350 :
革命的名無しさん:
ポンタを殺したとき、正直、これで「自然休戦」になるという噂が
上の方から流れてきたよ。これで少しは楽になるのかと、期待もした。
その後は当時のメンバーなら誰でも知っている。中核の狂気の無差別殺人の
嵐だった。あいつらは、組織実態を担っている全ての機関、個人を無制限に
殺戮するという、帝国主義的な戦争論を実行しだした。オレは、
上の言っている「謀略論」は正直信じていなかった。だって、殺された連中は、
ある日突然ではなく、公然、非公然の中核メンバーが徹底して調査されている
傾向も分かっていたし。「新橋大会戦」のとき、こっちの地の利も悪かったが、
3倍以上もいる中核を見て、正直、その後の展望を失ったよ〜。あとは
やられるがまま。本多殺し以後の3年くらいで、俺の周りの早大メンバーは
8割くらい消えたな。別に労戦にもぐりこんだわけじゃないけど。
本当にいなくなった。その後、kkと木公が「アメリカ大使館の特別
残留ビザ」を獲得して、ハワイを中心に海外逃亡をしている噂を聞いて、
「ドコが謀略」と完全に我に返ったね。
351 :
革命的名無しさん:2007/05/08(火) 01:01:29
>>350 >kkと木公が「アメリカ大使館の特別
>残留ビザ」を獲得して、ハワイを中心に海外逃亡をしている噂を聞いて、
>「ドコが謀略」と完全に我に返ったね。
おれも、その件は唖然としたね。やっぱ、ファシストなのかと思った。
352 :
革命的名無しさん:2007/05/08(火) 01:09:39
353 :
革命的名無しさん:2007/05/08(火) 01:10:22
>>350 >「新橋大会戦」のとき、こっちの地の利も悪かったが、
>3倍以上もいる中核を見て、正直、その後の展望を失ったよ〜。
あのとき、完全に負けたと思ったね。あれで、Zは、半減したんでないかな。
俺も、おれの周りもほとんど、トンズラしたよ。
354 :
革命的名無しさん:2007/05/08(火) 01:20:34
それにしても、党の戦争責任は未熟だったね。どうも「トップを一撃して
敵対組織を壊滅する」という、ヤクザもどきの戦略だった。
30年以上も「最後の一撃論」に固守する、マフィア戦法だった。
今だから言うけど、中核の「究殺隊」には毎日アジトを変えて、
生きているという実感すらなかった。なんでこんなことになったのか…
ポンタは消したが、ポンタ以上の戦争狂いのシミタケを引きずり出しただけで、
地下にもぐった「究殺隊」の戦闘力は増すばかりだし。こっちは、
「勝利宣言」に手足をしばられて何も出来ない。
党の戦争責任は無責任きわまりないものだった。殺されたのが80名以上で、
的は脳と延髄を集中攻撃するから、重度の障害者が1000人以上も出た。
それを日々みていて、発狂するものも数百人。もう本当の戦争だった。
「パールハーバーの一撃で太平洋戦争がカタがつく」と考えた、
戦前のアホな軍部の縮小再生産的なミジメな戦争だった。
「いつ殺されるか」「いつ攻撃されるか」…味とに10人くらいで寝ていても、
不寝番はいるけど、大量の火炎瓶攻撃を受ければ、全員が焼死する…
あの、すさみきった時代は、言葉では形容できないほどに、
俺を含め、早稲田のZを壊滅同様に押し込まれていった。
戦争するなら、まともな「戦争論」がひつよう。
その意味でも、幾多の死者、障害者に対して、指導部の責任は思い。
355 :
革命的名無しさん:2007/05/08(火) 01:45:22
いくら「謀略論」を叩き込まれても、早大本部、新橋、相模原で会戦した
中核は常にZの倍以上。中核の先頭の竹ざお部隊の突撃突破力はすさまじく、
いつも中央突破されてコテンパンに負けていた。正規戦で負けると、
あとはミジメなもので、逃げ遅れたzにリンチの嵐。素手でやっている
はずなのに、手足の指をはがされたり、関節技を使って、手足の四本を
関節部分でおられたり。中核女がハンカチにいれた石で顔面を殴打
してくるのには本当に恐怖だった。こっちは、数少ない
特別攻撃隊を部隊本体から隔離していたから、大会戦ではいつも使えない。
あの中核の強さと、動員力を自分の目で見ると、「わずか数十名に凋落
した走狗たちの末路」なんていくら聞かされても、普通の判断力が
あれば、そりゃオオウソだろうと思うよね…