アメリカ合衆国共産党
アメリカ合衆国共産党は、合衆国の労働者階級の前衛部隊であり、反動にたいする闘争、合衆
国の労働者階級と全勤労者の日常の利益と権利のための闘争、諸国民間の恒久平和のための闘争
の先頭に立っている。合衆国共産党は、一九一九年九月、ロシアにおける大十月社会主義革命の
影響のもとに生じた合衆国における革命的高揚の時期に創立された。尖鋭化しつつあった階級闘
争の条件のなかで、日和見主義的幹部に反対していたアメリカ社会党内に、左翼がつよくなり、
組織的に形成された。一九一九年九月に、チャールズ・ルーセンバーグに指導された左翼は、シ
カゴで大会を召集し、そこでアメリカ共産党《コミュニスト・パーティ》が創立された。同じ月
に、左翼のもう一つのグループは、アメリカ共産主義労働党《コミュニスト・レイバー・パーテ
ィ》を結成した。合衆国当局のがわからの激しい迫害のために、二つの共産党は、地下にもぐり、
別個に行動することを余儀なくされた。二つの党の指導部がおかしていたセクト的誤謬もまたそ
の統一をさまたげていた。ようやく一九二一年五月に、両党は単一の統一共産党に合流すること
ができ、ウィリアム・フォスターにひきいられた革命的気分をもった労働者のグループ――労働
組合教育同盟(一九二〇年ウィリアム・フォスターによって結成)の成員がそれに参加した。労
働組合およびその他の諸組織、ことに「世界産業労働者同盟」(I・W・W)(ヘイウッド、その
他)のプロレタリア分子もまた入党した。一九二一年十二月に、統一共産党は、その年に結成さ
れた合法的労働者党にくわわった。一九二九年から、アメリカ合
衆国共産党とよばれるようになった。合衆国共産党を結成し強化する事業で大きな役割を演じた
のは、ヴェ・イ・レーニンの諸労作(『アメリカ労働者への手紙』一九一八年、『共産主義にお
ける「左翼」小児病』一九二〇年、その他)およびイ・ヴェ・スターリンの諸労作(『第一回ア
メリカ労働代表団との会談』一九二七年九月九日、その他)であった。
自党を結成するやいなや、党は、ソヴェト・ロシアにたいするアメリカ帝国主義の干渉を中止
せよという要求をかかげて断岡として行動した。一九一九年末と一九二〇年初頭には、共産党員
が積極的に参加して港湾労働者の大ストライキがおこなわれ、労働者は、アメリカ帝国主義者に
よる白衛軍の将軍連への軍需品の積荷を拒否した。
党は、「アメリカ資本主義の例外性」の縄論を説いた右翼やトロツキストとの闘争のなかで成
長しつよくなった。一九二八年には、キャノンにひざいられたトロツキストのグループが除名さ
れ、一九二九年には、ラヴストーンにひきいられた右翼が除名された。アメリカ共産党からトロ
ツキストや右翼を粛清するうえに大きな意義をもっていたのは、コミンテルン執行委員会の決定
であった。
党の陣列から分派主義者を追放したのち、合衆国共産党は、プロレタリアートの大衆的革命政
党に変化する方向にむかった。党の影響は増大した。一九二九―三三年の世界経済恐慌の時期に、
合衆国共産党は、勤労大衆――労働者、農民、黒人人民の日常の諸要求をまもるための積極的な
闘士として進出した。コミンテルン第七回大会(一九三五年)の決定に指導されて、共産党は、
ファシズムと戦争の脅威にたいする積極的な闘争を展開した。第九回党大会(一九三六年六月)
は、労働者階級、勤労農民、さらに小ブルジョアジー、黒人人民の勢力を単一の民主主義戦線に
組織するようよびかけた。
合衆国共産党は、アメリカ合衆国、イギリス、フランスの帝国主義者によってとられた、ファ
シスト侵略者をソ同盟に反対させようとするファシストの侵略を鼓舞する政策に反対して断固と
してたたかった。合衆国共産党は、ファシスト列強の攻撃をうけた諸国民を積極的に擁護した。
スペイン共和国にたいするドイツ=イタリアの干渉の時期(一九三六―三九年)に、数千者のア
メリカ共産主義者は、国際旅団の陣列でたたかった。
第二次世界戦争がはじまったのち、一九三九―四五年に、アメリカの反動は、国の共産党と進
歩的勢力の迫害を強化した。一九四〇年に議会は、反共的なスミス法を採択した。この法律とそ
の他の反動的な法律は、共産党の活動にとってきわめて困難な条件をつくりだした。
一九四一年に、ヒトラー・ドイツがソ同盟を攻撃したのち、合衆国共産党は、共通の敵とたた
かうために、ソヴェト国民と連合するようアメリカ国民によびかけた。合衆国共産党は、ファシ
スト諸国家のブロックにたいする闘争における国際的協力を断固として支持した。合衆国共産党
