1 :
真神(全宇宙全生命永久永遠の大天国):
日本共産党はマルクス、エンゲルス、レーニンを神様とする
ものです。つまり 一生懸命働いても働かなくても
同じ給料だということです。
つまり そんな方針をとれば 人々は怠けて崩壊するに
決まってます ソ連崩壊はやり方が悪いのではなく
★マルクスの理論が間違っている★のです 働いても 働かなくても
同じ給料なら 仕事に対してやる気が起きなくなる人が大勢でてきます
結果 国家は崩壊します 人間はすべての人が性善説というわけでもないし
いい人もいれば悪い人もいるし 働かなくても怠けても給料もらえるなら
怠ける人も大勢います すべての人がものすごく神ごときレベルの人物ばかりなら
一生懸命働いても働かなくても
同じ給料でも 全員怠けず仕事するでしょうが 今のところ
そこまで地球人は立派ではありません
わたしは断言しますが もし共産党が政権と取れば
国は崩壊します
共産党支持の方には耳の痛い言葉ですが どうか
わたしの言葉に真剣に耳を傾けてください お願い致します
どうか 共産党支持の方 目を覚ましてください
わたしはあなたがたの敵ではありません 愛してます
だからこそ このような危険な思想を持つ共産党から脱退して欲しいのです
お願い致します
2 :
真神龍 (全宇宙全生命永久永遠の大天国):2006/01/30(月) 10:22:02
また 共産党の国つまりこれは一党独裁を示します
北朝鮮 元イラク 中国なども一党独裁人民圧政国家であり
北朝鮮 中国は 共産党であります
中国も北朝鮮も政府に都合の悪い考えを持つ者は拷問か死刑です
少なくとも逮捕牢獄はまぬがれない国です
共産党の国はいつも自由がありません
共産党というのは共産党を実現するためにそれ以外の考えを持つ
ものを大領虐殺するする党です これは歴史を見ても明らかで
共産党ほど 大量虐殺した党はありません
どうか 共産党支持の方 目を覚ましてください
わたしはあなたがたの敵ではありません 愛してます
だからこそ このような危険な思想を持つ共産党から脱退して欲しいのです
お願い致します
3 :
真神龍 (全宇宙全生命永久永遠の大天国):2006/01/30(月) 10:25:09
共産党の方へ 質問です
あなたがたは なぜ ソ連の崩壊を見ても
共産党を支持するのですか?
どこの宗派?
>>1 まったく分かっていない。
論外
そんな単純な理論ではないから心配すんな
6 :
革命的名無しさん:2006/01/30(月) 11:41:12
法輪功?
7 :
真神龍 (全宇宙全生命永久永遠の大天国):2006/01/30(月) 12:20:08
>>1 まったく分かっていない。
論外
そんな単純な理論ではないから心配すんな
↑
だから 大きく言って
一生懸命働いても働かなくても
同じ給料
つまり 結果平等主義でしょ
大まかな話をしてるのですよ 能力差があっても同じ扱いをする
こういうことでしょ 細かい話はどうでもいいんですよ
大局をつかんで概要を汲み取って話しあいましょうよ
それに 共産党一党独裁ほど 虐殺 拷問 情報統制 支配
が強いというのは歴史を見ても明らかではなないですか?
後 あなたがたはソ連の崩壊を見ても
あれは やり方が間違っていた マルクス レーニンの考えは間違ってない
と まだ そう言い張るのですか?
いい加減 マルクス レーニンは間違えてるとなぜ認めないのですか?
8 :
真神龍 (全宇宙全生命永久永遠の大天国):2006/01/30(月) 12:21:58
あなたがたは マルクスを神とあがめる政党なのですか?
マルクス理論は 人間という生き物について明らかに間違った洞察をしてると思いますよ
9 :
真神龍 (全宇宙全生命永久永遠の大天国):2006/01/30(月) 12:23:37
どこの宗派?
↑
?
法輪功?
↑
? 中国共産党は何もしてない法輪功を弾圧しまくってますね
やばいですね 拷問レイプ輪姦虐殺
共産党って 弾圧酷くないですか?
10 :
真神龍 (全宇宙全生命永久永遠の大天国):2006/01/30(月) 12:24:55
共産党支持の方へ あなたがはなんで支持してるのですか?
共産党が政権をとって 成功した国ってあります?
11 :
真神龍 (全宇宙全生命永久永遠の大天国):2006/01/30(月) 12:29:42
全く典型的な勘違いで見てて清々しいですな
ずいぶん古典的な偏見だな・・・
14 :
真神龍 (全宇宙全生命永久永遠の大天国):2006/01/30(月) 12:32:48
↑
何が勘違いしてるのですか?
11で示してあるのが マルクス理論であり 共産党でしょ
15 :
真神龍 (全宇宙全生命永久永遠の大天国):2006/01/30(月) 12:33:27
マルクスの理論 は 悪である
マルクス理論は 根本的なことを履き違えている
↓
平等とマルクス主義
マルクスは、共産主義は歴史的必然であるといったが、歴史的必然であるならばどんなものでも正しいのだろうか。
共産主義より、より大きな規定である、悪の否定は歴史的必然であるというならば、その表現は正しいといえるだろう。
しかし、それが人々に幸福をもたらすということにはならないのである。
それどころか、無悪倫理こそが世界を破滅の淵に追い込むことの出来るものだからである。
無悪倫理のひとつの典型がマルクス主義である。
マルクスは、歴史的必然であることがそのままで、それが正義を意味し、歴史が共産主義を祝福していると錯覚していたのだろう。
しかし、我々はマルクスがどこかで大きな間違いを犯してしていたであろう事を知っている。
だがその間違いが、いかなる間違いであったのかは、知らなかった。
16 :
真神龍 (全宇宙全生命永久永遠の大天国):2006/01/30(月) 12:34:39
しかし、知らないままで未来を迎えることは出来ないだろう。
マルクスは、帝国主義的資本主義を悪と捉え、その悪を徹底的に否定することで、正義をもたらそうとしたといえるだろう。
悪を取り除けば、善だけの世界が生まれると。
なんと素朴な考えだろう。
しかし、実際には、悪を取り除いたはずのその場所で、生きることが困難になり、人々が力を失ってゆき、社会に必要なものまで失われていった。
悪の否定から見れば決して総合的とはいえない、限定的な悪の否定であるマルクス主義が、ソビエトを崩壊へと導いたのであるから、総合的な悪の否定がどのような帰結へいたるのかは、誰一人として関心を持たずにはいられないだろう。
それにしても、なぜ多くの人々がマルクス主義を信じてしまったのだろうか。
それは平等を信じていたからではないだろうか。
平等が正しいと言うことは、悪の否定もまた正しいということになる。
どうせ悪の否定をするなら徹底的に行うべきであると考えたとしても不思議はない。
徹底的にやったほうが、早く理想の社会に到達すると、そう、悪であると考えられるすべてを否定すれば善だけの世界が出現すると。
しかし、現実は、「同一」という概念が本当に現実を支配しているということが正しいということを証明するような結果になってしまった。
それでも、マルクス主義者たちは間違いに気づくことはないだろう。
悟性しか知らない者に、理性にたどり着かなければ理解できないことを、理解しろというほうが無理な話であろう。
マルクス主義が放棄されたことで、我々も無悪倫理から解放されたのであれば、ことは簡単であっただろう。
しかし、マルクス主義は無悪倫理の前触れにすぎない、無悪倫理が本当の姿を現すのは、これからが本番なのである。
我々は、いくつかの無悪倫理の現象を目のあたりにしてきた。
それでも、首をひねるばかりで、誰もこの現実を見ようとはしない。
平等が、はじめから劇的な成功を収めたために、正義としての平等を疑うことが出来ずにいる。
17 :
革命的名無しさん:2006/01/30(月) 12:36:31
創価学会のほうが正しいこと言ってますよ
18 :
真神龍 (全宇宙全生命永久永遠の大天国):2006/01/30(月) 12:38:52
生まれ育ち差別は、今から考えればばかげた差別であったし、記憶力差別にしても、愚かであることにそう変わりはないのである。
しかし社会を構成するために、さまざまな能力を発見し、発掘する必要はあるし、そうして見つけた人々を活かす場所もまた必要である。
たった一つの形式や、能力に依存して、人材をその能力だけでまかなおうとするのは、馬鹿げていることは、明白である。
誰でもが、自分の能力を普遍性から最も歓迎される形で発揮することこそ、人間が最も人間として輝きを放つことの出来る基本でなければならない。
我々に必要なのは、人が人として認知されることであり、能力においてもそうなのである。
我々は肉の塊ではない、ただの労働力でもない、ただの生殖器官でもない。
我々が、我々の自己認識を改め、崇高なあり方へ向かうと覚悟するとき、人間は始めて人間の崇高さを発見することが出来る。
能力には、さまざまな能力があり、一つや二つではない。
そこで要求されるのが、多元差別である。
それは、すべての人が愛される可能性を担保する。
人の数だけ、差別の形式があれば、すべての人が何がしかの差別において、世界で一番になれるということである。
>真神龍
頭がよさそうで悪い人ですね
弁証法をどう理解しているのだ?
