942 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 20:24:18
>>940 総門建立のための地鎮祭があるそうで朝青龍も来山の由
工事に関係してのことと思われますが
釈迦堂のそばにあった土蔵造りの聖天堂が釈迦堂の脇に遷座してましたね
いろいろ派手なイベントをしてくれますようで
それはそれでいいですが縁日以外の平日でも
もっとお堂を閉める時間などを遅くしてもらえないでしょうかね
夕方のお寺が閉まる時間が参詣者の多い大本山のわりには早いと思います
お札の売り場も夜九時ぐらいまで開けててくれるとか
加持祈祷の時間も夜の七時・八時ぐらいのがあってもいいと思います
成田山の付近も新興住宅地が広がって人口も増えました
コンビニアンスストアもたくさん見かける町ですし
時間の感覚をもう少し現代的にしてほしい
943 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 22:42:29
成田山新勝寺の釈迦堂の前の丘の上に出世稲荷が鎮座していますね
東京の深川の成田山にも稲荷のお宮がありまして
両方とも社殿の正面の参拝者に見える所に真言がかかれています
同じダキニ天を祀る祠堂なのに真言が違いますね
曹洞宗の豊川稲荷の真言もまたぜんぜん違う真言ですが
同じ成田山のダキニ天なのにその真言が
成田の本院の稲荷と深川の別院の稲荷で違うのはどうしてでしょうか?
944 :
942:2006/02/18(土) 22:46:47
>>942 >釈迦堂のそばにあった土蔵造りの聖天堂が釈迦堂の脇に遷座
「大師堂のそばにあった土蔵造りの聖天堂が釈迦堂の脇に」
の間違いでした
聖天堂の正面軒下の鈴も綱も新しくなったようですが
昔の古い大きな鈴に細い綱も渋くてよかった
古いほうはどこにいったのでしょうか?
廃棄なんてされてなきゃいいですが
945 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/19(日) 02:34:22
>>942 成田の住宅地に住んでる人達も
もっと成田山が夜の遅い時間に開いていれば
ほぼ日課でお参りしたい人がたくさんでてくるはず
東京に通勤している人たちは朝は早いだろうし夜も6時7時ぐらいには帰れっこない
でも8時9時に護摩供があれば駅から自宅まで多少遠回りになっても
成田山によって帰ろうという人がいっぱいでてくる
946 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/19(日) 03:59:23
947 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/19(日) 14:24:03
深川も早い
非縁日の最後の護摩は午後5時だったかな
深川だったら午後11時ぐらいが最終護摩でいいんじゃ?
>>947 それはいかになんでも坊さんがカワイソ
もしそこまでやるなら、昼夜三交代制かなにかで、
不断護摩。朝座は五段で。平座二時間おきとか。
やったら験は凄そう。
自分勝手な奴らが大杉。
950 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/20(月) 01:26:37
釈迦堂の厄払いの勤行に参列して
お坊さんの祭文や読経などを聴いていると
不動堂での勤行とほぼ同じ文言なんですね
釈迦堂の仏像に不動明王は見当たらないのに「大日大聖不動明王」に捧げる形で釈迦の“しゃ”の字も出てこなかったようです
たとえば仏菩薩の真言を唱える箇所で成田山では慈救呪の箇所だけは太鼓入りで多めに唱えますが
釈迦堂では「のーまくさまんだぼだなんばく」を太鼓入りで多めに唱えるとか「南無釈迦牟尼仏」を唱えるとか
釈迦堂であるからこその変化をほしいところかと
951 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/20(月) 01:36:12
変化身ナンダヨ。自称
952 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/20(月) 10:26:42
釈迦堂の厄払いは成田山不動尊の勤行式としても
勤行の前後に「南無釈迦牟尼仏」を全員で三唱ぐらい心を込めて唱えてはどうだろうか
太鼓いりとかじゃなくてゆっくり声をのばして
やっぱり釈迦仏は仏教の基本だし
深川だと内仏殿に進んで行くと南方上座部系の仏像が安置してあって
金箔供養ができるようになってて根本仏教を偲べる
成田市の大本山はチベットとは仲がいいみたいだが
南伝仏教との付き合いはどうなんだろうか
953 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/20(月) 11:36:20
>>950 厄払いの場所は釈迦堂だけど、授けている御札は不動尊の御札だからかと。
じゃ、なんで釈迦堂でやっているの?という疑問はあるが。
単に場所がないからじゃないの?
