62 :
革命的名無しさん:2005/07/30(土) 07:43:33
ageなきゃ損ソン
63 :
革命的名無しさん:2005/07/30(土) 14:42:49
64 :
革命的名無しさん:2005/08/01(月) 13:28:06
age
徳田球一はいい香具師だから、そんなに酷い国にはならんよ。
チュンやアオが政権とってたらと思うとぞっとするけどw
66 :
51の続き:2005/08/02(火) 18:13:18
北日本では早くから情報機関が設立され、JKGBと名づけられた。
一方南では左翼が幅をきかせ、軍の存在を非難する有様であった。
67 :
革命的名無しさん:2005/08/08(月) 03:06:45
age
68 :
革命的名無しさん:2005/08/13(土) 03:34:02
>>53さん
反戦ネットワークのLPG(ねっw)さんの悪口をいうと、HN、「赤いハマグリ」さんとかいう人に怒られますからご注意下さい。
しかし、ねっwの「おいら、高田健さんからの信頼が厚く、ワールドピースナウの元実行委員として重要な役割を担ってきた」という自慢話。どうもおかしいとは思っていたが、やはりうそだったか。
それと、ねっw!おまえ、「おいら、ブントにほめられちゃった」といって俺に紹介した下のファイル、おまえのことなんて一言も書いていないじゃないか!
http://www.bund.org/editorial/20040505-2.htm
|・ω・`)
70 :
革命的名無しさん:2005/10/02(日) 16:19:40
左翼暴力団=街宣左翼=支那朝鮮の走狗=街宣右翼=右翼暴力団
71 :
革命的名無しさん:2005/11/05(土) 04:55:56
72 :
革命的名無しさん:2005/11/05(土) 05:40:24
>>68さん、弟です。
「共産党の単独政権、もうすぐだね、おねえさん」が口ぐせの反戦ネットワークのLPG(ねっw)。私、姉の「おくま」でございます。
あれでも子供の頃は、「おいら、かぐや姫とSEXするんだ〜」といっては他人の土地の竹林を切り倒すという、とても大きな夢を持つ子どもでしたが、いつの頃からか大阪の「黒目」とかいう人と知り合いになってからというもの、
ますます変な方向にエスカレートしてしまいましたの。この黒目という方は近所のイタズラ好きの子どもたちに、「大阪の恥さらし!どアフォ!」といわれ、道頓堀川に投げ込まれること、数えきれないとか。昨日も電話をよこして、
「LPGよ〜、馬鹿はかぜをひかないというけど、あれ嘘だぜ、おれ、昨日、川に投げ込まれてかぜをひいてしまった、LPGはいつも「おいら馬鹿だから絶対にかぜひかない!」と自慢しているけど注意した方がいいぞ」と
優しく励ましてくれたそうです。この間、「父さん、どうして弟の頭、あんなにおかしくなってしまったの?」と聞いたところ、「泥酔して母に挑んだため、着床した時点で能にアルコールが回ってしまったらしく、どうすることも
出来なかったんだ」といいながら涙を流していました。近所を歩けば、「や〜い、反戦ネット一、頭の悪いLPGんとこの、おくま〜」と大きな声でいわれます。これまでひとりだけの弟なのでかばってきましたがもういやです。
一日も早く家を出て行くなり電車にでも飛び込むなりしてくれることを願っているわが家です。
下のファイルの下段にあるメールでの嫌がらせ、弟の犯行に間違いありません。今までの大罪をお許し下さいませ。弟に代わりまして深くお詫びいたします。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/5270/
2003年07月08日17:39
公判中逃亡から29年、中核派元非公然活動家を拘束
29年前、公判中に姿を消し行方不明になっていた過激派中核派の元非公然活動家、
上口孝夫被告(53)が8日朝、神奈川県横須賀市内の自宅で警視庁公安部に見つかり、
拘束された。身柄は公安部から東京地検に引き渡され、東京拘置所に収監された。
上口被告は捜査員に「時効じゃなかったのか」と肩を落としていたという。
公安部によると、上口被告は74年3月、東京地裁の公判に出廷せず、逃亡。
70年6月に「反安保統一行動」で東京・新宿駅で騒いだ威力業務妨害罪と、
71年11月に沖縄返還闘争デモに参加した際の
凶器準備集合などの罪で起訴された後、保釈されていた。
その後、大阪府内の実家や東京都江東区内に住民票を置いていたが、
今年2月に横須賀市汐入町3丁目の一戸建ての家に
