赤の悪い点

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18名無しさん@1周年
ちょっと難しい話になりますが「疎外」という重要な概念がありまして、
神というのは、人間の精神活動面において現れる「疎外」現象です。
(これについて詳しく語りだすと論文になってしまいますので省きますw)
だから、
> たとえば神だって正確に言えば精神的な色合いが濃いものなのに、
まったくその通りなんですよ。
元々人間の精神活動から誕生したものなんですから。
ところがそれが「人間」から切り離されて、超越した力で逆に人間を支配するようになる、これを「疎外」といいます。
神というのは、こうした人間的側面と、「疎外」としての非人間的側面という、
絶対的に対立する2つの性格が内包されたものです。
(このあたりは興味がありましたら弁証法的唯物論を独習されてください)

> それでいい結果出した人だっているのよ。
そう、これは神の持つ人間的側面ですね。
だから「信仰のおかげでまじめに働くようになった」ということも現実にあります。
ラスコーリニコフは、娼婦ソーニャの信仰の力で救われました。
ジン・バル・ジャンは、ミリエル主教の信仰の力で救われました。
19名無しさん@1周年:02/11/05 18:19
(続き)
しかし、人類にとって深刻なのは、カルトとしての側面(非人間的側面)です。
例えば、かつてローマ・カトリックがどんなにひどいカルト教団であったかは、おそらくあなたもご存知だと思います。
彼らは今でも(このエイズが深刻な時代に)コンドームの使用を禁ずるなど、「非人間的側面」と決別したとはとても言えません。

こうした「疎外」を、人間の手に取り戻していく(キリスト教的に言えば「神との和解」ですね)のが、歴史の必然である、
というのが史的唯物論の考え方です。
(精神活動を無視してるなんて、とんでもない^^;)。
ローマ・カトリックだって、いつかは自主的な人工中絶や避妊を認めざるを得ない日がきます。
あなただって、風神さんや雷神さんがお空で暴れてる、なんて今思ってないでしょう?
昔はみんな信仰していたのです。
それが気が付かない間に「自然消滅」してしまったんですね。
このようにして、もし精神活動面における「疎外」が完全に解消される日が来たならば(「神と和解」できる日が来たならば)、
その時は神は「自然消滅」してるだろう、という見解は持っています。
20名無しさん@1周年:02/11/05 18:20
(さらに続き)
さて、でもあなたは、
> でも人の心を無視しているところとかないか?
という感想をお持ちです。
これはおそらく、あなたの知ってる「自称マルクス主義者」がドキュソだったんです(爆)。
キリスト教徒だってイスラム教徒だって、スリもいればカッパライもいます。
でも彼らはクリスチャンでありムスリムです(^^;)。
それと同じこと。
共産党員や諸党派の党員だからといって、弁証法的唯物論を高度に理解した人ばかりな訳はないですよ。

・・・という感じでおわかりいただけたでしょうか?