大月書店「カールとローザ」

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『ディ・ローテ・ファーネ』からは燃えるようないぶきが吹きつけてきた。『ディ・ローテ・フ
ァーネ』はローザ・ルクセンブルクその人であった。彼女の協力スタッフは少数だったし、その
上、協力者はみなまだ他の革命的闘争の部署についていた。そこで仕事の重荷は主としてローザ
・ルクセンブルクの肩にのしかかってきた。十分に武装した熱情的なこの革命戦士はこの新聞を
独特の特色あるものにした。
 カール・リープクネヒトは、むしろ話しことばではたらきかけ、集会とデモで活躍した。大衆
が感じていること、苦悩と願望となって大衆を動かしていること、それを彼は表現し、それを意
志の目標としてさし示した。疲れをしらぬ彼は、革命と国際社会主義の旗をかかげて先頭に進ん
だ。謀殺されたこの二人が革命の二ヵ月間に果たしたことは、明らかに、とても信じられないこ
とであり、常人には不可能なことであった。編集の仕事をし、ビラをつくり、演説をし、デモに
参加したうえに、ほとんど絶え間なく組織や団体の会議や集会、個々の人たちとの談合、事務上
の用件、その他まだ多くのしごとがあった。それは夜中までも、ひるのつづきの仕事にあてなけ
ればならないほど、熱っぽい、心身をやきつくすような激忙であった。というのは、それは大旋
風のように続発する事件、電光のように迅速に展開する革命的状況の命令だったからだ。この上
なく誠実な友情を抱いている人々がローザ・ルクセンブルクのために、また高潔な妻がカール・
リープクネヒトのために用意してくれた、くつろいだ家庭で休むことも、一息いれることも、彼
らにはできなかった。そこへ到る道をいかせないようにこの闘士たちをさえぎったのは、彼らに
課せられた重大な義務だけでなく、二人を殺害しようとする敵どもの憎悪でもあった。状況が流
血の市民戦となって爆発するよりもずっとまえ、ほとんど革命の最初の日から、彼らを殺すこと
を誓った狂信者どもは彼らを狙っていた。彼らは毎日のように住居をかえて、住所不定の逃亡者
のような生活をおくらなければならなかった。彼らは謀殺によって倒れてしまうまでは、断じて
くたばらなかった。逆に、彼らにたいする挑戦が激しくなるとともに彼らの力はますます強くな
った。これはあの「奇蹟」の一つである。この奇蹟こそはもっとも強い、もっとも純粋な革命的
情熱が、信念にたいする最高の誠実が、怒濤のような革命の雰囲気のなかでうみだすものなのだ。

