革労協【田辺ファン倶楽部】解放派 2

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783革命的名無しさん
同志三浦(岸本修)を追悼する

 同志三浦は、二〇〇六年三月二十八日、東京都台東区のわが革命党本部において、
入浴中に突然心臓麻痺におちいり、同志たちの全力の救命措置と医師の
「救急救命治療」の努力の甲斐もなく、三月二十八日夕刻、緊急搬送先の
病院において死亡が確認された。享年54歳であった。
 同志三浦は、革命党の新たな飛躍に向けて昼夜を分かたず多忙な組織任務を
全力で担っていた。肉体的精神的疲労が蓄積し急激な入浴ゆえに、突然肉体的変調を
きたし「心臓突然死」(心臓麻痺)したものである。
 日帝国家権力はすぐさまこの事態を、唯一の武装闘争勢力であるわが
解放派壊滅の絶好の機会ととらえ、事故死を百パーセント承知の上で
同志三浦の死因を意図的に「内内ゲバ」なるものにデッチ上げ、ブルジョワマスコミを
総動員した反解放派攻撃を仕掛けてきた。
 われわれは同志三浦の闘いに、悪罵を投げかけ蹂躙せんとする一切の
敵対を許さず粉砕する。
(中略)
784革命的名無しさん:2006/04/16(日) 10:40:08
同志三浦は、一九五一年五月二十七日に岡山県真庭郡久世町に生まれた。
一九七〇年台初頭の激闘の真っ只中、医師を志し一九七一年大阪医大に入学する。
狭山闘争をはじめとするあらゆる闘いに決起し、とりわけ反革命革マル絶滅戦の
最先頭で闘い抜く。一九七三年に社会主義青年同盟に加盟。
(中略)
 一九八〇年革労協関西地方委員会に結集。
 一九八〇年反解放派脱落グループ(反内糾脱党グループ)と対決し、
関西地方委員会の旗を敢然と守り抜き闘う。
(中略)
 同士三浦は、一九八八年三・一七、三里塚空港爆砕・パイプライン爆破戦闘を
先端とする本格的権力闘争の飛躍への反動として生起した、路線転換グループと
全面対決し関西地方委員会の旗を守り抜いた。そして、一九九九年ハザマ私兵グループに
よる革命党(軍)破壊−脱落に煮えたぎる怒りをもって解体戦に決起し、
とりわけ党内闘争を「利用」した日帝国家権力の解放派壊滅攻撃を粉砕するべく、
党の弾対部活動を主要に担った。
(中略)
闘い途上、倒れた三浦同志の意思を引き継ぎ、革命勝利の日まで
更に闘いぬくことを宣言する。