1 :
名無しさん@1周年:02/06/27 05:17
だれか詳しく教えて。
2 :
名無しさん@1周年:02/06/27 05:25
同和の精神は、東亜に平和をもたらす。
八紘一宇は、同和の精神
同和なんて、知らなきゃ知らねえほうがいいんだ。
へたに知ってしまうと、妙な偏見を持ってしまうおそれもあるからな。
寝た子を起こすんじゃねえよ。
4 :
部落解放同盟解放理論センター:02/06/27 07:14
全解連は、国民融合論で、部落差別の存在を否定し、あまつさえ煽動さえしてくる
集団です。差別は、差別するものとこれを告発するものとの交渉が第一歩です。
全解連は、こうした糾弾権そのものを暴力主義と煽動し、差別そのものの実体を隠蔽
します。これでは解放ではありません。融和です。即刻解放という名前を返上すべきです。
全和連という名前にすべき代物です。
5 :
部落解放同盟解放理論センター:02/06/27 07:17
共産党の路線民主民族二段階革命路線に規定された、全解連の理論は、解放の論理ではありません。
本来社会主義を自称されるのならば、解放組織を自称されるのならば、どうして融合してかちとれるのでしょうか?
差別への相互批判こそが止揚の第一歩なのに。
これをしない融合だけでは、何の解放の何値しません。
6 :
名無しさん@1周年:02/06/27 07:18
訂正 何の解放の何 何の解放の名に
相互批判ねぇ・・・
なぜ一方的な批判と思われているんだろうか?
この間、3時のイップクのとき地元のヤクザの話をしていたんだ。
そんな中で1人の名前が出てきた。他の人がその人はヤクザじゃないという。
彼曰く「その人はヤクザじゃない、同和だ」と。
同和っていうのはやくざより恐い。かかわり合いにならない方がいい。
そんな話になった。
俺は一言いいたいこともあったけどオヤジに止められているんだよね。
お前が何か言うと場のあうんの呼吸を乱すって。
俺の実生活をどうの書いていたやつが居たが当たっているんだ、クヤシイが。
でも、彼らのノーテンキな差別観は俺を楽しませてくれる。
彼らに差別者としての罪悪感がないのが俺は嬉しい。
だけど、ホントに俺たち差別者が差別と戦う者と「相互に」語り合える日は来るんだろうか?
相互批判どころか
怖がられているんだよ。
かかわり合いになりたくないと思われているんだよ。
それが解放の第一歩なのか?
8 :
名無しさん@1周年:02/06/28 01:43
同和火災という損害保険会社は関係団体?
9 :
名無しさん@1周年:02/06/28 02:08
>>8 8に、アホと言ったら障害者差別
バカ(馬鹿)と言ったら部落差別
だが、寝た子を起こすのは賛成!
10 :
名無しさん@1周年:02/06/29 20:53
ばか
11 :
名無しさん@1周年:02/06/30 00:01
全国自由同和会
全国部落解放運動総連合会
部落解放同盟
12 :
名無しさん@1周年:02/06/30 00:12
全自同=自民党支持
全解連=共産党支持
13 :
名無しさん@1周年:02/06/30 14:18
自民党の野中某は、全自同とやらに入っていたのだろうか。
14 :
名無しさん@1周年:02/06/30 15:00
同和問題とは「人権」利権争いです。全解連=共産党もオコボレを貰っていましたが、そのくせ解同を叩いて票まで頂戴しているんだからかなりのタマだね。最近は
一切利権に手を出していないようだが。中核派=解同全国連は解同の穏健な利権擁護に飽き足りず、「もっと利権くれ!」という部落民の要望を背景に、国民
の「部落怖い」意識を徹底的に利用し糾弾闘争を継続しようという団体。解同は近年は上の通り穏健な利権維持路線。しかしこれではアレだけの組織を維持していく
ことはムズカシイ。金脈を模索中というところだろう。
15 :
名無しさん@1周年:02/07/01 02:18
おまえらは似非同和についてどう思っているの?