 カール・リープクネヒトとローザ・ルクセンブルクが世界戦争中と二ヵ月にわたる革命のあい
だにプロレタリアートの解放のためになしとげたことを、不完全でも、かいつまんで回顧するこ
とは、敬愛する死者と生者にたいする義務であると私には思われた。彼らの活動の多くは、残念
ながら、あまりにも多くの人たちに知られないままである。しかし彼らの活動こそはきわめて堅
固な確信の力と、行動をもとめる献身的な意志の力を、模範としてかがやかしくホしている。戦
争の勃発とともにたたかう国際社会主義者たちにはじまった苦難の時代について、要点だけでも
のべておくことにしよう。
カール・リープクネヒトは社会民主党のもっとも熱烈な、もっとも高く評価された演説者、ァ
ジテ,ターの一人であった。帝国議会とブ,ロイセン衆議院の議員だった彼は終始議会主義の限界
を知っていたし、自分の主な任務は「高い建物」の窓から大衆にむかって話しかけることだと考
えていた。この一五年間、社会民主主義の陣営内で原則や戦術や闘争手段をめぐってたたかわさ
れた論争でも、波は左翼の信奉者としてずはぬけた働きをした。ドイツおよび国際社会主義青年
運動にゆたかな刺激と、行動力ある励ましをあたえたのはじつに彼であった。彼はプロレタリア
階級闘争をおびやかす軍国主義の危険を、社会民主党の多くの指導者たちよりもはるかにはっき
りかつ鋭く認識していた。そしてその危険を、青年のあいだに計画的な反軍国主義的宣伝をおこ
なうことによって、阻止することを要求した。彼自身の反軍国主義的アジテーションのために、
彼は大逆罪で起訴されるにいたった。この訴訟はドイツの階級裁判の歴史における汚辱の一ペー
ジであり、リープクネヒトにたいする一年半の要塞禁固の判決で幕をとじた。一九一四年以前の
数年間、彼も帝国主義に反対する闘争の最前列にたち、大衆にむかって、せまりくる世界戦争の
危険にたいして守りにつくよう呼びかけた。
 ローザ・ルクセンブルクの方はどうであったか。彼女は一八歳になるかならないうちに、革命
的な信念のためにロシア領ポーランドの故郷からスイスへ逃がれなければならなかった。社会科
学、とくにあらゆる国々の科学的社会主義の最良の文献を徹底的に広範に研究するかたわら、彼
女は燃えるような熱意をもって、いくつもの方向に分裂していたポーランドの若い社会主義運動
に参加した。ローザ・ルクセンブルクは、彼女持ち前のエネルギーと明快さをもって、小ブルジ
ョア的、民族主義的、半ば無政府主義的な諸潮流を国際社会主義によって克服するためにたたか
った。彼女のすぐれた精神と性格の力によって、まもなく彼女はある人々からは尊敬され、他の
人々からは侮辱され憎まれる、もっとも影響力の強い指導者の一人となった。彼女の歴史観から
すれば、社会主義のために次の決定的大戦闘をたたかうのは、ドイツ・プロレタリアートであっ
た。彼女は熱い革命的な心情にかられて、この戦闘を準備し戦闘に参加した。
 彼女がドイツ国内に足を踏みいれてからは、猛烈にねばり強く日和見主義的、修正主義的なあ
らゆる潮流に心身を傾けてたちむかった。彼女は革命的活動とそれにふさわしい戦術のために、
新聞で、集会で、党大会でたたかった。敵味方いりみだれての混戦のさなかでローザ・ルクセン
ブルクがたたかって決着をつけなかったような大きな論争問題は一つとしてなかった。彼女は党
大会でも、また彼女がアジテークーとして入っていった国内の大衆のあいだでも、聴くものに耳
をかたむけさせた。
 一九〇五年にロシア帝国でプロレタリアがツァーリズムと資本主義にたいして闘争にたちあが
ったあと、ローザ・ルクセンブルクはこの闘争に参加することが心の命ずるところであり、幸福
であると感じた。困難と危険をおかして彼女はワルシャワへ急ぎ、そこでの身をやきつくすよう
な数ヵ月の活動ののち、勝ちほこる反革命の犠牲となっていとわしい要塞禁固に移された。彼女
は逃亡して、さらに悪い運命から身をまもった。フィンランドとロシアの国境の、ベテルスブル
クの近くにひそんで、ドイツに帰れるようになるまで活動をつづけた。ドイツにかえるとさっそ
く、ふたたび以前のよろこぼしい闘争に突入していった。彼女の生涯をかけた仕事と同じく、彼
女の影響も国際的であった。ローザ・ルクセンブルクは第二インタナショナルのなかでその発言
を重くみられた指導者であった。
 この無味乾燥な報告は、カール・リープクネヒトとローザ・ルクセンブルクのゆたかな美しい
人間味を明らかにするには、何と無力であることか。しかし社会主義の二人の前衛戦士はこの人
間味から彼らの最良の力を引きだしてきたのであり、彼らの活動に輝きと色彩と温かみを与えた
ものこそ、この人間味にほかならなかった。カール・リープクネヒトは彼の偉大な父にふさわし
い息子であるた。この父は先頭にたって突進しつつ「革命の一兵士」であること以外に、いかな
る名声も求めなかった人であった。カールは英雄的に先頭に立って突進する革命の兵士であった。
彼は天成の闘士のもつ、すばらしく激しい、あふれ出るような気質、決活で愉快な冒険心、強情
な忍耐力をもっていた。彼のなかにはむかしの信仰告白者の血が脈うち、山をも移す信念があっ
た。敵の世界に抗して単身立ちむかう、誇りたかい勇敢さは彼独特のものであった。彼は危険や
犠牲をも恐れることなく、中傷や誹謗にもいっさい耳をかさなかった。彼は自分の信念のために
地位も生命も投げうつことを、しごくあたりまえのことと感じていた。彼は父と同じように、ス
パルタ人的無欲と素朴の人であり、それでいて他人にたいする親切にあふれていた。たたかうこ
とさえできれば、カール・リープクネヒトはそれ以外にまったくなんの欲求もなかった。闘争こ
そ、彼には生きるよろこびであり、不老不死の力をあたえる神々の食物であった。
 どこまでも騎士らしい性質のこの人は、どんな不正にたいしても自分の怒りを燃えたたせた。
そして彼はいつでもよろこんで弱い者、不利益を被った者、踏みにじられた者たちのことがらを、
つねに自分自身のことがらとして弁護する用意があった。
 ローザ・ルクセンブルクはまれにみる意志の人であった。きびしい自制心が、彼女の本質の燃
えあがる炎を内面にかくし、外目には沈着冷静のおおいの陰に押しこめた。自分自身を制するこ
とによって、彼女は他の人たちを教育し指導することができた。彼女の感じやすい性質は外から
の攻撃から彼女を保護する防御物を必要とした。冷たく自分の中に閉じこもる見かけが、ほかな
らぬ繊細で深くゆたかな感情生活をおおいかくした。この感情生活は人間にとどまることなく、
むしろ生きとし生けるもの、世界全体をかたく結ばれた一体として捉えたものであった。彼女の
友情は誠実、献身、自己犠牲、やさしい配慮そのものであった。「近よりがたい狂信者」の彼女
が、友人仲間の集まりでは活気と才気をまきちらす、魅力ある話し相手だった。小柄で病身なが
らローザは類いないエネルギーの権化であった。彼女はどの瞬間にも自分自身にたいして最高の
ものを要求し、それを受けとった。彼女は過労でいまにもくずおれそうになったときにはいつも、
いっそう大きな仕事を果たすことで「休養」した。仕事とたたかいのときこそ、彼女の翼《つば
さ》は大きくひろがったのである。

 謀殺された人のための哀悼は告発となる。われわれは、十分準備した計画に従ってカール・リ
ープクネヒトとローザ・ルクセンブルクを殺した反革命家どもを告発する。残虐にも殺された者
の血潮がエーベルト、シャイデマン、ランツベルク、ノスケらの魂にこびりついている。われわ
れはこれを告発する。彼らは行為と不作為の罪によって内戦をひきおこしたのだ。彼らはカール
・リープクネヒトとローザ・ルクセンブルクの謀殺にいきつくほかない雰囲気をみずからつくり
だし、またひとにつくりださせたのだ。シュタンプファーとその一味が、毎日スパルタクス同

