桜坂智史=千坂史郎のゆくえ

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415革命的名無しさん:2008/12/27(土) 21:52:08
芝田氏の画期的な民主集中制論構想2001/10/22 桜坂 智史

 芝田氏は、「実践的唯物論への道」で多くの注目すべき見解を述べている。
そのひとつが民主集中制論である。
日本共産党と異なり芝田進午氏は、はじめから固定した強固な一枚岩の民主集中制があると考えていない。
民主主義をになう組織は、組織化の過程で官僚集中制から民主集中制へと闘争しつつ到達すると説く。
その根拠は組織論としての民主集中制は同時に認識過程でもある。
組織的過程と認識的過程との統一として把握している。
民主集中制は自由分散主義と対立概念である。
認識過程において多面的多角的多元的になるみちすじに比べ、分散主義からは一面的認識しかうまれない。
問題はなぜ多くの共産党が官僚集中制だったのかである。
芝田氏は民主集中制は民主的中央集権制とは似て非なるものと捉える。
後日再論したい。

416革命的名無しさん:2008/12/27(土) 21:54:22
芝田進午氏の画期的な民主集中制論構想(2)2001/10/28 桜坂 智史

 芝田氏は民主主義的組織においても、組織化の過程とは官僚集中制から民主集中制への闘争のブロセスと考察している。
民主集中制は決して民主的中央集権制とは異なるという見解は、原語の翻訳分析からも発しているが、より根本的には唯物論の把握に起因している。
史的唯物論の通説では、唯物論の根本問題は物質と意識のどちらが優先されるかを重視している。
芝田氏の哲学は、労働が人間を人間たらしめ、労働過程とは組織的過程と技術的過程の統一でありこれを生産様式と考えている。
労働過程に対応して、言語の認識過程と組織過程の統一を構想し、さらに集団の組織的過程と認識過程の統一を構想している。
大工業により、集団の組織と認識の過程は民主集中制を発生させたが、民主主義的組織においてさえ官僚集中制と民主集中制との闘争によってしかそれは実現しえないと説いている。

417革命的名無しさん:2008/12/27(土) 21:56:31
画期的な芝田進午氏の民主集中制構想(3)2001/12/7 桜坂 智史

 終始日本共産党にとどまり続けた芝田さんは、運動に終始批判的な見解を保ちつつ、運動の真の発展のために貢献し続けた。
 芝田氏が取り組み続けた実践は、日本共産党を他から尊敬され注目されるような高次の実践だった。
社会科学研究セミナーの取り組みも、ノーモアヒロシマコンサートの10年間もそうだった。
アリスハーズ夫人記念平和基金もそうだった。
運動が紋きり型にならず創意工夫にみちたものになるように実践を構築した。
民主集中制が真のそれでなく、官僚集中制に堕しても、官僚集中制に闘い創造的な実践を提出し続けることにおいて、民主集中制を創造し続けようとした。
東大哲学科の恩師出隆教授が除籍されても、哲学の先輩古在由重氏が除籍されても、それまでの友愛を停止しても自らは党員であり続けた。
それは一方では苦痛でもあったろう。組織的原則に従いつつ 、ぎりぎりの闘争であったろう。
418革命的名無しさん:2008/12/27(土) 21:59:02
芝田進午氏の民主集中制論の実践的意義(4)2002/1/4 桜坂 智史

 良心的な多くの知識人は、日本共産党の意義を認めつつもこの党のさまざまな限界として、組織論としての民主集中制をあげる。
確かに川上徹氏が勇気ある発言をおこなった「査問」(筑摩書房)を読むと、いかに組織的病理が蝕んでいるかを如実に知る事ができる。
けれども、芝田氏は、民主集中制を告発して党を離れた組織が、決して民主集中制を超えた存在となりえていないことを指摘する。
芝田氏は今の日本共産党を、民主集中制から逸脱していることを批判しつつ、日本共産党がもつ意義を擁護している。
 この視座からは日本共産党自身が自己革新し続けない限りは、芝田氏の指摘を克服することはできない。
つまり芝田進午氏の指摘により、日本共産党は二重に高められねばならぬ宿題を課せられているわけである。
私の思う限り、そのことを深く認識している党員研究者や幹部党員は必ず存在する。
彼らが共産党ルネッサンスをめざすことによって、民主集中制は疎外された官僚的中央集権制から再び民主集中制へと回復する。

419革命的名無しさん:2008/12/27(土) 22:02:02
民主集中制論最終稿−いま芝田進午氏に学ぶ2002/1/12 桜坂 智史

 芝田さんの民主集中制論についての最終稿が「科学的社会主義」の欄に採用されているので、この分野にその後の感想を含め、書き足したい。
「JCPウォッチ」でこの問題を書いた反応として、民主集中制の芝田氏の意義は了解しても芝田氏自身もその犠牲となっているし民主集中制は権力の集中としか成りえない、という返信をいただいた。
確かに。その通りかも知れない。
だが実在として大工業と労働過程の理論をもとに、民主集中制の発展のためにぎりぎり尽力した芝田さん自身はもっとリアルに日本共産党の実態を把握していた。
挫折して党外から批判するよりも、この思想家の忍耐は限度を超えてもいたろう。
それでも死ぬ直前まで、国家権力と御用科学者を相手に、新たな時代の困難としての生化学災害裁判に取り組み続けた芝田さんの闘争こそ、私も含め民主集中制などあり得ないと言う無責任さを超越している。
あり得ない民主集中制を創造するために死闘を党内で奮闘した勇気こそ、称賛に値する。

420革命的名無しさん:2008/12/28(日) 09:22:38
見通しのいい交差点、車も人も見えない。
でも赤信号。
「いいや、渡っちゃえ」っていうのが民主集中制。
荷物持っていたり、急いでいたりしたら有効な手段の一つだ。
利便性や効率を否定するのは愚かだって思うけど。

問題なのは見通しの悪い交差点で車が走っているが見えるのに
無理やり横断することだ。
轢かれるかも知れないって当たり前のことがわからない。
それが日本共産党の言っている民主集中制。

コストとリスクを無視すれば何も得るものがない。
421革命的名無しさん:2008/12/28(日) 23:40:38
京都市長選と東京都知事選の比較から学ぶもの2004/2/14 桜坂智史

 広原盛明氏を守り立てて、盛大に取り組まれた京都市長選は、大阪「府」知事選と比較しても、勝るとも劣らぬすぐれた政治的実践であった。
わたしは自己のHPの掲示板に、広原さんの総括の名文を全文転載させていただいた。
事後承諾のお願いのメールをひこひこさんから教えていただき、送った。
その日のうちに、事務所のHP担当のかたから誠意あふれるレスが還ってきた。
そこだ!そのかたは、「全国から篤い声援をいただき感謝」されている旨のことばを書かれていた。
本当に全国から注目を集めた。その経験は、政治をどう考えるかの根本的イメージをもった運動の質であったとういうことだ。
 いままじめに共産党に期待したり、それ以外の政党が憲法改悪にじょじょに擦り寄っていくことに懸念を覚えているひとびとが多くいる。
しかし受け皿がない。
そんなときに、「無党派」と「市民派」の相違をあきらかにしつつ、「日本で最初の市民派選挙」として今回の「京都方式統一戦線」(桜坂)の闘争を位置づけたことは、大きな成果である。
422革命的名無しさん:2008/12/28(日) 23:41:25
 東京都知事選と比較すると、京都市長選で広原盛明氏が達成したことが明確になる。
東京都知事選では、無党派を考慮して最初革新都政の会は、女性候補に打診したらしい。
事実として私が知った情報ではないので、匿名として「らしい」としておく。
彼女は最初出馬を断り、しかたなく共産党が都委員長の若林氏をたてた後に、統一を願う勢力から川田悦子さんを辛さんや佐高さんらが応援してやっと立候補をする気になった段階で、立候補の意思を表明して共倒れを懸念した川田さんはおりた。
そして、立候補。
結果は共産党をうわまわる結果であったと思うが、石原慎太郎都知事の圧倒的な7割をこえる得票率で当選をみすみす許す結果となった。
 私は最初共産党に呆れていたが、よく見ると、そうではないことに思いいたった。
もし、共産党との共闘もうけいれる候補が革新都政の会から立候補したら、石原知事当選であってもあれほどの酷い結果にはならなかったのではないか。
 東京都知事選は、上からのトップダウンの要素が多い。
都内の共産党会議で不破議長は、党員候補こそ選挙の峰をきわめることができると力説したことは記憶に新しい。
 同じ敗北でも京都市長選のように、草の根からわきいでる支持の広がりが広まったのとは大違いである。
ネットがぞくぞくうまれただけではない。しだいに運動が拡大していったこと、選挙運動に携わるひとびとが充実を覚えて取り組んだこと。このような運動の質的相違が、市長選後も広原さんの感動的な総括にいたっている。
423革命的名無しさん:2008/12/28(日) 23:41:55
 東京には東京都の事情があっただろう。
複雑な情勢下で闘い続けたかたがたのご努力を後追いで非難するのは軽挙というものだろう。
広大な東京都全域と市内だけとでは性格も異なる。
 だが、やはりこれからの選挙で、京都市民が確立した闘争の新たな地平線を教訓として生かせるかどうか。
そこに夏の参院選戦略の成否もかかっている。選挙ばかりではない。
親共産党であったらしい、ないしは反共産党でない広原盛明さんが「日本で初めての市民派選挙」と総括したことの重大性は、安易に無党派頼みではなく、自立的市民による選挙と政治運動が、いまの情勢を切り開く重要なキイとなる預言とも連なる。
もちろん広原さんの真意は私ごときが安易に想像して決め付けるものとは異なる。
あくまで私の見解である、と付記しておく。