住民票を移していたことがわかった。
中核派の活動はやめ、渋谷区内のレストランでアルバイトをしていたという。
公判中に逃亡しても公訴が取り消されることはない。
中核派活動家が死亡、ビルのベランダから転落か 広島
4日午前4時50分ごろ、広島市南区宇品西1丁目、
中核派の活動拠点「前進社中国支社」のビル(3階建て)西側の路上に、
男性が血を流して倒れているのを通行人が見つけ、119番通報した。
男性は顔面を陥没骨折するなどしており、運ばれた病院で死亡が確認された。
県警の調べでは、死亡したのは前進社の活動家飯田憲さん(60)。
ビル3階に寝泊まりしていたといい、県警は同階のベランダから転落したとみて調べている。
飯田さんには、転落でできたとみられる以外の外傷は見当たらず、
酒を飲んでいた形跡があり、素足だったという。
(08/04 11:47)2003
お名前
: 事情通
登録日
: 2006年9月13日0時18分
-----------------------------
日和見主義者さんは「第4次分裂?」で書きました。
>フペリヨードさんは「Re:単なる技術的立ち遅れ」で書きました。
>
>>九州は指導部の大半は離党し、ナガサキ集会は分裂集会でした。離党組30名、
>>中央からの動員組150名です。
>
>30名というと、小党派の全国動員よりも多い人数です。
九州だけで、それだけの人が集団を形成して活動を続けているということでしょうか?
>関東・関西・九州の動向を合わせ考えると、
もしかして、革共同第4次分裂と言いうるような事態なのでしょうか?
関西地区党幹部のヨダ以下が除名されたが、関西地区党は再建され再出発している。
九州の場合、九州地区党幹部のヒラタらが除名、常任を含めて、
福岡県労組交流センターの多数が離党しヒラタについているものの、
ヒラタ一派は十名程度の動員しかできていない。ヒラタについた労組交流センターの労働者のなかには、
国労闘争団のマツザキなどがいるらしいが、本人は戻って活動したいという願望もあるらしい。
なお、九大自治会委員長だったナガタもヒラタ一派についているらしい。
ヒラタ一派は、長崎集会を妨害するような働きをみせたが、
中央の指導とヒラタにつかなかった常任や労組交流センターの労働者を中心にして九州地区党の再建が勝ち取られているらしい。
また九大自治会も再建されたとのこと。なお、百万人署名運動関係はヒラタ一派にはつかなかったため、
ヒラタ一派は反戦共同・福岡の名前で独自集会をぶちあてようとしているらしい。第四次分裂というよりも、
関西のヨダやヒラタなど除名された元幹部は延命策に汲々としている模様だ。
関西地区党の問題からら生じたが九州に飛び火し、九州の大量離脱が危ぶまれたが、再建されつつあるという。
長崎集会が例年通り開催されたのは、ひとまず分裂の危機をのりきったといえよう。
お名前
: 事情通
登録日
: 2006年9月13日12時50分
--------------------------------
戦争放棄派さんは「Re:第4次分裂?」で書きました。
>事情通さんは「Re:第4次分裂?」で書きました。
>7月のはじめ、九州地区党の指導部に何を思ったか中央は堀内派遣を決定したらしい。
この堀内が九州の事情をさっぱり理解できず、また指導部としての力量がない。
これに九州地区党は総反発。結局堀内は召還、と言うことだと聞いています。
>こういう泥縄式の組織的対応のまずさが問題でしょう。
堀内氏に関するまことしやかな話題は、ネガティブキャンペーンを
展開したいヒラタ一派からの情報によるものか、
それだけヒラタ一派らはショックを隠しきれないということだろうが、
中央指導部と残った常任の力で、福岡県労組交流センター、九大自治会、
解同全国連は再建されたとのこと(百万人署名運動福岡県連絡会はまるごとヒラタ一派にはついていない)。
なお、中央指導部派遣のなかには、九州地区党で常任だった関係者も含まれており、
派遣された堀内元全学連委員長についても、とりたてて総反発はおきていない。
むしろ、中央指導部派遣に対して総反発したのがヒラタらであった。
そもそも、ヒラタが反発したのは関西のヨダが打倒され除名されたことに対する反発と、
新指導路線に対する反発があったといわれているが、
関西のヨダ同様、ヒラタは地区党を私物化していた問題が指摘されてもいるようだ。
なお、ヨダの問題は、新指導路線への反発や四大産別路線に対する反発というよりも、
ヨダは富田町病院関係に絡んで内々で関連会社をつくり、
