天皇は1000年以上も伊勢神宮に行っていないNo.2 [転載禁止]©2ch.net
1 :
名無しさん@京都板じゃないよ:
代行
3 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/12/27(土) 20:13:31.25
薩長の土人がこの国の宗教を勝手に変えた
4 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/12/27(土) 21:16:19.21
>>3 「神祇不拝」の狂義を掲げ、薩長軍に軍資金を全力投入して国家転覆に成功、見返りにウハウハと薩長土人から伯爵位をもらった穢多教団・浄土真宗もお忘れなく。
薩摩(=エッタ)・長州(=朝鮮部落民)・真宗(=共産党)…の絶滅なくして、日本精神と神祇祭祀の復興は有り得ない。
斎宮託宣事件の記録から分かることだが、
伊勢神宮や斎宮で、
国政を左右するような天照大神の託宣が下されたことは一度もない。
したがって、宮中から追い出されて伊勢神宮に祀られている神は、
真の皇祖神ではないことが明らかであり、
息長斎王家に残る、
「伊勢神宮は天武天皇の遁甲(兵法・忍術)の考え方によって建てられた
真の国体を隠蔽するための影武者的な存在」
という伝承が、真実の可能性が高いと思われる。
もちろん、ダミーだからこそ、歴代天皇の参拝は行われなかったとすれば、
辻褄が合う。
>>5 >>6 御皇室を貶める真似はいい加減にやめろや! 統失在日!
つぎに、
道鏡の宇佐八幡宮神託事件から分かることだが、
息長斎王家に伝わる
「真の皇祖神は伊勢神宮に祀られておらず、宇佐八幡のほうが本体」
という情報が正しい可能性が高いと思われる。
宇佐八幡は香春神社から派生したものであるため、
香春神社に祀られている「辛国息長大姫大目命」が
伊勢神宮創建とともに生まれた天照大神のモデルだったことが容易に推察できる。
これもまた、息長斎王家の伝承とピタリ符合する。
「辛国」は韓国を指す言葉で、唐土から里帰りした姫神の伝承が残るが、
新羅のもととなった秦韓は、
秦国の遺民を自称した、戦争・食糧難民を引き連れた東夷(倭人)の王族が興した国であり、
また、新羅の第四代国王は丹波の国の出身(倭人)との伝承が残るため、
倭人の国からの里帰りに他ならない。
香春神社は鉱山の神社であり、鉱山技師の一族が伝える、丹生都姫伝承の大日女と重なってくる。
香春神社は鉱山の神社であることを念頭に、大目命の正体を見ていく必要がある。
「大目」とは、鍛冶に関わる一つ目の神の神眼のことであり、
息長斎王家の現人神の明姫様の額に幻視される第三の目を指していると思われる。
爬虫類には「頭頂眼」という組織があり、はっきりと第三の目が物理的に確認できる。
これは、主に温度を感知する器官とされる。
犬の鼻にも、温度を感知する機能が備わっているため、
地中に潜むモグラやネズミなどの小動物の体温を探りながら、
ココ掘れワンワンと追い回して、捕食することができる。
この能力は、雪に埋まった遭難者を救助するのにも使われている。
人間の場合は、温度を感知する機能がかなり退化していると思われるが、
それでもサードアイがまったく使えないかというと、そうではない。
人間だって、焼けた鉄を前にすると、その輻射を熱いと感じる。
刀鍛冶にとって、温度の管理は何よりも重要で、
自らに備わるサードアイの神眼をイメージしながら鉄の温度を管理することが秘伝とされる。
鍛冶に関わる一つ目の神の信仰は日本に留まらず世界中に分布している。
鉱山の神社に、一つ目の神の神眼を奉斎する「大目」信仰が存在することは、
ごく当たり前のことと思われる。
「辛国息長大姫大目命」と阿加流比売の関係は、他の古代史研究者に譲るが、
明姫が、明神(アキツカミ)と一対になる、現人神とされる姫神に対する尊称と分かれば、
大目命が明姫(現人神の姫)という通称で信仰されていたことが分かる。
息長斎王家の明姫様は、天照大神に神憑りして託宣する神事を伝承なさっておられるが、
日本書紀は天照大神の別名として、大姫系統の名を挙げており、ここでもピタリと符合する。
阿加流比売の夫の天日槍は、
唐土(中国大陸の山東半島付近・古代倭人文化圏)では蚩尤という角を持った武神として信仰されていた。
阿加流比売の神話に牛を引く人物が登場するが、これは牛神信仰を表しており、
西方文化圏との深い結びつきを想わせる。
蚩尤が愛用する牛の角が付いた兜は、シルクロードの西から伝来したものとされる。
秦の始皇帝の兵馬俑は、ペルシャ式の軍団編成になっていることから、
かなり古い時代から西方の文化が中国大陸に流入していたことが分かる。
後に天日槍は仏教と習合して牛頭天王と呼ばれるに至るが、
蚩尤の牛兜信仰と、牛頭天王の牛角信仰は、ともに西方にあって同源と思われる。