424革命的名無しさん:2008/12/29(月) 09:38:55
あえて言おう。
共産党のメンツを徹底的に踏み潰す所からしか、何も始まらない。
共産党が引っ込む。それが大事。
自公の下請け。これが共産党の今の立場。共産党は一旦消えるしかない。
425革命的名無しさん:2008/12/29(月) 09:43:46
戦略家としての古在由重氏に学ぶこと2001/12/26 桜坂 智史

 吉田嘉清氏の発言によって、古在さんがいかに平和運動・社会運動の戦略家として卓越していたかを再度知った。
 もともと戦前に党中央が壊滅した後に、二度目の偽装転向にも等しいしかたで獄から出た古在さんは盟友松本慎一氏とともに尾崎秀実の裁判に対応して弁護士を探し、裁判に向かった。
 戦後も六全協前後の動きや美濃部都知事擁立・革新都政実現に奔走したことは知られてきた。
吉田氏によれば、古在さんは岩波書店の吉野源三郎氏の部屋を根拠地のようにして粟田賢三氏も含めて、原水禁運動統一に向けて長崎大学の学長具島兼三郎や広島大学の学長へ、また婦団連や主婦連、生協連など次々にプランを送り健闘したことを発言されていた。
その行動は実用主義でなくそれ自体が平和哲学に裏付けられていた。
このような哲学者こそ今最も日本共産党のみならず民主主義運動に欠けている存在である。 

426革命的名無しさん:2008/12/29(月) 09:59:37
或る友人からの手紙 1 2002/11/23 桜坂 智史

 わたしの尊敬する友人からの手紙の一節を匿名で紹介させていただく。
彼は、誠実な社会人であり家庭人である。
以下に紹介する一節は手紙の一部で、彼がわたしの掲示板に引用してくれた。
 そこから、週刊金曜日についての良識ある見識と、拉致問題についての「三分の理」さんと同様の日本の誠実な知識人の良識をうかがいしることができよう。
とくに具体例の部分ははぶいたが、静かな説得力ある文章である。

 拉致問題を巡る排外主義の嵐は、ちょうど格好のターゲットを見つけたように弱小雑誌(定期購読していますが)の「週刊金曜日」を襲っています。
 この排外主義の嵐の要因のひとつは今の日本社会全体を覆う不安感、日々の生活での出口のない閉塞感に対して、いわば「官許」のはけ口が与えられたことによるのだろうと思います。
国家権力の情報を垂れ流すマスメディアが、それに加勢して、煽るだけあおっているわけです。

427革命的名無しさん:2008/12/29(月) 10:04:55
或る友人からの手紙  2

それと見逃してはいけない大きな要因がもう一つあると思っています。
東西冷戦終焉後の90年代に入って、従軍慰安婦の人の発言や中国や韓国、
そしてヨーロッパまで含めて、日本の「戦争責任」=加害責任追及の声が
大きくなり、それに対して、国際的には、正面切って反対できない、否定
できない状況が作られてきた。
もちろん、自虐云々をいう連中はいるわけですが、外国ではそんなこと
正面切っていえない(もちろん、歴史的に存在する民族差別意識は底流に
あるわけですが)。

 それに対する鬱屈した感情が今回の拉致事件で爆発した。
 「それ見ろ、お前たちだって悪いことしてるじゃないか」というわけです。
 90年代以降のそういう国際的な流れを含めた状況に対する「反動」という
要素が、今の排外主義的感情の爆発の背景にあることをみておくべきだし、
逆にそこにこそ、今の状況に対する私たちの反撃の橋頭堡もあるのではないか
と思うのです。
 90年代以降の「個人の人権」「人民の権利」を第一義におく考え方は、
「資本のグローバリズム」に対する「もうひとつの新しい世界は可能だ」
という動きと価値観を共有するものだと思います。
 90年代いっぱいをかけて到達した日本の戦争責任を自ら引き受けよう
とする意識や動きをより発展させていくという視点を持ちながら、「個人
の生き方と人権」を基底において、「もうひとつの新しい世界は可能だ」
と世界中で上げられる声に連なって、この排外主義の嵐の日々を生きて
いこうと考えています。

 この認識は、私にとり、支持している加藤哲郎氏の今回の行動にも
かかわらず、週刊金曜日についてのコメントをはるかにうわまわる見識
あると私は考えるものである。


428革命的名無しさん:2008/12/29(月) 10:10:25
或る友人からの手紙・再論2002/11/24 桜坂 智史

 私はJCPウオッチに「或る友人からの手紙」を投稿した。
それに対して、実際に救援運動もされている誠実な実践家のかたからご批判をいただいた。
 以下はその返信である。
なお、相手のお名前を仮にJさんとさせていただく。
関心のあるかたは直接、JCPウオッチを参照していただければ、彼の真意もより的確に読者諸氏に伝わることと思う。
429革命的名無しさん:2008/12/29(月) 10:17:46
或る友人からの手紙・再論 2
*******************
 Jさん、どうもです。 

>  私は金正日一派への批判者であり、当然今回の「週刊金曜日」へも大いに批判を持つものであります。
 わたしもキムジョンイルの批判者です。
それと週刊金曜日の記事とをごちゃまぜにしたら、問題は見えてこないのではありませんか。
その理由はこれから記します。

>  さて私は既に80年代に、亜紀書房刊「凍土の共和国」や萩原遼「ソウルと平壌」を読ん
だ頃から、「北朝鮮」には大いなる疑問と関心を寄せてきました。
丁度ソ連東欧の崩壊、大韓航空機爆破事件の頃であり、又ソウルオリンピック後の韓国を訪問
する機会があり、その経済発展ぶりに驚かされたことも疑問に拍車
をかけることになりました。
>  90年代初頭文春等に「日本人行方不明学生北朝鮮拉致説」が掲載された頃から、
「拉致問題」にも関心を寄せ、初期の段階から拉致被害者家族支援にも
参加してきました。

 わたしも萩原遼さん(井出愚樹さん)の翻訳や著作によって蒙を啓かれた思いがしました。
『北朝鮮に消えた友と私の物語』の書評を週刊金曜日に執筆したときに、萩原さんから丁重な
お手紙とご著作をいただき、萩原氏の見解の深さをいっそうよく理解することができました。

>  そうであるがゆえに、十派一からげに「拉致問題を巡っての北朝鮮批判は排外主義へ手を
貸すことになる」というような見方をされるのは、非常に心外であります。
>  私は、「金正日一派は日朝両国人民共同の敵であり、北朝鮮への補償は飽くまで北朝鮮
人民に対してなされるものでなければならず、北朝鮮人民を何等代表する資格のない金正日一派
に対して行ってはならない。北朝鮮人民の金正日一派を追放する闘いを支援するのと、統一的に
北朝鮮人民への補償を追求しなければならない。こうした日朝両国人民の共同の営みを通じてこそ、日本人の一部にある排外主義的傾向も克服できる」という立場であります。