員を下劣な犯罪者であると中傷したこと、ローザ・ルクセンブルクとカール・リープクネヒトは
強盗や人殺しの頭目で、公安を害する危険人物だといいふらして、脅威を感じた有産者の怒りを
操ってこの二人にむけたこと、こうしたことに親分として手をかしたのは彼らなのだ。彼らは、
カール・リープクネビトとローザ・ルクセンブルクを殴り殺せ! カール・リープクネヒトとロ
ーザ・ルクセンブルクを街燈につるせ! と扇動した数十万枚のビラのばらまかれるのを大目に
みていたのである。
 エーベルトとシャイデマンらは謀殺の責任は自分にはないと、あらゆる法律的きまり文句をつ
かって誓言するがよかろう。彼らは恥ずべき事件を良心的に調査することを命じ、有罪者の厳罰
を約束するがよかろう。しかし彼らは身の毛もよだつ謀殺にたいしてどこまでも責任がある。ア
ラビアのどんな香料を用いても、マクベス大人の小さい手からバンコーの血を洗いおとすことが
できなかったように、この者どもの反革命のこぶしには謀殺された者の血が永久にこびりついて
とれないであろう。そしていつかは彼らの栄光ある政府がこの血のなかで窒息する時がくるであ
ろう。
 人殺しの手は炎のような戦士の肉体を打ち殺せただけだ。謀殺された者たちは死んではいない。
彼らの心臓は歴史の中で鼓動しつづける。彼らの精神はこの暗くても、希望のなくはない日々を、
遠くかなたまで照らしている。プロレタリアートはカール・リープクネヒトとローザ・ルクセン
ブルクがことばと行いで、生命をかけた仕事と実例で、プロレタリアートのためにあとにのこし
てくれたゆたかな遺産を受けつぐであろう。謀殺された人々は生きている。彼らは未来の勝者と
なるであろう。彼らのしかばねから、彼らのために報復する者が、革命を押しすすめ完成する者
が、よみがえるであろう。

          『ローザ・ルクセンブルクとカール・リープクネヒト』、クララ・ツェト
キン演説著作選集、第二巻、ヂィーツ出版社、ベルリン、一九六〇年
          はじめ『ライプツィヒ人民新聞』一九一九年二月三日号に発表
  年譜

1871年
 3月5日
 ローザ・ルクセンブルク,ザモシチ(ロシア頭ポーランド)に生まれる.
 8月13日
 カール・リープクネヒト,ライプツィヒに生まれる.

1887年
 ローザ・ルクセンブルク,革命的・社会主義的なポーランド社会革命党のワルシャワ・グルー
プのメンバ一となる.

1889年
 ローザ・ルクセンブルク,ツァーリの憲兵の逮捕の手がのびてきたので,これをのがれるため
ポーランドを去り,スイスのチューリヒに赴く.

1890-1893年
 カール・リープクネヒト,ライプツィヒ大学で,家族のベルリンへの移住(1890年)後はベル
リン大学で,法学と経済学を学ぶ.

1890-1897年
 ローザ・ルクセンブルク,チューリヒ大学で自然科学と数学,ついで政治学と経済学を学ぶ.

1894年
 ローザ・ルクセンブルク,ポーランド王国社会民主党の創立に参加する.

1897年
 カール・リープクネヒト,ヴュルツブルク大学の法学・政治学部で『普通法による相殺権の行
使と援用』の論文によって学位取得.
 ローザ・ルクセンブルク,『ポーランドの産業的発展』により学位取得.
 ローザ.ルクセンブルク,バーゼルでグスターフ・リューべックとの形式上の結婚によりドイ
ツ国籍を獲得.この結婚は1903年春に解消.

1896年
 5月
 ローザ.ルクセンブルク,スイスからドイツへ移住.ドイツ社会民主党の党員となる.
 9月21日-28日
 ローザ・ルクセンブルク,連続論文『社会改良か革命か』の第一部を『ライプツィヒ人民新聞
』に発表.第二部は1899年4月発表.
 9月-11月
 ローザ・ルクセンブルク,ドレスデンの『ザクセン労働者新聞』の編集長.

1899年
 カール・リープクネヒト,官職を辞し,兄のテオドールと共同でベルリンに弁護士事務所を開
く.

1900年
 5月
 力ール・リープクネヒト,ユリア・パラディースと結婚.この結婚によってヴィルヘルム,ロ
ーベルト,ヴェーラの3人の子どもが生まれる.1911年8月22日,ユリア・リープクネヒト,エム
スの温泉地で死去.
 7月-8月
 ローザ・ルクセンブルク,ドイツ社会民主党幹部会の命をうけてボーゼンでアジテーターとし
て活動.
 8月
 カール・リープクネヒト,ドイツ社会民主党の党員になる.
 9月23日-27日
 ローザ・ルクセンブルク,パリの国際社会主義者大会で,国際平和と軍国主義について報告し,
帝国主義と軍国主義および植民地政策に反対する国際的政治行動の必要性を説く.

1902年
 4月1日
 ローザ・ルクセンブルク,『ライプツィヒ人民新聞』編集部に入る.

1904年
 1月16日
 ローザ・ルクセンブルク,ツヴィカウ地方裁判所刑事部から「不敬罪」により禁固3ヵ月の判
決をうける.
 7月12日-25日
 カール・リープクネヒト,ロシア労働運動を支援したかとで告発された9名のドイツ社会民主
党員にたいする「ケーニヒスベルク裁判」で,弁護士として活動し,すぐれた政治的弁護士とし
て知られるにいたる.

1905年
 ローザ・ルクセンブルク,ロシアにおける革命の発展を研究し,それについてさまざまの新聞
に論文を書き,さらに大衆集会で演説.
 2月9日,12日
 カール・リープクネヒト,ベルリンとライプツィヒの大衆集会で「ロシアにおける革命」につ
いて演説.
 12月28日
 ローザ・ルクセンブルク,非合法的にワルシャワに赴き,ポーランド労働者の反ツァーリズム
闘争に参加,指導する.

