◆俺たちも赤い軍団過激派もいるぞ レッズスレ◆

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◆おやくそく◆ 
   ( ノノ人)  
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    |  (⌒) age厨房・煽り・荒らしはスル〜
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◆(`〜´)<ぇ〜行ってきま〜ス レッズスレ◆
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実況は実況板で。
http://livesoccer.net/cgi-bin/12ch/test/read.cgi?bbs=Live&key=1034418738
関連スレ等は>>2-30のどこか
2名無しさん@1周年:02/10/17 15:55
帰国の5人、24年ぶり故郷へ

 
 北朝鮮によって拉致され、24年ぶりに帰国している被害者5人は午前、なつかしの実家や山や海、旧友たちが待つふるさとへと旅立ち、午後には中継地点に到着した。

 新潟に向かった蓮池薫さんと奥土祐木子さんの夫婦、そして曽我ひとみさんの3人を乗せた「Maxあさひ313号」は、午後零時17分に新潟駅に到着。3人は、一般乗客がすべて降りるのを待って、通常は使用しない12番ホームに降り立った。

 当初は3人ともに、緊張した様子だったが、出迎えた新潟県副知事らからユリとバラの花束を受け取ると、初めて笑顔を見せた。

 曽我さんは、「お帰りなさい」という声に、大きな声で「ありがとう」と応えた。帰国直後の記者会見時の緊張した面もちとは一転して、故郷に戻るこの日は、滞在先のホテル出発時も、
新幹線に乗り込む際も笑顔が絶えない。曽我さんは前夜、佐渡島の実家に「お父ちゃん、お世話になるから」と電話を入れた。父の茂さんは「早う、顔を見せてくれ」と答えたという。

 3人が新潟駅前に止められた2台のマイクロバスに乗り込む際には、沿道の約500人の市民らから拍手や歓声が送られた。3人は笑顔で大きく手を振った。

 蓮池さんと奥土さんは、車で午後2時50分ごろ、柏崎市役所に到着した。

 曽我ひとみさんは午後2時34分、新潟空港発のチャーター便で佐渡空港に到着した。曽我さんは、マイクロバスで記者会見場の真野町役場へ向かい、午後3時過ぎ、同役場に到着した。

 福井県小浜市に帰郷する地村保志さんと浜本富貴恵さんは、午前8時半前、千代田区のホテルのロビーに姿を見せた。

 地村さんは「ありがとうございました」と、見送りの従業員らに会釈して、マイクロバスへ。家族も含めた一行16人は、羽田に向かうバスの中で、自分たちの一時帰国に関するニュースを見ながら、「いよいよだね」などと会話が盛り上がっていたという。

 地村さんの母親、と志子さんは、今年4月に亡くなったばかり。待ち受ける親族はこの日朝、「お母さんの思い出を伝えてあげたい」と話した。一行を乗せた飛行機は、正午過ぎに小松空港に到着。
ロビーでは待合客から拍手が送られ、浜本さんは笑顔で「ありがとうございます」とこたえた。昼食を済ませたあとで、バスで小浜市に向かった。
3名無しさん@1周年:02/10/17 16:38
「再会」願い続け…拉致「死亡」増元るみ子さんの父逝く

 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に一九七八年八月、鹿児島県吹上町の吹上浜海岸で拉致され、
北朝鮮で死亡したとされる鹿児島市の会社員増元るみ子さん=当時(24)=の父増元正一(ますもと・しょういち)さんが十七日午前一時四十六分、肺がんのため鹿児島市内の病院で死去した。
七十九歳だった。事件から二十四年、娘の生存を信じ「ひと目でいいから、るみ子に会いたい。この手で抱きしめたい」と話していたが、再会はかなわなかった。

 正一さんは一九九七年から鹿児島市内で拉致疑惑の解明を求める街頭署名活動を行うなど、るみ子さんの救出を願い続けたが、今年三月に体調を崩し、八月下旬から入院していた。
るみ子さんの兄信一さん(51)によると、病室でもテレビのニュースを気にし、死亡が確認されたと報じられたときも、妻信子さん(74)と「るみ子は死んどらん」と励まし合ったという。

 十六日夜は、一時帰国を果たした被害者五人との面会を済ませて東京から駆け付けた、るみ子さんの弟照明さん(47)や姉平野フミ子さん(52)ら家族が病室で見守った。
息を引き取る直前には、るみ子さんの写真を収めたデジタルカメラのモニターを正一さんの枕元に置き「るみ子もいるよ」と呼びかけたという。

 信一さんは「るみ子は生きている。天国では捜さないで、と話したら、うなずいたようだった。意識がなくなってから六日間も頑張ったのは、最後までるみ子の帰りを待っていたからだろう」と話した。

   ◇  ◇

 増元正一さんは鹿児島市出身。自宅は姶良町西姶良一の二の一一。葬儀・告別式は十九日午前十時から鹿児島県姶良町宮島町一〇の一、大和葬儀社宮島斎場新館で。喪主は妻信子(のぶこ)さん。(西日本新聞)
[10月17日14時57分更新]

4名無しさん@1周年:02/10/17 17:29
<拉致被害者>一時帰国の5人 懐かしい故郷に到着

 北朝鮮の拉致事件で、24年ぶりに日本に帰国している5人が17日午前、東京都内のホテルを出発、それぞれの故郷へ向かった。
JR東京駅や羽田空港では、中山恭子・内閣官房参与らが見送った。曾我ひとみさん(43)は、午後2時半すぎ、故郷・佐渡島の佐渡空港に到着。蓮池薫さん(45)と奥土祐木子さん(46)も、
同2時50分すぎ、故郷である新潟県柏崎市の市役所にバスで到着した。地村保志さん(47)と浜本富貴恵さん(47)は、小松空港(石川県)から小浜市に入った。市内中心部にある市民体育館に同3時40分ごろ到着し、同級生ら地元の人たちに大きな拍手で迎えられた。

◆蓮池薫さんと奥土祐木子さん

 JR東京駅から上越新幹線に乗った2人は、午後0時16分、曽我ひとみさん(43)とともに新潟駅に到着した。

 新潟県柏崎市にある蓮池さんの実家の近所に住む建具店経営、高橋睦男さん(70)は「かおちゃんは小さいころ、よく遊びにきた」と再会を待つ。奥土さんは化粧品店の店員だった。
当時の元女性店主(65)が「これからデート」と店を出た奥土さんを見送ったのが、拉致された78年7月31日だった。

◆地村保志さんと浜本富貴恵さん

 正午、石川県の小松空港に到着。この後、バスで故郷の福井県小浜市入りした。母と志子さんに「かあちゃん、ドライブに連れて行ってやろ」と声をかけるなど、母親思いだった地村さん。
しかし、その母は今年4月、74歳で世を去った。浜本さんは地村さんとの結婚が決まり、花嫁衣装を注文した後の78年7月7日、地村さんとともに拉致された。

◆曽我ひとみさん

 妹の金子富美子さん(37)に付き添われ、午前9時半にホテルを出発。見送る人に笑顔も見せ、贈られた花束をしっかり抱いていた。

 看護師を目指していた曽我さん。「障害を持つお父さんの存在があったのでは」と中学時代の担任教師は言う。

 (毎日新聞)
[10月17日17時11分更新]
5名無しさん@1周年:02/10/17 18:36
拉致被害者>増元るみ子さんの父が死去

 北朝鮮に拉致され「死亡した」と伝えられた鹿児島出身の増元るみ子さんの父正一さんが17日午前1時46分、肺がんのため鹿児島市の病院で亡くなった。79歳だった。娘との再会を信じて病気と闘ってきたが、願いはかなわなかった。
拉致被害者5人が24年ぶりに帰国中で、残された親族は、亡き父の枕元に拉致事件の真相解明を誓った。

 葬儀は19日、鹿児島県姶良町宮島町宮島斎場新館。喪主は妻信子さん。

 二女るみ子さんは78年8月、鹿児島県吹上町の吹上浜で市川修一さんとともに姿を消した。正一さんは早くから北朝鮮に拉致されたと訴え、
97年、横田めぐみさんら5人の拉致被害者の家族と「拉致被害者家族連絡会」を結成。信子さんとともに街頭に立って署名を集めるなど、国に早期解決を求めてきた。

 9月初めに入院するまでは毎日、自宅の床の間に飾った振り袖姿のるみ子さんの写真に「今どうしてる。生きているのか」と語りかけていた。るみ子さんが愛用していた琴の手入れも欠かさなかった。

 9月17日の日朝首脳会談後、病床でるみ子さんの「死亡」を伝えられても「るみ子はまだ生きている」と繰り返した。時に夢を見たのか「るみ子は市川君と子供と暮らしている。おれは2人の関係をまだ許しとらんのだが」と苦笑することもあった。

 しかし今月11日以降は意識が遠のいた。16日夜には、二男で拉致被害者家族連絡会事務局次長の照明さんも東京から駆けつけ、親族ら6人がベッドを囲んだ。
照明さんは耳元で「心配せんでよかど。姉貴は絶対生きてるから」と声を掛け続けたが、意識は戻らなかった。

 長女のフミ子さんは「妹に会いたい気持ちが力になり、医師も驚くほど病気と闘った。最後まで頑張った父をほめてあげたい」と声を震わせた。照明さんは「父が果たせなかった分まで事件の真相解明のため頑張りたい」と語った。

6名無しさん@1周年:02/10/17 20:22
24年ぶりの故郷、夢のよう=曽我ひとみさんが会見−佐渡

 「今、わたしは夢を見ているようです」。故郷の新潟県真野町(佐渡島)に到着した曽我ひとみさん(43)は、同町役場で記者会見し、涙を流しながら、帰郷の喜びを表現した。
 会場で曽我さんは、他の人があいさつしている間、うつむきながらハンカチで何度も目頭を押さえ、おえつを漏らした。発言を求められると、涙をすすりながら、立ち上がり、あいさつした。
 「24年ぶりにふるさとに帰って来ました。とてもうれしい。今、わたしは夢を見ているようです。人々の心、山、川、谷、みんな温かく美しく見えます。
空も土地も木もわたしにささやく、お帰りなさいと。頑張ってきたねと。だからわたしもうれしそうに帰って来ました。本当にありがとう」。 (時事通信)
[10月17日18時3分更新]
7名無しさん@1周年:02/10/17 22:15
同行来日は「本人たちの希望」=朝鮮赤十字会の副書記長

 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に拉致された被害者5人の一時帰国に同行し来日した朝鮮赤十字会のリ・ホリム副書記長らは17日、日本赤十字社本社(東京)を訪問後、記者団に対し、
「本人たちの希望もあり、5人の便宜を図るため同行して来た」と述べた。 (時事通信)
[10月17日18時3分更新]
8名無しさん@1周年:02/10/18 08:49
帰国者5人、ふるさとに=父と涙の再会、遺影に報告−24年ぶり、実家で水入らず

 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に拉致され、一時帰国を果たした5人の被害者は17日午後、東京から家族に付き添われ、それぞれ新潟県や福井県に入り、
24年ぶりに郷里の土を踏んだ。地元の歓迎を受けた後、実家に帰って食卓を囲み、久しぶりに一家水入らずの一夜を過ごした。
 地村保志さん(47)と浜本富貴恵さん(47)夫妻は福井県小浜市で、同窓生や市長らの歓迎を受けた後、記者会見した。地村さんは「わたしたちの問題を、
日本の人は、自分の子供のように考えてくださり、ありがとうございました」とあいさつ。浜本さんは「信じられない。夢のよう」と述べた。
 地村さんは同市の実家に入り、今年4月に74歳で亡くなった母登志子さんの遺影を前に、「お母さん、帰ってきました」と手を合わせ、涙で報告した。
 蓮池薫さん(45)と奥土祐木子さん(46)夫妻は、新潟県柏崎市の市民会館で、友人らとの再会を喜んだ後、記者会見した。蓮池さんは「24年ぶりにふるさと柏崎の地を踏み感無量です。滞在中は親孝行したい」と語った。奥土さんは「感謝の気持ちでいっぱい」と話した。
 蓮池さんは実家で、両親や兄透さん(47)と食卓を囲み、昔話に花を咲かせた。奥土さんは、実家の前で待ち受けた同級生から花束を贈られると、感激の涙を流した。
 曽我ひとみさん(43)は、同県真野町(佐渡島)の実家に帰り、体が不自由なため外出を控えた父茂さん(70)と涙の再会を果たした。 (時事通信)
[10月18日0時16分更新]