 私もほぼその立場に賛成しています。

430革命的名無しさん:2008/12/29(月) 10:22:34
或る友人からの手紙・再論  3
>  私も現在加藤氏の新著「国境を越えるユートピア」平凡社ライブラリーを読んでいます。
氏がライフワークとして追究されてきた「天皇制絶対主義の戦前日本を逃れ、ユートピアを
求めて入ソした日本人達を待受けていた悲惨な運命」と、「北朝鮮の悲惨な現状」とは奇妙
に重なり合って来ました。

「国境を越えるユートピア」は、『国民国家のエルゴロジー』の改訂版ですね。
私は、いまは休刊している『月刊フォーラム』
1996年6月号に、『現実に対峙する加藤哲郎氏の政治学〜
「モスクワで粛清された日本人」「国民国家のエルゴロジー」を読む』
を書き、掲載されています。眼にする機会があったら、ご一瞥いただければさいわいです。

>そうであるがゆえに、加藤氏が今回の「週刊金曜日」に批判的な見解を示されたのも当然と
大いに納得できました。



431革命的名無しさん:2008/12/29(月) 10:28:04
或る友人からの手紙・再論  4

ここなのです。
 肝心のここの論理が違う。
 加藤氏の所論の正しさと週刊金曜日のジャーナリズムとしてのありかたと混同されていませんか。金曜日はキムジョンイルを正しいという立場で報道していますか。
そんな金曜日が萩原遼さんの著作書評や記事を載せますか。
私は掲載号もそのつぎの最新号もすべて眼をとおしました。
そのような先入観を除去した眼で検討することこそ、社会科学者の仕事なのに、倫理観という名の先入見だけで判断しかけているきらい
はありませんか、加藤哲郎氏に。
私は『加藤哲郎のネチズン・カレッジ』も読みました。
読んで共感をおぼえたから、加藤氏がすすめている新聞広告にも連帯して、協同の運動に末端で加わる意思表示をメールで送りました。
 Jさん、ここは正念場です。
運動の総体からひとつひとつを点検しながら、吟味していかないと、容易に足をすくわれますよ。
 共産党員でさえヨーロッパの社会民主党がつぎつぎに第一次世界大戦
に祖国防衛戦争支持と、合流していった。
歴史の教訓に学ばないと、一気に濁流は押し流していくことでしょう。
 加藤氏の正しさと、マスメディア・マスコミの情報媒体としての役割と
分析とは、よくよく実証的に吟味しないと、高揚した国民感情によって、
なにかを置き忘れていきはしませんか。
運動が高揚しているときに、冷静な理論家は少数派として出発せざるをえない。
そしてその理論や論理が正しいときだけかろうじて、少数派はやがて多数派と
して理論は世論・常識(コモン・センス)になっていくことでしょう。

*******************



432革命的名無しさん:2008/12/30(火) 08:03:03
ichitakeさんに大賛成!2002/3/23 桜坂 智史

 辻元清美さんにたいして、「主題別投稿欄」に投書して、一般欄を読み、ichitakeさんの文を拝読。
わが意を得たりの思いがした。
 重複は避けるが、辻元さんにむしろ攻勢的にうってでるべし、というご提案におおいに賛成です。
 これから、どう推移するかわかりませんが、朝鮮民主主義人民共和国との関係や日本赤軍との関係を中傷する暴論も多い。
そんななかに、さわやかな印象をもった。
 北朝鮮に私は幻想はもたないけれど、ブッシュのような「悪の枢軸」だって?
 思わず笑っちゃいました。
まるで三流の西部劇、しかも先住民族ジェノサイドのようなお粗末作品。
いまどき小学生だって、単純な善悪二元論で物事を裁断しません。
 金大中大統領の「太陽政策」、安江良介前・岩波書店社長のような北と南の両方から信頼された先達もいた日本とは思えないですね。
 日本赤軍についても、矢崎泰久氏や中山千夏氏、狭間組が「話の特集」で論じてきたが、アラブでは重信房子たちの運動をリアルに把握してきた。
アラブ、イスラエルの歴史をふまえて論じる最低の基準もみたさず、重信と連合赤軍とをいっしょくたにして論じる愚かさ。
私は「新左翼」に批判的見地だが、立場が違う他者こそ的確に認識すべきであると思う。

433革命的名無しさん:2008/12/30(火) 08:07:06
京都知事選が持つ重要な意味2002/4/3 桜坂 智史

 まもなく京都府知事を選ぶ選挙が近い。
一般も党員欄もそのことにふれた投稿は、あまり見られない。
横浜市長も勝ったから、京都も大丈夫か?
 とんでもない! 
 横浜は小泉首相が激励し、民主党右派に近い「無所属の会」代議士。
いままでの横浜市青葉区と川崎市宮前区にまたがる選挙区が市毎に分かれる。
国政選挙は不利になる。
彼を支持したM沢代議士はなんと統一教会シンパの高崎経済大学ー法政大学教授を担ぎ出してきた。
川崎を全国最低の勝共連合アカデミーせんせ様を市長にさせた自民党別働隊民主党派。
浜では少し高等な戦術を使った。が、肝心の小泉首相が露骨に本音をあらわしてしまったから、からくりは見透かされてしまった。
 つまり、横浜市長は保守勢力である。
油断できるような状況ではない。
京都に集結した良心派、川田親子、鶴見俊輔、小室等、数々の理性。
しかし、いまのままでは数万票の差で負ける。
これからの健闘で、かりに勝っても数千票の差だろう。
京都の結果は、軍事大国化の道か侵略戦争阻止の道か、大きな分岐点である。

434革命的名無しさん:2008/12/30(火) 08:10:39
新たな可能性灯す「九条の会」2004/07/25 桜坂智史改め千坂史郎

 中間派から左派を含む文化人と社民・新社会・共産の三党の代表も個人で参加して、「九条の会」が結成された。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-07-25/01_01.html

 別に「9条連」という団体がある。JR総連の組織と重複している。
 それとは別に、多くの文化人たちが護憲三党の代表などとも共同して「九条の会」を発足させたことに大きな可能性を感じる。
 このような会が自己満足に終わる組織であることは往々にしてある。
政治的問題や大きなうねりが生じたときに、知識人の署名運動なども決して目新しいものではない。

 けれど、この会が新たな協同戦線として、政治的行動をおこすならそこに大きな意義が生まれる。
 地方自治体や国会での選挙の統一候補を決定したり、おりおりの政治的課題や共闘できる分野で、幅広く大衆行動の組織化を手がけるならば、そこからこの国の停滞した革新的運動は再生の可能性をもつことができるかも知れない。
それがどれだけ現実化するかを想うときに、私には悲観論のほうが先にたつ。
それでも、このわずかな可能性をはらむ萌芽に大いに期待し、私もできるだけ主体的に応援したい。

 問題はどのように運動をおこなうか、だ。それが見えてこない。それでもどんなにちっぽけでも、最初はみんなそのようなものだろう。私たちの受け止め方とはぐくみかたこそ、重要ではないだろうか。

 今後を期待したい。応援したい。

      

435革命的名無しさん:2008/12/30(火) 08:13:54
日本共産党に求む−古在由重復権の自己批判を2002/1/24 桜坂 智史

 日本共産党の退潮が報ぜられて久しい。
次々に戦前の形態とは異なる国家主義と管理主義の融合した体制が着々と固められている。 
日本軍国主義に最も歴史的に長く、最も一貫して闘った日本共産党が、今の情勢を打破する上で1980年代に共産党中央によって除籍処分を受けた古在由重氏の事態は大きな問題となっている。
 政治を動かすうえでも国民の動向を大きく左右する要因のひとつに知識人の問題がある。
無党派で進歩的な大学研究者やインテリたちにとり、アカデミズムの世界の学者たちからも一目置かれていた哲学者古在由重氏の影響力は大きかった。
加藤周一、丸山真男などの知識人にもそうだった。
そして、原水禁統一運動において日本共産党が統一派の吉田嘉清氏を処分し、古在氏を除籍したけれども、その後の運動は全く盛んにはならなかった。
それどころか川上徹氏などへの対応も含めて多くの国民の人心を共産党から離反させる結果となった。
実践面での次元でも哲学でも、なんら得るところはなかったと私は感ずる。
今、古在由重氏の政治的復権を認め、自己批判することこそ、民主党の葉山峻氏はじめ多くの良識派政治家も共産党の意義を再認識しうるだろう。