1906年
 3月4日
 ローザ・ルクセンブルク,ワルシャワで逮捕されるが,7月健康上の理由からと保釈金を支払
ったので釈放される.フィンランド経由で,9月末,ベルリン帰着.
 9月15日
 ローザ・ルクセンブルク,『大衆ストライキ,党,労働組合』の著作を書きあげる.この労作
のなかで,彼女はロシアにおける革命の諸経験から説きおこし,ドイツの労働者階級の政治闘争
の課題を解明.
 9月23日-29日
 マンハイムの党大会でカール・リープクネヒトとローザ・ルクセンブルクは,プロレタリアー
トの革命的闘争手段として政治的大衆ストライキを弁護.
 12月12日
 ヴァイマル地方裁判所がローザ・ルクセンブルクにたいして1905年イエナ党大会での政治的大
衆ストライキについての演説を理由に,禁固2ヵ月の判決.

1907年
 2月
 力ール・リープクネヒトの著書『国際青年運動をとくに顧慮した上での軍国主義と反軍国主義
』出版.この労作で彼は現代軍国主義にかんする労働運動の理論的認識をゆたかにし,国際労働
青年運動の闘争の先頭に立つ.
 8月18日-24日
 カール・リープクネヒトとローザ・ルクセンブルク,シュトゥットガルトでの国際社会主義者
大会に参加.ローザ・ルクセンブルクは,国際派左派の代表として反戦闘争について演説.ヴェ
・イ・レーニンとエリ・マルトフと共同して,べーベルの決議にたいする補足修正案を提出.
 8月24日-26日
 シュトゥットガルトで社会主義青年組織の第1回国際会議.カール・リープクネヒト,社会主
義青年インタナショナルの創設に参加.1907年から1910年まで,彼は青年インタナショナル議長
兼書記局員.
 10月1日
 ローザ・ルクセンブルク,ドイツ社会民主党党学校の経済学の教師となる.
 10月12日
 カール・リープクネヒト,『軍国主義と反軍国主義』の著書のためにライプツィヒ大審院から
要塞禁固1年6ヵ月の判決をうける.
 l0月24日-1909年6月1日
 カール・リープクネヒト,グラーツ要塞に拘禁される.
1908年
 1月4日
 ヴェ・イ・レーニン,3日間のベルリン滞在中,ローザ・ルクセンブルクと会う.
 10月11日
 ベルリンのカール・リープクネヒト弁護士事務所で,ドイツ青年組織の非合法代表者会議.

1910年
 1月3日-5日
 ベルリンにおけるプロイセン社会民主党第三回党大会で,カール・リープクネヒトは『プロイ
センの行政』について報告し,プロイセンにおける行政改革の指導原理を提示.そのねらいは,
三級選挙権反対闘争を議会外の闘争によって民主的共和制を戦いとるまで押しすすめることにあ
った.
 9月18日-24日
 マグデブルク党大会において,ローザ・ルクセンブルクは日和見主義に反対する闘争で,政治
闘争のさまざまな方法と路線について,人民大衆をイデオロギー的政治的に啓発するために,政
治的大衆ストライキの問題を立ちいって論じるよう党に要求.
 10月中頃-12月初め
 カール・リープクネヒトは長途のアメリカ合衆国講演旅行を企てる.その演説のなかで,彼は
とくにアメリカ独占体の危険な役割を暴露し,こうして,アメリカ合衆国の階級的同志たちの選
挙戦を支援.

1911年
 7月,8月
 カール・リ-プクネヒトとローザ・ルクセンブルクは,戦争の危険を焦眉のものとしたモロッ
コにおける諸帝国主義国の冒険に反対し,論説や演説で活動.

1912年
 10月
 カール・リープクネヒト,ゾフィー・リュスと結婚.

1913年
 3月15日-24日
 カール・リープクネヒト,ベルギー,イギリス,フランスを講演旅行.この旅行は,戦争に進
んでゆく国際軍需資本に反対する,これらの諸国とドイツの労働者の共同闘争に役立つ.

1914年
 2月20日
 ローザ・ルクセンブルク,フランクフルト(マイン)地方裁判所第二刑事部から禁固1年の判
決をうける.理由は,彼女がドイツの労働者に,フランスやその他の国々の階級的兄弟に銃をむ
けるなと要求したためである.
 5月11日
 帝国議会の演説で,カール・リープクネヒトは,最大のドイツ軍需独占体の戦争準備と反国民
的役割に焼印をおし,国際的にからみあっている軍需独占体の状態について新しい資料を提出.
 6月29日-7月3日
 ローザ・ルクセンブルクはフライブルク(ブライスガウ)の大衆集会で,たえず兵士を虐待す
るプロイセン軍国主義を告発したが,これにたいしてプロイセン陸軍大臣のおこした訴訟は,延
期され,後には中止されざるをえなくなった.
 8月3日,4日
 第一次世界戦争が勃発したのち,カール・リープクネヒトは断固として社会民主党右派指導者
の「挙国一致政策」に反対して活動.
 カール・リープクネヒトは,社会民主党帝国議会議員団の中央主義的少数派を,戦争公債を公
然と拒否する側に獲得するために,必死の努力をする.これが失敗したのちにはじめて,彼は帝
国議会の投票で議員団の規律に従う.
 8月29日
 ローザ・ルクセンブルクの住居で,カール・リープクネヒトとローザ・ルクセンブルクは,戦
争がはじまってのち,はじめて会合し,反戦闘争の今後の手はずについて相談.
 9月4日-13日
 カール・リープクネヒト,占領国ベルギーとオランダを旅行.彼は兄弟党の党員たちに8月4日
以後のドイツ社会民主党内の情勢を知らせ,そのうえドイツ帝国主義の残虐な作戦に反対する資
料を集める.
 12月2日
 カール・リープクネヒト,帝国議会で戦争公債にただひとり反対投票.これによって,ドイツ
の労働者階級は一致して戦争を支持しているという日和見主義者のうそをたたきこわし,帝国主
義戦争に反対してたたかう革命的社会民主党員の断固たる決意を,ドイツの国境のかなたにも明
らかにする.カール・リープクネヒトはそれをドイツにおけるあらゆる反戦論者を結集するため
の合図とする.