16 :
名無しさん@1周年 :02/07/01 03:29
昔から変化無いのが、なぜだろう。
>15
>おまえらは似非同和についてどう思っているの?
俺に質問しているわけではないから無視していたけど・・・
問題は同和は金になるって事だよ。
「差別」ってのはめんどくさい。
金で済むことなら金で済まそう。
そこに彼らの存在する余地がある。
だけどメンドクサイって部分をいい加減にしてきたことで
彼ら「似非同和」の存在を赦してきたんだ。
「差別」ってものを考えてこなかった結果だね。
悪いけど「差別」はなくならないよ。
金払っても臭いものにフタをしたいと考える人達のことを
もっと真面目に考えるべきだったんだ。
18 :
名無しさん@1周年:02/09/21 11:45
?
19 :
名無しさん@1周年:02/10/07 23:02
1:速報:02/10/04 15:40 ID:ooepz3rn
東久留米市の篠原重信市議(共産)が、市民に運動会で国旗を掲揚した
市立六小校長の自宅へ抗議文書を出すよう呼びかけていた問題は
「主義主張のためなら他人の人権を侵害してもかまわない」という市議の
身勝手な姿勢を浮き彫りにした。識者からは「教育現場への不当な
政治介入で個人攻撃を煽(あお)るやり方は許されない」と議員としての
資質を問う声も出ている。
文部科学省の学習指導要領などは「学校行事においてはその意義を
踏まえ国旗を掲揚する」と明記している。
六小では昨年まで国旗を正門に掲揚していたが、今年は新しく赴任した
今直樹校長の方針で国旗掲揚を式次第に入れ、君が代のテープ伴奏と
ともに実施。教員らは異を唱えたが、最終的に校長判断で行われた。
都教育庁によると、運動会での国旗掲揚も今回の六小だけでなく都内の
多くの小中学校で実施されており、六小同様、式次第に入れて掲揚している
学校もあるという。
篠原市議はこの今校長の正当な職務行為に反発。自分の活動報告ビラの
中で「国民の間で評価の分かれていることを強制し押し付けた。基本的人権を
侵害するもの」と批判し、「抗議と要請先」として、今校長の自宅住所と名前を
掲載した。今校長の自宅には200通以上もの抗議文書が組織的に
送り付けられた。
多摩地区のある小学校長は「校長の自宅を掲載してまで抗議を煽った
市議の行為こそが人権侵害にほかならず、悪質極まりない」と話す。(以下略)
( ´D`)ノ<引用元:Sankei Web(産業経済新聞社)
http://www.sankei.co.jp/edit/kenban/tama/html/kiji01.html ※5日以降はこのソースが見られなくなる可能性があるれす。
依頼:
http://news2.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1033437089/690ほか
1:速報:02/10/04 15:40 ID:ooepz3rn
東久留米市の篠原重信市議(共産)が、市民に運動会で国旗を掲揚した
市立六小校長の自宅へ抗議文書を出すよう呼びかけていた問題は
「主義主張のためなら他人の人権を侵害してもかまわない」という市議の
身勝手な姿勢を浮き彫りにした。識者からは「教育現場への不当な
政治介入で個人攻撃を煽(あお)るやり方は許されない」と議員としての
資質を問う声も出ている。
文部科学省の学習指導要領などは「学校行事においてはその意義を
踏まえ国旗を掲揚する」と明記している。
六小では昨年まで国旗を正門に掲揚していたが、今年は新しく赴任した
今直樹校長の方針で国旗掲揚を式次第に入れ、君が代のテープ伴奏と
ともに実施。教員らは異を唱えたが、最終的に校長判断で行われた。
都教育庁によると、運動会での国旗掲揚も今回の六小だけでなく都内の
多くの小中学校で実施されており、六小同様、式次第に入れて掲揚している