436革命的名無しさん:2008/12/30(火) 08:16:24
戸坂潤の科学的精神と科学的社会主義2001/3/16 桜坂 智史

 私は科学的社会主義という概念で、戸坂潤を思い浮かべる。
あの熱狂的な日本イデオロギーの時代に、戸坂は国粋主義に対置して、科学を掲げた。
 科学。そこでは、エンゲルスやレーニンやマルクスの理論を解釈してみせることが官憲から許容される時代ではなかった。
戸坂の科学的精神は世界のどこでも理解可能であること。
日本でしか通用しないような特権主義でなく、どこでも翻訳や理解可能である、そのような真理の前では平等であることが重要な要素だった。
 同時に科学は疑うことを前提とする。すべてのことは疑うに値する。
疑うことさえ許されないような非合理によって軍部の意向は天皇制イデオロギーは国民を貫いていった。
 つまり、戸坂が必死にあらがった時代は、非合理と闘うためにも科学的精神の称揚が求められていた。
 現在の日本にとり、科学的社会主義はやはり必要ではあるが、さらに同時代を生きる共生と新たな統合原理が求められている。
統合原理とは、さしあたり抑圧と弾圧のグローバリズムにどのように抵抗し対案を創り続けるか。
そこでは、はじめに科学的社会主義ありきではない、実態にどう応じるかが求められている。

437革命的名無しさん:2008/12/30(火) 08:21:39
戦後日本の市民社会の形成と「真実と和解」2001/6/22 桜坂 智史

 私は国忠崇史氏が、この「さざ波通信」で提案した「真実と和解委員会」構想に共鳴を感じた。
それを受けてJCPウオッチで、「真実と和解委員会の思想」というツリーをたてた。
多くのかたからのご教示を受けてゆくうちに、或る仮設を抱いた。
 それは1972年前後の新日和見主義事件も1984年の原水爆禁止運動統一にかかわっての原水協事件の原因である。
 結論をさきに言えば、戦後日本は1968年ごろを画期として新たな歴史的段階にはいり、その社会構成体の変化は同時に市民社会とよばれる概念でいう市民を形成する時期を迎えていたのではあるまいか。
 1968年はユーロコミュニズムのフランスでもパリ5月革命を迎えていた。日本では、戦後民主主義をまもれという声と戦後民主主義虚妄論とがあいなかばしていた。
 私見によれば、戦後民主主義はこの時期を境目に段階を異にしていったと考える。
その根拠は紙幅に限りあるので詳細に論じられないが、簡単に言えば、憲法をたえず制限する日米安保条約が国際情勢のなかで、憲法を超える位置を実質的に獲得していったことと、民主主義の基盤としての社会状態の大きな変質である。
 そして同時に日本社会は市民というにふさわしい実体を培いはじめた。
その例として、芝田進午氏がプルードン主義と批判した羽仁五郎氏の『都市の論理』のベストセラー化やあいつぐ市民運動の多様化が挙げられる。
 市民や大衆の概念は戦後のまもなくから論じられてきた。
大衆社会論争も1950年代には活発に繰り広げられた。
438革命的名無しさん:2008/12/30(火) 08:22:58
          2    桜坂 智史
だが日本にそのような市民や大衆が登場したのは、論争よりもずっとあとである。
 日本にめばえた市民の意識が、近代民主主義を母胎とする人権と自由、平等と友愛の意識であることから、それらは共産党員にも影響を与えていった。
 新日和見主義事件も原水協事件も、その頃から相次ぐ人権思想で彩られた市民思想を背景としている。
 それがロシアマルクス主義的なレーニン型の共産党の大衆運動論、統一戦線論、組織論と相対立するようになったのは或る意味で歴史的必然性を帯びていた。
 国忠崇史氏が説く「真実と和解委員会」の形態と思想とが日本に根付くためにも、日本共産党が市民社会と社会主義の論理を十分に理解する必要がある。
 市民的形態としての無党派運動や勝手連スタイルを正確に把握して「共闘」を組むためにも、市民や大衆を創出している現在の日本社会を的確に把握することだ。
 「現在」の大衆を理解しようとした寅さん映画に文化を探った哲学者の嶋田豊氏。政治的自由主義者で非マルクス的観点から『柔らかな個人主義の誕生』を探った山崎正和氏。
 まったく別なとこころから、見えないものを見る視点がやってくるやも知れぬ。
 まだまだ「真実と和解」は程遠い。
しかしそれを願い、運動している数多くの集団的主体や自立的個性がねづいていく限りは、その可能性は地平線上のかなたに実在するだろう。

439革命的名無しさん:2008/12/30(火) 08:25:38
古在由重氏の復権とは  2001/9/28 桜坂 智史

木村愛二氏が、この欄で書かれた「古在由重の復権はできるはずもない」という趣旨の書き込みを拝読した。

 私は現状のままで、日本共産党中央が古在さんを復権するほどあまい認識をもっているわけではない。
逆であり、そのような政治的措置を実行できぬような実態ゆえにつよく要請しているものである。

 政治的逆流がいつかは、政治的本流として反動の滔々たる流れになりかねない政治状況が進んでいる。

 民主党は国会議員数こそ野党第一党だが、かつての社会党ほどの護憲平和の意志は政党としても、そのような考えをもつ党員の比率もきわめてすくない。

 このようななかで、日本共産党が、戦後に次々に除名や除籍した党員への処分のなかには、いまの中央でさえ、きわめて不明瞭な処分だったという認識をもつようなケースもあると想像される。
宮本顕治氏への批判を公然と出せなかった幹部もいたであろう。
 現在が宮本氏の指導体制よりもよいとはいえぬ。
けれども共産党の党内事情以前に、いま日本共産党が外部から求められている平和と民主主義、進歩と革新への期待にこたえうるとしたら、多くの反戦平和の志向をもつひとびとと連帯しえぬかぎりは、一歩もいまの状況を打開はできないだろう。

 古在由重氏の除籍処分と一連の黙殺は、党外の知識人や学生、労働者たちの憤激をかった。古在さんが排除されるのなら、という意識は共産党中央が予想する以上に強い。 古在さんひとりの有名人を云々の問題ではない。
彼に象徴される志ある活動家たちを、「真実と和解」(国忠崇史氏の発意)のもとに結集するほどの大胆な提起をしなければ、もはや党員赤旗購読者数も減っている現在、日本共産党が党是をアピールしても受け入れる要素は少ない。

 以上のような趣旨にのっとって、古在氏の復権を私はいまも変わらず要望しているしだいである。

440革命的名無しさん:2008/12/31(水) 15:37:01
科学的社会主義、共産主義、そして・・・・2001/9/16 桜坂 智史

 マルクス主義、マルクス=レーニン主義、社会主義、共産主義、科学的社会主義。
それぞれの名称が時代的背景をもっている。
前の二つは、スターリン問題とのからみがあろう。
 sociallism、communism。スペルは多少違っていたらご容赦を。
これらは該当する言葉がヨーロッパから伝わってきた。
問題として設定したいのは、科学的社会主義である。
空想的社会主義として措定したのはエンゲルスと思うけれど、ロバート・オーエンやフーリエ、サン・シモンらを単に空想的と形容づけるのは今日的に無理がある。
それらは科学的ではなかったかも知れないし小ブルジョア思想かも知れない。
けれども、エンゲルスもマルクスも同時代に広く流布していたこれらの思想との緊張関係やかかわりあい、ひいては闘争を通して自らの学説をうちたてた。
其の点ではもう少し「空想的社会主義」を「ユートピア探求型社会主義」として分析し継承する働きが必要と思う。
戸坂潤は「科学的精神」を掲げ「日本精神」の教学に対抗した。
日本イデオロギーの狂信性に対峙して。
日本共産党は「科学的社会主義」を標榜している。異論はないが、現代民主主義の観点が薄い。私は「民主主義的現代社会主義」と考える。