は、合衆国政府が第二戦線をひらくという自分の義務を遂行するよう再三要求した。
第二次世界戦争中に、共産党は、ブラウダー主義との闘争をおこなわなければなちなかった。
共産党の指導部にもぐりこんだアメリカ帝国主義者の手さきブラウダーは、自分の主人たちの指
令にもとづいて、共産党を解散させようとした。ブラウダーは、少数の支持者のグループの助け
をかりて、一九四四年の五月に、共産党を解散させることに成功した。解散した共産党にかわっ
て、非党派的共産主義政治協会《コミュニスト・ポリティカル・アソシエイション》が創立され
た。しかし・ウィリアム・フォスターおよびユージン・デニスにひきいられた平《ひら》党員の
要求によって、一九四五年七月に、特別大会がひらかれ、
そこで、アメリカ労働者階級の政党として合衆国共産党が復活した。新しい党規約が採択された。
大会は、全国委員会を選出した。全国委員長にはウィリアム・フォスターが選出された。一九四
六年に、全国委員会総会は、ユージン。デニスを書記長に選出した。ブラウダーは、党から除名
された。
第二次世界戦争の終結後、資本主義の全般的危機がいっそう尖鋭化し深化した条件のもとで、
世界支配をめざすアメリカの帝国主義者は、ソ同盟と人民民主主義諸国にたいする新戦争の準備
を展開した。戦年準備は、軍国主義と国のファショ化の前代未聞の気ちかいじみた状態をともな
っている。
戦後の時期に、合衆国共産党は、反動にたいする、アメリカ帝国主義者の反人民的な国内およ
び対外政策にたいする勤労者の闘争における指導的前衛力として行動している。共産党は、合衆
国の帝国主義グループが、一九四五年のクリミアおよびベルリン会談の決定をやぶっていること
を断固として非難した。共産党は、「トルーマン主義《ドクトリン》」および「マーシャル計画
」の侵略的本質をばくろした。共産党全国委員会六月総会(一九四七年)は、他国の事件にたい
する合衆国の干渉に反対してたたかうようアメリカ国民によびかけた。
合衆国共産党は、国のファショ化と、勤労者の生活水準にたいする独占体の攻撃に反対し、人
種的差別に反対して断固たる闘争をおこなっている。一九四六年十二月に、共産党全国委員会定
期総会は、全勤労者の利益を反映した基本的要求を定式化した。これらの要求は、賞金の引上げ、
失業保険金と社会保障費の増額、反労働者的法律の廃止、人種的差別の撤廃等にふれている。
一九四八年八月に、合衆国共産党第十四回大会がひらかれた。大会は、戦後の時期に、合衆国
におけるファシズムの急速な成長、排外主義の強化、誹謗的な反ソ・反共宣伝を指示して、合衆
国で増大しつつあるファシズムの危険に反対し、アメリカ人民の民主主義的権利をまもる闘争の
計画をたてた。大会は、ソ同盟との友好と協力に基礎をおいた対外政策をおこなうようよびかけ
た。大会は、労働組合における党活動の強化に特別な注意をはらった。大会は、アメリカ労働総
同盟(A・F・L)およびアメリカ産策別労働組合会議(C・I・O)の幹部をアメリカ独占体の
代弁者ときめつけ、労働者階級の統一戦線を分裂させている反動的な労働組合幹部の正体をばく
ろするよう共産党員によびかけた。共産党全国委員長には、ふたたびウィリアム・フォスターが
選出され、書記長にはユージン・デニスが選出された。
合衆国共産党は、大会の決定にしたがって、平和を擁護し、アメリカ人民の民主主義的権利を
擁護する闘争を強化した。一九四九年二月に、合衆国共産党は、合衆国大統領トルーマンにたい
して、平和条約締結にかんするソヴェト政府の提案をうけいれることを要求した。合衆国共産党
全国委員会は、一九四九年三月に、ウィリアム・フォスターおよびユージン・デニスの署名した
特別メッセージを発表し、そのなかでつぎのように述べた。平和にたいする脅威は、ウォール街
から出ており、もし、アメリカおよび全世界の平和擁護者の努力にもかかわらず、ウォール街が、
人類を戦争にひきいれることに成功するならば、共産党は、アメリカ人民と全人類のこのうえも
なく大きな利益に損失をもたらす、不正な、侵略的な、帝国主義的な、反社会主義的な戦争とし
てそれに反対するであろう。合衆国共産党は、侵略的帝国主義ブロック、まず第一に、北大西洋
ブロックの結成に反対する闘争を展開した。一九四九年四月にひらかれた共産党全国委員会総会
は、その決定のなかで、合衆国政府をして、ポツダム協定にもとづく国際問題調整にかんするソ
同盟との交渉を開始し、侵略的な北大西洋条約を破棄し、平和条約締結にかんするソ同盟の提案
をうけいれさせる必要のあることを強調した。アメリカ共産党は、原子兵器禁止のために一貫し
た行動をとっている。ソ同盟の平和愛好的提案が合衆国共産党によって支持されていることは、
まず第一に、自国民の中和維持のための闘争を支持していることである。
共産党は、原子兵器禁止にかんするストックホルム・アピールに応じて署名獲得に積極的に参
加した。一九五○年玉月に採択された共産党の特別宣言は、全共産党員にこのことをよびかけた。
朝鮮および中国にたいするアメリカの侵略がはじまったのち、共産党全国委員会は、一九五〇年
六月二十八日に甘言を発表し、政府にたいして、極東からアメリカ軍艦と空軍を即時撤退させ、
朝鮮、台湾、インドシナに一つの武器も、一合の飛行機もおくることをゆるさないよう要求した。
一九五〇年十二月に、合衆国共産党第十五回大会がひらかれた。大会は、平和を擁護し、ファ
シズムに反対し、勤労者の重大な権利にたいするアメリカ独占者の攻繋に反対する闘争を組織す
る問題に主要な注意をはらったり大会はふたたび、アメリカ労働総同盟(A・F・L)や産業別
労働組合会議(C・I・O)の組合幹部の分裂的行動とたたかうことの必要性に重大な注意をは
らい、組合幹部の反動的行動や独占資本との緊密な関係を日常的にばくろするようよびかけた。
大会の決定のなかで、合衆国共産党が、真の人民戦線をつくることな自分の任務としていること
がしめされた。共産党は、つねに黒人問題に大きな意義をあたえてきたし、現在もあたえている。
第十五回大会で採択された決定のなかで、共産党は、黒人のなかでの活動を強化し、生活の全分
野における人種的差別に反対する闘争をひろく展開しなければならないことが強調された。大会
は、全党員および党指導者にたいして、マルクス=レーニン主義の基礎を習得する活動を強化す
ることを要求した。大会は、従来の構成のままの全国委員会を選出し、そのほかに、はじめて九
名の全国委員代理が選出された。
合衆国当局は、民主主義運動に圧迫をくわえることにつとめながら、共産党狩りを組織した。
当局は、それによって国内のすべての進歩的な運動の息の根をとめるために、共産党を壊滅させ
ようとしている。一九四八年七月に、進歩的行動と民主主義的見解のかどで、ウィリアム・フォ
スターとユージン・デニスを先頭とする一一名の全国委員が逮捕された。一九四九年一月に、九
ヵ月間つづいた一一名の共産党指導者にたいする裁判がはじまった。ウィリアム・フォスターの
訴訟は、彼の病気のために延期された。裁判の結果、一一名の共産党指導者にたいして長期懲役
の判決がくだされた。裁判で共産党の指導者たちは、合衆国の帝国主義者の反動的侵略政策をば
くろした。指導者たちはまた、共産党にたいする迫害が、ブルジョア民主主義的自由の最後の残
存物にたいする反動の総攻撃の開始であることを指示した。
アメリカの反動は、共産党を法律の保護のそとにおくことにつとめ、共産党員の迫害を強化し
た。一九五〇年に、議会は、すべての進歩的組織、まず第一に共産党にむけられたファシスト的
マッカラン法を採択した。一九五一年六月に、合衆国最高裁判断は、一一名の全国委員にたいす
る判決を確認した。七月に、ユージン・デニスその他の党指導者は投獄された。これにつづいて
さらに一連の裁判がおこなわれ、その結果、多くの共産党の活動家が投獄された。
合衆国共産党は、法外な迫害をうけているが、勇敢に闘争をつづけている。
一九五三年七月に、合衆国共産党全国委員会は、一九五二年十一月におこなわれた大統領選挙
の結果生じた国内情勢の問題にかんする決定を採択した。全党員一致で採択されたこの決定は、
党の今後の行動綱領となっている。この決定は、アメリカ労働者階級、農民、黒人および全勤労
者の力を労働者階級の指導下にある統一民主戦線に結集するという主要な任務を党に提起してい
る。決定は、労働者階級を先頭とする統一人民戦線のみが、反動に反対し、平和と民主的諸権利
をまもる闘争において成功を保障できることを強調している。
合衆国共産党は、民主主義的中央集権主義の原則にしたがって創立されたり職域的・地域的原
則にしたがってつくられた下部党組織が主要な細胞である。下部党組織は、州の党組織に統合さ
れ、州の党組織の最高機関は、州党委員会が秘密投票で選出する州党協議会である。党の最高機
関は、年二回召集される全国党大会である。大会は、大会と大会とのあいだの最高指導機関であ
る全国委員会を選出する。全国委員会は、委員長と書記長によって指導されている。