ヨダの秘書に位置する元全国連関係者を関連会社につかせて私服を肥やしていたことが問題となったようだ。
しかも、ヨダの秘書である元全国連関係者は、公安からスパイ化されていたといわれており、
ヨダらが地区の労働者によって打倒され・除名されなかったならば、
関西地区党のみならず革共同全国委そのものが、
富田町病院関係子会社に絡む問題として権力からキャンペーンされていた可能性が高かったといわれている。
改憲闘争を目前にした、ヨダらの打倒・除名は、
関西地区党の問題や九州地区党の分裂という問題だけではない重要な意味をもっているといえよう。
それゆえに、「党の革命」が掲げられているといえよう。
前進第2258号から(以下引用)
小山明同志が基調報告を行った。
まず小山同志は「党の革命」について、
「党中央の重大な責任をはっきりさせた上でのことですが、
革共同が権力と闘えない党になりつつあった。労働者党員の決起が、
断崖絶壁の淵でその危機から革共同を救った」
と労働者党員の決起の意義をのべた。(引用終わり)
党中央の重大な責任、と言う文言を受けて
清水自己批判書になるものと思われるのですが、
問題は労働者党員の決起をせざる原因となる党の指導責任の所在を
明確にすることでしょう。
やむにやまれぬ決起として「党の革命」に迎合するのは
政治的対応として簡単ですが、それまで関西の問題を知りつつ放置し、
関西地方委員会の独自性として一種の党内党的な存在を容認していたことの
責任を明らかにするのが必要かと思います。
また、この掲示板に投稿する者を誰かとしきりに
党内を詮索しているようですが、
実際は関西の問題は3・14決起直後直ちに党内及び党外に知れ渡りました。
それの確認を求める声に対し、革マルのデマとか、MTの謀略だとか言って
官僚的乗り切り策を弄していたその体質こそ問題でしょう。
95年 山谷争議団分裂 革命的新規投稿 革命的返信 革命的削除
お名前
: ジェルジモルダ
登録日
: 2000年7月3日14時40分
リンク
:
--------------------------------------------------------------------------------
> > 山谷争議団から内ゲバによって分裂した解放派寄せ場戦線(現山茂派)の
キャップである鈴木ギャー氏の詩集を発見しました。
> とあるのですが、その内ゲバあたりの事情をおしえていただけないでしょうか?
きじむなさん、こんにちは。
長くなりますよー。
90年代に入って、金町一家との抗争も力関係が固定化して新しい展開もなく、
山谷の運動は新たな飛躍を求められました。
革労協は山谷の中で「反戦・反失業をたたかう山谷労働者の会」という独自枠を作って、
全体として全都の野宿者を射程に入れた反失業闘争を展開しようという山谷争議団の方針にセクト的反発をして、
「金町戦のさらなる戦闘的展開」「炊き出しなどの野宿者救済運動反対」などの方針を振りかざして、
非革労協活動家との関係はどんどん悪化していきました。
とゆーか、この頃の革労協は大衆運動戦線において、「独裁をやるかケツを割るか」という方針で、
日韓、戦後補償運動などなどで、次々分裂を強行していきました。
95年の10月に争議団会議で、鈴木氏と青系活動家が暴行を働き、
山谷労働者福祉会館3階事務所を突如占拠しはじめます。このとき、鈴木氏は「新生山谷争議団」を名乗って、
鈴木氏一人が他の10人のメンバーの「除名」(笑)を宣告しました。
95〜96越年闘争直前、山谷争議団のビラまきに、鈴木氏ら十数人が妨害、暴行を働きます。
私服はしばらく傍観していたようですが、最後に「田中!」「山田!」 「斉藤!」(注 名前はテキトーです)と
十数人の名前を呼び上げ、「よせ!やめろ!革労協からひけ!」と、叫んだそうです。
もちろん学生支援はみんな覆面です。怖い話だ…。
そして、いよいよ越年闘争に突入。「新生争議団」は玉姫公園で、
山谷争議団は城北福祉センター前で、それぞれ越冬闘争をおこなうことになりました。
全国からのカンパ物資や、炊き出しのための道具は福祉会館に置かれているので、
山谷争議団側の労働者と支援10数人が、恐る恐る福祉会館に道具などを取りにいこうとします。
突如、福祉会館から飛び出してきた、青部隊。一升瓶を投げつけ、金属バットを振りかざし、襲撃。
労働者も含めて怪我人が続出しました。この襲撃を聞きつけ労働者も福祉会館前にどんどん集まってきました。
そして夕方、争議団側はおよそ200人で棍棒で武装して福祉会館へ突撃!