441革命的名無しさん:2008/12/31(水) 15:40:08
日本共産党の科学的社会主義に欠落した部分は?2001/10/28 桜坂 智史、

 戸坂潤の科学的精神は、凶暴を極める非合理な天皇制ファシズムに対して敢然と立ち向かっていった。
其の点では日本共産党が科学的社会主義の旗を掲げることは、固有人物の名前を冠する教条主義に陥らぬ点でも、非合理主義との対決の点でも、有意義な特徴である。
しかし、何かが足りない。現在の日本共産党を見ていて想うことは、たとえば思想的深さを感じさせる人物が少なくなった。
マルクス主義でも共産主義でもよいが、正面から時代にぶつかるひょうひょうたる人物の輝きがうすい。
これが私の独断だけならよいが、古在由重氏を除籍し、芝田進午氏が逝去した今、いっそうそう想う。
 結局は科学的社会主義のもとに何を構想するかの問題である。
それ自体はよいにしても、寛容の思想、友愛の思想、連帯の思想、思想の共存と共感がうすい。
また科学的社会主義の方法論に深みがないのは認識論や価値観に、科学という名を冠することができない人間の感受性や情動についての把握のしかたが紋切り型である。
 21世紀がアフガンへの戦争で始まった今、多面的な認識と異なった価値観や宗教との交流が必要である。
人類生存のための哲学と思想こそ、日本共産党の視野に不足していると感ずる。 

442革命的名無しさん:2008/12/31(水) 15:45:35
京都府知事選と共産党談話2002/4/10 桜坂 智史

 反共でもない。礼賛者でもない。京都共産党はよく努力された。
だが、選挙後の談話をHPでよみ、「空しい虚しい」と感じた。
 実がないのだ、分析がないのだ、展望がないのだ。
筆坂さん、「民主府政の会」も「京都勝手連」も、極めていやがった、忌み言葉をご存知ですか?
「大善戦だったなんて使うまい、全力を傾けよう」。
自民党府政いらい最大の得票とか、衆院選の何倍とか、何処ではトップだったとか、そんなことは「分析」とはおよそ縁遠い話ではありませんか。
 なぜ、最大の得票にもかかわらず負けたのか?
 次の府知事選を勝つためにはどこが力及ばなかったのか?
 さしあたり次の闘争課題は何なのか?
 それを勝つためには、どのようなことが必要なのか?
 そのような具体的展望を示し、明快にわかりやすい課題を示せば、いまの選挙闘争に参加した庶民は、さらに渦をひろげて運動の輪を拡大していくと想いませんか?
 みすみすそのような「拡大」の絶好の機会を潰せば、チャンスは遠ざかります。
 大衆が参加した闘争の結果を教訓化して、そこから課題をさししめすから「科学的」なのです。それさえ不充分では、「科学的社会主義」の名を僭称すべきでない、と言われてもしかたないことになってしまいます。

 なにはともあれ、「京都の」共産党さん、そして応援された他の党員さん、そしてともに闘ったすべての皆さん。お疲れ様でした。いい選挙戦でしたね。

443革命的名無しさん:2009/01/05(月) 15:35:46
近づく総選挙に向けて2003/9/28 桜坂智史

  鈴木宗男被告が次の衆院選に出る動きが見えます。
もし鈴木被告が再立候補するならば、辻元清美様は、ふたたび立候補して当然であります。
 二人とも、共通の被告の立場なのですから。
 しかも、辻元清美さんを詐欺罪などで逮捕させた警視庁キャリア官僚の安森智司氏の出世がらみの疑惑は現実のものとなりました。
 九月二日付けで、警視庁捜査二課長から、わが神奈川県警刑事部長に晴れて栄転したのです。
つまり逮捕する必然性は、ほぼ皆無に近かったのに、自らの出世レースを駆け上がっていく地歩を固めたわけです。
 同じ課のノンキャリアの刑事からでさえ、「公判維持のことも考えずに出世欲がミエミエだった」と酷評されている。
そんな背景があったのです。

 また山崎拓氏が、しゃあしゃあと立候補出来るのであれば、共産党幹部の筆坂さんが、立候補してなんら差し支えないことは、自明の理であります。
この件も、いくつかの掲示板でリンクされているあるサイトが紹介している記事を読むと、筆坂さん本人以外の別の要因が具体的にでているのです。
このことについては、その所在だけを伝えるのみにしておきます。
 自民党自体が、山崎拓氏が幹事長では総選挙を闘えないと公然と言っています。
なにしろ統一協会=国際勝共連合の組織員女性を愛人として、国家機密さえ安全でなかった不安があるとは、それこそ、筆坂さんとは別の次元の大問題ではありませんか。
 本気で、自民=公明連合党に選挙で、鉄槌を食わす気があるならば、 共産党や社民党は、執念深く飄々と、淡々と、そして、泥臭く、この国の大衆にすべからく浸透させるつもりで、闘争を進めていくべきです。
そういう姿勢が左翼政党にはいつも希薄です。
 居直りではなく、本当にそのくらいの執念深さをもって臨む政治闘争の姿勢が必要です。
それを自民党が言う前から尻尾をまいて、仲間内で牽制しあっていて、いったいどうすると、強く言いたい。

444革命的名無しさん:2009/01/05(月) 15:43:36
護憲と平和の東京・勝手連をインターネットから2003/3/8 桜坂 智史

 長壁さんから、都知事選について丁寧な質問もあったが、なにもできずにいた。
辛淑玉さんは素敵なかたであり、本来は都知事に推したい女性である。
しかし日本国籍で30歳以上という反国際的規定のもとでは、それもかなわないかもしれぬ。
 私はいままで、都知事選に中村敦夫氏を推薦する取組みをささやかに取り組んできた。
しかし、当人は辞退している。そして、もう公示もせまってきた。
 今回の都知事選は、現職石原都知事が二期目を正式出馬を7日に表明した。
対する日本共産党は、若林義春氏が先に出馬を公表している。
ほかに民主党が候補を模索中。
 ときは既に選挙戦に一直線。
 私は石原慎太郎氏 「以外の人物を」応援したいと思う。
 その資格として、憲法を擁護して、イラク戦争や戦争賛美の軍国主義者を批判する。
その二点に絞って、選挙を戦う候補たちを応援することに、自分のスタンスを決めようと思う。
 選挙は、統一戦線勢力の結集にいたらなかった。
 だが候補は樹立できなくとも、「護憲・平和のストーム」を広範な有権者側に巻き起こしたいものだ。
 選挙する投票者の、広く反戦争と憲法擁護の大きな結集を期待したい。

 
445革命的名無しさん:2009/01/05(月) 15:44:30
 3月8日。
広汎なひろびとが、日比谷で集会をもっている。
4万人が集結したときく。
このようなうねりが都内でもたれている。
それをリードする政治家がいるか?
いないとも言わないが、ことと知事選においては、いまのうねりを首都にいかせる組織の実在はあやうい。

それでも、しかたない。
あるがままの条件のなかから、
高まる平和を願う世界中の民衆と連帯して、
支配されている民衆の側において、
護憲と平和を実現しようとする熱気の風が吹き荒れることをめざしたい。

 私たちの望むものは
あなたを殺すことではなく
 私たちの望むものは
あなたと生き続けることなのだ

 (岡林信康作詞作品より)
 特定の支援候補はいない。
 しかし「護憲・平和/東京勝手連」をインターネットでよびかけたい。
そう思う。
関心と対案のあるかたがたとともに、石原慎太郎知事の「改憲・戦争」路線を批判したいと思う。
 できることは取組みつづけ、次代から歴史の検証をされたときに、事なかれ主義で過ごし、時代における真実と無縁な存在ではいたくない。
 そう思う。
446革命的名無しさん:2009/01/07(水) 16:13:56
在野の優れた共産主義研究理論家−追悼・石堂清倫氏2001/9/2 桜坂 智史

時代が黄昏れて、民衆があたふたと惑う時代に
あなたは常に明確な海図を提示し続けてくださいました
マルクス・エンゲルス全集はあなたのような地の底を這う
真の理論家によってのみなされたのであります
あなたがグラムシを紹介し
「二十世紀の意味」を著作で明確に著されたとき
私たちはあなたの壮大なお仕事の意味をひしひしと感じました
日本のナショナリズムの問題を今の時期に考察されたこと
実に的確な指摘でした
あなたが育てた日本社会主義の理論家たちは
あなたの創造的で斬新な発想と不断の努力に学び続けるでしょう
生活の困窮に貴重な研究書さえ売り
病気で入院された健康状態の危機の真っ最中で
あなたは故郷金沢いらいの親友中野重治の文学と同様
マルクス・ルネッサンスの碩学として
絶えず学びの原点として
後進の人々によって研究を継承されることでありましょう
石堂さん
私はあなたと一度もお会いしていません
しかしあなたの石に刻み壁に対座した九十七年の人生に
深く敬意と学びとを忘れません
さようなら
もしも天国があるなら
中野さんと心ゆくまで友情を温めあってください
心からご冥福を祈ります
今こそあなたのご研究が出番を迎えています

