過去の話をしてしまったので、ついでに矯風会の成り立ちについて簡単に触れておきます。
この団体の大元を辿ると、万国婦人禁酒会から派遣され日本各地で飲酒の害を説いた某女史に影響された女性達によって始まった、
「婦人禁酒会」に行き当たります。
「克己心(快楽を排除=克服することで神の救いを得られる)」を運動原理としている「救世軍」の濃い影響も受けています。
すなわち禁酒、禁煙、生殖行為以外の性行動(姦淫)、を厳しく制限する運動として始まりました。
当時の貧困層では、酒代を賄いきれなくなったアル中親父の家庭が崩壊し、
子供が教育の機会を奪われる、あるいは、娘が娼窟に売り飛ばされるという、
三文ポルノのネタのような話が日常茶飯事だった訳で(*1)、
そんな時代情勢の中で、彼女らの禁欲主義のアジテーションは一定のメッセージ性を有していました。
(また反戦運動など、プラス面の足跡も確かにありました)
実際彼女らの中には「飲酒が娘の身売りを促進し、娼婦へと身を貶める原因の一つとなっている」と主張する活動家もいたそうです。
当時の活動家達はこうした事件をフレームアップして禁酒運動に利用していた訳ですが、
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あ〜ら不思議、「酒」を「ポルノ」に、「娘」を「子ども」に置き換えると・・・、
なんと今の児ポ法運動とそっくりだ(^^;)。
さ、もちろん「唯物論」の立場を取る人は「酒が悪いのだ!」なんてことは言いませんよね?
*1.これは戦費の負担に喘ぐ当時の日本が、酒税に依り歳入増を計っていたという背景を併せて知っておく必要があります。
「どぶろく(自家醸造酒)禁止」も、この時税収を確実にするために取られた政策が現在まで生き残っているのです。
酒類の価格は途方もない金額まで高騰し、庶民は安い酒を飲むこともかなわなくなりました。