息長斎王家はそのことを知っているからこそ、
仏教系の牛頭天王の名で祀って祇園祭を盛り上げていくことを許してきたと思われる。
西方からもたらされたのは、蚩尤の牛の角が付いた兜だけではない。
古代イスラエル文化圏からは、古い中東の王家の紋章とされる菊の御紋章も伝わっている。
今もエルサレムの宮殿遺跡のヘロデ王の門には、菊の御紋章が掲げられて残っている。
耀姫様のレクチャーによると、
古代北イスラエル王国の滅亡に伴って、
シルクロードへと逃れて交易を仕切って富を得た王族の末裔が、
山東半島付近で黄帝の血統と姫姓を受け継ぐ息長斎王家と接触を持ち、
妻問婚の形で入り婿となって成した王家が、後のヤマト王権の大王家、
すなわち現在の皇室のルーツになっているそうだ。
だから、皇室は、古代北イスラエル王家の紋章を掲げながら、皇祖は女神と規定しているらしい。
古い時代の高句麗国などでも確認できる、倭人文化圏の妻問婚の風習がなければ、
男系の継承を重んじる皇室の祖先が女神とされることなど考えられないだろう。
とはいえ、古い時代に一度流入しただけの古代イスラエル系の王族の血は薄れており、
息長斎王家も現皇室も、
主に大陸東部に存在した天(あま・海)で繋がる倭人文化圏に属する縄文系と
耀姫様傘下の教授陣は仰っておられる。
もちろん、朝鮮系などという与太話が入り込む余地などない。
12 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/12/28(日) 09:05:56.17
僭称中臣である百済系渡来人藤原氏は
体よく神武統(それまでもごじゃごじゃ有ったがw)を丸ごと伊勢に押し込めて
当麻寺建立を始めとする仏教の国境化に励んでいたので公達が取り囲んで天皇を伊勢に行かせる事は無かった
熊野詣でですら金剛峯寺でブロックしていた
明治維新で王政復古が叫ばれ国家神道が形成され廃仏毀釈が吹き荒れる内に
仏教勢力が以前最後に大きく神道を押し込めた伊勢が拝礼先として選ばれた
13 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/12/28(日) 09:09:29.96
あーあ、ユダヤまで行っちゃった。
古代北イスラエル王家から日本にもたらされたのは、菊の御紋章だけではない。
今日の一神教に改宗されたユダヤ教やキリスト教の神は、
YHWH(テトラグラマトン)で表される、唯一神とされる。
テトラグラマトンの意味は、「在らしめ続ける」だそうだ。
何を在らしめ続けると、神として信仰されるのかといえば、この世界と『生命』に他ならず、
つまり、生命を在らしめ続けている真理(良く生きるための智慧)を神格化した存在を指している。
ユダヤの神話研究の大家フロイトによると、ユダヤ教にはエジプトの太陽信仰の要素が見られるそうだ。
ということは、燃える藪の形で姿を現したとされるテトラグラマトンの神には、
炎の姿とともに太陽神の姿も潜在することが推察できる。
ところで、八咫鏡の裏面には、アラム語でテトラグラマトンのような文字が刻まれている
という未確認情報が存在する。
耀姫様によると、八咫鏡の前に作られたとされる日矛鏡と日像鏡の二面は、
オリジナルかどうか不詳の点はあるものの、現在お手元にあり、
その裏面には、在らしめ続ける神言がアラム語で刻まれているそうである。
さらに、日本の国歌を彼女(その時代の明姫)が『君が世』に決めたとき、
在らしめ続ける神言を現代の日本語に意訳した
「千代に八千代に」という言葉を用いて、国民に広くこの信仰の姿を開示したのだそうだ。
17 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/12/28(日) 09:38:15.82
>>11 読み惚れてしまいましたが高句麗を倭人とするのは無理があると思いました
倭人は漢民族から見て背の低い人の意味ですから東アジアでは南方系の種族です
島国根性の了見では100%の倭人は縄文後期に朝鮮半島の南1/3程度に九州から進入して定住していた稲作縄文人であり「〜那」で呼び習わされていた連中です
「〜羅」は採集生活民でありやはり縄文人ですが南方系か北方系か定かではありませんで倭人と見做せる場合には混血倭人です
新羅の王室は高句麗南下以前には出雲と付き合っていた様ですがとにかく混血倭人国です
百済は羅国の一かまたは高句麗の伝承通り高句麗王室の分家が那国の一を征服し穀倉を得たものの周辺倭人国との軋轢を避ける為に南方には混血倭人国としてクダラを名乗り北方にはペクチェを名乗っていたと考えられます
猶北方系に含まれるかも知れない中国地域からの少数移民については話がややこしくなるので述べていません
一般公開されていないが、
息長斎王家には、鬼神使役法という秘術が伝わっている。
その原理を、息長斎王家お抱えの私立大の教授陣が研究した結果、