447革命的名無しさん:2009/01/07(水) 16:17:56
戸坂潤の科学的精神と科学的社会主義2001/3/16 桜坂 智史

 私は科学的社会主義という概念で、戸坂潤を思い浮かべる。
あの熱狂的な日本イデオロギーの時代に、戸坂は国粋主義に対置して、科学を掲げた。
 科学。そこでは、エンゲルスやレーニンやマルクスの理論を解釈してみせることが官憲から許容される時代ではなかった。
戸坂の科学的精神は世界のどこでも理解可能であること。
日本でしか通用しないような特権主義でなく、どこでも翻訳や理解可能である、そのような真理の前では平等であることが重要な要素だった。
 同時に科学は疑うことを前提とする。
すべてのことは疑うに値する。
疑うことさえ許されないような非合理によって軍部の意向は天皇制イデオロギーは国民を貫いていった。
 つまり、戸坂が必死にあらがった時代は、非合理と闘うためにも科学的精神の称揚が求められていた。
現在の日本にとり、科学的社会主義はやはり必要ではあるが、さらに同時代を生きる共生と新たな統合原理が求められている。
統合原理とは、さしあたり抑圧と弾圧のグローバリズムにどのように抵抗し対案を創り続けるか。
そこでは、はじめに科学的社会主義ありきではない、実態にどう応じるかが求められている。

448革命的名無しさん:2009/01/07(水) 16:23:44
レジスタンス勢力としての日本共産党の意義2001/7/31 桜坂智史

 共産党のホームページを見ると、さざ波通信を反党分子というふうに見ている。
そのような党の体質について批判があるのは理由のないことではあるまい。
 しかし、今度の参院選で共産党が後退してもこの政党の意義はいささかも減ずるものでもない。
宮本顕治氏が委員長や議長の時代に比べれば、少しゆるやかな規律の党になったように感じるが、その分経営的感覚からすれば宮本氏のような的確な経営的センスに欠ける面も見られる。
民主党や他の政党との協調もよいのだが、その分独自の存在感が薄れ気味になったのかも知れない。
 参院選で議席が減少したけれども、首都東京選挙区で緒方靖夫氏が当選したことは、十分な意義がある。
大阪や京都での敗北は残念だが 公明党の選挙フィクサーぶりなどを考慮すれば、極めて惜しい敗北だった。
現地の党員は健闘したと思える。
 次の衆院選も近いが、あまり議席の増減に左右されずに、自信をもって大衆闘争にもがんばってほしい。
渡辺治氏のようなすぐれた理論家をもっと大切にしてほしい。
かつて不破哲三氏と田口冨久治氏との「前衛」誌上での論争があった。
田口氏は、丸山真男氏の政治学を継承するすぐれた学者だった。
現在ね渡辺治氏のような理論家こそ重要である。

449革命的名無しさん:2009/01/07(水) 16:26:33
無視すべきでない石原都知事の言動2001/8/17 桜坂智史

 小泉首相が靖国神社に8月13日に参拝した。
15日に石原慎太郎都知事が参拝した。
女性記者が「公式ですか、非公式ですか?」という質問に「都庁からきたんだから、決まっているじゃないか。馬鹿な質問をするなよ。」と激怒した。
なぜこの質問に怒る必要があるのだろうか。
政界では、小泉首相の「改革断行」でうまくいかなければ、鳩山政権を、さらに石原都知事を次の首相に、という裏の噂がとびかっている。
そのような情報を背景にして、質問は当然である。
この都知事は、自分を批判したりうまく的を射ていると、「左翼が何を言っているのか」とか罵倒を浴びせたりする。
 かつて三島由紀夫がクーデターを叫び、自衛隊駐屯地で割腹自殺した。
その時、石原氏は三島氏を批判した。
だが自衛隊を「三軍」呼ばわりして治安訓練を毎年行われる総合防災訓練に唐突におこなったり、強引に全国でどこも採用していない扶桑社の歴史教科書を都立養護学校教科書に押し込んだりしている。
まぎれもない全体主義、軍国主義者である。
このような政治家に毅然と対決した姿勢をとることこそ、反戦平和軍縮の日本共産党の立場と思うが、党中央はどうお考えになっているのだろうか?

450革命的名無しさん:2009/01/07(水) 16:32:41
現在と過去の教訓としての京都方式統一戦線2004/2/4 桜坂智史

 京都市長選は、2月8日に迫っている。 
私がインターネットでいろいろ示唆をいただている京都の豊かで良識のある知人によれば、今回の共産党支持率は7.2%、民主党に抜かれて、京都でも共産党は第三党に転落したという。
しかし、もっとも率が高いのは無党派層である。
彼はいみじくもこう言われた。
 「この無党派層が、市政を変える主体者として登場してこない限り、勝ち目はありません。
お願いして投票してもらうのではなく、選挙に行かなければという自覚を、市民一人一人が持てるようになるにはどうしたらよいのか、ということが今回の市民の手で市長を選ぶ市民運動の出発点であったように思います」。
至言である。
 私も、その観点が今回の京都市長選ではきわめて高い教育的意義を果たしたと思う。
私の学生時代は美濃部革新都政の時代。
あのころ、草の根から湧き出るように多くの市民が支援を自主的にしていた。
古在由重さんなど多くの実践的知識人が主婦連、婦団連、生協連、日本宗教者会議など多くの市民団体とともに、幹事として獅子奮迅の活躍をして動いていた。
それを別に偶像視したいわけでないが、今回の京都市長選は、その雰囲気と同様の政治的大義を感じる。
 勝敗は大事である。
 けれど、ここ長く政治不信と無気力感、虚無主義、倒錯した事大主義、ポピュリズムの流行などが続くなかで、あらたな軍事大国主義と国内の不気味な国民の心理状態が無視しがたい状況を呈してきた。
 そんな中に、市民たちがたちあがり、全国でも共産党が強いと言われた京都。京都新聞のリサーチでは、共産党はついに第三位の支持率。
もしそのまま共産党が大阪のように運動していたら棄権は多く、似た結果となっただろ。
 今回、選挙に勝つかどうかは、わからない。
それでも、政治闘争としては、新たな成果をあげている。
全国の「変革主体形成」を志向する民衆派にとり、この運動は「ひとつの麦」として全国に、京都方式として大きな教訓を与えてくれている。
 
451革命的名無しさん:2009/01/07(水) 16:34:12
      2
さきにあげた京都のかれはこう言う。

「まもなくゴールです。楽観はしていません。
しかし、名前だけを連呼してひたすらお願いしか訴えない、現職の宣伝カーからは、未来を呼ぶ声は私には聞こえてきません」。
 そう、未来からのメッセージを受けとる運動こそ、現代民主主義運動の王道を歩んでいる。
ゴールは、静止していない。
その向こうに、参院選と憲法改悪企図とが待ち構えている。
 明治自由民権運動以来の日本民衆の自主自立の精神が過去の先人たちが、現在との統一戦線を構築している。
今回の京都市長選をめぐる新しいかたちの運動体を、私は京都方式統一戦線とかりに名づけている。
 京都方式統一戦線とは、現在における市民、民主勢力、統一的労働運動、実践的知識人たちとの統一であるとともに、現在と過去の教訓との統一戦線でもあるといえないだろうか。
声低く持続し続ける無告の民の声を、継承する刻と想う。

452革命的名無しさん:2009/01/10(土) 17:30:12
ジャーナリズム 2009/19   桜坂 智史

 マスコミによくでている人物が国会に出馬する。
そのこと自体はよいことかもしれない。
政治とその実態をよく知り、これからの国政を変革するうえで、
プラスとなることもあろう。
 しかし、小泉純一郎の全盛期にはべたほめして、その後は手のひらをかえす。
上田耕一郎が死ぬと、いままでの非難をひそめて「不肖の弟子」などともちあげる。

 そのような人物が当選したら、どのような政治行動をおこなうか、
じっくりと観察したい。民主党の応援をうけて、当選するかもしれないが、
ひとは他人からの批判でなく自分がおこなってきた暗部の行動によって裁かれる。
453革命的名無しさん:2009/01/11(日) 01:46:42
立命館OB氏の充実した京都府知事選総括2002/5/19 桜坂 智史