現本堂は参拝者多いし、七五三とか初まいりとか
護摩の合間にやってるし・・
955 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/20(月) 17:18:11
暇だったので朝青龍を見に地鎮祭へ行ってみた。
カメラを持ったおじさんたちの罵声・怒号が会場全体に響き渡る異様な雰囲気に圧倒された。
朝青龍の出番が終わった途端、その人たちもいなくなったので、その後は厳粛な感じで式は進んだけど。
あと、紅白の餅をもらえてラッキーと思った(式の後、無料で配っていた)。
956 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/20(月) 21:32:03
あの場所に総門かという気もする
総門といえば宗吾霊堂や中山法華経寺の総門は参道の途中にあって
走行する京成電車の窓からでも気をつけていれば見ることができる
東京芝の増上寺の総門なんかもそうだけど
鳥居に立派な屋根が付いたような感じで下を自動車も走っているような所に建っていたりする
成田山の総門は完成予想図を見ると楼門のようで
派手な地鎮祭に似合う豪勢な作りのようだ
でも総門というならもっと簡素な設計で場所も駅に近い所
例えば開運橋の辺りとかに作ればいいのにとも思う
957 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/20(月) 22:42:20
総門の予定地とされているあたりだけと
成田山ぐらいの大きな名刹だったら「三門」の位置だと思う
石段の中程の亀池の仁王門は「中門」として
総門は寺から離れた位置にあるほど信仰の広さ寺の大きさが伝わってくる
成田山ぐらいの大寺なら総門といったら
開運橋の通りがバス通りと交わって成田山方面に進んですぐの所にあるぐらいがよさそうだけど
祇園祭りなどで邪魔になるようだったらやっぱり開運橋を成田山側に渡ったあたりとかがいいかな
958 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/21(火) 23:57:18
釈迦堂の前に「香閣」の額のかかる大香炉のあずまやがあって
左右に銅製の大きな吊り燈籠のかかるあずまやがありますが
小さいながらなかなか立派な造りの建物なのに成田山の案内のページなどで
詳細が取り上げられているところが見られません
けっこう文化財に指定されてもいいような建築だと思うんですが
以下は推測ですが
屋根などに「吉原講」とあったり「新吉原」などの文字も
どこかにあったりしますし
もしかして吉原遊郭の寄進なのであまり触れたくないのでしょうか
そんなら釈迦堂のそばに聖天堂が引っ越してきましたし
聖天様は性の神様で遊女屋もご信心の神様ですから
そちらの前に吉原講の吊り灯篭のあずまや等も移してはどうでしょうか?
959 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/22(水) 10:11:25
釈迦堂前の香炉舎や燈籠舎は
宮大工の仕事というより御輿や山車の職人の技が伝わってくる
銅版の彫金なんかを見てそんな気がした
国以外(県や市)の文化財指定はお断りしている可能性も。
受けると管理がすごく煩瑣になるから。
成田山のロイヤリティーは、セブンイレブン並に高いらしい。
それでも、高いカネを積んで系列寺院になりたがる寺も多いとか。
962 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/23(木) 15:07:51
大本山では理趣経を省略せずに読んでいたが
深川の別院では省略していた
そのかわり大本山で読まなかった観音経を深川では読む
省略する経文は本院と別院で異同があるけど
何を略して何を読むかはどこでどう決めているんだろうか?
963 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/23(木) 17:54:07
伝統じゃないの?
之でデターみたいな。
理主教も100字ゲだよね?
