1 :
◆IzXu3gqo6w :
■「国民主権」「戦争反対」の党
1922年
7月15日が誕生日。自由のない暗い時代でしたが、政党として、日本ではじめて
「国民が主人公」の政治をとなえました。また、侵略戦争反対、男女平等、働くも
ののくらしの向上を訴えました。
1945年
アジア・太平洋戦争が終わり、この訴えの正しさが証明されました。
http://www.jcp.or.jp/jcp/index.html#02
2 :
1 ◆IzXu3gqo6w :2006/09/25(月) 03:32:52
>>1書き忘れ
戦争に負けたから、
とりあえずグループの反対していた香具師を取り上げ、
「我々は反対してた!」とし、それを党の歴史に改竄なんじゃねーの?どうよ?
3 :
革命的名無しさん:2006/09/25(月) 08:42:42
●占領行政担当者の回想録
「共産党員は抵抗運動を理由に追放、長期間の投獄、さらにもっとひどい迫害
をうけてきた。帰還し、または監獄から釈放された後、しばらくの間、彼等は
多くの日本人によって英雄ないしは殉教者として、喝采で迎えられた。私達の
任務に即して見れば、彼等は日本社会のうちで最も弱みを持たない分子であっ
た」(A・オプラー『日本占領と法制改革』日本評論社、一九九〇年)
●最後の海軍大将井上成美
「いまでも悔まれるのは、共産党を治安維持法で押さえつけたことだ。いまの
ように自由にしておくべきではなかったか。そうすれば戦争がおきなかったの
ではあるまいか…」(『井上成美』伝記刊行会、一九八二年)
●自民党教科書
「社会党を含めて他の政党が何らかの形で戦争に協力したのに対し、ひとり共
産党は終始一貫戦争に反対してきた。従って共産党は他党にない道徳的権威を
持っていた」(『日本の政党』自由民主党研修叢書、一九七九年)
4 :
革命的名無しさん:2006/09/25(月) 10:43:35
太平洋戦争開戦時に共産党の組織は存在してませんが。
5 :
革命的名無しさん:2006/09/25(月) 11:02:00
>>1>>4
特高が弾圧しまくったが、指導部の獄中転向
もあったが、獄中転向しなかったものもいる。
6 :
革命的名無しさん:2006/09/25(月) 11:03:08
●占領行政担当者の回想録
「共産党員は抵抗運動を理由に追放、長期間の投獄、さらにもっとひどい迫害
をうけてきた。帰還し、または監獄から釈放された後、しばらくの間、彼等は
多くの日本人によって英雄ないしは殉教者として、喝采で迎えられた。私達の
任務に即して見れば、彼等は日本社会のうちで最も弱みを持たない分子であっ
た」(A・オプラー『日本占領と法制改革』日本評論社、一九九〇年)
●最後の海軍大将井上成美
「いまでも悔まれるのは、共産党を治安維持法で押さえつけたことだ。いまの
ように自由にしておくべきではなかったか。そうすれば戦争がおきなかったの
ではあるまいか…」(『井上成美』伝記刊行会、一九八二年)
●自民党教科書
「社会党を含めて他の政党が何らかの形で戦争に協力したのに対し、ひとり共
産党は終始一貫戦争に反対してきた。従って共産党は他党にない道徳的権威を
持っていた」(『日本の政党』自由民主党研修叢書、一九七九年)
これらの認識がそれなりに正しい。あなたは、自民党研修叢書を否定したいのですか?
7 :
革命的名無しさん:2006/09/25(月) 11:06:35
太平洋戦争開戦時に共産党の組織は存在してません。
だから日本共産党として太平洋戦争に反対したことはありません。
8 :
革命的名無しさん:2006/09/25(月) 11:26:16
日中戦争→日米戦争へ。
第二次大戦過程のなかで、日本共産党を弾圧したのが特高。
治安維持法制定から開始され、国家総動員法などで
日本共産党は弾圧をくらった。
日中戦争から日米戦争過程、俗に言う第二次大戦過程のなかで
日本共産党は徹底的に弾圧されていった。
9 :
革命的名無しさん:2006/09/25(月) 11:43:17
>>8 第二次世界大戦は「俗に言う」ような呼称ではなく万国共通の固有名詞。
一度年表見てから書いたら? 大戦時にすでに日本共産党は存在してないから。
10 :
革命的名無しさん:2006/09/25(月) 11:58:32
戦前、ソビエトの傀儡として内戦をたくらんでいた集団が戦争反対もないもんだ。
太平洋戦争前夜は大幹部は獄中にいたわけで
>>1 のような美しいお話は戦後
宣伝として捏造されたものです。
11 :
革命的名無しさん:2006/09/25(月) 12:11:49
確かに戦前は拷問や弾圧あったの事実。
でも共産圏じゃ反体制運動やったら今でも収容所送りか銃殺なんだけどね。
そういうのはいいの?
戦争反対とは帝国主義戦争反対で、革命戦争=内戦は否定していなかったでしょうし、ソ連・コミンテルンの指示もあったはずで、今の「平和主義の党」とは戦術も基礎理論もまったく違いました。
今聞いて美しい話、とは命がけで闘う共産主義者にとってのみ美しいとしか言えませんよ。
敗戦後しばらくは、あんな戦争は懲りたという人がたくさんいたので、共産主義者以外にも美しく聞こえたかもしれませんが。
当時ソ連との関係や党組織の内情は外部に知らされてはいなかったでしょうね。
日本に戦争反対を貫いた組織があったことをそんなに否定したいのか?
14 :
北京原人:2006/09/25(月) 12:41:37
>>1 あたり前だろ。
コミンテルんの日本「支店」なんだから----
奴らは、別に「平和」を願っていたわけでない。
「共産主義国家(ソ連の一部)」になることを願って活動してただけ。
15 :
大杉栄一:2006/09/25(月) 13:06:46
またまたバカがウヨウヨ、日本共産党批判をするならまともにやれよ。
16 :
革命的名無しさん:2006/09/25(月) 13:22:54
>>15 間違いがあったら科学的に反論しましょう。
まず議論とかいうくせに反論できないとレッテル貼りして逃げるのは共産党の稚拙なところです。
17 :
革命的名無しさん:2006/09/25(月) 13:23:50
>>15 この程度の突っ込みにすらまともに反論できないのは情けなくないかい?