マルクスらの本を読んだ気になるスレッド パート1

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53名無しさん@3周年
マルクスって愛人いたんでしょ?
本当は大金持ちだったんでしょ?
54名無しさん@3周年:03/04/10 19:42
>>41-52
お疲れ様です。
55名無しさん@3周年:03/04/10 19:52
>>53
子供三人栄養失調で死なせている。赤貧。
原稿が書きあがってこれで現金にありつけるかと思いきや、郵送する金もなかった(^^;)なんてこともあったくらいだ。

愛人なんかいる訳がない。
ただカミさんが金策に走り回ってる留守中に、賄いさんに手を出して妊娠させた(^^;)なんてことはあった。

これらの尻拭いをしてきたのは全部エンゲルスである。
資本論も本人が出したのは一巻だけ。
残りは死後エンゲルスとカミさん・娘さんで、遺されたノートやメモや原稿を整理して出版した。
因果な人生だ・・・。
56名無しさん@3周年:03/04/10 20:00
ダメ人間じゃん
57名無しさん@3周年:03/04/10 20:01
【フェミファシズム】
@いかがわしい男女平等(女性特別優遇、男性差別)

Aいかがわしい児童保護(女権拡大の為の児童保護の悪用)

58名無しさん@3周年:03/04/10 20:03
>>55
本当は赤貧というほど赤貧ではなかったらしいが、貴族出身の嫁さんの見栄のせいで金がなかったらしい。
娘にブルジョア的教育を受けさせたり、娘の婿探しのために舞踏会を開いたり、保養地に旅行したりしてたから金がかかりまくりだった。
59名無しさん@3周年:03/04/10 20:37
>55
>子供三人栄養失調で死なせている。赤貧。
>原稿が書きあがってこれで現金にありつけるかと思いきや、郵送する金もなかった(^^;)なんてこともあったくらいだ。

>愛人なんかいる訳がない。
>ただカミさんが金策に走り回ってる留守中に、賄いさんに手を出して妊娠させた(^^;)なんてことはあった。

これに矛盾ないですか?
何で,子供三人栄養失調で死なせているほど金無いのに「賄いさん」雇えるんですか?
「賄いさん」という名の愛人なのでしょう?
自分の子供よりも愛人に金使ったってことしょ。
602です:03/04/10 21:11
>>59 所謂「貧乏貴族」ですよ。マルクスは収入が結構あったけど、すぐに
他の活動家に金を渡してしまい、母親にはこんなことを言われています。

「経済学の勉強をしているくせに、個人的な経済観念はないねえ。」
612です:03/04/10 21:19
的場昭弘氏の文章が手許にありますが、それからマルクス家の経済に関する
ものを転載します。

マルクス家の収入は、結婚(一八四三年)から、二月革命の失敗のころ(一
八四九年)までは父の遺産の一部、『新ライン新聞』の給料、妻の持参金、
原稿料などがあり、かなり裕福であったといえる。問題はロンドンへの亡命
後だが、収入の内訳を見ると、まず、エンゲルスからの仕送りが一八五〇年
代が五十から六十ポンド、一八六〇年代前半二百から三百ポンド、後半二百
から九百ポンド(後半の総額三千ポンド)。その他に、遺産総額千七百ポン
ド、株式収入四百ポンド、原稿料七〇〇ポンドなどの収入があり、二十年間
の収入総額六千から七千ポンド。年平均で三百ポンドの収入があったことに
なる。もっとも収入の低かった一八五〇年代は、年百から二百ポンドで中産
階級としての生活を維持するにはギリギリの収入だが、もちろん労働者階級
の所得に比べれば、高額であることはまちがいない。
622です:03/04/10 21:24
マルクスは娘たちにヴィクトリア時代の典型的な淑女教育をほどこした。
娘たちは、学費の高い私立の女学校に通い、ピアノや乗馬を習った。イェ
ニー(註:マルクスの妻:イェニー・ヴェストファーレン)は、「男爵ヴ
ェストファーレン」と肩書のついた名刺を持ち歩き、毎年避暑地に出かけ
社交生活も心がけた。一八六四年に大きな屋敷に引っ越したときには、娘
たちによい縁談がまとまるよう舞踏会を開くこともした。そのかいあって、
次女のラウラは、フランス人でプランテーション経営者の息子、ポール・
ラファルグと婚約することができた。しかし、教会で結婚式をあげる費用
がない。近隣への体面をどう保つか相談されたエンゲルスは、ラウラはプ
ロテスタント、ラファルグはカトリックだから、教会で式はあげられない
ということにしたらどうかと答えたという。
63名無しさん@3周年:03/04/10 21:24
ケルン四月七日
642です:03/04/10 21:26
奉公人(ヘレーネ・デムート)は、妻イェニー・ヴェストファーレンの
世話係として育てられ、イェニーの結婚に際しても実家からつきしたが
ってきた人です。マルクスと姦通し、男の子が生まれますが、エンゲル
スの養子となります。
652です:03/04/10 21:32
エラソーにマルクスを語る「共産主義者のマルクス像」とは異なり、ボヘミアン
であり、根っからのDQNであり、ある意味ダメ人間の典型−−天才は往々にし
てどこか壊れているもの−−であるマルクスが大好きです。キャラが立ちまくり。

DQNマルクス像について、同じく的場氏の文章より・・・
一八三五年マルクスはボン大学へ進学する。そこで生まれ故郷トリーアの郷土団体
に入会するが、この団体はしばしば居酒屋で集会を開き乱痴気騒ぎをやらかした。
一八三六年、父のすすめもあり、マルクスはベルリン大学に移るが、そのときの
転学証明書には、「騒乱と泥酔による禁固一日」「ケルンで禁止されている武器
携帯」などという特記事項がある。どうやら、学生時代のマルクスは飲んで暴れ
たり、武器をもって街中を徘徊していたらしい。
−−−
別の本によると、マルクスは武器乱闘で顔をざっくり切られたり、「喧嘩屋マル
クス」という渾名を付けられたりしたそうです。