9名無しさん@1周年:02/10/18 09:26
曽我ひとみさん、大粒の涙=「お帰り」、父の胸に−新潟・佐渡島

 「父ちゃん待っとった。お帰り」。曽我ひとみさん(43)は17日午後4時半すぎ、新潟・佐渡島の真野町にある実家に到着。車を降りた時から目を潤ませていたひとみさんだったが、父茂さん(70)と抱き合うと、声を上げて泣きじゃくった。
 足の具合が悪いため、佐渡島を離れられなかった茂さんだったが、背広を着て庭先でひとみさんの到着を待ち構えた。「よう来てくれよった、ありがとう」「良かった、良かった」と茂さん。
ひとみさんは言葉にならずに涙を流し続け、茂さんもはばかることなくおえつを漏らした。2人は長い空白を埋めるように抱き締めあった。 (時事通信)
[10月17日22時4分更新]
10名無しさん@1周年:02/10/18 10:12
拉致問題、「こんなに大きいとは」=地村さん夫妻会見−福井県小浜市

 「わたしたちの問題が、国内でこんなに大きくなっているとは知らなかった」。地村保志さん(47)と浜本富貴恵さん(47)夫妻は、福井県小浜市の市民体育館で記者会見。24年ぶりに実現した帰郷の感想を、込み上げる思いをかみしめるように語った。
 会見で地村さんは、「わたしたちはあちらで結婚して家庭を持ち、子供もできて幸せな生活をしていた」と切り出した。続けて、「(拉致)問題が明らかになり、帰国の問題が出た時も、わたしたちの問題は、人様に自慢することじゃないので、
日本政府の方に、(父親に)北朝鮮に来て相談してくれるよう頼んだ訳です」と、当初は帰国に消極的だったことを明かした。
 しかし、「日本政府から(父親が)待っているのだから、帰るのは当たり前と言われた」ことで、心変わりしたと説明した。 (時事通信)
[10月17日23時42分更新]
11U-名無しさん:02/10/18 17:51
国内板からきますた

We are REDS!!!!
12U-名無しさん:02/10/19 14:44
今日は試合があるから応援よろしこ
13U-名無しさん:02/10/20 14:35
ただいま首位独走中
共産党員も応援汁!
14名無しさん@1周年:02/10/20 15:55
革命軍軍報

 本日、革命軍所属の英雄的引きこもり同志>>1は満身の怒りを込め、2ちゃん
ねる人民抑圧掲示板に対する激烈なクソスレ立て攻撃を敢行、掲示板機能停止
の大戦果をもぎとった。この戦闘によって、未曾有のクソスレ拝見を強制された
2ちゃんねるファシストどもは呆れ返り、いきり立ち、畏れおののき、完全に戦意
喪失した。>>1が全人民の怒りをうけ叩きつけた威力絶大な攻撃を思い知れ。

 反動2ちゃんねらー―ファシストJ右翼反革命集団は、完全匿名・無料掲示板
「2ちゃんねる」にたむろし、「お前引きこもりだろ プ」「引きこもりは逝ってよし!」
等というおぞましき暴言を、掲示板が開設された一九九九年五月一六日からほ
ぼ一貫して組織的に執り行ってきた。日帝の搾取システムが生み出した精神的
被虐階級―引きこもりへの精神的暴力・精神的差別を加え、これを抹殺せんと
する許されざる謀議なのである。

 革命軍はこの歴史的大罪を絶対にゆるさない。帝国主義者に首輪をつけられ
た差別主義者どもには、怒りの階級的鉄槌をふりおろさねばならない。反革命
掲示板上での被抑圧階級(引きこもり)に対するあらゆる侮蔑・中傷・差別は、
>>1が実力で完全粉砕するであろう。日帝の走狗・極右反動2ちゃんねらーは、
いまや歴史的蓋然性の下、その解体・絶滅を明日にも待つ命運だ。

 >>1はきょうも、その打ち震える怒りをパソコンのキーボードに叩きつける。革命
戦争はあらゆる弾圧をはねとばし断固継続される。全引きこもりよ、加虐的抑圧
に対し猛然と叛乱・決起せよ!君たちの血路を切り開くべく、>>1は無制限・無制約
のクソスレ立て・コピペ荒らし・ブラクラ・自作自演闘争に突入することを宣言する。
歴史的勝利はたたかう革命的>>1、人民、引きこもりのものだ!
15名無しさん@1周年:02/12/03 16:50
hikihiki
16名無しさん@1周年
       人
      (__)プーン
     (__) 
    (____)
.    ヽ(`Д´) < ウンコ!ワーン 
     (____)
.      (/"ヽ)
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反戦、平和アクション http://peaceact.jca.apc.org/
日本消費者連盟 http://www1.jca.apc.org/nishoren/
許すな!憲法改悪、市民連絡会 http://www4.vc-net.ne.jp/%7Ekenpou/