1915年
 2月7日
 カール・リープクネヒト,工作兵として兵役に召集される.
 2月18日
 ローザ・ルクセンブルク,逮捕される.1年の禁固刑服役のためにパルニム通りのベルリン女
子刑務所に送られる.
 3月5日
 カール・リープクネヒト,ベルリン=シュテークリツのヴィルヘルム・ピークの住居に指導的
な左派社会民主党員たちの非合法の会合を組織し,その議長をつとめる.ドイツのさまざまの都
市の反対派グループのあいだに連絡がつく.
 4月
 ローザ・ルクセンブルク,刑務所内で小冊子『社会民主主義の危機』を書く.これは1916年初
頭,ユニウスというペンネームで,ベルリンに非合法的に広められる.
 5月末
 カール・リープクネヒト,インテルナツィオナーレ・グループの委託により綱領的パンフレッ
ト『主敵は自国内にあり』を書く.
 9月2日
 カール・リープクネヒト,ツィンマーヴァルト会議(9月5日-8日)によせたメッセージで,戦
争に反対する革命的階級闘争と新しいインタナショナルの建設にくみすることを公然と表明する.
彼はスローガンとして『挙国一致ではなく,国内戦争を!』をかかげる.

1916年
 1月1日
 ベルリンでインテルナツィオナーレ・グループの非合法的全国会議.カール・リープクネヒト,
政治情勢と党内情勢について報告.ローザ・ルクセンブルクの起草した『国際社会民主主義の諸
任務にかんする指導原理』が承認される.政治書簡の出版が決定される.
 1月12日
 日和見主義的多数派,カール・リープクネヒトを社会民主党帝国議会議員団から除名.
 2月18日
 ロ‐ザ・ルクセンブルクの出獄.
 3月19日
 ベルリンでスパルタクス・グループの非合法的全国会議.ローザ・ルクセンブルク,インタナ
ショナルにたいする態度および目前にせまった第2回ツィンマーヴァルト会議にたいする態度に
ついて演説.カール・リープクネヒト,ドイツにおける反対派の課題について報告.会議はいっ
そう大きな大衆行動を組織し指導することに決定.
 4月23日,24日
 カール・リープクネヒト,イェナにおける反対派青年社会主義者の非合法的会議で帝国主義戦
争に反対する闘争と中央派の動揺する姿勢について報告.
 5月1日
 カール・リープクネヒトとローザ・ルクセンブルク,スパルタクス・グループが組織したベル
リンのポツダム広場の反戦示威運動に参加.このときカール・リープクネヒト,逮捕される.
 7月10日-1918年11月8日
 ローザ・ルクセンブルク,パルニム通りのベルリン女子刑務所,つぎにヴロンケ要塞(ポーラ
ンド),さらにブレスラウ刑務所に「保護拘禁」される.彼女はビラや『スパルタクス書簡』の
ための論文をかき,そのなかで右派指導者の社会排外主義と中央派の社会平和主義の正体をあば
き,革命的大衆行動を呼びかける.
 11月4日
 最終審により,カール・リープクネヒトは「戦場における不服従加重と併合せる戦時反逆未遂
のかどにより,ならびに国家権力にたいする抵抗のかどにより」懲役4年1ヵ月および6年間の
公民権剥奪の判決をうける.
 12月-1918年10月23日
 カール・リープクネヒト,ルッカウ刑務所に投獄される.政治的に隔離されていたにもかかわ
らず,とくにドイツにおける帝国主義と軍国主義反対闘争の具体的条件と可能性にふんする認識
を深める.彼の妻や子どもたちおよび他の人たちをとおして,同志たちと緊密な接触を保ち,指
示やビラの草案,『スパルタクス書簡』のための論文で同志たちを支援する.

1917年
 11月11日
ルッカウ刑務所から妻のゾフィーあての手紙で,カール・リープクネヒトは十月社会主義大革
命を歓迎し,公然とこの革命にくみすることを表明.
 11月24日
 ブレスラウの刑務所からルイーゼ・カウツキーあての手紙で,ローザ・ルクセンブルクは十月
社会主義大革命を「永遠に消えさることのない世界史的偉業」と評価.

