(HOW)だけでものごとを発想し、どこへゆく(WHAT)、
なぜそうなっている(WHY)を考えないから、他人に裏切られたとか、
いまだに、社会主義/共産主義だとか、トリビアルな発想に取り付かれる
のだろう。
同じ空気を吸っていても、かの山口昌哉の研究室にいた、同じ1976年入学の
稲葉寿さん(東大准教授)は、つぎのように書き(こちらが古き、京大生の発想だろう。
文化人類学・複眼思考しているもの)
http://www.ms.u-tokyo.ac.jp/~inaba/inaba_JAMB_NL_1999a.pdf 他方、1977年入学の宮川さん(辺野古支援)は次のように回想する。
「1995/06/18」の項
http://www.cosmos.ne.jp/~miyagawa/text19a.html これらのほうが、体験から何かを学ぼうとする(否定も肯定もしない)
learning by doing を感じますね。
「希土」氏は、発想がデカルトちっく(分析的)で、しなやかさが
すくない。いいもわるいも、そういう「単眼思想」のひとが増えてたのが、
1970年代の中ごろ。決定的にしたのが、共通一次が強制する「思考フ
レーム」だと思う。その反動として、1983年の「全共闘」ブームがあ
った(一時的に終わる、三里塚の分裂もあり、さーーと退いた)。
「共産」党は、本来、運動に向いていない「単眼思考」「分析思考」の層
の京大生に依拠して、京大の「赤ヘル勢力」を攻撃していた構図がある。
けれど、学生時代に立命では主流派の「ゴリ民」と話す機会があって、
すると、ゴリ民の発想・しぐさは、わりと京大赤ヘルと似ていて、しかも
議論で頭にきたら、おいらに殴りかかる(ふり)潔さは、むしろ、人間的
だったかも(彼は離党しましたが)。
それが、有田を生み出した立命の風土と、だれも生み出さなかった京大
民青の違いかもしれない。
と、せめてばかりでも、元も子がないから、病との付き合い方
(距離感)を自分なりに掴むことが先決ですね。こんなところに連投
するのは、認知されたいという衝動でしょう。
推測では、京大赤ヘルとの争闘がトラウマになっているのではなく、
それ以前の幼児期や青年期に、両親や周囲とのあいだで「優等生になり
なさい」「けんかはダメよ、暁宣ちゃん」「なにかしらぐちゃぐちゃ
あっても、真実は一つ、正解は一つよ」というメッセージが刷り込まれ
ていることは、ないだろうか。
こういうときには、赤ヘルシンパの先生の本で申し訳ないが
森毅の「まちがたっていいじゃないか」とか
河合隼雄の「生きる力」なんかが、ほぐれるかもしれない。
しょせん「鬱」は直らないから、どうその気持ちと付き
合ってゆくかがメルクマールで、その原因をもう30年前
の京大赤ヘルに求めたってしょうがないじゃん。
終わったことは、月曜日の「生ごみ」の日にポイ。
ひとつひとつの「体験」は、たしかにその人にとって、かけ
がえのないものかもしれないけれど、その悩みは、月面からアー
ムストロング船長と一緒に眺めてむれば「絶景かな」、屁のつ
っぱりにもならないだろう。
さらに、ホモ=サピエンスの歴史でみたら、僕らは一瞬の
存在。共産主義は、今はまだない/けれど、いつか獲得する
「生産諸力、生産諸手段、消費諸手段」の新たな運動態かい
なと気長にみると、無理せんから、いい。
一歩でも良い方向へ歩めれば、ええやんか。
コーチングでペーシングしてもらうとか、インディアンの
ビジョンクエストとか、丹田とか自立訓練法とか、ほいほい
とチャレンジする「軽やか」の精神こそ、時代と戯れると言
い放った、赤ヘルの最大のスター浅田彰の言説。1975年
入学だから、きっとかぶっているのね。あ、ヘルメットは、か
ぶらない方でしたね。すんません。
>>205-206 ご無沙汰です。「逆説」「ひっくり返し」という弁証法が共産党には欠けている
と思う今日この頃です。
希土さんのところにコメントしときました。暴力論は、考え続けている
問題なので。
208 :
希土暁宣:2008/03/08(土) 10:59:45
元祖趣味者さんの感想、ごもっともと思いますよ。でもね、行動するとなれば、趣味人では許されない。
何かを正しいと決めなければ行動できないわけです。だから、元祖趣味人さんの評論は、ディレッタントだと思います。
