浅草寺ってホントに歴史あるの?

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26名無しさん@京都板じゃないよ
鎌倉時代の正応3年(1290)8月15日に、『とはずがたり』の
作者、後深草院二条(女性)が鎌倉訪問のついでに信濃の
善光寺にお参りし、それから武蔵へ回って浅草に参詣して
います。

「浅草と申す堂あり。十一面観音のおはします。霊仏と申す
もゆかしくて参るに、野の半ばをはるばると分け行くに、
(中略)観音堂は、ちと引き上りて(=小高くなった場所に)、
それも木などはなき原の中におはします」

と書かれています。鎌倉時代の京都の人がわざわざ参詣す
るぐらいですから、当時から善光寺とともに東国の代表的な
霊場と考えられていたようです。しかしこのころはもちろん
江戸の町ができるはるか以前ですし、何もない野原にお堂
だけあった様子がわかります。
上の引用には「十一面観音」と書かれていますが、これは
正しくは聖観音だが、当時十一面観音だと思われていた、
ということらしいです。やはり昔から秘仏なので誰もその姿
を見た人はいなかったようです。