不 破 議 長 が 北 京 で 講 演 (2002年8月27日)

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1ウンコ ◆ICQJaxBw :02/08/27 15:54
共産党不破議長が北京で講演
 【北京・共同】中国訪問中の日本共産党の不破哲三議長は27日、
北京の中国社会科学院で「レーニンと市場経済」をテーマに学術講
演をした。レーニンが1917年のロシア革命後に取り組んだ「社会主
義と市場経済」に関する問題について、自らの研究成果を同科学院
の研究者らに紹介した。

[共同通信社:2002/08/27 14:35]
http://newsflash.nifty.com/news/tp/20020827tp006.htm

2ウンコ ◆ICQJaxBw :02/08/27 16:00
首脳会談を中心に日本と中国、世界が当面する問題を話し合いたい
                 出発にあたり 不破議長があいさつ

 前回の九八年は、両党関係を正常化させた直後の訪問で、首脳会談で
いろいろなことを話し合いましたが、そのときに「今後、お互いのこと
を白紙で研究しあおう」と話したように、いわば初対面の関係でした。
今回は、四年間の交流を経た上での訪問で、江沢民総書記との首脳会談
を中心に、いろいろな分野の人々と意見交換ができると思います。そこ
で日本と中国、世界がいま当面している問題、また二十一世紀に直面す
るであろう問題について話し合いたいと思っています。

 社会科学院で学術講演をおこないますが、これは私の外国訪問では初
めてのことです。そこでは「レーニンと市場経済」というテーマを取り
上げますが、今年は中国が「社会主義市場経済」の方針を決定してちょ
うど十年となります。中国はそれを百年というスケールでとりくんでい
ます。

 われわれも一連の諸段階を経て社会主義に向かう展望をもっています
が、そのときには当然、「市場経済をつうじて社会主義へ」という展開
になるわけで、その意味ではここには世界的に共通の問題があります。

 レーニンはこの問題に最初にとりくんだ共産主義者でした。レーニン
をふり返りながら、現代への教訓を引き出したいと思っています。

 五日間、よく働いてくるつもりです。お見送りありがとうございまし
た。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik/2002-08-27/02_0102.html
3名無しさん@1周年:02/08/27 16:12
赤旗に出てたから みんな 知ってると思うYO
4名無しさん@1周年:02/09/18 21:50
<日朝首脳会談>平壌市民は援助期待 報道は拉致問題に触れず

 小泉純一郎首相と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の金正日(キムジョンイル)総書記の首脳会談から一夜明けた18日朝、北朝鮮の国内向けメディアは拉致問題には触れなかった。
平壌市民は拉致問題に対する日本の反発を知らないまま「日本の経済協力はいつごろから始まるのか」と国交正常化への期待を語っていた。【平壌で澤田克己】
5即アポコギャル:02/09/18 21:52
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6名無しさん@1周年:02/09/30 12:30
7名無しさん@1周年:02/09/30 13:43
この板の住人は不破さんの最近の研究は関心ないんか?
市場経済論とか、恐慌論とか。
8屑箱愛好会@ぶち切れモード ◆7Wpm.iX2 :02/09/30 14:35
>>7
 当面の必要(市場経済)を、原則にしていると思われ。ウォッチしがい
がある。
9名無しさん@1周年:02/09/30 14:46
>7 アプしてくれれば読むヨ(トカイウ
10名無しさん@1周年:02/10/03 16:25
1978年に新潟・佐渡島から北朝鮮に拉致され、生存が確認された曽我ひとみさん(43)が、政府調査団の聞き取り調査に証言した内容が、明らかになった。
曽我さんは連れ去られた時の状況について、「母親と買い物帰りに男3人が襲ってきて、口をふさがれ、袋に詰められて小さな船に乗せられた。川から海に出て、大きな船に乗り換えた」と話した。
また、北朝鮮にある工作員教育施設「招待所」で、77年に拉致された横田めぐみさん(失跡時13歳)と一緒に生活していた当時の様子も説明している。
証言によると、失跡当時、曽我さんは准看護婦として勤務していた病院の寮生活を送っており、土曜日だけ自宅に戻っていた。拉致された78年8月12日も土曜日で、帰宅した後、
夕食の材料を買うため、母親のミヨシさんと買い物に出かけた。午後7時か7時半ごろ、店を出ると、後ろから足音が聞こえたため振り返ると、男3人が並んでついてきた。
曽我さんと母親は道路沿いの大きな木のある家の前で、突然その男たちに襲われ、木の下に引きずり込まれた。口をふさがれて袋に詰め込まれ、担がれた。小さな船に乗せられて川から海に出て、沖で少し大きな船に乗り換えた。
北朝鮮北部の清津(チョンジン)とみられる港で下船後、車で2、30分かけて招待所に連行された。翌日午後5時ごろの汽車で平壌に向かい、翌朝に到着、小さな家の招待所に入った。
1週間後、別の招待所に行くと、横田めぐみさんがいた。2人で朝鮮語を勉強しながら約5か月間一緒に生活した後、別々の招待所に移された。
曽我さんは短期間で招待所を転々としていたが、3か月を過ぎたころ、横田さんと再会。7か月間ともに暮らしたが、横田さんはとても懐かしがっていたという。曽我さんが横田さんと最後に会ったのは80年の5月か6月。再会時とは異なる招待所で一緒になった。
2人は招待所の庭でバドミントンや卓球などをして遊んだ。横田さんは元気そうだったが、たまに泣いたこともあったという。
11名無しさん@1周年