ぼくは単眼思想ではない。(そもそも思想というほどのものはもってない。)あなたの目の前で無法な暴力があるときに、
あなたは何を正しいといって、何をするのかが知りたいです。
稲葉寿さんの随想は、単なる、何も考えていないノンポリのノー天気な感想以外のなにものでもありません。
宮川さんのは、長すぎて読む気がしない。ごめんなさい。
ぼくのブログについて申し上げますと、過去の学生運動について述べることが目的ではありません。
ただ、昔書いたそれらの原稿がすでにあったので、掲載しただけです。
本当は、パレスチナ問題とか、1990年代以降に明らかにされてきた、ナチス以外のいろんな暴力について検討したい。
しかし、ぼくはずっとサラリーマンをやってきたので、学問がない。ユニークなことを書けない。それで行き詰っているところです。
友人から聞いた話によれば、浅田彰氏は、ヘルメットはかぶっていませんでしたが、経済学部の学生大会のときは、後方の席で
赤ヘルの指揮をとっていたそうです。
阪僑文士さん、ブログへのコメントありがとうございました。ぼくも簡単ながら返答を書いておきました。恥ずかしながら、
「暴力論」と銘打って、実はソレルも読んでいないのです。つまらないからやめちゃった。今のところ恥ずかしいブログではありますが、
何年かかけて成果を上げたいと思います。
うつの原因が赤ヘルとの闘争だけとは思いませんが、大きいとは思います。とにかく、家庭が貧困でしたからね。それもあるでしょう。
小学生のときは、オール2、高校2年のときは300人中の273番でしたから、優等生教育などというものは受けていません。とにかく、すべての授業中寝ちゃうんだから・・・。
ま、勉強が苦手なので、なかなか現代の暴力に取り組めない次第です。ご指導ご鞭撻お願いします。
209 :
希土暁宣:2008/03/08(土) 17:01:17
元祖趣味者さんは、稲葉寿さんの随想を、「体験から何かを学ぼうとする『肯定も否定もしない』」と書いておられますが、
それは単なる見物人だから「肯定も否定もしない」でいられるだけのことです。
でも、今よく読んでみたら、なんだ、赤ヘルのシンパじゃないですか。自分が泥をかぶることもなく、単に
カッコつけていきてるように見えるけど、それがlearning by doing ですか?
あたしゃ「ディレッタントだ」といわれると、ほめ言葉に感じる
気質(たち)なんで、ありがとう、といっておこう。
こんなことかいていたら、モンティパイソンの「貧乏自慢」のコント
みたいでアホみたいですが、あたしんちも、親が中卒の日雇い労働者で
年収300万円以下。ずっと授業料免除で、仕送りはなしでしたけど。
それでも、やっていけるし、どうどうと留年できましたわ、自己責任で。
貧乏であることが、どう言説を強化するのかしらん?
「被害者意識」を強迫観念として抱く限り、ある種のルサンチマンにとらわれ
鬱から逃れられませんよ。もっと「有り様」でみるといい。
ひとは多様で、違っていることが当たり前で、また、それぞれの体験そのも
のに「間違い」はないということ。でも、そこから何を学ぶか、が決定的に、
人生を愉しめるか、どうか違うのではないかな。
211 :
希土暁宣:2008/03/08(土) 21:07:58
元祖趣味者さんのアドバイス、わかるような、わからないような。
確かに、30年もたっていまだに「被害者意識」にとらわれているぼくの精神は
情けないですね。恥ずかしいです。
ただ、うつといっても、会社をやめてからは楽な生活をしているので、それほど辛くありません。
ブログをつくるのも、こんな議論をするのも楽しいです。
仕送りなしはすごいですね。ぼくは3万円もらってました。ま、貧乏自慢してもしかたないけど、
貧乏でもがんばってる人は尊敬します。
貧乏であることは、言説を強化するためにいったのではなく、うつの原因として考えてみただけです。
貧乏自慢すると、亡き父はすぐけんかして会社をやめてしまうので、しばしば無収入状態に陥り、不安でした。
いったい、会社で何をけんかすることがあったのか、理解できませんよ。これもルサンチマンです。
私の貧乏は子供時代のことで、学生時代以降はバイトできたから、何の不安もありませんでした。
人は多様というのはわかりますが、赤ヘルの人権侵害まで、「多様」で許してもらっては困ります。