学校もあるという。
篠原市議はこの今校長の正当な職務行為に反発。自分の活動報告ビラの
中で「国民の間で評価の分かれていることを強制し押し付けた。基本的人権を
侵害するもの」と批判し、「抗議と要請先」として、今校長の自宅住所と名前を
掲載した。今校長の自宅には200通以上もの抗議文書が組織的に
送り付けられた。
多摩地区のある小学校長は「校長の自宅を掲載してまで抗議を煽った
市議の行為こそが人権侵害にほかならず、悪質極まりない」と話す。(以下略)
( ´D`)ノ<引用元:Sankei Web(産業経済新聞社)
http://www.sankei.co.jp/edit/kenban/tama/html/kiji01.html ※5日以降はこのソースが見られなくなる可能性があるれす。
依頼:
http://news2.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1033437089/690ほか
<拉致被害者>帰国の5人 四半世紀ぶりにそれぞれの故郷へ
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の拉致事件で、24年ぶりに日本に帰国している5人が17日午前、東京都内のホテルからそれぞれの故郷へ向かった。異国で苦難の人生を歩んだ5人は、四半世紀ぶりに故郷の土を踏む。
◆蓮池薫さん(45)と奥土祐木子さん(46)
ホテルのロビーで、2人は落ち着いた表情で寄り添い、午前9時半ごろ、バスに乗り込み東京駅へ向かった。
新潟県柏崎市にある蓮池さんの実家の近所に住む建具店経営、高橋睦男さん(70)は「かおちゃんは、よく遊びにきた。素直な子だった」と再会を待つ。
奥土さんは化粧品店の店員だった。当時の元女性店主(65)が「これからデート」と店を出た奥土さんを見送ったのが、拉致された78年7月31日だった。
◆地村保志さん(47)と浜本富貴恵さん(47)
午前8時半、バスで羽田空港へと向かった。
母と志子さんに「かあちゃん、ドライブに連れて行ってやろ」と声をかけるなど、母親思いだった地村さん。しかし、その母は今年4月、74歳で世を去った。
浜本さんは8人兄弟の末っ子。地村さんとの結婚が決まり、花嫁衣装を注文した後の78年7月7日、地村さんとともに拉致された。
◆曽我ひとみさん(43)
午前9時半にホテルを出発。やや硬い表情だったが、妹の金子富美子さん(37)に付き添われ、花束をしっかり抱いていた。
看護師を目指していた曽我さん。「障害を持つお父さんの存在があったのでは」と中学時代の担任教師は言う。(毎日新聞)
[10月17日11時20分更新]
<拉致被害者>有本恵子さんの母、生存の希望強める
有本恵子さん(行方不明時23歳)の母嘉代子さん(76)は、帰国者の話から恵子さんが88年11月、就寝中に石炭ガスストーブの一酸化炭素中毒で「死亡」とされた点について不審を感じ、恵子さん生存の希望を一層強めた。
嘉代子さんは、地村保志さん(47)、浜本富貴恵さん(47)夫妻に「向こう(北朝鮮)ではどういう暖房をしていましたか」と切り出した。地村さんは「床下に湯を通して暖かくする。
燃料がない場合は、外で火をたいてその熱風を家の中に入れる」と説明。さらに「石炭を使うことはあるか」と尋ねると、浜本さんが「まあ、使うことはありません」と答えたという。結局、石炭の話は一切出なかった。
蓮池透さんは弟薫さんの詳細な説明に「変だな」と感じた。透さんが「石炭ストーブによるガス中毒はあり得るのか」と聞くと、郊外では石炭を使って暖房することを床の構造まで持ち出し、
説明したという。平壌で暮らす薫さんに「郊外の状況は分からないはず」(透さん)なのに、「床にヒビが入ってガスが漏れれば死ぬこともある」と、念入りに話したという。