警戒にあたっていた機動隊をボコボコにして会館を包囲する200人の労働者部隊。
このとき、福祉会館には、5、6人ほどしか残っていなかったみたいで、窓から一升瓶を投げまくって、青側は必死の防戦。
争議団側が次々と福祉会館に突入した直後にマンモス交番から機動隊が規制に入る。
結局、福祉会館に突入した人も機動隊につまみ出され、争議団の福祉会館奪還はなりませんでした。
その後、蜂起派系の「共闘委」、熱田派系の「山労連」、ノンセクト系の「有志の会」が
それぞれ防衛隊を編成して、青の襲撃に備えました。山谷争議団にとっては、
機動隊、金町、そして革労協と三つの敵と対峙する越年闘争になったのです。
ちなみに革労協指導部は、この木元・鈴木グループの所業に激怒していました。
とくに反安保労研などの活動家など。福祉会館の占拠によって、キリスト者と敵対するのはマイナス、
という判断もあったようです。拙者は革労協分裂の一つの要因に「山谷問題」があると思っています。
何度かの小競り合いはありましたが、双方の連日の活動家動員によって、
それ以降は大きな衝突もなく、越年闘争は過ぎていきました。
青側で焚火にあたっていた労働者は「お前スパイに来たんだろう」とすごまれたりしていました。
拠点構えてるから焚火にあたっているのに、労働者も驚いちゃうよなぁ…。
かたや、争議団側の越冬拠点で支援部隊が警戒にあたっていたら、
帽子、グラサン、マスクのいかにも青ーっ!というかんじの二人組みが近づいてきました。
緊張する防衛隊。青は防衛隊を見つめて、「間違えたよ…」(爆)。
お前らこっちじゃないぞー」と防衛隊に言われて、学生は「すみません」と謝ったそうです。
逆なら、拉致・監禁・リンチだよなー。
そして、福祉会館の占拠は解かれましたが、
「新生争議団→山日労」と山谷争議団の分裂は固定化され、今日に至っています。
96年の北原派旗開きの際、当然かち合う、革労協と蜂起派。
案の定、怒鳴りあいになり、仲介に入った北原氏、萩原進氏、中核派。中核立会いのもと、
両派から反対同盟が「事情聴取」をおこないました。
蜂起派から、革労協の所業を聞いた中核派の活動家は、
腕を組んで深刻そうに「考えられないことだ…」(核爆)とつぶやいたそうです。
山谷争議団は、この分裂騒動の直後に新宿の強制排除阻止闘争の高揚を勝ちとります。
鈴木氏らは「乗り越えられた!」と思ったのでしょう。
鈴木グループが影響力を持っていた隅田川近くの高速下テント村が、
工事による一時立ち退きを要求された際に、「新生争議団」は実力阻止の方針を打ち出します。
しかし、テント村のリーダーは酒を持参して説得に来た道路公団の担当者と意気投合、
一時立ち退きへの協力を快諾してしまいました。激怒した、鈴木氏、木元氏。
そのテント村のリーダーをリンチにかけ、全治6ヶ月の重症を負わせるという、凶行を働きました。
以上が、山谷争議団分裂の経過です。
86 :
革命的名無しさん:2006/10/07(土) 21:43:30
革命でござる
87 :
革命的名無しさん:2006/10/07(土) 23:45:09
靖国神社爆破 w
登録日
: 2006年9月28日11時44分
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日和見主義者さんは「第4次分裂?」で書きました。
>関東・関西・九州の動向を合わせ考えると、
もしかして、革共同第4次分裂と言いうるような事態なのでしょうか?
やはり、革マル派はこうでなければ・・・。
>ブクロ派関西・九州組織が崩壊
総瓦解する走狗集団残党を追撃せよ
権力の走狗集団・ブクロ=中核派残党が、
ついに最後の最期を迎えた。
関西ブクロ派の離脱・逃亡を契機とした九州組織の脱落、
そして中央官僚じたいの分解が一挙に進んでいるのだ。
このかんわが同盟は、中野一派が掲げる「新指導路線」なるものの犯罪性を
徹底的に暴きだし、
残党どもをきれいさっぱり一掃する闘いを強力におしすすめてきた。
この闘いによって、ブクロ派「政治局」なるものは崩壊し果てた。
ここにわが同盟は、ブクロ=中核派残党の最後的解体をかちとったことを高らかに宣言する。
ことし三月、関西ブクロ派の一部残党が、
「関西地方委」の「部落戦線」担当の草野こと古参官僚の宗像啓介を、
金の使い込みやスパイ問題を口実にして暴力的に叩きだし「除名」した。これを発火点にして、
ブクロ派残党の中央官僚どもは一挙に内部対立≠噴出させた。
彼らは、宗像「除名」処分をめぐる紛糾と混乱の責任をなすりつけあった。
その挙げ句の果てに、
当初この宗像らを擁護した「政治局員」の水谷(「峰岸武夫」)や黒島(「仲山良介」)らが、
中野一派によって解任され、もともとボロボロの「政治局」じたいが完全に崩壊しさったのだ。
それだけではない。
この宗像らにたいする「除名」処分に反発し・かつ宗像らによる
反中央のうごめきに同調するかたちで、
西日本の「部落戦線」をはじめとする「諸戦線」の残存手配師連中が、
中野一派にたいして公然と反発しドロ舟から逃げだしたのだ。
彼らは、それぞれの利害にもとづいて得手勝手にうごめきはじめている。
とりわけ九州では、それじたいは極小集団でしかない「地方委」が、
キャップの平田こと宇谷を先頭にして丸ごと脱落・離反した。
お名前
: ししうま 登録日 : 2006年10月24日5時13分
------------------------------------
戦争放棄派さんは「Re:私の聞いた話」で書きました。
>まつきさんは「Re:私の聞いた話」で書きました。
>
>>たしか、小西氏の批判を受ける形で?
いろいろ改革がなされたんですよね。
>>その具体的な内容については知る由もないのに、
一知半解なレスをしてしまいました。自己批判します。
>
>自己批判の必要はないのでは。
いろいろな改革など無いのではないのでしょう。
また小西の問題と、今回の関西のやむにやまれぬ決起とは
直接に関係ないのでは、と思います。
また、関西の決起を組織延命策に追認した中央ならびに追認を批判した九州、
さらには中央の追認過程で除名された
政治局員、候補、全国委員のそれぞれの一部について
党の大会で確認をせねばならないのに、
それをせずどこでどう決めたのか、
なし崩し的"党の革命"路線を打ちだしている。
>
>その一方77問題に一切触れず、
韓国の運動との連帯を言い11月集会の目玉にしている問題がある。
この問題も党内のブラックボックスとなっている。
前進読者もがた減り、マルクス主義文献も売れないし、
四大産別路線も総評型官公労路線とのヨダ(関西除名組み)らに批判に対し、
なんとも中途半端な路線
(なんせ国労不要弾圧被告人の松崎がウタニと行動をともにしている)
状態であるらしい。。。
それはあまり詳細にはいえないんじゃないの?
国労の松崎がヒラタ(早稲田卒のウタニ)一派
(女たちのデモ実行委員会・反戦共同福岡)であるのは事実のようで、
国労の松崎はヒラタ一派八名とともに某労組支援集会に登場していたらしいが、
その場で国労の松崎は九州の新指導部に対して
「国労日豊オルグ班をのっとるな!」
というビラをまいて失笑をかってもいたらしい。
ただ、国労の松崎は中央に従いたいとも主張しているという。
九州では、さまざまな集会やデモが予定されているが、
ヒラタ一派と新指導部の関係する市民団体がバッティングするのが、
「10・29ピースウォークin春日大野城」である。
この集会では、国労の松崎らヒラタ一派と、
新指導部との罵倒合戦が繰り広げられる可能性もあるかもしれない。
かつて、全国連の鶴野氏は脱落し、
九州出身の白井朗も脱落し、松崎、ヒラタなどが今回脱落していることなどから、
九州の地区党は関西以上に大きな痛手をこうむっているようであるが
着実に、再建されているようである。
>さらにケシバ問題を内包しており、この問題は関西の問題と無縁ではないが
都革新の指導問題となっており、新たな火種である。。と言うのが目下の課題でしょう。。
関西の決起に批判的だった幹部のなかに、水谷氏などがふくまれているが、
問題はケシバ氏もその一人だったといわれている。
一部常任からは、ケシバ氏個人の人格まで批判されるにおよんでいた。
たとえば、
「もともとケシバは神奈川県横須賀高校出身のお坊ちゃん育ちで労働者出身ではない」
「ケシバは、自民党の推進していたとある法案に賛成していた」
などとネチネチと罵倒していた常任もいたようである。
そのため、ケシバ氏は今度の東京都杉並区議会議員候補
として承認されるかどうかは危ないという意見もきかれたが、
ケシバ問題は決着がついたようである。
94 :
革命的名無しさん:2006/11/14(火) 18:45:26
権力は反対の極にスパイを置く
ブクロ派残党=中野一派の断末魔のアガキを断て!
いま、わが同盟は、反戦反安保・改憲阻止の闘いを創造するただなかにおいて、
走狗集団の残党を最終的に一掃しつくすためのイデオロギー的=組織的闘いをも断固としておしすすめている。
このわれわれの闘いにうちのめされて、残存ブクロ=中核派は、
いまや空中分解し雲散霧消する寸前に立ち至っているのだ。
残存ブクロ派を牛耳る中野洋一派は、今夏にいたって、
反差別主義や「市民運動」主義の利害の節穴から中野一派の「労働運動路線」に反抗してきた
関西・九州各地方組織のチビ官どもを、暴力的にブクロ派組織の外に放逐するクーデタ≠強行した。
この関西・九州グループへの処遇にたいして弱々しく反発した中央の「政治局」員もろともに、
中野一派は一挙に追放する強硬措置をもとった。
中野=「労組交流センター」一派のブクロ派中枢制圧のクーデタ(〇三年夏)につづくこのクーデタは、
まさにわが同盟の追撃から身をかわしたいが
あまりに血塗られた「革共同」の看板(組織名)を引きおろし労働運動≠フ片すみに潜りこむための、
窮余の一策いがいのなにものでもない。
かくしてブクロ派残党は、その清算事業団≠スる中野一派と、
「解同全国連」を擁する関西・九州グループとに分解しながら、いずれも分散化し、
わが同盟によって地上から消し去られる寸前にある。
数度にわたる分裂のあげくの果てにすでに死滅した走狗集団・青解派と同様に、
わが同盟の走狗集団を解体するための闘いに恐怖し、
これからいかに逃走するかをめぐるいがみあいの末に、
ブクロ派残党もいまや絶滅への急坂をまっしぐらに転げ落ちつつある。
われわれのなすべきことは唯ひとつ、
国家権力の謀略粉砕・走狗解体の闘いにおけるわが勝利のフィナーレを飾るために、
ブクロ派残党=中野一派にダメ押しの一撃を加えることのみである。
以下、見出し
T中野一派のクーデタの完了
U「労働運動」潜りこみの白日夢
V血塗られた「党史」の清算≠フ企み
「沖縄闘争委員会」について(再録)
革命的新規投稿 革命的返信 革命的削除
お名前 : 在本土労働者
登録日 : 2006年11月23日19時2分
-------------------------------------
協賛しゅみ゛者同志による投稿を再録します。
(マル共のログがとんでしまったために、過去ログには
残っていませんでした。)
ひょっとすると、これが「関西内紛」だとか「杉並における新城おろし」
の遠因かもしれません。
(再三にわたるお願いにもかかわらず、この件についての説明が
なされていません。)
お名前
: 協賛しゅみ゛者 <
[email protected]>
登録日
: 2005年6月15日1時3分
--------------------
まえおき1
○○同盟とか○○委員会などという名称は、その実体はともかくとして
「党派性」をはっきりと示すものです。
慣れた趣味者は、キャンパスでビラをまいているのが「闘争委員会」
なのか「反戦会議」なのかによって、その党派を類推することが
できるはずです。
まえおき2
1960年代から、沖縄闘争は新旧左翼にとって重要な課題の一つになって
いました。
新左翼には、大きく「沖縄独立派」と「沖縄奪還派」の2つの潮流が
ありました。
前者の代表格は「沖縄青年同盟」であり、後者の代表格は「沖縄青年
委員会」でした。(後者は当然「中核系」とされていました。)
これから本題・・・・
前進の最新号の5面に「在本土沖縄青年運動の発展を」という論文が
載っています。この執筆者は「革共同関西沖縄闘争委員会」となっています。
「沖縄青年委員会」ではないことに、驚きました。
(文章の中では「沖縄青年委員会」が過去のものであるかの
ような記述になっています。)
また、中核派の「在本土の沖縄青年運動」の中心的な環は、
杉並であったはずです。(杉並の区議選や都議選では
沖縄県人の組織が大きな力を果たしていたことは、
はっきりしていました。
(在本土沖縄青年の結集点は杉並であって、決して「関西」では
なかったはずです)
「関西」の「沖縄闘争委員会」(沖縄青年同盟の前身の名称!)が
中核派の沖縄闘争についての路線論文を提起する、というのは
(少なくとも)私には信じられません。
関東での、在本土沖縄県人の運動はどうなってしまったのか?