20 :
真神龍 (全宇宙全生命永久永遠の大天国):2006/01/30(月) 12:40:20
17 :革命的名無しさん :2006/01/30(月) 12:36:31
創価学会のほうが正しいこと言ってますよ
↑
どんなこと言ってますか?
詳しく
21 :
真神龍 (全宇宙全生命永久永遠の大天国):2006/01/30(月) 12:41:15
そこには確かに、いくつものマイナスの差別も存在している。
しかし、人はいくつものマイナスといくつものプラスを持っていると前提されていることによって、いくつかのマイナスの評価には耐えることが出来るだろう。
たった一つの差別形式しかなければ、世界で愛されるのは一人だけである。
平等は、人が望むには、なんとはかない要求であったのか。
我々は、愛されることを望んではいけなかったのだから。
平等は、誰も愛されなくなることが、目的なのだから。
そう、平等は、愛を殺す教説なのである。
22 :
革命的名無しさん:2006/01/30(月) 12:46:26
23 :
真神龍 (全宇宙全生命永久永遠の大天国):2006/01/30(月) 12:46:39
宗教関係の人みたいですね
25 :
真神龍 (全宇宙全生命永久永遠の大天国):2006/01/30(月) 12:47:51
>>20 人間主義だからです。
↑
そうなんですか?
マルクスは 人間を 物 と観てますから
そんな理論は間違えだと あなたも思うでしょ
>>23 >弁証法をどう理解しているのだ?
>↑
>弁証法って?推理を重ねて論理を構築していくこと?
>それが何か?
ハァ・・・この程度の理解で共産主義を解釈すんなよ・・・
27 :
真神龍 (全宇宙全生命永久永遠の大天国):2006/01/30(月) 12:50:45
↑
で とにかく ソ連が崩壊したのはマルクス理論が間違っていたからだろ?
なぜ認めないのですか?
24 :革命的名無しさん :2006/01/30(月) 12:47:23
宗教関係の人みたいですね
↑
違います
28 :
真神龍 (全宇宙全生命永久永遠の大天国):2006/01/30(月) 12:51:54
共産党支持者は 根本的に履き違えている
↓
平等について
我々は、平等が権力であることを知っている。
平等を主張する人々に抵抗するのがいかに難しいことであるかも知っている。
しかし、その弊害を考えるとき、その権力に立ち向かわなければならないということも、また知っている。
平等は、収束概念であり、対自的概念である。
収束概念とはそれ自体が存在しているのではなく、ほかの概念に対するモーメントとしてとして存在しているのであって、我々は平等そのものを見ることは出来ない。
我々が見ることの出来るのは、差別のほうである。
我々は差別のあり方に着目して、平等であるかないかを判断する。
平等が収束概念である以上、収束するにはそれなりの理由がなくてはならない。
それは、ひとつの概念の拡散が限界に達し、その結果が収束に転換したというのが、収束概念の生まれてくる原因である。
それでは、平等を生み出したのは差別なのだろうか。
差別は、悪しき概念であると思われている。
悪しき概念が拡散することはないのであるから、差別が平等を生み出したのではない。
しかし、平等というモーメントが生まれたとき、存在していたのは、確かに差別であった。
差別という悪しき存在を生み出したのは、良き概念でなければならないことになる。
良き概念は、いかにして悪しき概念を生み出すことが出来たのか。
それこそ、ヘーゲルの言う、哲学の入り口であるといわれた、「同一」である。
29 :
真神龍 (全宇宙全生命永久永遠の大天国):2006/01/30(月) 12:53:47
「同一」とは、自己に固有の他者を持つということであり、ここでいう自己とは私とかあなたとかいう自己ではなく、概念の自己である。
すなわち、良き概念にも自己に固有の他者があり、その他者が差別であるような概念が、初めにあった概念である。
差別と「同一」である良き概念がなくてはならないことになり、その概念がキリスト教文明の最初に規定されていれば、我々の仮説は成立することになる。
さて、それでは差別とはなんだろうか
もともと、平等が必要になったのは差別一般の中でも、生まれ育ち差別に対する否定が時代の要請に従って生み出されたのであって、けっして差別一般が問題だったわけではない。
差別とは本来、判断の材料となる分類をするために与えられた、れっきとした能力であった。
ところが、その能力が人に向けられると、美醜の判断に使われたり、好き嫌いの判断に使われたりする、分類をすれば、こちらよりはあちらが少々優れているというような差別が即座に行われる。
差別の種類は無限に存在する。
さてここで、差別という概念に対する差別を取り除いてもらいたい。
差別が悪しき概念であるという先入観を取り払うことで、これから語られることの重大さを認識できるようになるに違いない。
30 :
真神龍 (全宇宙全生命永久永遠の大天国):2006/01/30(月) 12:54:52
差別には悪しきものを差別するというだけではなく、良きものをも差別するという性質がはじめから与えられていたということを考えていただきたい。
さて、良き差別とはいかなるものであろうか。
それは、悟性においては「愛」である。
理性においては、良きものと悪しきものとの差別はなく、すなわち「同一」なのである。
すなわち、愛と差別は「同一」なのである。
ここであえて悟性に限定したのは、差別という悪と、愛という善の分類が可能なのは悟性においてであって、理性では愛も差別も、同じものの違う名前であるからに過ぎない。
それが、「同一」が哲学の入り口であるといわれた所以である。
初めに愛があった。
愛という概念の拡散の結果が、プラスとマイナスの差別を増大させた、プラスの差別は、王侯貴族を生み、それ以外の人々にはマイナスの差別が与えられた。
それらは、悪しき生まれ育ち差別として認識されるようになり、その概念の否定が必要になった。
その要請にこたえる形で登場してきたのが、平等である。
しかし、平等が正義となり、差別という悪の否定も正義になるにつれ、存在していた愛という概念の悟性に展開していたものも減少していくことになった。それはプラスの差別としての愛である。
31 :
真神龍 (全宇宙全生命永久永遠の大天国):2006/01/30(月) 12:56:41
愛の減少がどのような事態を招いているかは、すぐに知られるようになるだろう。
人間の関係性の希薄化、関係性を作り出してきた要素の無意味化。
家族や結婚における濃密な関係性の排除。
人間の持つ崇高さや高貴なものへの侮蔑あるいは嫉妬、人間自体を矮小化して、益々、我々が人間を愛することを困難にしていく。
人間だけではない、自然に対しても、物に対しても、愛するということは困難になりつつある。
そして今、我々が消滅させようとしているものは、愛の最後の残骸である。
それは、組織や制度に対しても行われるようになるだろう。
人が作り上げてきたすべてのものとの関係の遮断。