79年9月に海水浴場で水死したとされる市川修一さん(同23歳)の兄健一さん(57)は、北朝鮮では何月まで海水浴できるのかを尋ねた。
帰国者の1人は「9月はほとんど海水浴はしていない。(8月の)15日までですね」と答えたという。健一さんは「報告書はうそと分かった」と話した。(毎日新聞)
[10月17日0時21分更新]
<拉致被害者>一時帰国の5人 懐かしい故郷に到着
北朝鮮の拉致事件で、24年ぶりに日本に帰国している5人が17日午前、東京都内のホテルを出発、それぞれの故郷へ向かった。
JR東京駅や羽田空港では、中山恭子・内閣官房参与らが見送った。曾我ひとみさん(43)は、午後2時半すぎ、故郷・佐渡島の佐渡空港に到着。蓮池薫さん(45)と奥土祐木子さん(46)も、
同2時50分すぎ、故郷である新潟県柏崎市の市役所にバスで到着した。地村保志さん(47)と浜本富貴恵さん(47)は、小松空港(石川県)から小浜市に入った。市内中心部にある市民体育館に同3時40分ごろ到着し、同級生ら地元の人たちに大きな拍手で迎えられた。
◆蓮池薫さんと奥土祐木子さん
JR東京駅から上越新幹線に乗った2人は、午後0時16分、曽我ひとみさん(43)とともに新潟駅に到着した。
新潟県柏崎市にある蓮池さんの実家の近所に住む建具店経営、高橋睦男さん(70)は「かおちゃんは小さいころ、よく遊びにきた」と再会を待つ。奥土さんは化粧品店の店員だった。
当時の元女性店主(65)が「これからデート」と店を出た奥土さんを見送ったのが、拉致された78年7月31日だった。
◆地村保志さんと浜本富貴恵さん
正午、石川県の小松空港に到着。この後、バスで故郷の福井県小浜市入りした。母と志子さんに「かあちゃん、ドライブに連れて行ってやろ」と声をかけるなど、母親思いだった地村さん。
しかし、その母は今年4月、74歳で世を去った。浜本さんは地村さんとの結婚が決まり、花嫁衣装を注文した後の78年7月7日、地村さんとともに拉致された。
◆曽我ひとみさん
妹の金子富美子さん(37)に付き添われ、午前9時半にホテルを出発。見送る人に笑顔も見せ、贈られた花束をしっかり抱いていた。
看護師を目指していた曽我さん。「障害を持つお父さんの存在があったのでは」と中学時代の担任教師は言う。
(毎日新聞)
[10月17日17時11分更新]
拉致被害者>増元るみ子さんの父が死去
北朝鮮に拉致され「死亡した」と伝えられた鹿児島出身の増元るみ子さんの父正一さんが17日午前1時46分、肺がんのため鹿児島市の病院で亡くなった。79歳だった。娘との再会を信じて病気と闘ってきたが、願いはかなわなかった。
拉致被害者5人が24年ぶりに帰国中で、残された親族は、亡き父の枕元に拉致事件の真相解明を誓った。
葬儀は19日、鹿児島県姶良町宮島町宮島斎場新館。喪主は妻信子さん。
二女るみ子さんは78年8月、鹿児島県吹上町の吹上浜で市川修一さんとともに姿を消した。正一さんは早くから北朝鮮に拉致されたと訴え、
97年、横田めぐみさんら5人の拉致被害者の家族と「拉致被害者家族連絡会」を結成。信子さんとともに街頭に立って署名を集めるなど、国に早期解決を求めてきた。
9月初めに入院するまでは毎日、自宅の床の間に飾った振り袖姿のるみ子さんの写真に「今どうしてる。生きているのか」と語りかけていた。るみ子さんが愛用していた琴の手入れも欠かさなかった。
9月17日の日朝首脳会談後、病床でるみ子さんの「死亡」を伝えられても「るみ子はまだ生きている」と繰り返した。時に夢を見たのか「るみ子は市川君と子供と暮らしている。おれは2人の関係をまだ許しとらんのだが」と苦笑することもあった。
しかし今月11日以降は意識が遠のいた。16日夜には、二男で拉致被害者家族連絡会事務局次長の照明さんも東京から駆けつけ、親族ら6人がベッドを囲んだ。