「沖縄青年員会」に何があったのか?(解体してまったのか、
それとも「沖縄闘争委員会」が分派して、中核派中央の支持を
とりつけてしまったのか?
ーーーーーーーーーー
沖縄闘争は、今でも労働組合にとっても重要な課題です。
(5.15や6.23には数の多少はともかく、必ず何らかの
取り組みを行うことに(私の所属する組合に限って言えば)
なっています。
もし、可能であれば中核派自身によって、起きている事態に
ついて説明していただけたらいいな、と思っています。
ひょっとすると、「沖縄奪還論」から「独立論」へと
大転換する布石かもしれないな、とゲスの趣味者は
勘ぐってしまいますよ。
99 :
革命的名無しさん:2006/12/08(金) 22:52:30
2ちゃん から赤軍が結成され人民を解放。
日本社会主義人民共和国が完成!
日、朝、中、越、キューバ、ベネズエラの社会主義連盟でアメリカを
封じ込めた。そして、世界は抑圧や国境の無い労働者の星と化したのであった
おしまい♪
100 :
革命的名無しさん:2006/12/08(金) 22:54:21
いや、日本共産主義人民民主主義プロレタリア独裁共和国のがええぞ。
101 :
革命的名無しさん:2006/12/08(金) 23:46:51
ウヨのいない社会なら、何でもいいや。
102 :
えfwqえ:2006/12/15(金) 18:06:18
えfw
103 :
革命的名無しさん:2006/12/15(金) 22:15:09
日本国→日本社会主義共和国→日本列島(共産主義社会)
社会主義から共産主義へと発展。
共産主義では、国家は廃止される。
104 :
革命的名無しさん:2006/12/15(金) 22:37:22
その後、同志リンチ殺害事件が明るみになる。
105 :
革命的名無しさん:2006/12/15(金) 22:41:07
ネタは秋田。
明日こそ、革命やるぞ!
106 :
革命的名無しさん:2006/12/15(金) 22:45:19
よし、明朝、大菩薩峠で1人軍事訓練に禿げむぞ!
107 :
革命的名無しさん:2007/01/09(火) 18:28:41
学 生 は 革 命 に 人 生 か け よ う
300万の学生のみなさん。革命に人生をかけよう。バイトやテストや就職活動、
本当に大変な生活がある。しかし資本主義体制にもはや未来はない。資本主義の中で
生きることを前提にした人生には希望もなければ喜びもない。革命に向かってともに
生きよう。
革命を決意する仲間がキャンパスに一人いれば大学は学生のものだ。それが300
万学生ゼネストだ! これを読んでいる一人ひとりが社会を変える主人公だ。ともに
立ち上がろう!
108 :
革命的名無しさん:2007/01/09(火) 18:45:19
真の共産主義社会へ我ら恐れを知らず真の平和郷土建国へ
109 :
革命的名無しさん:2007/01/09(火) 20:12:21
きっと五千万人くらい粛清されるんだろうな。
なんの罪もない人々がカンボジアでポルポトに殺されたみたいに。
あぁ、合掌。
111 :
革命的名無しさん:
実はこんだけ農業生産高が高いのなら、社会主義なら一億総セレブにだってできる。
機械も発達し、社会の維持に必要な労働力は少なくてすむ。
高層マンション大量に作って、農地を確保×バイオテクノロジーで国民の食料アップ。
分配は金銭ではなく、分配券を使って分配。円も併用。
効率的なサービスを追求し、外貨を獲得。国家が株式会社化すればよい。
福利厚生充実。平等社会。市場主義原理を小さくする。
一億総セレブ化が可能。幸せな国が来る日も近い。
世界平和にも資するはず。
<新社会主義革命派ナガサキ>