1918年
 10月23日
 カール・リープクネヒト,大衆の圧力によってルッカウ刑務所から釈放される.ベルリンのア
ンハルト駅前で,数千人の労働者と兵士から嵐のような歓迎をうける.
 10月24日
 カール・リープクネヒトをたたえて,ベルリンのソヴェト大使館でレセプション.その席上,
ロシア共産党(ボリシェヴィキ)中央委員会のメッセージが朗読される.
 10月26日から
 カール・リープクネヒトは,ベルリンの革命的オプロイテ執行委員会の会議に参加.その指導
部に代表として送りこまれる.
 11月8日
 ローザ・ルクセンブルク,革命によってブレスラウ監獄から解放され,11月10日ベルリン到着.
カール・リープクネヒトとエルンスト・マイアーの署名したスパルタクス・グループのビラは,
皇帝政府を打倒し,労働者兵士評議会の手に権力を収めるよう,ベルリンの労働者と兵士に要請.
 11月9日
 カール・リープクネヒト,午後,ベルリン宮城のバルコニーから自由な社会主義共和国を宣言.
 11月10日
 ブッシュ曲馬館でおこなわれたベルリン労働者兵士評議会大会で,カール・リープクネヒトは
社会民主党右派指導者の反革命的政策に用心せよと警告.
 11月11日
 スパルタクス同盟創立にあたり,カール・リープクネヒトとローザ・ルクセンブルクは中央本
部に選出され,スパルタクス同盟の機関紙『ディ・ローテ・ファーネ』の編集をまかされる.
 11月28日
 カール・リープクネヒト,その『指導原理』の中で革命のこれまでの経過を分析,とりわけ立
法行政司法の全権力を労働者兵士評議会の手に集中することと,大経営と大土地所有を社会化す
ることを要求.
 12月14日
 『ディ・ローテ・ファーネ』はローザ・ルクセンブルクのまとめあげたスパルタクス同盟の綱
領『スパルタクス同盟は何を欲するか』を発表.
 12月16日
 カール・リープクネヒト,第1回全国評議会大会会場のプロイセン衆議院会館前で,デモ隊に
むかって大会の課題について演説.
 12月30日-1919年1月1日
 カール・リープクネヒト.とローザ・ルクセンブルク,ドイツ共産党を創立し,彼らの生涯に
わたる革命的大業の最後を飾る.ベルリンにおける創立大会で,カール・リープクネヒトは『ド
イツ独立社会民主党の危機』という報告でドイツ独立社会民主党からの組織的分離とドイツ共産
党の創立の根拠を,ローザ・ルクセンブルクは党綱領の根拠を説明する.

1919年
1月初め
 ベルリンでの闘争のあいだ.カール・リープクネヒトはドイツ共産党の代表として,33名から
なる行動委員会に所属.カール・リープクネヒトとローザ・ルクセンブルクは『ディ・ローテ・
ファーネ』の編集を継続することに全力をあげ,労働者のためにこの闘争機関紙の維持につとめ
る.
 1月14日
 『ディ・ローテ・ファーネ』にローザ・ルクセンブルクの最後の論文『秩序がベルリンにのさ
ばる』が発表される.
 1月15日
 『ディ・ローテ・ファーネ』にカール・リープクネヒトの最後の論文『たとえどんなことがあ
っても』が発表される.
 カール・リープクネヒトとローザ・ルクセンブルクは,反革命の傭い兵に逮捕され,謀殺され
る.
 1月25日
 カール・リープクネヒトと虐殺された31名の1月闘争の戦士たちは,全ドイツからの幾十万の
勤労者の参列のもとにベルリンの墓地に運ばれる.
 6月18日
 ローザ・ルクセンブルクの埋葬に幾十万のベルリンの労働者と外国の労働者組織の代表者が参
列.この日,ドイツと外国の多くの都市では,国際的反動にたいする勤労者のストライキとデモ
がおこなわれる.
 以上で終了です。なお、電子化ネタは以下の通りです。電子化希望のある方は、
マル共連BBSの「大月書店愛好会」名で書き込まれたスレに書き込んでください。
281大月書店愛好会:02/05/20 00:59
 下げ保存カキコ
282大月書店愛好会:02/05/20 21:22
 新規スレッドを立てられないので、ここで皆様にお願いいたします。

 小生、かつて多数の大月書店国民文庫を保有しておりましたが、他人
に貸与して帰ってこないものが多数あり、現在欠番を揃えております。

 ただ保有するだけではアレなんで、電子版を作成しております。

 で、国民文庫はどうも全て絶版にするようで、本屋にも、また古本屋
にさえも十分ありません。

 そこで、皆様にお願いがあります。以下の本のある古本屋をお教え下
さい。京阪神、東京・横浜ならば出張のついでに購入できます。

 ご協力お願いします。
・資本論綱要=8 ・マルクス回想=10 ・哲学の貧困=13
・労働組合論=17 ・フランスにおける階級闘争=24
・資本主義的生産に先行する諸形態=28
・フランスにおける内乱=31 ・マルクス=エンゲルス=マルクス主義=101
・民族自決権について=104 ・「左翼」小児病=105
・背教者カウツキー=107 ・社会主義と戦争=115
・哲学ノート2=127b ・カール・マルクス=128

 他にも情報お待ちしています。なお、マル・エン、レーニン以外は、
どんな情報でもお待ちします。
283大月書店愛好会:02/05/20 21:23
 なお、東京出張は今月末です。5月31日に出張させるなよ・・・>会社。
サカーヲタの祭典のため、宿がとれるのか??
284名無しさん@1周年:02/05/21 00:24
国民文庫ですか・・・以前、“スターリン主義の基礎”をご紹介頂いた時に
結構探しまわりました。が、(探し方が悪かったのかも知れませんが)
神田古書店街にも 殆ど ありませんでした。

麦のカバー以前の品(四角い枠の表紙、カバーのない奴)は、
最近の古本屋(ブックオフ等)では まず扱っていないです。。。

紹介で協力したいのはやまやまですが、
私が知っているめぼしい古書店は
すでに漏れ様が買いあさり済みですんで、基本的には
空科とかのメジャーな タイトルしか残ってない筈ですな(ワラ

 集めた本は積読状態ですので、屑・・・もとい、愛好会さまへ
提供することも吝かではありませんが たかが40冊(*)ぐらいですから、
欠番の方が多いですし、リストでは13・17・128しかありません。
(むしろ、年配の共産党員の協力(提供)を呼びかけた方が
望ましいかもしれないですね)
兎も角、電子化される分には、ご所望でしたら宅配便とかで
組合事務所にでも送りますですよ。