照明さんは耳元で「心配せんでよかど。姉貴は絶対生きてるから」と声を掛け続けたが、意識は戻らなかった。
長女のフミ子さんは「妹に会いたい気持ちが力になり、医師も驚くほど病気と闘った。最後まで頑張った父をほめてあげたい」と声を震わせた。照明さんは「父が果たせなかった分まで事件の真相解明のため頑張りたい」と語った。
同行来日は「本人たちの希望」=朝鮮赤十字会の副書記長
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に拉致された被害者5人の一時帰国に同行し来日した朝鮮赤十字会のリ・ホリム副書記長らは17日、日本赤十字社本社(東京)を訪問後、記者団に対し、
「本人たちの希望もあり、5人の便宜を図るため同行して来た」と述べた。 (時事通信)
[10月17日18時3分更新]
帰国者5人、ふるさとに=父と涙の再会、遺影に報告−24年ぶり、実家で水入らず
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に拉致され、一時帰国を果たした5人の被害者は17日午後、東京から家族に付き添われ、それぞれ新潟県や福井県に入り、
24年ぶりに郷里の土を踏んだ。地元の歓迎を受けた後、実家に帰って食卓を囲み、久しぶりに一家水入らずの一夜を過ごした。
地村保志さん(47)と浜本富貴恵さん(47)夫妻は福井県小浜市で、同窓生や市長らの歓迎を受けた後、記者会見した。地村さんは「わたしたちの問題を、
日本の人は、自分の子供のように考えてくださり、ありがとうございました」とあいさつ。浜本さんは「信じられない。夢のよう」と述べた。
地村さんは同市の実家に入り、今年4月に74歳で亡くなった母登志子さんの遺影を前に、「お母さん、帰ってきました」と手を合わせ、涙で報告した。
蓮池薫さん(45)と奥土祐木子さん(46)夫妻は、新潟県柏崎市の市民会館で、友人らとの再会を喜んだ後、記者会見した。蓮池さんは「24年ぶりにふるさと柏崎の地を踏み感無量です。滞在中は親孝行したい」と語った。奥土さんは「感謝の気持ちでいっぱい」と話した。
蓮池さんは実家で、両親や兄透さん(47)と食卓を囲み、昔話に花を咲かせた。奥土さんは、実家の前で待ち受けた同級生から花束を贈られると、感激の涙を流した。
曽我ひとみさん(43)は、同県真野町(佐渡島)の実家に帰り、体が不自由なため外出を控えた父茂さん(70)と涙の再会を果たした。 (時事通信)
[10月18日0時16分更新]
拉致問題、「こんなに大きいとは」=地村さん夫妻会見−福井県小浜市
「わたしたちの問題が、国内でこんなに大きくなっているとは知らなかった」。地村保志さん(47)と浜本富貴恵さん(47)夫妻は、福井県小浜市の市民体育館で記者会見。24年ぶりに実現した帰郷の感想を、込み上げる思いをかみしめるように語った。
会見で地村さんは、「わたしたちはあちらで結婚して家庭を持ち、子供もできて幸せな生活をしていた」と切り出した。続けて、「(拉致)問題が明らかになり、帰国の問題が出た時も、わたしたちの問題は、人様に自慢することじゃないので、
日本政府の方に、(父親に)北朝鮮に来て相談してくれるよう頼んだ訳です」と、当初は帰国に消極的だったことを明かした。
しかし、「日本政府から(父親が)待っているのだから、帰るのは当たり前と言われた」ことで、心変わりしたと説明した。 (時事通信)
[10月17日23時42分更新]
母・と志子さんの墓前で手を合わせ 地村さん浜本さん
福井県小浜市に里帰りした地村保志さんと浜本富貴恵さん夫妻は、それぞれの実家で親族や知人に囲まれて一夜を過ごした。十八日午前中は、そろって地村さん宅近くの墓参りするなど、のんびりとした朝を過ごした。
夫妻は、午前十一時過ぎに地村さん方から歩いて今年四月に七十四歳で亡くなった母・と志子さんが眠る墓地に向かい、墓前に手を合わせた。