愛という概念の時空展開の中で生まれて存在してきたものすべてが、愛という概念の消滅とともに、その最期を迎えることになる。
それは、我々が生きてきた時空の消滅を意味し、我々の生活の基盤の消滅をも意味している。
我々は、平等を正しいと信じ、疑うことも出来ずにいる。
愛の拡散に限界があったように、愛の収束にも限界はある。
その限界は、すでに目の前まで迫っている。
概念など現実とは何の関係もないといいきれるだろうか、ヘーゲルは言う「概念は具体的である」と。
愛という概念によって生じたひとつの文明が、今まさに終わろうとしている。
キリスト教文明は、そう遠くない将来終わりを告げる。平等という正義によって。
32 :
真神龍 (全宇宙全生命永久永遠の大天国):2006/01/30(月) 12:59:05
共産党支持者は 根本的に履き違えている
↓
無悪倫理から新しい絶対倫理へ
絶対倫理は必然的に責任倫理を生み、責任倫理もまた心情倫理を生んだ、そして心情倫理もまた、無悪倫理を生まなくてはならない。
そしてその関係性の内容は自損他損である。
倫理状態には三つの倫理状態が知られていた、絶対倫理、責任倫理、心情倫理である。
少し前までは心情倫理で、時代を説明することができた。
しかし、今日の問題の多くは心情倫理では説明がつかなくなってきた。
そこで、倫理状態を対称性を持つようにすることで考え付いた概念が、無悪倫理である。
責任倫理と心情倫理は、対称性があるにもかかわらず、絶対倫理の対称となるものが無かった。
そこで、悪を無くそうとする力が強まる必然が心情倫理にはあるのだから、それがもっと強くなった状態を考えて、無悪倫理と名前を付けることにした。
無悪倫理とは、悪が無ければ世の中がよくなると、真剣に信じている人々が増えることによってもたらされる。
悪が無くなれば世の中がよくなる。
一見正しいように見えるが、この素朴な信仰が恐怖をもたらすものであることを証明したいがために、この論を進めているのである。
33 :
真神龍 (全宇宙全生命永久永遠の大天国):2006/01/30(月) 13:00:15
絶対倫理には自利他利が、責任倫理には自損他利が、心情倫理には自利他損がそれぞれ対応していたのだから、無悪倫理には、自損他損が対応する。
これらの倫理状態は、ひとつの理念から始まり、弁証法的に展開し、ついには無悪倫理へと至る。
それは、すなわち歴史であり、二千年にわたる人類の営みそのものであった。
そして、無悪倫理は人類全体が破滅のふちに至り、より大きな世界認識の下に再統合され、新たに、即自かつ対自的理念の成立により、新しい時代へ向かうための総決算の時代でもある。
しかし、無悪倫理は恐怖の実体を持っている。
新しい時代の前に、人類が破滅してしまっては何にもならない。
破滅しないまでも、この時代の被害者になるのは、誰であっても避けたいに違いない。
ここでは、無悪倫理の事例とこの時代を生きていくときに、ぜひとも知っていてもらいたいことを共に考えて行きたい。
無悪倫理とは、悪の否定が強くなった状態であり、歴史ではっきりと見ることのできる最初の現象はロベスピエールである。
無悪倫理としては完全ではないが、ヒットラーも悪の否定を徹底的にユダヤ人に対して行ったといえる。
しかし、最も大規模に無悪倫理を行使したのが、共産主義の国々である。
共産主義は、帝国主義的資本主義の悪の否定として登場したために、帝国主義と戦うためには、自らも帝国主義的になりながらも、資本主義は徹底的に否定した。
その結果、経済において一時的には発展が見られた国もあるにはあるが、しばらくすると発展は止まってしまった。
帝国主義としては、決して失敗だったわけではない。
悪の否定を一生懸命行った場所が、機能不全になったのである。
無悪倫理は、関係性において、自損他損という内容を持っているからである。
悪を否定される場所では、働けば働くほど、否定にさらされる危険が増える、そんな場所で、誰が働くというのだろう。
34 :
革命的名無しさん:2006/01/30(月) 13:00:43
>1
それで結論的にいえば何教を信じればいいんだ?
弁証法も知らない奴にヘーゲルを持ち出されてもなぁ…
36 :
真神龍 (全宇宙全生命永久永遠の大天国):2006/01/30(月) 13:05:24
>1
それで結論的にいえば何教を信じればいいんだ?
↑
いや 今のままの政治政策でいいが。。。。
まあでも あまり格差拡大にならないようにすべし
貧富の差があってもいいが 差がありすぎないようにする政策が大事
自由競争+最低限の保障もある政治
つまり アメリカのように実力のないものは捨てられる世界ではなく
だからといって 実力のあるやつが報われる社会だが つまり
自由競争など歓迎
規制緩和など歓迎だが
実力がなくても能力がなくても 人間らしい暮らしは保障させれる政策
ちなみに 俺的には←(注)
障害者自立支援法は反対である
37 :
真神龍 (全宇宙全生命永久永遠の大天国):2006/01/30(月) 13:06:07
絶対倫理には自利他利が、責任倫理には自損他利が、心情倫理には自利他損がそれぞれ対応していたのだから、無悪倫理には、自損他損が対応する。
これらの倫理状態は、ひとつの理念から始まり、弁証法的に展開し、ついには無悪倫理へと至る。
それは、すなわち歴史であり、二千年にわたる人類の営みそのものであった。
そして、無悪倫理は人類全体が破滅のふちに至り、より大きな世界認識の下に再統合され、新たに、即自かつ対自的理念の成立により、新しい時代へ向かうための総決算の時代でもある。
しかし、無悪倫理は恐怖の実体を持っている。
新しい時代の前に、人類が破滅してしまっては何にもならない。
破滅しないまでも、この時代の被害者になるのは、誰であっても避けたいに違いない。
ここでは、無悪倫理の事例とこの時代を生きていくときに、ぜひとも知っていてもらいたいことを共に考えて行きたい。
無悪倫理とは、悪の否定が強くなった状態であり、歴史ではっきりと見ることのできる最初の現象はロベスピエールである。
無悪倫理としては完全ではないが、ヒットラーも悪の否定を徹底的にユダヤ人に対して行ったといえる。
しかし、最も大規模に無悪倫理を行使したのが、共産主義の国々である。
共産主義は、帝国主義的資本主義の悪の否定として登場したために、帝国主義と戦うためには、自らも帝国主義的になりながらも、資本主義は徹底的に否定した。
その結果、経済において一時的には発展が見られた国もあるにはあるが、しばらくすると発展は止まってしまった。
帝国主義としては、決して失敗だったわけではない。
悪の否定を一生懸命行った場所が、機能不全になったのである。
無悪倫理は、関係性において、自損他損という内容を持っているからである。
悪を否定される場所では、働けば働くほど、否定にさらされる危険が増える、そんな場所で、誰が働くというのだろう。
38 :
革命的名無しさん:2006/01/30(月) 13:08:28
法輪功はどう評価なさいますか?