# * 重複含む(藁) 国革も新しい薄い奴と、古くて厚い版がありますですだ。
285名無しさん@1周年:02/05/21 09:20
絶版ですか・・・↓復刊交渉を請け負うサイトです。
http://www.fukkan.com/
>>285
 情報ありがとうございます。とりあえず、投票欄を作りました。掲示板も。

http://www.fukkan.com/bbs.php3?t_no=4957&act=topic
287名無しさん@1周年:02/05/21 20:55
赤旗祭りで千代田地区委員会のやってる古本市に行くと手にはいるよ。
なぜか除名された人の著作まで手に入る。
288名無しさん@1周年:02/05/21 21:43
厨房質問でごめんなさい。
日本共産党はローザ・ルクセンブルクに関してはニセ「左翼」暴力集団規定は
していないのでしょうか。
289葉寺覚明 ◆SAMVZGzE :02/05/21 22:01
>>288

出典を失念してしまって申し訳ないのですが、日共の本に、あおがローザを
引き合いに出すのは「鷲」であるローザへの冒涜だと書いておりました
290288:02/05/21 22:24
>>289
葉寺さんありがとうございました。
今のあおをローザが見たら嘆くでしょうかね。
291284:02/05/22 09:31
 古本屋の紹介ですが、都心から離れていて申し訳無いけれども、
東京都町田市の高原書店には、数冊ありました。 http://www.takahara.co.jp
(管理が不徹底で、なになすと反デューリング論しか検索できません。
町田店に電話で問い合わせれば、店頭の在庫は解ると思いますが、
在庫確認は「探求書登録」で6ヶ月待つと云う 古本屋です)

 私が古本屋を探した時(スターリン主義の基礎を探していた時)は、
経済系大学の近くなら・・・と考え、国分寺一橋大学近くの古書店を
探しまして見つけたのですが、その店では唯一の国民文庫で且つ特価コーナーでした(鬱
むしろ、小汚い昔ながらの古書店で 一冊20円とかで叩き売られている物で
集めたのが殆どですから、オンライン書店はりようできないと諦めて居ました。
が、国民文庫って事なら、結構あるみたいです。

↓毛沢東のもあるみたいです。
http://211.9.38.163/cgi-bin/search.pl?CID=1&ds=sgenji04&sm=f&si=182&ck=052&ur=&im=&co=&st=&vi=7&vp=870629780

↓例の国民文庫128「カール・マルクス」あるみたいです。
http://www2.odn.ne.jp/~caj88850/mokuloku/bun/mbta.htm

いろいろ。
http://211.9.38.163/cgi-bin/search.pl?CID=1&ds=sgenji06&sm=f&si=127&ck=国民文庫&ur=&im=&co=&st=&vi=14&vp=870629793

↓分類はあるけど、青木文庫しか無いみたいです
http://www15.u-page.so-net.ne.jp/xa3/wakaba/

んではでは。
292284:02/05/22 09:37
「いろいろ」のリンクが 氏んじゃいましたね。

あそこには 「プロレタリア革命と背教者カウツキー」 の在庫があるはずなので、再掲します。
http://www.naritashoten.com/01bunnko.htm の、国民文庫です。
293葉寺覚明 ◆SAMVZGzE :02/05/22 22:31
>>290

あおの「革命軍」は「指揮系統に上下関係があるだけの自由で民主的な作風」
らしいです。ホントかどうか知りませんケド(苦笑)

>>291

ん?「レーニン主義の基礎」ではなく、「スターリン主義〜」ですか?ホスイ
294名無しさん@1周年:02/05/23 08:46
>293 すません、仰るとおり(レーニン〜)ですね。云った私がホスイ(藁
295大月書店愛好会:02/05/23 15:30
>>284さん
 色々ありがとうございます。しかし、成田書店は、青森駅前の奴ですね。
転勤前にゲットしとけばよかった。

 それから、腹をくくって、「レーニン主義の基礎」もここでやっちゃいましょう
か?
296284:02/05/23 18:54
>295 どもです。

上記古書店は通販をはじめているみたいですから、
古本屋も大変な時代だなぁと思いました。
(そもそも あれだけの古書店リストじゃ、
共産主義的レアアイテム収集家の
葉寺覚明さんに 笑われてるんだろうな、きっと。)

さて、レーニン主義の基礎、私は入手に関して、
大分時間がかかりましたし、苦労しましたので
公表には とても価値があると思います・・・確かにそう
思いますが、しかし 今 急いで 腹を くくられることも
ないのではないでしょうか。
あなたは正体がばれまくりなので リスクが心配です。

版権・著作権法に詳しい方や、大月書店の関係者の方は、
ここには 来てませんか? 古典の普及は 良い事だと思いますが
共産党の方が動いてくれたりは・・・しませんかねぇ・・・
297大月書店愛好会:02/05/23 20:25
>>296
 ていうか、このスレッド、大月書店様に連絡したのですが・・・。
なぜかなしのつぶて。こっちのが「止めろ!」と言われるよりつらい
です。

 あ、共産党については、かつて「資本論」で(以下略。そういうわけ
で、新日本出版社は好かん、つーことです。
298  :02/05/23 20:28
このスレって・・・・
創価学会=公明党を、公言とほざいている・・・
政教分離に反していることを、信者自ら認めているな。。。
で、何が楽しいの??

池田大作に死んでもらいたいのは、共産党だけでなく(私はいても構わないが)、
他にもたくさんいるんですが??

そちらのほうにも、スレッド、立ててるんですかね??>1
299大月書店愛好会:02/05/23 20:55
>>298
 誤爆でしょうか? ちなみに、公明党や創価学会に対する私のスタンス
は、共産党に対するスタンスと似ており、いわゆる「誹謗中傷」はしない
ことにしています。

 それにしても、今の公明党のやってること、池田大作氏がよく容認して
いるな・・・。
300人間の屑1号 ◆7Wpm.iX2 :02/05/24 09:17
>>285
 本を指定せよ、という理由で消しました。復刊きぼんぬは以下の掲示板で。

http://www.fukkan.com/bbs.php3?act=topic&t_no=3324
>>296

古本屋も商売ですし、品揃えとかは仕方ないんで、別にその部分を笑ったりは
しませんが、むしろ、あか本の前の持主(つまり、手放した方)を想像して、
藁っておりやす。

亡くなった方(私は「内ゲバ」死者の遺品本を持っていますが…)のものなら
ともかく、昔は「闘士」だったのに今では自覚的な!賃金奴隷に成り果てている
オヤジサラリーマンとか、はたまた、さかりのついた市川正一同志とか、
どんなキモチで手放したのかと思うと、あかだったころとのギャップがさぞや
凄まじいんだろうなとか、考えてしまいます。あかの本てえのは、だいたい
書き込みとかしてあるんですが、当時の情熱が アツくて、純粋まっすぐで、
おもろいです。あとは、ミンの本に、集合写真が挟まっていたこともあります。
「思い出」もろとも手放したってことでせう。がはは

↓同志からの贈呈本を手放した市川正一@女性問題同志
http://maoist.netfirms.com/private/bus002.htm
302284:02/05/28 09:39
人間の屑様
 そうですか、大月書店さんからは無返答ですか・・・(鬱
先日、プロバイダ責任法が施行されたみたいですから、リスクは
つよくなってしまいましたね・・・
http://www.soumu.go.jp/joho_tsusin/top/denki_h.html

はせ子様
 さすがは市川タン、サインの様な物神性は 歯牙にもかけない! 市川タンウラー!
市川タンは 貰う前に自分で買ってて、そっちは傍線バリバリなんですよ(きっと・藁)。
つーか、古本屋が資源ごみの日に暗躍したり、古紙回収業者が 古本屋に転売したり、
資源ごみの本を拾って古本屋に売ると云う漏れみたいな外道も居ますんで、
市川タンが 古本屋に売ったかどうかはワカリマセンですだ。
・・・サカリについては知りませんが(藁
303284:02/05/30 15:07
愛好会様、私 神田をなめて居りました。
結構奥が深い様で、私がまだ覗いていない古書店が沢山です。
文庫専門の古書店もあるとの事です。
http://www.book-kanda.or.jp/kosyo/index.htm

どこに 国民文庫の在庫があるのか、御存知の方は
情報提供をよろしくです。
304名無しさん@1周年:02/05/30 21:23
 愛好会様
地図でス。今日の赤旗の15面からの引用ですが、

   B..C..┃D
  ━━━A━━━┯━━━┯━━━ ⇒至 JR水道橋駅
     ....┃E   .│  .. F│
     ....┃    ..│     │
     ....┃    ..│     │
     ....┃    ..│     │
     ....┃    ..│   ★│
     ....┃    ..├───┤
     ....┃    ..│     │
      靖          
      国       
      通     
     ....り            
          

     A:神保町交差点
     B:岩波ホール
     C:第一勧銀
     D:キムラヤ
     E:地下鉄神保町駅
     F:ミツワ自動車
     ★:友好堂神保町書店

この友好堂は 神田神保町にある民主書店なので、
国民文庫がある古書店の紹介を期待できるかもしれませんです。。。
305大月書店愛好会:02/06/01 23:53
 皆様、ご協力ありがとうございます。おかげさまで、本日、かなりの成果が
ありました。成果の一部は、確かに電子化され、そう遠くない将来公開される
ことでしょう。(残念ながら、マル・エン、レーニンじゃあないですが。)
306284:02/06/02 00:03
おつかれさまでした。成果あって、えがったです。
もし欠けてる物で漏れが持ってるのがあれば
先にも申した通り 寄贈しますですよん。

んで その気があれば欠番リストと送り先カキコをくらさい。
307284:02/06/02 00:49
あ、もちろん言葉どおり、返却不要ですだ>寄贈
308大月書店愛好会:02/06/04 20:34
>>306
 恐れ入ります。とりあえず、もう少し自力で探してみます。

 あ、「革命と反革命」電子化しました。と言っても、余り皆様には関係ないで
すねぇ。。スンマソン。
309名無しさん@1周年:02/06/28 11:55
あげ
310名無しさん@1周年:02/07/07 16:44
∧∧  ミ  _ ドスッ
     (   ,,)┌─┴┴─┐
    /   つ  310 │
  〜′ /´ └─┬┬─┘
   ∪ ∪     ││ 
311名無しさん@1周年:02/09/21 12:55
政府、「拉致・工作船」で北朝鮮に賠償請求へ
 政府は20日、北朝鮮工作員による日本人拉致(らち)事件と昨年12月に発生した鹿児島県・奄美大島沖の工作船事件について、北朝鮮に賠償を要求する方針を固めた。
10月に再開する日朝国交正常化交渉で、核開発など安全保障問題や経済協力と並んで主要テーマの一つとし、拉致については捜査協力や犯人引き渡しも要請する。
拉致被害者が8人も亡くなっていたことで、北朝鮮に対する国民の反感が高まり、正常化交渉を再開するには、 北朝鮮に毅然(きぜん)とした姿勢を示す必要があると判断した。
312名無しさん@1周年