大月書店「世界の共産党」

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   インドネシア共産党〔*〕

 一九二〇年に創立、一九二四年に第一回党大会がひらかれた。このころの党員は一、五〇〇名
であった。一九二六年ごろには党員はおよそ三、〇〇〇名であった。その影響下にあったものに、
組合員約五万名の労働組合サレカト・ライアトがあった。一九二六―二七年のインドネシアの反
乱ののち、共産党は弾圧され、多くの指導者と党員が処刑された、すなわち、ころされるかへん
ぴな地方にながされるかした。
 一九三五年に、ジャヴァ島に非合法共産党が創設され、これが一九四五年末に再建されたイン
ドネシア共産党の中核となった。一九四六年夏、共産党会議がひらかれ、議長サルジョノ、副議
長マルート・ダルースマンを首脳とする中央委員会をえらんだ。一九四八年秋、インドネシア共
産党臨時会議は、その影響下にあった社会党、諸労働者党、ならびに社会主義青年団体との合同
にかんする決議を採択した。会議では書記長ムッソを首脳とする指導部がえらばれた。
 一九四八年九―十二月に、マディウンの挑発ののちに、反動は共産党に激しい弾圧をくわえた。
数千名の党員がころされるか、または集中収容所に監禁され、共産党の著名な指導者はだましう
ちにあってころされた――そのなかにはムッソ、シャリフッディン、マルート・ダルースマン、
サルジョノがいた。共産党は法の保護をうばわれた。
 一九五一年のはじめに共産党はその組織を再建した。一九五一年夏、アイディットが中央委員
会書記長にえらばれた。共産党はほんとうの民族独立と、人民民主主義政府の樹立と、地主的土
地所有の廃止と耕すものへの土地の交付とのための闘争へと、インドネシア人民を結集している。