 党員欄に掲載された「立命館OB」さんの分析は素晴らしい。
このような分析力が京都の共産党にいること自体を、日本共産党がどう考え、どう評価するのかが興味深い。
 氏の意見に「名無しの権兵衛」氏が応じている。
こういうさざ波通信を、中央幹部が受けとめられずに、処分したというのは、怒りではなく、なさけない話しだ。
 京都について言えば、京都府委員会が分析して次のステップへの政策的見解をうちだすべきだが、私はあまり期待できないと思っている。
それより、個人でもあのような分析がなしうることに、期待している。
 不破哲三、上田耕一郎以降、よしあしは別に、魅力ある共産党幹部が見えない。
自由・分散主義だかなんだか知らぬが、もうすこし金太郎飴じゃなく、ひとりひとりが個性ある思考力や意見をもつようであってほしい。
 もっとも、見えなくともそれなりの人材はでてくると期待したい。
 民主集中制が「意見の留保と行動の統一」であっても、意見もうちだせずに選挙後になしのつぶてでは。
京都の自治連の『ねっとわーく京都』今月号で、注目すべき総括が載ったと聴いた。
そういう分析を大胆に生かしきるのが、日本共産党の生命力となるのだ。
 それさえわからず、いまだに共産党支持票が増えたと思い込んでいるのでは、しかたがない。

454革命的名無しさん:2009/01/11(日) 07:46:10
緊急アピール都知事戦!!辛淑玉さんらの川田悦子さん擁立運動2003/3/11 桜坂 智史
 きょう、驚くべき情報が飛び込んできた。
 あの女性正義漢、辛淑玉さんが呼びかけ人となって、『東京に女性知事を実現する女性たちの会』が結成された。
 辛さんや中山千夏さん、田中優子さん、朴慶南さん、神田香織さんら七名がよびかけ人となり、佐高信さん、松崎菊也さんなどが応援団をひき受け、多くのかたがたが賛同人となって、国会議員川田悦子さんに都知事立候補を要請する運動を立ち上げた。
 「東京に女性知事を実現する女性たちの会」
メール:[email protected] fax 03−3918−1479
 石原慎太郎氏のような好戦的女性蔑視の都知事を都民のうえにいただくことに、納得のいかないかたがた(都内在住でなくともよい)で、川田悦子さんに都知事に立候補を要請されるかたは、3月16日午後六時までに、
@川田悦子さんを推薦します
氏名 仕事など肩書き(なくともよい) 公表可否 住所連絡先
@応援団になります
氏名 仕事・肩書き(なくともよい) 公表可否
住所連絡先 を記入のうえ、「会」までご連絡ください。
 川田悦子さんは3月17日にこの件について、判断して態度を表明されるそうです。
 いまだ、立候補を決定したわけではなく、多くの民衆の要請によって、東京都知事に、本当に世界にはずかしくない代表を出そうとする運動です。
多くの皆さんの支持をお願いします。
また、郵便振替で
「内閣を選ぼうジャパンリーグ」名で、カンパをお願いしています。
カンパ:00110−5−186159
通信欄に「川田」と書き一口1000円でお願いしています。
読者の皆さんの応援をお願い申し上げます。

455革命的名無しさん:2009/01/11(日) 07:48:02
結果の見えた都知事選だが最後まで諦めずに2003/4/9 桜坂 智史

 いまのままでは、石原慎太郎氏が再選は濃厚な気配となってきた。
 本当に勝とうとする意思がなくて、勝てるわけがない。
 石原氏を支持するひとにはよい結果となるだろう。

 共産党も市民団体も、もういちど原点をたしかめてほしい。
 しかし、一票でも、反石原陣営が獲得しないかぎり、その票差があとの都政にも影響をあたえるだろう。

 私は、この選挙戦をみていて、終盤戦に、日本共産党のほうが、得票も樋口恵子さんよりも少ないと判断した。それゆえ、都議会で今後も持続的健闘を期待することと、つくる会で樋口さんが共闘を蹴ったといういきさつからして、いまの時点では若林義春候補を支持する。

 革新の票を、若林義春氏に集め、石原陣営に一矢報いたい。
 そう願っている。
 『空疎な小皇帝』(斉藤貴男氏の著作名)に批判を。石原慎太郎を支える反動体制にノーと言おう。

456革命的名無しさん:2009/01/11(日) 07:55:05
思想なきテクノクラート集団・日本共産党2003/6/29 桜坂 智史
 今日の時代情勢のもとで、天皇制や自衛隊、二段階革命論により保守的な手直しをくわえるよりも、
もっと自公政権に護憲の大衆的闘争をおこない、どこまでも庶民のために闘いつづけることが、
共産党の奮闘を知らせ、国民から支持をえるために必要な最低の条件だということがわかっているのでしょうか。
首脳部に。
 不破さんは筆坂氏のセクハラ問題に新聞紙上であれこれ言い訳がましい発言をしていますが、きちんと
事情も説明できないようなありさまでは綱領よりも、昔の西沢舜一「愛とモラル」風の党幹部むけの
「愛と性のマナー読本」でも出したほうが効果的でしょう。
 国民は、経験を通してみるべきものはみていると感じます。
生活崩壊の経済・社会の崩壊事態の前で、「科学的に」対抗策を提示して闘争することを放棄したら、
綱領云々以前に日本共産党はふきとんでゆく、そんな予感がします。
 なし崩しの憲法法制瓦解のいま、日本共産党とは、実際にどう闘うのでしょうか。
その具体的認識論がなくては、綱領を変えても支持のジリ貧は変わらないと思うのですが。
 そうして大局を見るに、なにがかけているといって、「民衆とともに」、「ヴ・ナロード」
(石川啄木)の展望がない。
共産党の実務をそつなくこなした連中が出世していっても、日本の政治や未来を構想する
広義の世界観、人生観、思想が欠落している。そう思います。

 いま日本共産党が再生するために最も必要な営みは、広く国民の声を活かそうと
聞く耳をもつこと、そして中央委員会や本部が地方組織や第一線で現場に取り組ん
でいる下部組織の党員の声を、このさざ波通信でいえば、「党員」と銘打って
志位委員長に公開直訴した長壁満子さんのような具体的な提言をもっと大切にすることであろうと、私は考えています。

457革命的名無しさん:2009/01/11(日) 07:57:18
京都市長選のこと2004/3/18 桜坂智史

 私の一般投稿欄に書いた意見に、この主題欄で展望台氏のご質問が寄せられている。
 返事をしなくては、と思いつつ、さざ波通信のどこかで別のHNで私を揶揄したかたの年齢職業同一のかたの投稿が別に以前掲載されたのを見たときから、あまり返事を書く気もうすれました。

 こまかいご質問には応じませんが、重要な展望台氏からのご意見に関してのみ、書きます。

広原盛明さんをどう見るか。

ご本人が公式サイトで総括されています。凄いかただ、と唸ってしまいました。それをご教示くださったのは、京都のひこひこさんという誠実な実践家と思われるおひと。すばらしい見識をもっていると、JCPウオッチで対話して思いました。
彼が紹介してくれた広原さんご本人の総括をご自分の目でお読みください。それが私を媒介にして曲解するよりもよいかと存じます。

http://www
458革命的名無しさん:2009/01/11(日) 07:59:54
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広原盛明さんをどう見るか。

ご本人が公式サイトで総括されています。凄いかただ、と唸ってしまいました。それをご教示くださったのは、京都のひこひこさんという誠実な実践家と思われるおひと。すばらしい見識をもっていると、JCPウオッチで対話して思いました。
彼が紹介してくれた広原さんご本人の総括をご自分の目でお読みください。それが私を媒介にして曲解するよりもよいかと存じます。





http://www.hirohara.com/tenki3/index.html
459革命的名無しさん:2009/01/12(月) 08:25:08
上田耕一郎さんの魅力2008/11/1 千坂史郎

 上田耕一郎さんがご逝去された。
上田氏ほど人望を集めた共産党の実践家はいまい。

 青年時代に肺結核を長野県で療養し、東京に戻ると住民運動に携わり、地域の草の根からの声を大切にしていった。
ソ連型の社会主義運動が発達した資本主義国では合わないと考え、「先進国革命」としての議会多数派による社会主義政権への道筋をあきらかにされた。

 参議院議員では東京地方区の革新の顔として、大いに貢献した。
 議員引退後も、「憲法九条の会」を側面から応援されたことをマスコミは訃報欄で紹介している。
共産党きっての理論家でありながら、保守革新を問わず、誰からも信頼される人柄は、政治家のあるべき姿を生きて示した。

 与野党を問わず、このような国民の声を大切にし続ける政治家が、昨今地味な状態であることを大変残念に思う。

460革命的名無しさん:2009/01/12(月) 08:27:33
日本人民はアメリカ政府の奴隷ではありません2008/10/4 千坂 史郎

  つぎつぎに企業が倒産していく状況が、資本主義の本家アメリカでも日本でもあいついでいます。
経済の大不況にアメリカ政府が介入してゆく法案は、下院では与党の共和党の多くの議員が反対して、否決されました。

 しかし、なすすべもない状況のもとで、アメリカ上院は法案を可決したようです。
ほんとうにアメリカ経済はひどい状態に陥りました。
あの大恐慌の再来でしょう。

 日本は次々にアメリカの影響を被っていくことにならざるをえません。
もうアメリカとの軍事同盟を友好条約に変えて、日本の産業と経済の自立をはからないと、日本は沈没します。

 私は、民主党小沢政権を次善の策として選択すべきと考えています。
もし小沢政権が樹立されれば、そこで小沢氏は政治生命を終えるような混乱に巻き込まれるでしょう。
あの新進党を思うと、不安と疑問は大いにあります。
 それでも、比例区共産党、小選挙区で社共が当選することがありえないところは民主党と選択することを考えています。
461革命的名無しさん:2009/01/12(月) 08:30:17
死刑執行を急ぐファッショ政治を嗤う2008/5/6 千坂 史郎

 2009年5月までに導入が予定されている裁判員制度に向け、死刑判決をどうとらえるか、良識を結集し共通の世論を形成していくことが求められている。
自公政権の鳩山邦夫法相が死刑について行った発言の異様さや、それに続く死刑執行の連続と先立つ声明は、死刑制度に関する国民の怒りをもたらした。

 相次いでマスコミが報道する凶悪犯罪と死刑執行との間には、解明され分析されねばならない課題が残されている。
死刑は犯罪防止の抑止力とは成り得ていない。
また、犯罪を犯した者の更生や犯罪の原因の除去にも成り得ていない。
罪の対極にあるものは罰ではない。罪の贖いである。
罰は被害者感情と社会犯罪抑止のための見せしめと恫喝の手段として執行されている。
ここに、人間の根本的な権利に基づく死刑否定論との距離がある。日本社会は国際的に広がる死刑廃止の潮流に対して、むしろ逆の動きを見せている。

 企業から学校まで生存競争と格差社会の病理が広がる。
少数派の見解はたたきつぶし、根拠や論議のないままに多数派を形成とする。
国会や政党から子ども社会にまで及ぶ異常な心理状況が広がっている。

 死刑は終身刑と異なり、執行後や時効後に真犯人がわかっても、冤罪は永遠に救済されない禍根を残す。
死刑制度があっても、十分な裁判と最終判決確定後の再審の周到な保障とは、すべての人間に保障される権利である。
歴史は、世界人権宣言や国際人権規約によって、そのことを21世紀に生きる民衆に保障する段階を用意した。

 にもかかわらず、犯行についての吟味や犯罪の背景の社会的状況の分析を看過するセンセーショナリズムに乗せられ、盲動軽挙する大衆心理がいまの日本を覆っている。
いまのまま「裁判員制度」が導入されることの問題性は、さらに議論されねばならない。

462革命的名無しさん:2009/01/12(月) 18:26:04
加藤周一の死と統一戦線政府構想  1 2008/12/6 千坂史郎

 ご逝去された加藤周一さんの著作に「羊の歌」がある。
大学では60年安保で盛り上がっている。
ストライキ行進で激しく動く学生たち。
ノンポリの加藤さんは、運動家たちとは離れていた。

 しかし、戦後史のことあるごとに、一定の秩序ある見識にもとづいて歩いてきた。
九条の会への参加は、加藤さんとしては一歩実践的知識人として踏み出した感がある。
「日本文学史序説」は、購入したが読みこなすには時間がいる。
奥行きと幅広さに圧倒された。左翼知識人ではない。
ロマンローランや魯迅のような大知識人だったと思う。
総合的な見識のある加藤周一。
日本文化にもこのような世界史的視野に立つひとがいたことは、誇りとして感じる。
左翼知識人ではない。ロマンローランや魯迅のような大知識人だったと思う。総合的な見識のある加藤周一。日本文化にもこのような世界史的視野に立つ知識人がいたことを、誇りとして感じる。

463革命的名無しさん:2009/01/12(月) 18:28:55
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 加藤周一氏は、憲法九条の会の発足の一員である。
加藤氏が、左翼だときめつける反動派にとれば、そのほうが好都合であろう。
九条の会を左翼ときめつける上でも好都合だから。
では、梅原猛氏は左翼か。
むしろ新京都学派に近く日本文化センター所長をつとめた梅原猛氏は、保守系の知識人だと見なされてきた。
梅原氏も加藤周一氏も、憲法九条の会のメンバーである。

 21世紀もすでに10年近くもたつ。
いまアメリカの経済はがたがたである。
軍拡が経済を台無しにしたことは明確に見てとれる。
ソ連がアメリカとの軍拡競争のなかで、経済が畸形化して、国民生活にしわよせが集まり、ついに社会が破綻しかけたことを連想させる。
加藤氏や梅原氏のことも視野にいれると、憲法九条の会は国民的な運動である。
その発足や拡大に上田耕一郎さんなど日本共産党の献身的な支えがあったと思われる。

 この日本の自民党公明党政権による政治不安と経済的窮状において、なぜ統一戦線政府の樹立をめざす政治団体のよびかけがおきないのだろうか。
統一戦線と市民運動、大衆運動とはちかいが、政権樹立とは国家権力を争奪する点で性質が異なる。
そのへんで性急に統一戦線政権を言うべきではないという言説にも根拠はある。
けれど、国民的な運動の高まりを求めなければ、いまの混迷した政局展望は開拓されない。
そのヘゲモニーをとる政党が次の時代を展望しうることだろう。

464革命的名無しさん
今も持続する予研=感染研裁判を支援する第五回コンサート2004/06/14 桜坂智史改め千坂史郎

 6月12日、新宿の牛込箪笥区民ホールで「平和のためのコンサート」が開催され、多くの聴衆が集まった。
昨年まで「予研=感染研小コンサート」として開催され続け、今年は名称も新たに「平和のためのコンサート」として開かれたものであり、5回目となる。
 このコンサートは、国立感染症研究所の移転と実験差し止めを求める訴訟を支援するためにスタートした。
いまは亡き哲学者芝田進午さんが住民原告団代表として、早稲田大学に隣接する住宅密集地に移転を強行した現・国立予防衛生研究所の実験差し止めを求め、提訴した。
 東京地裁の判決は、芝田さんのガンによる急逝の直後、2001年3月27日だった。
 不当判決に憤った原告団は、芝田さん亡き後も継続して闘い、東京高裁判決は国側勝訴としながらも、「ひとたび病原体が外部に漏出すれば
最悪の場面には回復が困難な甚大な被害が惹起される危険性があるから、あらゆる万全の施策が講じられなければならない」と厳重な注意を要請した。
いま裁判は最高裁に上告され、原告団は111人を数えるという。
 この日のコンサートでは、芝田さんのご夫人芝田貞子さんも加わり、多くの音楽家の多彩な楽器の独奏や合唱により、おおいに盛り上がった。
平和運動をおこなっているきくちゆみさんは、ご自身もフルート演奏を披露されたが、それに先立ち第一部で「平和な地球を子どもたちに」と
題して、イラクでのアメリカ軍の戦争犯罪を糾弾する反戦運動はアメリカ国内でも何百万人という勢いで広がっていること、
それは報道では抑制されインターネットにより世界中に広まっていることをDVDで紹介しつつ、その様子を自らが翻訳した書物やご自身の著作などで
イラクでの虐殺の実情や世界的な反戦の運動を訴え、それへの連帯を呼びかけた。