朱溶基が信者って噂は本当ですか?
39 :
革命的名無しさん:2006/01/30(月) 13:12:21
日本共産党って宗教論争の対象なんでつか?
そうだろうな。
40 :
真神龍 (全宇宙全生命永久永遠の大天国):2006/01/30(月) 13:12:51
35 :革命的名無しさん :2006/01/30(月) 13:02:10
弁証法も知らない奴にヘーゲルを持ち出されてもなぁ…
↓
弁証法とは変化の流動過程を実体として捉えること
法輪功はどう評価なさいますか?
↑
単なる気功の練習してる集団だろ 害はない
単に彼らの数が 中国共産党約6000万人を超えたから
弾圧されただけ
ちなみに 中国では 今では一日2〜3万人 共産党を脱退してる
一年間で700万人脱退してる
http://www.epochtimes.jp/jp/2005/10/html/d67889.html 朱溶基が信者って噂は本当ですか?
↑
知りません
41 :
真神龍 (全宇宙全生命永久永遠の大天国):2006/01/30(月) 13:14:20
無悪倫理を生きるためには、何もしないということが正しいのである。
共産主義において行われたのは、経済的な悪の否定だけではなかった、それは共産主義者が悪であると認定したものならば、どのようなものでも否定できてしまうからである。
問題なのは、悪を否定しさえすればすべての問題が解決するという短絡的な思考回路そのものにあるのである。
それ以外の考えに対する態度にも大きな問題があった、少しでも共産主義の考えからずれると、それこそ徹底的な否定が与えられる。
あらゆる考えの基本には、共産主義が持っている先入観としての無悪倫理がある。
あらゆる問題は、悪を探し出してその悪を否定すればいいのだというのである。
しかし共産主義は崩壊した、ところがその先入観である悪は否定しなければならない、しかも徹底的にという考えは、世界中で潜在して広まっているのである。
共産主義者だけが、悪の否定をしているわけではないのだが、我々が見てきた歴史から学ぼうとすれば、共産主義の国々で行われてきたことを見るのがいいのだろう。
共産主義の国でも、それぞれに違った悪の否定が行われ、その結果を知ることができる。
スターリンは、政敵の追い落としや強制収容所によって、政治的に邪魔な人々の存在自体を否定した。
ことわっておかなければならないのは、共産主義者にとっては、悪の否定は正しい行為だということである。
それでも多くの共産主義者は、共産主義が心情倫理からそれほど離れているとは思っていない時期に、無悪倫理の洗礼を受けてしまったのである。
ここでも、人より先に倫理降下した者の勝利が約束されていたのである。
42 :
真神龍 (全宇宙全生命永久永遠の大天国):2006/01/30(月) 13:26:33
毛沢東は大躍進政策において、二千万人とも三千万ともいわれる人々を死に追い込んだといわれている、それだけではあきたらず、文化大革命においても多くの人々の生きる道を閉ざした。
カンボジアでは、ポルポトが都市住民を農村で強制労働の挙句に虐殺を犯した。
ところが、共産主義の国でもそのようなことが起こらなかった国もある、キューバとベトナムである。
しかし、キューバもベトナムも多くの難民を出すことによって、共産主義に反対する人々を殺さなければならないという、必然ともいえる事態を避けることができた。
しかし、難民として海を越えなければならなかったし、その途中で命を落とさなければならなかった人々も、決して少ない数ではなかったはずである。
日本でも、共産革命を目指して、連合赤軍が起こした凄惨なリンチ殺人があった。
たった一人の人間が、徹底した悪の否定という先入観を振り回すことで簡単にあのような事態になってしまったというのは、我々が無悪倫理を生きる上で、忘れてはならないことなのである。
悪は悪い、だから悪は徹底して摘み取らなければならないという先入観に、正面から立ち向かうことの困難さは、どれほど深刻に受け止めても足りるということは無いのである。
元々共産主義が正しいと思う人は、概念が同一であるということを知らない。
そのような人が悪の否定を押しとどめることは最初から不可能なのである。
たとえそれが人々の命が懸かっているとしても、もしくは自分の命が懸かっているとしても不可能なのである。
もしも、同一という概念の知識があったとしたら、はじめから共産主義になどのめり込むはずはないのである。
しかし我々も、心情倫理を生きることで、長い間、悪の否定を、共産主義者ほどではないにしても、行ってきたのである。
43 :
真神龍 (全宇宙全生命永久永遠の大天国):2006/01/30(月) 13:31:48
心情倫理では、悪を抉り出すというほどの力はないし、もしも悪が明らかになったとしても、それだけで命がなくなるということは無い。
だからこそ長い間、悪は行われているし、許しがたい悪でも、発覚しなければそこにあり続けられるのであるから、より多くの否定しなければならない悪を内包しながら心情倫理は続いてきたのである。
我々だけが、無悪倫理の悪夢のような現実を、見ることなく済ますということができるだろうか。
もちろんそのようなことは無い。
我々も、無悪倫理の血の粛清を受けなければならないだろう。
この論も、そのときのために書かれているのである。
責任倫理の最後の段階において、社会関係の多様性は最大になる、心情倫理に入ると徐々に、その多様性は減少していく。
無悪倫理に入ると(といっても、無悪倫理に入っていくのは心情倫理とは比べ物にならないほど、バラバラであるから、そんな倫理はどこにあるのと思っているうちに自分のそばに来ているということが起こる)社会の中に人々を収容しておける装置が減少して、
多くの人が社会という規定から外れざるを得なくなる。
それでも、無悪倫理を途中でやめることはできないだろう、我々にできることは倫理上昇して、無悪倫理の嵐が過ぎるのを待つか、無悪倫理の中で傷つけられながらも、社会の規定の外に出たり入ったりを繰り返しながら、時間の経過に身を任せることぐらいだろう。
しかし若い人たちには、社会の規定から外れることもやむを得ない事だと認識しておくことが必要である。
完全に社会から離れることが、もっとも安全だからである。
大人たちは、子供たちが社会から隔絶してもいいように、社会の中で外にいる人々へ社会の恩恵を運んでいかなければ、外の世界で生きることはできなくなってしまう。
未来のためには、どうしても、子供たちに生きていてもらわなければならないのだから。
44 :
真神龍 (全宇宙全生命永久永遠の大天国):2006/01/30(月) 13:32:32
我々が今、直面している無悪倫理がある。
その現実は、教育、銀行、家庭においてである。
教育については、後で述べるとして、銀行について無悪倫理に落ちていった過程を少し見ていこう。
銀行であっても産業である以上、顧客というものがあるはずなのだが、彼らにそんな意識があったとは思えないが、少なくても社会では銀行と顧客という関係は存在していた。
心情倫理を降下していく過程で、他人より多く儲けようと思えば、一番簡単な方法が、他人より少しだけ倫理的に低くなればいいだけのことである。
長い間、そうして倫理的に低くなることをやってきたのだから、誰よりも早く無悪倫理に入ったとしても不思議ではない。
事業会社の中には、技術開発や新製品の開発などによって、倫理上昇といえる努力をすることで心情倫理を維持しているところも多くあるというのに。
技術開発や投資が倫理上昇と考えられるのは、都合の悪いことを受け入れるという姿勢にあると考えられる。
その開発に失敗すれば多くの投資が無駄になるのにもかかわらず、投資をするというのは、耐えざる倫理上昇が企業間競争によって用意されていることを意味している。