地村さんは今年九月に母の死を聞かされたが、と志子さんの死が信じられず、羽田空港にと志子さんが迎えに来ていると考えていたという。
二人は、二十四年前に結納を済ませていたが、北朝鮮へ拉致され、これまで地村家の墓前に、結婚を報告することはかなわなかった。夫妻は墓前で、北朝鮮で結婚して子供が三人いることなど、空白の歳月を語り掛けているようだった。
地村さんの父保さん(75)は前日の会見で「北朝鮮の子供たちが日本に戻り、一家がそろってから披露宴や結婚式、婚姻届の提出をさせたい」との期待を話している。
地村さんは前夜は、兄の広さん(49)と二人で朝の六時ぐらいまで徹夜で話し込んでいたという。保さんは「帰国直後よりも、本人は落ち着いてきた。笑顔も増え、なじんできたのか、ようしゃべるようになった」と話していた。
(京都新聞)
[10月18日12時42分更新]
<拉致被害者>「毎日泣いた」拉致直後の心境語る 浜本さん
小浜市に帰郷した浜本さんは、17日夜に実家で開かれた宴席で、北朝鮮に拉致された直後の心境について、「毎日泣いて日本に帰りたいと思っていたが、ある時、プツンとふっ切れた」と、
訪れてくれた友人らに打ち明けた。ふっ切れた後は「前向きな考えになり、朝鮮語の勉強を始めた。自分の生きる道はここしかないと思った」という。
さらに、浜本さんは友人らに、北朝鮮でお見合い相手として何人かの男性を勧められていたが、地村さんと結納を交わしていたため、断っていたことも明らかにした。結局、1年4カ月ぶりに地村さんと再会。その日のうちに結婚したという。
生活ぶりについては「今の生活は子どももいて、家族のきずなが生まれ、幸せに暮らしている」と語り、友人は「満足している様子だった」と話した。
浜本さんは78年7月7日、婚約中の地村さんと小浜市の展望台で拉致され、北朝鮮に連れて行かれた。2人は招待所と呼ばれる別々の施設で暮らしていたという。互いに「相手は日本に帰った」と聞かされていた。(毎日新聞)
[10月18日14時10分更新]
<拉致被害者>地村、浜本さんの子供、両親が日本人とは知らず
福井県小浜市に帰郷した地村保志さん(47)と浜本富貴恵さん(47)の3人の子どもは、日本人であることを知らないうえ、今回の2人の帰国についても明かされていないことが18日、明らかになった。
「子どもたちが(北朝鮮に)いるから10日間くらいで帰りたい」と、歓迎ムードに沸く中、家族らに揺れる親心を吐露したという。
浜本さんは、帰国の際に「子どもたちには、ちょっと旅行に行く」とだけ言い残して日本に向かったことを友人に打ち明けた。子どもたちは両親が日本人であることを知らないという。
浜本さんの関係者によると、「お前らは拉致されたのだから、みんなとうちにおってもらいたいんや」と、身内から永住帰国の意思を尋ねられたが、答えはなかった。
しかし、今回の一時帰国については「(予定通り北朝鮮に)帰りたい」と話したといい、兄雄幸さん(73)に「わしは24年間辛抱してるんや」と諭されると、口をつぐんだという。
一方、地村さんの父保さん(75)によると、地村さんは拉致問題に関して「子がおるので、はっきりしたことはいいにくい」と話した。保さんは「それは当然やろ」。
地村さんは帰国した拉致被害者5人について「今月27日に東京に集合し、翌28日に(北朝鮮へ)帰る」と保さんに説明したという。 【渡辺暖、久田宏】(毎日新聞)
[10月19日0時11分更新]
31 :
名無しさん@1周年:02/10/19 22:49
32 :
名無しさん@1周年:02/10/20 15:33
人権板に逝け。
板違いなので
★★★★★ 終了 ★★★★★
33 :
名無しさん@1周年:02/10/20 16:22
34 :
名無しさん@1周年:02/12/03 16:51
doudou
35 :
名無しさん@1周年: