朝鮮共産党
朝鮮共産党は、朝鮮労働者階級の前衛部隊である。国の自由と独立、統一朝鮮民主主義人民共
和国の樹立をめざす朝鮮人民の闘争における指導勢力である朝鮮労働党の中核となった。
朝鮮における最初のマルクス主義サークルと共産主義グループは、大十月社会主義革命の影響
のもとに開始された民族解放運動が成長する情勢のもとで一九二〇年からうまれはじめた。一九
二五年四月に朝鮮共産党が結成された。しかし、「日本官憲の苛酷な弾圧と破壊と、その当時共
産党の中核をなしていた小ブルジョア・インテリゲンツィアの動揺は、共産党の隊列をよわめ、
一九二八年には、組織された力としての朝鮮共産党は、みずからの存在を絶つことになった。し
かし堅実な共産主義者たちは三〇年代に、新しい発展をかちとった人民的民族解放運動の先頭に
ひきつづぎとどまっていた。」〔金日成『大十月社会主義革命と朝鮮人民の民族解放運動』、『
恒久平和のために、人民民主主義のために!』一九五一年十一月二日、第四四号四ページ〕共産
主義者は、朝鮮における日本帝国主義者の植民地支配にたいする大衆闘争の組織者であった。
ソヴェト軍によって朝鮮が日本の侵略者から解放(一九四五年)されてのち、共産党員は、地
下から出て、一九四五年八―九月に共産党を復活させた。共産党は、党と大衆とのつながりを拡
大強化し、朝鮮の勤労者のすぐれた代表の力によっていちじるしく成長した。共産党は、国内の
民主的改革のため、ソ同盟、アメリカ合衆国、大英帝国外相のモスクワ会議(一九四五年)の決
定にもとづく統一、独立、民主主義国家樹立のための朝鮮人民の闘争の組織者であり指導者であ
った。
ソ同盟が北朝鮮に民主主義的発展の完全な自由をあたえているのに、アメリカ合衆国が、朝鮮
にかんするモスクワ会議の決定の遂行を破棄し、国を分割して、南朝鮮を自国の軍事基地に変え
る方向をとりはじめたために、共産党は、やむをえず一九四五年十月に、国の北部と南部に二つ
の指導的中心を設けるにいたった。もっとも複雑な情勢のもとでは、このことは、統一、独立、
民主主義国家の樹立をめざす人民大衆の闘争のより成功的な指導の実現を促進した。共産党の指
導のもとに、北朝鮮では、根本的な民主主義的改革が開始され、南朝鮮では共産党は、アメリカ
帝国主義者と彼らの雇人である南朝鮮反動陣営の朝鮮人民に敵対的な政策に反対する人民大衆の
民主主義的民族解放運動の先頭に立った。
独立朝鮮民主主義人民共和国建設のための闘争に国のすべての愛国的勢力を結集する目的で、
朝鮮共産党は、すべての民主主義政党と社会団体を統一民主戦線に統合するための主導者となっ
た。一九四六年二月に、南朝鮮民主主義民族戦線が結成され、一九四六年七―八月には、北朝鮮
統一民主主義民族戦線が結成された。一九四六年八月に、北朝鮮では、共産党は、緊密に協力し
てきた新民党(一九四六年二月結成)とともに、マルクス=レーニン主義の思想的・組織的原則
にもとづいて北朝鮮労働党に合同した。南朝鮮では、一九四六年十月に、アメリカ占領当局と李
承晩一味に反対するゼネラル・ストライキと武装蜂起の最中に、共産党の地方組織、人民党(一
九四五年十一月結成)、新民党(一九四六年のはじめに結成)も南朝鮮労働党の統一組織に合同
した。一九四六年十一月二十三―二十四日に、南朝鮮労働党の創立大会がひらかれた。一九四九
年に、北朝鮮労働党と南朝鮮労働党は、朝鮮労働党に統一合同した。労働党の中央委員会議長に
は、すぐれた朝鮮の政治家金日成がえらばれた。