それが、成功したとしてもすぐに儲かるということではないだろう、それでも開発競争を続けるというのは、倫理上昇にほかならない。
簡単に儲けようと思えば、カルテルや産業スパイという手もある。
実は、最も儲かる場所が心情倫理の最後のところにあるのである。
しかし、そこは、無悪倫理と紙一重の所なので、ひとつ間違えれば警察のお世話になってしまったり、企業の信用を大きく傷つけてしまったりすることになりかねない場所なのである。
45 :
革命的名無しさん:2006/01/30(月) 13:33:08
ここでトリビア
マルクスは・・・・・・・・
アメリカの自由の精神に感銘を受け、時の大統領リンカーンに書簡をおくったことがある。
46 :
真神龍 (全宇宙全生命永久永遠の大天国):2006/01/30(月) 13:35:19
↑
ふーん そうなの。。。
人間を 物 と観るマルクスがね。。。
47 :
真神龍 (全宇宙全生命永久永遠の大天国):2006/01/30(月) 13:36:30
我々が今、直面している無悪倫理がある。
その現実は、教育、銀行、家庭においてである。
教育については、後で述べるとして、銀行について無悪倫理に落ちていった過程を少し見ていこう。
銀行であっても産業である以上、顧客というものがあるはずなのだが、彼らにそんな意識があったとは思えないが、少なくても社会では銀行と顧客という関係は存在していた。
心情倫理を降下していく過程で、他人より多く儲けようと思えば、一番簡単な方法が、他人より少しだけ倫理的に低くなればいいだけのことである。
長い間、そうして倫理的に低くなることをやってきたのだから、誰よりも早く無悪倫理に入ったとしても不思議ではない。
事業会社の中には、技術開発や新製品の開発などによって、倫理上昇といえる努力をすることで心情倫理を維持しているところも多くあるというのに。
技術開発や投資が倫理上昇と考えられるのは、都合の悪いことを受け入れるという姿勢にあると考えられる。
その開発に失敗すれば多くの投資が無駄になるのにもかかわらず、投資をするというのは、耐えざる倫理上昇が企業間競争によって用意されていることを意味している。
それが、成功したとしてもすぐに儲かるということではないだろう、それでも開発競争を続けるというのは、倫理上昇にほかならない。
簡単に儲けようと思えば、カルテルや産業スパイという手もある。
実は、最も儲かる場所が心情倫理の最後のところにあるのである。
しかし、そこは、無悪倫理と紙一重の所なので、ひとつ間違えれば警察のお世話になってしまったり、企業の信用を大きく傷つけてしまったりすることになりかねない場所なのである。
48 :
真神龍 (全宇宙全生命永久永遠の大天国):2006/01/30(月) 13:37:22
銀行はバブルのころに、最も多くの収益を上げた、しかしその内容があとになって一部が明らかにされた。
銀行とともに、証券会社も様々なインチキをやっていたのが、同じころにバレてしまった。
このことは銀行も証券も同じような倫理状態にあったことが伺われる。
そしてその後は、倫理上昇の気配すら見せずに、今でも倫理降下を続けている。
我々の預金を人質にするつもりらしいが、これは銀行が無悪倫理にいる以上、その顧客である我々も自損他損に巻き込まれるということを示している。
預金だけをしているならまだしも、中小の企業は資金を借りてもいる、彼らこそ本当の顧客であるから、自損他損も本物だということになる。
本来、顧客との関係において、自利他損であったとしても、自利他利か自損他利であるように見せかけてこそ商売は成り立つ。
始めから損ばかりしているとわかっていて、誰が取引をするというのだろうか。
銀行が、自分のためだけに行動していると分かった時点で、関係性は自損他損になっていたのであり、貸しはがしなどというのも、時間の問題だったのだろう。
そして、経済全体が引きずられていく。
無悪倫理の深みへと。
無悪倫理に入ってしまった組織は、ほかの関係にもその倫理を普及させていく。倫理観は伝染する。
ここのところの、企業の不祥事の多いことは、偶然などではないのである。
これらも、自利他損のつもりでやっていたことが、いつの間にか自損他損になってしまっていたことに、不祥事を起こしてから気づくということなのだろう。
ここでいえることは、無悪倫理に入ったころよりも、時代が進んでからのほうが、社会からの否定の程度が強くなるということである。
49 :
真神龍 (全宇宙全生命永久永遠の大天国):2006/01/30(月) 13:38:02
こうして組織は自分の中だけでなく、外の関係でも傷つけあう関係になっていく。
そしていつかは、利益追求型の組織は、生存の危機に立たされる。
それでも、組織を生き残らせたいと願うのなら、人々が無悪倫理に入っていく間は、心情倫理という倫理状態を維持し続けなければならない。
そして、社会全体が無悪倫理を抜け出した後に、新しい倫理状態に合った組織に再編することで、生き残ることができるかもしれない。
しかし、それは至難のことであろう。
個人では、多くの関係が自損他損していくのに、たった一人で生き抜かなければならない。
充分に社会経験があるからなどといってみても、無悪倫理は過去のどの倫理状態とも異なる。
ほかの倫理状態であれば、生存の危機は、食料や天災や戦争ぐらいであっただろう。
無悪倫理は生きていく倫理の崩壊によって、助け合うこともできた人々との関係の断絶を覚悟しなければならないどころか、最も信頼できる対象であった人々ほど、危険な存在として登場するのである。
特に、無悪倫理の初期の段階では、濃密であった関係ほど危険が多いということがいえる。
無悪倫理が進化すると、どこでも災難に会うことができるようになる。
通り魔のような、ただひたすら人を傷つけるためだけの犯罪は恐ろしいほどに増えるだろう。
彼らは、人を傷つける前にすでに傷ついており、自分の受けた傷に見合うだけ、他人を傷つけなければいられないという衝動を持っている。
彼らが受けた傷とは、我々が心情倫理で行ってきた、自利他損の、損の部分を押し付けられたという思いからだろう。
彼らにとっては、彼ら自身が悪の認定をすることができる。
そしてその悪を徹底的に懲らしめてやることが、正義として認識されるのである。
悪の否定は、「正しい」と。
そして、彼らを否定した、社会や個人、時にはまったく関係の無い人々に対して、悪の否定のお返しをする。
そして、我々が作り出した、悪の否定というエネルギーは、すべてを否定しつくすまで、我々が消滅するまで否定を繰り返す可能性すらあるのである。
我々が、こんな事態にしてしまったのは、我々自身が、何気なく行ってきた悪の否定が原因だったのだと気づく日まで、その現実は続くことになるだろう。
50 :
真神龍 (全宇宙全生命永久永遠の大天国):2006/01/30(月) 13:40:28
我々は、早めに社会の規定から自由になり、外側から最後の瞬間を見ることにしよう。
社会など救うことなど出来はしない。
その社会は、その社会固有のあり方でその最後をむかえるのであって、我々が、付き合わなければならない理由などないのである。
我々は、次の時代を作って、そこで生きるために力を尽くすことが出来る。
心情倫理が長かった社会ほど、無悪倫理も長くなると考えられる。
日本よりも欧米のほうが無悪倫理を経験する時間は長くなると予想できるが、そんな予想はあまり意味が無いのだろう。
彼らは、キリスト教文明の必然性を担わなければならないが、我々はここ最近、キリスト教文明に付き合わされてきたのだから。
しかし、戦後は無矛盾にキリスト教文明の時空展開の一翼を担うようになり、その恩恵も少なからず受けてきた。
我々は、自分たちが生きた一部を失いながら、生きなければならないことに気づくだろう。