964 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/23(木) 20:01:41
経題をはじめに唱える人にまかされてるのかも知れませんね
護摩供の前に打ち合わせはするかも知れませんが・・・・・・
成田市の大本山では理趣経を太鼓なしで読誦していましたが
深川で錫杖の直後に太鼓入りで理趣経が始まって驚いたことがあります
そのあと般若心経も太鼓入りで唱えましたが観音経はなしでした
あとその日は不動経のところは三十六大童子・八大童子はなしでした
そういう日もありますし時期によって違うのかも知れませんね
本山は貫主さまの護摩以外は初段からじゃなくて百字以降からが多いヨ。>理趣経
深川は1〜15日までが観音経、16日以降が理趣経じゃなかったっけ?
もちろんフルバージョンじゃないけど、太鼓2丁で景気いいやね。
966 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/24(金) 02:02:00
川越別院は錫杖経+百字+観音経。で童子はなかった。
枚方大阪別院は錫杖経+百字+観音+童子だったよ。
どちらも梵天払いがあって気持ちいい。
967 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/24(金) 08:50:05
成田山大塔の最下層の玄関を入ると写経場があって
写経場の入口近辺に塗香器が置いてありますね
大塔御本尊のご宝前にも塗香器があって香をかいでみるとシナモン系の匂いを感じました
八ツ橋なども好きでカプチーノなどにもシナモンパウダーを多めに入れたりしますので好きな香りですが
塗香の配合には肉桂などが使われていますか?
968 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/24(金) 10:16:29
実は食料品店で買ってきたシナモンパウダーをいれてるだけだったりして
969 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/24(金) 20:07:39
食料品店のシナモンパウダーはばかにできない
最近は何の変哲もないような普通の町の普通のストアーで
けっこう手ごろな値段でスリランカ産のセイロンシナモンなどが買える
自宅で勤行の前などに塗香の作法をしたい信徒は
迷うことなく近所のストアーで買ったシナモンパウダーを使うといい
本物の塗香器を求めようとすると安くても一万円ぐらいはするが
千円前後の中国茶用の蓋椀で十分代用できると思う
****://www.rakuten.co.jp/selectea/467870/467890/#429776
970 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/24(金) 21:40:54
971 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/24(金) 22:03:55
各宗派・各寺院で作法に若干の違いはるとは思いますが、
参考として塗香の作法の一例を。
塗香を右手の親指と人差し指でつまみとり、
さらに、
それを左手の親指と人差し指で分けるようにしてつまみとる。
右手につまみとった塗香を左手に受け、
右手の人差し指と中指に少しつけ、
口に含みます。
香の盛られた両手を数度磨り合わせ、両手を擦り合わせて、
手のひらや指にまんべんなく塗る。
手首や前腕にも塗る。続いて胸に当て塗ります。
手を始めてとして身体全体が浄化されたと観想して塗香を終えます。
成田山が定める塗香の作法をご存知のかたはお教えください。
972 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 10:50:26
額殿のそばに天神さまがある
成田市内の社寺で花の楽しみは宗吾霊堂が桜で成田山が梅ということだが
梅の花を紋にしている天神さまのお祭りを盛大にすればいいのにと思う
二月の山内の鎮守神の祭礼といえば出世稲荷ばかりが聞こえてくるが
稲荷は狐の像が溢れ現世利益の願望が渦巻きすぎて風情の感じられる場所じゃないし正直余りいかない
総門もいいけど天神さまの普請を考えてほしい
天神さまは小さいけど建物は気にいってるんで神殿は今のままでいい
今ある額殿を開山堂の脇にでも移築してその跡に古式ゆかしい様式で大きな天神さまの拝殿を造ってほしい
千葉神社にいくと本殿の脇に前の本殿を使って天神社があるがあそこは神社なのに天神社頭に香炉舎がある
神仏分離の前は千葉神社は妙見菩薩信仰の霊場で密教寺院だった
有名な天神さまの境内には撫で牛の像などがあり牛は天神さまのお乗り物とかお使いとか言われているけど
天神さまは大自在天や大威徳明王と習合もしてきた神さまで不動明王とも縁が深い
香炉舎も撫で牛像も撫で牛像を安置する牛舎も古式ゆかしく造ってほしい
973 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 15:14:04
age
974 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/27(月) 18:31:15
975 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/28(火) 12:15:56
今や本山よりも発言力が強くなっちゃったからね
976 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/03(金) 21:43:02
深川不動尊の内仏殿の二階に四国八十八ヶ所巡拝所の部屋がありますが
お釈迦様の真言と千手観音の真言に濁点があるべきところにないですね
あと第68番札所の琴弾山神恵院の本尊は阿弥陀如来で真言も正しいけど
仏画がどうみても地蔵菩薩像なんですけどなんかいい加減さが見えます
あの四国八十八ヶ所巡拝所の仏画は一つ一つ開眼してるんでしょうか?
一つ一つにお賽銭を入れる口はついていますが仏がいい加減では困る罠
977 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/04(土) 09:22:48
大通智勝仏の真言もかなりアヤシイ
>>976 釈迦如来の真言の最後「ぼだなんはく」のことを言っているのなら、それは間違いじゃない。
智山派は「ばく」と濁らないのがデフォ。
979 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/04(土) 13:04:05
千手観音の呪は?
980 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/04(土) 13:27:52
興教大師は仁和寺でスタートをきった人で
広沢流に近い人のようですが
成田山は小野流の理源大師像を安置してますね
成田山の縁起では広沢流の寛朝大僧正の名前が登場しますが
成田山に伝わる事相は小野流系と聞いたこともあります
何流ですか?
982 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/04(土) 15:31:45
縁起を創作するときに下総ということで将門を登場させることにした
史実の寛朝は将門滅亡当時血気盛んな青年僧の年齢で不動勧請の祈祷僧役として開山とされた
戦国乱世が続いた関東で新勝寺は衰微し荒廃した不動堂が残るのみだったのを中興の祖師が復興というシナリオ
しかし中興後の近世成田山は古義の本山を頂いていて小野流で修法が営まれていた
後に智山派に所属したが維新の宗教界の大改編期で
さまざまな事情が複雑に絡み合って智山派の組織の一員になったという
祭神を日本武尊にして神社にされそうにもなったぐらいに成田山は危機だったが智積院は成田山が加盟してくれて得をしたことだろう
広告塔の団十郎は維新の時期に教派神道の神習教の信者となり成田山とはそれまでよりも多少の距離ができた
983 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/04(土) 15:52:14
あげ
984 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/04(土) 16:27:56
985 :
985:2006/03/04(土) 17:13:44
>>971 成田山は、塗香を右手の親指と人差し指でつまみ取って、左手の薬指の付け根に置き、
右手を被せ、左手が上になるように転じ、右手が上になるように転じ、また左手が上になるように転じ、
両手の掌の全体に香を数度擦り合わせ、内縛印みたいに手を組み、
組んだ手を解き広げるように、胸に当て塗り、片手を胸と鎖骨の間あたり、
もう一つの片手は胸と腹の間あたりに運び、軽くはたくように3度 横方向に擦ります。
と、教わりました。
986 :
985:2006/03/04(土) 17:18:44
すみません。
>>985で間違いが一つ有りまして、お詫びします。
訂正部分は、内縛印(誤)→外縛印(正)です。
>>984 智山派は「たらま」。
だから、
>>976の「深川では真言を間違っている」という指摘こそが間違い。
988 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/04(土) 19:27:59
じゃ阿弥陀如来のはずが地蔵菩薩の御影になってる件は?
いくらなんでも、その仏画がどんなものか教えてくれないとわからんだろ、それは。
990 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/04(土) 20:15:18
尊名が阿弥陀如来って書いてて
「オンアミリタテイセイカラウン」って阿弥陀呪も書いてるけど
坊主頭で宝珠と錫杖を持って蓮華座に座っている
誰がどうみても地蔵菩薩像
991 :
名無しさん@京都板じゃないよ: