愛染明王の仏像

このエントリーをはてなブックマークに追加
221名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/26(月) 09:02:38
大正大蔵経の第18、密教部1にある。
縁日は強いて言えば二十八宿の鬼宿の日だろう。暦に書いてるから調べよう。
222名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/26(月) 09:31:53
ソースは?
223名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/04(水) 18:59:21
愛染明王には性別ってあるんですか?
224名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/05(木) 00:13:49
保守
225名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/06(金) 01:32:24
愛染明王を説く教典(金剛ぶ楼閣〜‥経)を見つけたけど、愛染明王の前で読むべき?
心経と真言だけでいいのかなあ…
226名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/07(土) 02:59:49
>>225
金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経ですな
しかしこういう密教経典は読誦するための経典ではなく
本尊や壇の作り方や修法の進め方・印と真言など
行者が行う密教の加持祈祷の解説書・マニュアル本です
意義・意味も書かれていますが出家の有資格者が学習する経典です
在家の信者さんはむしろむやみに読まない方がいいくらいです
例外的に「理趣経(りしゅきょう)」は読誦が進められています
愛染明王を信仰し読経をお捧げしたいのでしたら理趣経を読んでください

ttp://www.kyoto-wel.com/item/IS81212N01152.html
227名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/08(日) 01:47:26
>>226
ありがとうございます。なんでもかんでも読めばいいってもんじゃないんですね!
理趣経に関してですが、全部読んだ方がいいのですか?
成田山では、不動明王の前ですが、理趣経の途中をはしょっています。
大興善寺三蔵沙門大廣智不空奉 詔やく から続きを読まずに飛ばして、菩薩勝慧者 乃至しん生死〜を読んでいます。
なにか違うのでしょうか?
はしょらず全部読んだ方がいいのかな?
ご享受されたし!
228名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/17(火) 03:23:16
はしょるというより要文なので読誦する部分ということだと思います
前のレスにもCDが紹介されているようですが
書店や仏壇・仏具店の店頭でも見られるようなお経本の中にも理趣経の名を見ることがありますが
理趣経全部ではないと思います
そういうお経本やCDなどを手掛かりにして在家修行でしたら要文読誦でいいでしょう
っていうか普通「理趣経」と呼ばれている不空訳は略本で
大正蔵にも収録されている七巻本が完本の完訳であるといわれといます
しかし理趣経にせよ愛染明王信仰にせよ極めようとするなら出家の制戒の中で修行しなければなりません
伝教大師と弘法大師の仲がこじれた原因も理趣経の解説書の貸す貸さないが原因だったといいます
伝教大師が書物優先の姿勢で弘法大師から仏典類をよく借りていましたが
理趣経の注釈書を借りたいと伝教大師が使者をよこした時に弘法大師はかたく断りました
密教は教相よりも事相であり慧よりも定(じょう)を重視する弘法大師の思想と伝教大師は距離があったということでしょう
伝教大師も天台宗の止観の修行を日本に伝えた人ですから定を軽んじた人ではありませんが
天台宗では時代が下ると浄土教が主流になっていったりその反動で日蓮上人が出てきたり
比叡山でも天台止観は流行らなくなってしまいました
読経は理趣経でも心経でもいいと思いますが要は心を定めて愛染明王と一心同体となるように無念無想の境地に至ることが肝要だと思います
金剛峯楼閣一切ユガユギ経のユガ・ユギとはつまりはヨーガの修行ということです
229名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/17(火) 09:17:10
>>228
お答えありがとうございます。
理趣経は成田山の経本に載っているので、それを見ながら行いたいと思います。
また一つ仏教についての理解が深まりました!
ホントにありがとうございます!
230名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/17(火) 11:27:37
中公文庫かなんかで理趣経の本がでてましたね
口絵に愛染明王像の写真があったと思います
おもとめになってみては?
231名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/17(火) 14:36:11
金剛界曼陀羅の九会の中で理趣会という一会があります
その会名の通り理趣経に説かれた世界を金剛薩たを中尊とした九尊で表した会です
愛染明王の曼陀羅の一種にこの理趣会にそっくりな曼陀羅があります
中尊の金剛薩たを愛染明王に代えただけで周りの八尊は理趣会と変わりません
こういう曼陀羅が存在するところを見ても愛染明王と理趣経の関係の深さが古来から知られていたことがわかります
232名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/22(日) 04:00:57
けものみちにも登場してたよな。
233名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/04(土) 14:30:39
こんど京都に行くんだけど、なるべく京都の中心辺りで愛染明王を奉ってることないですか?
234名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/04(土) 21:42:48
東寺
235名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/05(日) 01:45:44
東寺は知ってますわ、行く予定ですし、他にないですか?
ちなみに仁和寺も行きます。
236名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/05(日) 08:12:38
仁和寺の愛染さんは今見れんぜ
霊宝館に入ってるから

おれも一度は見たい
237名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/05(日) 12:33:52
え゛ー霊宝館!?マジかよ…
京都にはたくさんお寺があるから、他にも愛染明王を奉っているところがありそうな気がするんだけど、
そんなないんだね!残念だわ〜
238名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/05(日) 12:40:09
漏れ、中禅寺の愛染明王が好き! 横スレ スマソ。
239名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/05(日) 12:41:09
>>237
仁和寺の愛染さんは春の特別公開の時ですな
東寺もいつも見れる愛染さんは毘沙門堂のだけ

後は東山の方に一つあったな
でも厨子に入っていて姿は拝めなかった
大抵秘仏なんじゃないか?
仏の性格上
240名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/05(日) 12:43:33
宇多天皇がらみの寺は愛染明王祀ってる所が多いと今思った!
241名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/05(日) 21:05:10
ありますよ1つだけものすごく近くで見れるお寺がね
242名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/05(日) 23:25:42
京都にはいくつか七福神の巡拝コースがありますが、
大きなお寺ではその寺の中の支院などだけでのコースがあります。
その中でも、
皇室の菩提寺としても知られている御寺(みてら)・泉湧寺の七福神コースでは、
通例の七福神に加えて二尊を加えて九箇所を巡拝するコースになっています。
その二尊は愛染明王と楊貴妃観音です。
つまり泉湧寺では愛染明王が番外として七福神の一員として迎えられています。

**tp://www.mitera.com/shichifuku/shichifuku.html
243名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/06(月) 00:04:19
>>1
深川不動尊(成田山東京別院)の2階にお祭りされてるし、川崎大師の本尊の左隣にも祭られてるよ!
244名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/06(月) 00:27:34
 愛染様って在家向きですか?
真言となえると全ての物に愛されるとありますが、これって良からざるもの、
とかも寄ってくるということなんでしょうか?拝んだ後、イチャモンつけられたり
しましたもんで・・・結構厳しい神様ですか?
245名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/06(月) 00:54:12
泉湧寺に行ってみまーす!ありがとうございます!
246名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/06(月) 01:05:43
>>244
密教は何ゆえ“密教”かというと
むやみに生かじりで済ませてしまうと
気がつかないところで誤解をしてしまっていて
何か重大な間違いを犯していても自覚がないので
災難に遭ってしまうおそれがあるために
“秘密の教え”として有資格者に授けるからです
基本として在家であっても
宗門が本尊として教えている仏様を中心とした仏壇を
ご自宅の規模に合わせてしっかりと構え
宗門が定めている在家用の勤行を朝夕仏前にお捧げして
生活の中心としてください
日ごろから菩提寺と親しくお付き合いをさせていただいて
すくなくとも年に一度ぐらいは総本山に参詣させていただくなど
在家は在家としての向学心を育てて順序良く仏教を深めて生きましょう
そういう中で愛染明王に信心を持つなら絶対に悪いようにはなりません
247244:2006/02/06(月) 10:18:20
>>246
お返事どうも有難う御座います、私は単独で愛染様を拝んでます。禅宗ですし。
 愛染様はじゃあ在家が勝手に拝むのは止めといた方が無難なんですか?
248名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/06(月) 23:48:38
愛染明王を信仰することは遠慮はいらないと思います。
>>246にも愛染明王が災難を招くとか邪気を呼ぶような意味は書かれていないようです
ご宗旨が禅宗ということですが愛染明王を崇敬することは全く問題はありません
鎌倉の臨済宗圓覚寺派の総本山には確か居士林と呼ばれる在家のための禅の道場がありますが
そこの座禅堂のご本尊は不動明王であったと記憶しております
密教的な尊格である明王像が座禅の修行のご本尊として奉安されている例もあるわけです
愛染明王がヨーガに関わりの深い明王であることが
このスレのどこかにも書かれてあったと思われますが
禅もヨーガと親密な繋がりがありますからもしかしたら不動明王よりも愛染明王のほうが座禅堂のご本尊に相応しいかも知れませんね
曹洞宗では「修証義」という教えがありますがこの教えは「修行の果てに仏陀になる」というのではなく
修行している最中がもう仏陀なのだという主張のようです
煩悩が燃え尽きて無くなってしまう時にはじめて仏陀というのではなく
修行中のまだまだ煩悩だらけの心身ではあるが即心即仏・即身是仏なのだという教えだそうです
愛染明王が表す「煩悩即菩提」にも通じる法門と見ていいでしょう
ご宗旨が臨済宗系か曹洞宗系かは存じませんが
在家の人向けの座禅の集いなどに出る機会があれば出席して見てはいかがでしょうか
一見愛染明王信仰と離れているかのように見えるかも知れませんが
決して禅と愛染明王は遠いものではありません
249名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/07(火) 14:51:58
↑では愛染様は不動明王のように信者をビシビシしごきますか?
 信仰してる人には厳しいでしょうか?
250名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/07(火) 22:00:53
不動明王が「信者をビシビシしごく」というお話が良くわかりませんが
誤解してしまうかたが出てきてしまわないように書かせていただきます

不動明王は「身代わり不動」という信仰があります
信じる者の苦しみを不動明王が代わって受けてくれるという信仰です
たとえば成田山の木札のお守りの由来にもそれが伺われます
辰五郎という大工が仁王門の修復中に高い足場からあやまって墜落した時
身に着けていた板の通行証が割れただけで怪我をせずに済んだそうです
その通行証の木札には「成田山」の焼印が押されていましたが
その字が真っ二つに割れていてこれが不動明王が身代わりになった印として
成田山の不動明王の代表的な霊験譚として語り継がれています
その木札をかたどってお守りとして今も人々に授けられているということです
仏法は自制自戒の教えだと思います
結局は自律のモチベーションがなければ意味がありません
信者が自分の意思で自分のためにそれが良いと思って願うのでしたら
厳しい戒律や清規の守られる師弟が集う場所が用意されてはいます
しかし望まないのに神仏が信者に厳しく当たるということはありません
サンスクリット語やチベット語の広本の理趣経には
非勤苦性といわれる種類の衆生に向けて説かれた箇所があり
食べたいときに食べたいものを食べ
寝たいときに寝ればいいという風に書かれていて
修行もしたいときにしたいだけすればいいという教えが見られます
別に苦難や試練を求めなければならないことはないと説かれているのです
宋代の法賢訳の広本理趣経(最上根本大楽金剛不空三昧大教王経)には
この非勤苦性の部分が訳されていないようです
宋代のこの時期には施護や法護などの訳経三蔵によって
後期密教の無上瑜伽タントラの翻訳も行われましたが
支那の当時の仏教から過激と見られてしまう部分は
故意に訳されなかったとのことです
広本理趣経の非勤苦性に関する部分も誤解の恐れがあるために
翻訳が避けられたものと思われます
251名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/08(水) 10:32:06
↑儀軌はわかりました。
しかし実際は行者さんなり信仰してる人が言うには荒い神様だと命とられたり
しごかれたりする。人格的にも向上させるためにも普通の人間よりハードルあげるのが
荒い神様、とくに不動さんとかの相場みたい。
では愛染さんにもあるのかと。何千年も前の話ではなく生の声が聞きたい。
252名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/09(木) 11:13:31
荒い神様と言っても仏教外の神ならあるかもしれませんね
聖書には神へ賛美を捧げる篤信の人が神に対する喜びのあまり
思わずよろけて十戒の石板を納めている聖なる箱に触れてしまった時
神が怒ってこの人の命を奪った話などが書かれていますが
これを目の当たりにしたダビデ王は王都にこの恐ろしい神をお迎えすることにしりごみしたとあります
しかし仏教の尊格が礼拝する人の命をその尊格の殺意から奪うということは仏教であるかぎりないのです
なぜなら仏教は不殺生戒を殆どの重要な戒律で第一に説いている教えだから
ただ仏教は中道の教えですからジャイナ教ほど徹底はしていません
ですから様々なしがらみで禽獣や魚介類などの殺生を伴う仕事をなりわいとしなければならない人たちに転職を進めるようなことまではしません
ですが仏・菩薩・明王・諸天善神が仏法の立場で修行者に殺意を抱くことはありません
確かに密教には怨敵降伏の祈祷法などもあり
正当防衛の動機から修法が行われてきました
高度成長期に公害で工場の付近の住民が被害を受けて苦しみの中で死んでいくようなことが続出するような事態であっても
経営者が責任を認めず被害者への謝罪も保証もしないで公害を止める対策をはかることもしない等というようなこともありましたが
そういう工場の付近に傘をかぶった行脚僧のような一団を見ることがありました
僧たちはのぼり旗にはっきりと「呪殺」の字を掲げ悪徳経営者の呪詛を厳修した密教僧たちでした
度脱法は修行する側の段階の高さや修法の動機の正当性が厳しく問われる加持祈祷法であることは言うまでもありません
一方でこんな話があります
ある高僧が人に憑いて苦しめていた悪霊を降伏するために不動法を修法していたがいくら祈っても験が現れずついに不動が背を向けた
不動に理由を尋ねるとその霊は生前不動明王を信仰していた僧で不動明王の明呪を受持していて不動の誓願から降伏できないという
そこで高僧は不動像を縄で縛り大威徳明王の法を修法したところやっと霊を退けることができたという
つまり明王の強力な法力は時に確かな正義の降伏法でさえ退けるほど修行者を(死後悪霊になっても)守ることがあるほどだと言われているのです
253名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/09(木) 21:20:53
>>252
>ある高僧が云々

天智天皇の御代に、仙人が苦行した地を相応和尚が不動明王顕現の浄土であるとして明王堂を建立されました。
これが比叡山の無動寺の起源です。
無動寺谷を開いた相応和尚は、十五才で比叡山に登って出家した後、慈覚大師(円仁)の弟子に推挙されました。
その後、山中に静寂な地を求め歩き、比叡山南渓で草庵を結び、苦行の日々を送られました。
その間に法華経の中に説かれている常不軽菩薩の但行礼拝と山林抖(さんりんとそう)とを組み合わせ、
全山諸仏堂を巡拝する行を始められ、これが回峰行の始まりです。

相応和尚が無動寺を建てた年に、
藤原良房の娘で文徳天皇の女御の染殿后明子が、天狐に取り付かれて悩まされていました。
有験の僧が呼ばれましたが、この天狐を降ろせる者はいませんでした。
相応和尚も呼ばれ、三日加持しても効き目がありません。
それで寺に帰って不動明王に訴えたところ、南を向いていた明王は相応和尚に背を向けて西を向きました。
相応和尚が西に座ると、明王はまた背を向けて東を向きました。
相応和尚が東に座ると、明王は初めのときと同じく南に向いてしまいました。
相応和尚は涙を流して、明王を責めると、明王は「紀僧正すなわち真済が私の真言を唱えていた。
ところが、真済が邪念のために天狐の道に落ちて、染殿后に取り付き悩ましている。
私は、真済の誓願のゆえに天狐を守っていて私の真言では効かない。
お前が宮中に行って、天狐に『お前は真済の後身の天狐ではないか』と告げて、大威徳明王の加持をすれば、
天狐を捕らえることができる」と教えてくれました。
相応和尚が不動明王の言った通りにすると、染殿后の病気は治りました。
254名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/09(木) 21:30:48
>>252
>聖書には云々


ダビデは彼に従うすべての兵士と共にバアレ・ユダから出発した。
それは、ケルビムの上に座す万軍の主の御名によってその名を呼ばれる神の箱をそこから運び上げるためであった。
彼らは神の箱を新しい車に載せ、丘の上のアビナダブの家から運び出した。
アビナダブの子ウザとアフヨがその新しい車を御していた。
彼らは丘の上のアビナダブの家から神の箱を載せた車を運び出し、アフヨは箱の前を進んだ。
ダビデとイスラエルの家は皆、主の御前で糸杉の楽器、竪琴、琴、太鼓、鈴、シンバルを奏でた。
一行がナコンの麦打ち場にさしかかったとき、牛がよろめいたので、ウザは神の箱の方に手を伸ばし、箱を押さえた。
ウザに対して主は怒りを発し、この過失のゆえに神はその場で彼を打たれた。ウザは神の箱の傍らで死んだ。
ダビデも怒った。
主がウザを打ち砕かれたためである。
その場所をペレツ・ウザ(ウザを砕く)と呼んで今日に至っている。
その日、ダビデは主を恐れ、「どうして主の箱をわたしのもとに迎えることができようか」と言って、
ダビデの町、自分のもとに主の箱を移すことを望まなかった。ダビデは箱をガト人オベド・エドムの家に向かわせた。
三か月の間、主の箱はガト人オベド・エドムの家にあった。主はオベド・エドムとその家の者一同を祝福された。
神の箱のゆえに、オベド・エドムの一家とその財産のすべてを主は祝福しておられる、とダビデ王に告げる者があった。
王は直ちに出かけ、喜び祝って神の箱をオベド・エドムの家からダビデの町に運び上げた。

聖書「サムエル記・下」,第六章:第2節から第12節まで.(新共同訳)
255名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/10(金) 23:02:57
愛染明王で敵国調伏の加持祈祷といえば
西大寺の愛染明王を本尊にして興正菩薩叡尊が奉修した愛染法
西大寺の愛染堂の本尊は鎌倉時代に真言律宗関係で
多くの優れた名像を造立した善派の仏師
善円の作で現在は国指定重要文化財
像の左手に持っていた矢が北九州の多々良(たたら)浜へ飛んで行き
蒙古の大将の胸を射止めたという話が伝わっている
それゆえ愛染明王は現在8本の手の内
左手の上から2本目に何も持っておられないとされている
http://images.search.yahoo.co.jp/bin/query?p=%B0%A6%C0%F7%CC%C0%B2%A6%BA%C1%C1%FC&n=5&b=22&c=image&rh=20&d=1&to=24
256名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/10(金) 23:06:20
自分より弱い誰かを虐待するなどして恨みを持たれるなどの
呪詛されるようなことに身に覚えがないなら
何も恐れることはないのです
三宝に親しみ篤い信仰を捧げていれば
不当な呪いで被害を受けることからも避けられます
257名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/24(金) 21:17:33
>>255
リンク先は別の愛染明王の画像に変わってしまっているようですね

↓このページだと見られます(今のところは)
****://www6.ocn.ne.jp/~p-forte/aizen02.htm
258名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/28(火) 01:27:01
上げ
259名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/28(火) 06:08:50
ドラマ「けものみち」の、鬼頭さんの枕元にある愛染明王、
いいね。
260名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/28(火) 09:58:08
>>251
>儀軌はわかりました

何が解ったんだろ?
経・儀軌を無視して密教は語れないんだが・・・。
弘法大師をはじめ、多くの僧が死ぬ気で修め伝えてきた事よりも、
ここにいる2ch坊主の不確かな体験とやらを重視するのか?
261ももり:2006/04/11(火) 22:02:10
九州から山口県の範囲で「愛染明王像」のあるお寺を教えて下さい。
出来れば、「不動明王」との合体図「両頭愛染明王」のある所を教えて下さい。
262メグ:2006/05/12(金) 16:02:27 BE:291334346-
秩父に愛染明王はありませんか?
情報をお待ちしております。
263名無しさん@京都板じゃないよ:2006/05/13(土) 00:59:16
>>261-262
なんで愛染様拝もうとしてるのですか?
264名無しさん@京都板じゃないよ:2006/05/13(土) 01:09:35
>>262
秩父は知りませんが、トンネル越えた山梨側の塩山に放光寺があります。
有名な愛染明王ありますよ。
265名無しさん@京都板じゃないよ:2006/05/13(土) 01:11:13
266メグ:2006/05/14(日) 14:37:43 BE:364167656-
十三仏巡礼しようと思うんですけど、愛染さまも拝みたくて
色々調べたんですけど、どうして解らなくて・・・
(三十三所は長すぎて)
267名無しさん@京都板じゃないよ:2006/05/14(日) 18:00:23
>>266
別にいっぺんに三十三か所廻らなくていいじゃん
268名無しさん@京都板じゃないよ:2006/05/14(日) 22:14:56
南無愛染明王
269名無しさん@京都板じゃないよ:2006/05/15(月) 05:33:33
>>261
竹田市に一個あった。://www.oita.isp.ntt-west.co.jp/emati/kanko/aizendo.html
270ももり
情報ありがとうございました。福岡県篠栗町八十八ヶ所霊場のいくつかにもありました。両頭ではありませんでしたが。