しかし欧米の人たちはほとんどの事柄の規定を失う。
我々の想像をはるかに超えたものになる可能性がある。
我々は長い間、欧米を目標にしてきたし、多くのものは彼らの作り出した規定の恩恵であったのだから。
我々は、自立して、新しい文明を作ることが出来るのだろうか。
彼らが、次々に新しい時代や事物を生み出すことが出来たのも、キリスト教文明の大きな規定があったからなのだから。
文明の原初の規定を持っているかどうかは、その後の文明の展開で、主体的であり続けられるかどうかの、重要な要素である。
我々が、新しい文明の主体性を維持できるかは分からないが、主体性があるのと、無いのとでは大きな違いが出てくる。
しかし、文明の最初は脆弱な系しか持てず、主体性はそのまま孤立を意味する。
しかし、文明となる理念は、それ自体は次元の高いところにあるのであるから、暴力や悟性の権力によって、無かったことにされる恐れは無いだろう。
しかし、その理念を持っていると主張する人々が、暴力や権力によって駆逐されることは充分考えられる。
51 :
真神龍 (全宇宙全生命永久永遠の大天国) :2006/01/30(月) 13:42:17
52 :
真神龍 (全宇宙全生命永久永遠の大天国):2006/01/30(月) 13:42:35
たとえ彼らが抹殺されても、その理念は誰にもなくすことは出来ない。
そしてその理念から、新しい規定が次々と生まれ、文明の規定が多くの人々の理解の範疇に入ってくるだろう。
理念は、誰が持っているなどと言うことは問題ではない。理念には著作権は無い。
その理念の意味を理解し、その理念に次ぐ理念を生み出していけばいいのである。
それぞれの理念が、時空展開を始めることで文明は文明としての形を現すようになり、そこで初めて、孤立を脱することが出来る。
我々は、その時空展開の恩恵の下で、幸せそうに生きる人々を見ることが出来るだろう。
しかし同時に文明の恩恵を受けられずに暮らす人々の姿も見なければならない。
なぜなら、それら両面の時空展開、あるいは時空展開の光と影。
そういう文明しか作れなかった我々の力の無さを感じながら、どこかの時空で生きるのである。
そして、文明の恩恵を一身に受けているにもかかわらず、醜く浅ましい人々の姿も見なければならない。
それは我々自身であるのかも知れないのだから。
53 :
革命的名無しさん:2006/01/30(月) 13:42:37
なに?このスレッド。
54 :
真神龍 (全宇宙全生命永久永遠の大天国):2006/01/30(月) 13:43:47
51さん 俺の名前を勝手に使うな
55 :
真神龍 (全宇宙全生命永久永遠の大天国) :2006/01/30(月) 13:45:20
56 :
真神龍 (全宇宙全生命永久永遠の大天国):2006/01/30(月) 13:48:26
共産党の方へ
ここは大事なポイントです 必ず目を通してください
↓
悪の否定
最近の犯罪の中に、突然犯罪をおかすというのではなく、昔から普通に行われてきた行為が、ある日突然「それは、いけません」と
社会に言われてしまうという形で、起こるものがある。
それまでも、当事者は犯罪性に気付いてはいても、慣習化していることによって、それらの行為に反対できないというのは、個人に主体性が許されていないという
事情によるが、なぜ、
ある日突然、社会から、「それは、いけません」といわれてしまうのか、
釈然としない人もいるだろう。
これらは、「悪の否定」が強くなってきていることの表れであると考えられる。
「悪の否定」は日々進化しており、昨日までは許されていると、勝手に思い込んでいたことが、ある日突然表沙汰にされて、
「そんな悪は許しません」と宣告されてしまうということなのだ。
それは、社会全体の生きる場の矮小化であり、許されている場の減少でもあるということなのである。
社会から放り出されている大人たちも、学校や社会に参加できない子供たちも、一つの現象の違った表現であり、社会から否定されたと感じている人々は、
社会の構成要素を否定するという
連鎖によってますます否定される人の数を増大させる。
それは、我々が、採用してきた理念の必然的帰結であり、キリストが「神は愛である」と語った時から用意されていた、歴史的必然なのである。
「悪の否定は正しい」という先入観の直接的原因は「平等」であり、「平等」は「愛」の帰結として生まれたものである。
今でも、「平等」は正しいと、多くの人は信じている訳だが、確かに心情倫理の時代はそう言うことが出来た。
57 :
真神龍 (全宇宙全生命永久永遠の大天国):2006/01/30(月) 13:50:16
しかし、無悪倫理の時代においては「平等」は、その真の姿をあらわにする。
それは、光に満ちた美しい姿ではなく、わずかずつではあっても確実に社会から、光と笑いを奪い、
最後にはまったき暗黒を導くものであり、しかし、
その姿があらわになると、それ自体、存在さえしていないという、
恐怖のモーメントであることが理解されるようになるだろう。
そして、我々は、その恐怖のモーメントに導かれるようにして、社会に存在するすべてを否定するようになってしまうのだ。
平等が正義として登場したのは「生まれ育ち差別」に対しての平等であったに過ぎなかった。
しかし、平等が一つに固定された差別関係からの、開放であったことは言うまでもない。
しかし、いったん平等が正義として、定着すると、それは正義としての志向性を持つようになり、
その指向性が「悪を否定することは正しい」という先入観となり、
「悪を見つけて、
早く否定しなければならない」という脅迫観念となって、
社会に蔓延してきた結果、
その表現が我々の目の前に姿を現し始めているのである。
これは、潜在意識に蓄積されつつ、社会の隅々まで波及する。
初めのうちは、巨大な悪に対するわずかな否定であり、悪全体のほんの一部に対するわずかな否定に過ぎなかった。
それが実は、愛の志向性への本質的な否定であったために、社会への影響は劇的なものとなった。
「生まれ育ち差別」が極大になったとき、それ自体が崩壊するというのがフランス革命で起こったことである。
革命の過程でロベスピエールが悪の否定を徹底して行ったとき、恐怖政治に陥ったのと同じように、
共産主義によっても悪の否定の徹底が行われ、
生存そのものを危機に陥れた。
58 :
真神龍 (全宇宙全生命永久永遠の大天国):2006/01/30(月) 13:51:27
我々は、悪の否定をゆっくりとやってきたというに過ぎず、行き着く先は同じところなのである。
資本主義が「悪の否定に」勝利したというのではない、単にゆっくりと悪の否定をしてきたために、自利他損を長い間やってくることが出来たというに過ぎない。
その長い時間に蓄積された悪の否定のエネルギーは、あちこちで噴出して、社会問題化する。
社会問題化しているのは、個別の問題であるが、その背景にはいつも、悪の否定は正しいという先入観がある。
アメリカが、日本の経済や、鯨、熱帯雨林の伐採を問題化するキャンペーンを張ることによって、アメリカ国内においても、タバコ、太陽の紫外線、実験動物、PL法による損害賠償等によって、悪の否定のエネルギーのガス抜きが行われている。
それらは、一見うまくコントロールされているように見えるが、これから先もうまくいくとは限らない。
タバコの規制よりは銃規制のほうが、どう考えても先にすべきことでと思うのだが、それとも、タバコによる害は病人を多く作り出して医療費がかかるが、銃による被害者は死者のほうが多いので、医療費はそれほど掛からないから、
タバコのほうを先に否定しているとでもいうのだろうか。
太陽の紫外線によって皮膚ガンが増えることになっているらしいが、日焼け止めクリームや化粧品と紫外線の関係を明らかにしてからにしてもらいたいとは思いませんか。
それだけではない、恐怖心が、現実にどれほどの影響を与えているかも、まだ、ほとんど知られていない。
実験動物は、確かに被害者だし、残酷な実験も多いかもしれない。
しかし、よく考えてみれば、地球上の生命は、科学の名の下に広く実験動物と化しているのではないか。
これら、一つ一つの事例は確かに、悪の否定の対象として、多くの人が納得できるものかも知れない、しかし、問題なのは、悪の否定が危険なものであり、先鋭化するとき、人々のあり方そのものをも変えてしまうということが起こるということなのである。
権力を持っていると思っている人たちは、自分が悪の否定に遇うことなど想定していないようだが、悪の否定は、それほど生易しいものではない。
オモチャのように、悪の否定を利用していれば、結果は、めぐりめぐって自分のところに返ってくる。
59 :
真神龍 (全宇宙全生命永久永遠の大天国):2006/01/30(月) 13:53:38
我々は、個別の問題にたいして、悪の否定を繰り返し、人と人が自損他損に落ちていく人々に、巻き込まれていくのではなく、
より大きな規定、より本質的な悪の否定の必然性に気付き、
規定そのものが終わっていくことを許すことこそ重要であろう。
人は、単に規定にとらわれているに過ぎず、規定を壊されることを恐れている。
その恐怖心が、一種のエートスとなって世界を駆け巡り、人々を恐怖に陥れてしまう。
恐怖心にエネルギーを与えることによって、その恐怖は現実化する。
たとえ自分が所属している規定であっても、その規定が崩壊していく時には、その崩壊を許し、手放し、見守る勇気が必要である。
それは、愛する人が、その人の属する規定を手放すことが出来ず、その規定にしがみついて、その規定と運命を共にし、崩壊していくとしても、我々はそれを許す必要がある。
それは、愛する人々の死をも意味するかも知れない。
我々に出来ることは、無規定で生きていくことに慣れるということであり、恐怖に対峙して翻弄されないということであり、
何も恐れるものなど無いということを知ることであり、
「命」だけしか残っていないという状況でさえ、
これだけあれば充分であると思えるような、
心の準備をしておくことである。
たとえば政治に熱中していた人が、政治に絶望して命を絶つということは考えられるし、金銭のみに価値を見出していた人が、金銭を失うことによって
命を失うということも起こりえる。
しかし、金銭のみに価値を見出していた人が、政治に絶望したからといって、死を選ぶということは無いのである。
これは、依存していた規定が壊れたとき、その規定を手放すことが出来ない人は、本当に死を選ぶということである。
人間は、さまざまなものに依存しながら生きてはいる。
しかし、本当に必要なものは、それほど多くは無いはずである。
60 :
革命的名無しさん:2006/01/30(月) 13:55:23
共産党員攻める気もないし
>>1さんの肩持つ気もないけど、民主集中はいい加減やめてほしい。
61 :
真神龍 (全宇宙全生命永久永遠の大天国):2006/01/30(月) 13:56:33
戦後、我々は依存するものを増やすということで、幸せという幻想を追いかけてきた。
それまで、どこにでもあった自然の恩恵を犠牲にしながら。
その中には、家族とか家庭といったものも含まれている。
我々自身が壊し続けてきたものに、いまさら依存しようとしても、かなりの無理がある。
これまでに、いかに「在る」ということを忘れずにきたかということも、重要である。
一般に価値とは、「在る」ことに付随するものについて、与えられるもので、「在る」ことそのものは、当たり前のことと考えやすい。
「在る」ことが無ければ、付随するものたちは、意味を失う。
それなのに、付随するものにばかり価値を見出す。
付随するものは、さまざまな規定から生まれたもので、規定そのものが終わろうとしている今、「在る」ことそのものに畏敬するような感覚が必要である。
「在る」ことが、価値として評価されにくいのは、価値の性質によっている。
価値は、一般に、過剰は悪に転化し、希少は善に転化するという性質を持ち、上位に感情や記憶を配し、下位にはエゴを従えている。
その上下関係の中をエゴのエネルギーが行き来しながら、我々の悟性を形作っている。
価値は、時間によって変化し続けていて、それを価値運動と呼ぶが、価値運動は、善と悪の間を行ったり来たりしながら、小さなものでは、はやりすたりを作り出し、大きなものでは、概念に対する悟性的評価の変化や、理性的な即自や対自の関係性の認識にまで影響を及ぼす。
平和な社会では、生命の危機が少ないため、どうしても「在る」こと自体が過剰である。
「在る」ことが希少になった時、始めて価値が生じたように感じる。
我々は、無悪倫理が生存の危機を大量に含んでいることに気付いてはじめて「在る」ことに対して、価値を発見する。
しかし、常に記憶や、感情は、その事実を否定する。
それは、記憶や感情が、価値より上位に位置しているということと、価値は常に変化しているのに対して、記憶や感情は、変化に対して抵抗し、価値がもたらす生存にとって重要な情報を常に抑圧する事情によっている。
官僚的な人々の変化に対する鈍感さの原因は、記憶が価値運動を抑圧するのとまったく同じように、人々の価値運動の情報を抑圧し続けることになるという、記憶の性質によってである。
62 :
革命的名無しさん:2006/01/30(月) 14:03:14
それで「賃金平等」の共産主義はだめってか?
もちっと労働価値説を勉強したら
63 :
真神龍 (全宇宙全生命永久永遠の大天国):2006/01/30(月) 14:15:36
↑
お前は 俺の文章を読んでないのか?
文章の内容を理解できないのか?
賃金平等にしたら 崩壊するに決まってるだろ
まず 活気がなくなる 新しいことにチャレンジする意欲もなくなる
なまけるやつが爆発的に増える
だいたい お前は ソ連が崩壊したことどう思ってるの?
働いても 働かなくても
同じ給料なら 仕事に対してやる気が起きなくなる人が大勢でてきます
結果 国家は崩壊します 人間はすべての人が性善説というわけでもないし
いい人もいれば悪い人もいるし 働かなくても怠けても給料もらえるなら
怠ける人も大勢います すべての人がものすごく神ごときレベルの人物ばかりなら
一生懸命働いても働かなくても
同じ給料でも 全員怠けず仕事するでしょうが 今のところ
そこまで地球人は立派ではありません
今の段階では 人間は神ではありません 神と獣の間の生物です
わたしは断言しますが もし共産党が政権と取れば
国は崩壊します
と 書いただろ
64 :
革命的名無しさん:2006/01/30(月) 14:16:21
共産党員なんてここにはいない。
65 :
真神龍 (全宇宙全生命永久永遠の大天国):2006/01/30(月) 14:21:15
それで「賃金平等」の共産主義はだめってか?
↑
お前は 俺の文章を読んでないのか?
もう一度 よく読め
お前は 法律を厳しくすれば 犯罪数が減ると思ってるアホだろ
中国でもイランでも犯罪に対しては 日本の10倍以上厳しいが
犯罪率は日本の10倍以上だ 犯罪密度がだよ
↑
ソ連崩壊だけでなく ここにも例を見せただろ
つまり 論理上 こうなる という計算は全く役に立たない
つまりだな 人の心は 法や政策では縛れん
心は 独自性を求める つまり 形を平等にすれば いつかは
不平不満がたまり いつか爆発して つまり国は崩壊する
後 自由と平等は決して成り立たない
そこを履き違えてはならない
66 :
革命的名無しさん:2006/01/30(月) 14:35:19
>>63 だから共産主義はダメだってのが君の主張なんでしょ?
全員が賃金平等なれば国が滅ぶってね。
まぁそこが勘違いなんだけどさ
67 :
真神龍 (全宇宙全生命永久永遠の大天国):2006/01/30(月) 14:46:10
>>63 だから共産主義はダメだってのが君の主張なんでしょ?
↑
違う 駄目でなくて 国を滅ぼす
なぜか?ということはさんざん書いたでしょ
俺の主張とかではない たとえば 3+3=6 だということを示しただけ
全員が賃金平等なれば国が滅ぶってね。
まぁそこが勘違いなんだけどさ
↑
滅んでるだろうが。。。ソ連が。。。
お前は事実が認められないのか?
後 中国共産党ももうすぐ崩壊するよ 北朝鮮もね
68 :
革命的名無しさん:2006/01/30(月) 14:52:32
違うよ、「平等賃金」がだよ。
これ以上は言うまい。
指摘したところで君の素晴らしい思想にはちっとも傷はつかない。
構わず進めてくれ。
あの、マルクス主義者じゃないけど質問しても構わないかな?
社会主義っていうのは、生産力が充分でない為、能力に応じて報酬を得る社会の事と聞いたのですが?
だから
>働いても 働かなくても
>同じ給料なら 仕事に対してやる気が起きなくなる人が大勢でてきます
>結果 国家は崩壊します
ってのは社会主義国であるソ連には少なくとも当てはまらないはずなのですが?
>結果平等主義
これにしてもそうだけど、では今のような異様な二極化とその後に現れる極端な階級社会を是とするのかな?
結果平等とは言うけれども、そう言われた20年くらい前までの日本って本当にそうだったのかな。
あの程度の平等社会ですら結果平等だと主張して切り捨てるのはネオリベと感覚的に同じと思いますけどね。
70 :
革命的名無しさん:2006/01/30(月) 16:27:04
1さん
じっくり読ませていただきました。
目からうろことはこのことですね
なんてなw・・・・
この程度の次元で科学的社会主義に論争を挑むとはよほどの世間知らずなんだろうな。
71 :
共産党員:2006/01/30(月) 16:37:42
> 日本共産党はマルクス、エンゲルス、レーニンを神様とする
> ものです。つまり 一生懸命働いても働かなくても
> 同じ給料だということです。
なんなんじゃこれは。
マルクスがいったいどこかで
賃金の平等なんてことを言ってるのかよ。
72 :
革命的名無しさん:2006/01/30(月) 16:44:49
うへっ!w まだソ連の時の共産党と日本共産党一緒だと言っている輩発見!!ww 一つ断言できるのは世界には〜〜共産党とゆう名の政党が星の数程あるがこれらの政党と共産党は共産とゆう名が一緒なだけであってマニフェスト等は全く違う。
73 :
革命的名無しさん:2006/01/30(月) 16:59:52
法輪功だってめちゃくちゃなカルトだろ。
中狂が酷いところだから法輪功がまともかというとねえ。
カルト同士で死ぬまで叩き合いしてて下さい。
75 :
真神龍 (全宇宙全生命永久永遠の大天国):2006/01/31(火) 05:48:10
↑
違います
法輪功だってめちゃくちゃなカルトだろ。
中狂が酷いところだから法輪功がまともかというとねえ。
カルト同士で死ぬまで叩き合いしてて下さい。
↑
法輪功はカルトではありません
誰も人を殺してもないしやばくありません
また 法輪功だけでなく 中共はすぐに政府に都合が悪い人間を拷問レイプ公開処刑をします
その拷問レイプ公開処刑される人たちは
あなたは世間知らずですね もっと勉強してくださいね
>働いても 働かなくても
>同じ給料なら 仕事に対してやる気が起きなくなる人が大勢でてきます
>結果 国家は崩壊します
ってのは社会主義国であるソ連には少なくとも当てはまらないはずなのですが?
↑
は?当てはまったから 崩壊したのでしょうが。。。
何を言ってるのですか?
うへっ!w まだソ連の時の共産党と日本共産党一緒だと言っている輩発見!!ww
↑
は?日本共産党はマルクス、エンゲルス、レーニンを神様とする 党でしょ
みなさんはマルクスが大好きなのでしょ?
だが マルクス理論は間違っている 俺の直感がそう言ってるから
つーか マルクスの理論は 愛を殺す理論なのだよ
76 :
真神龍 (全宇宙全生命永久永遠の大天国):2006/01/31(火) 05:49:15
つけたし
その拷問レイプ公開処刑される人たちは なんの罪もありません
だた 政府に都合が悪いというだけで そんな責め苦にあうのです
77 :
革命的名無しさん:2006/01/31(火) 08:20:53
>真神龍 (全宇宙全生命永久永遠の大天国)
はぁ?
オノレの頭の心配しろやw
78 :
革命的名無しさん:2006/01/31(火) 08:22:13
79 :
毛沢山:2006/01/31(火) 12:46:31
1は社会主義の意味すら理解してないらしいなw
>働いても 働かなくても
>同じ給料なら 仕事に対してやる気が起きなくなる人が大勢でてきます
>結果 国家は崩壊します
ってのは社会主義国であるソ連には少なくとも当てはまらないはずなのですが?
↑
は?当てはまったから 崩壊したのでしょうが。。。
何を言ってるのですか?
不労所得を批判する思想がマルクスなのに・・・
82 :
革命的名無しさん:2006/02/02(木) 19:54:13
日本共産党と中国共産党は別の組織です、終わり
83 :
革命的名無しさん:2006/02/02(木) 20:35:33
法輪功マンセッ!
84 :
革命的名無しさん:2006/04/16(日) 00:24:19
(´・ω・) カワイソス 党生活者 (´・ω・) カワイソス
(´・ω・) カワイソス 党生活者 (´・ω・) カワイソス
(´・ω・) カワイソス 党生活者 (´・ω・) カワイソス
(´・ω・) カワイソス 党生活者 (´・ω・) カワイソス
(´・ω・) カワイソス 党生活者 (´・ω・) カワイソス
(´・ω・) カワイソス 党生活者 (´・ω・) カワイソス
(´・ω・) カワイソス 党生活者 (´・ω・) カワイソス
85 :
革命的名無しさん:2006/04/16(日) 07:05:28
共産党が議席増やすと日本が共産国家になると言う奴は
自衛隊を派遣すると日本が軍事国家になってしまうと言う奴と同じくらい単細胞!
共産党の議席が2倍に増えたとしても、政局に対する影響なんてほとんどない。
しかし、政府首脳や経団連首脳に与えるインパクト、危機感は相当なものになる。
経団連の奥田あたりも今までのような強き発言はできなくなる。財政金融政策、税制政策等諸政策に影響を与えることができるだろう。
白票を投じたところで投票率が上がらないこととなんら変わりがないから
公明党やその票をあてにしている自民党が喜ぶだけ。
逆に共産党の議席が増えると、共産党の質問時間が増えるという立派な嫌がらせになる。
共産党は用量・用法を守ってお使い下さい。
[用量]衆院40議席、参院20議席までとして下さい。
[用法]政権へのご使用はおやめ下さい。
[注意]まれに革命を起こすことがあります。公安にご相談下さい。
86 :
革命的名無しさん:2006/04/16(日) 13:44:50
あ