催眠暗示によって、火事場パワーが引き出される技法、と結論づけられたそうだ。
古文や歴史を習った人の間では周知だが、
古い時代の鬼という文字は、角が生えた人型のモンスターを表すものではなく、
祖先の霊を指す言葉だった時代がある。
すなわち、卑弥呼の鬼道とは、祖先の霊を崇拝する、
今日の道教に残るのと同じようなものだったと考えられている。
鬼神使役法は、息長斎王家の祖先神とされる、
天日槍を神降ろしして、神憑り状態にする術だそうである。
都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)=角がある人の別名を持つ天日槍が憑依すると、
神通力と見間違う火事場パワーが発揮される鬼神使役法は、
牛角を持つ鉄兜を着用した武神=鬼を召喚するということで、
祖先の霊→鬼、の伝説に転じていったものと思われる。
役行者小角なども、この術の使い手で、
鬼(鬼神のごとき御先祖様)の力を家臣達に使わせて、土木事業などを推進していたらしい。
卑弥呼も愛用した可能性がある、この秘術のルーツだが、
ソロモン王が使役したという、伝説の72人の悪魔まで繋がるものだそうだ。
悪魔という伝承は、キリスト教徒の誹謗中傷の結果であって、真の姿は鬼神(式神)だそうである。
>>17 何か勘違いしているようですが、
漢民族(長安付近)から見て、大陸の東海岸に住んでいた人々=東夷=倭人です。
大陸の山東半島付近まで分布していた、高句麗の元の扶余なども含む、
海路(あま・天)で繋がる天津神系の倭人文化圏がどうして出来上がったかというと、
縄文時代に鬼界カルデラが大噴火して、日本列島の西半分が大量の火山灰に覆われてしまい、
食糧がなくなって居住不可能になった結果、
朝鮮半島を素通りして、食糧事情が良かった大陸東海岸へと大疎開したからです。
そのため、高句麗語と日本語は極めて近縁(数詞が完全に一致する)にもかかわらず、
朝鮮語と日本語は少し遠い言葉、になっていたわけです。
高句麗は倭人文化圏に属し、漢民族から見れば東夷です。
夷という合成文字は、大と弓から構成されており、大柄で弓の扱いに長けた人々を指します。
高句麗を建国した東盟聖王は弓の名手とされ、善射を意味する朱蒙という名も持っています。
高句麗の王族の血も引く息長斎王家の男衆は、身長190cm体重130kgを超える大柄な人ばかりだそうです。
耀姫様の従兄は197cm160kgを超えるものの、相撲取り体型ではなく、骨太だそうです。
天日槍と鬼神の話が出ていますが、鬼呼ばわりされた体格の大王の子孫ということです。
倭人といっても階級制度のはっきりした社会なので、南方系なども存在したようですが、
東夷の王族とは血統が明らかに違います。
20 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/12/28(日) 10:03:19.16
天皇が日本列島に稲作をもたらしたとするウリジナル通説から脱却しない限り正確な種族や文物の移動過程の把握される事は今後とも無いでしょう
半島経由ルートで多くの科学工学技術がもたらされたのは明確な史実であり高度な灌漑技術により稲の収量を増した事もあったのですが
無に有をもたらしたかの如き天皇稲作伝播説は背乗り律令政権による虚偽を用いたプロパガンダでありウリジナルファンタジーに過ぎず歴史学考古学の年表を混乱させ破壊するだけの代物に過ぎません
21 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/12/28(日) 10:13:24.56
天日槍って論議盗之経手遣理の事ですか?
天智天皇と天武天皇が、額田王を巡って恋の争奪戦(歌の上の話だが)を繰り広げているが、
彼女は太陽神から受け取った力を備えた巫女で、
皇族の者は日神(天日槍)の力を日の巫女を介して受け取る信仰があったが故に、
そのような争奪戦が繰り広げられたのだという話を聞いたことがある。
耀姫様の勉強会でも、男王(天皇)は斎王(明姫)から日神の力を受け取る、
という話が出てきて、これが修験道界で鬼神使役法変じたとされていた。
だとすると、卑弥呼の鬼道が、天武帝の時代まで残っていたことになる。
天照大神と天皇が精神を一つにする儀式については、
後世の研究者が勝手に想像した諸説が飛び交っていて、
有象無象の俗説を真に受けていると真相が見えなくなりかねない。
古代イスラエルのソロモン王の時代から引き継がれた鬼神使役法が、
これに相当すると考えるのが妥当なところだろう。
天皇は伊勢神宮に参拝していないが、
宮中では、皇子達が日の巫女を巡る争奪戦を繰り広げていた時代があったようだ。
>>20 日本での稲作の開始時期は、弥生を通り越して縄文まで行きそうな勢いです。
いろんなデタラメを並べて、間違った歴史認識を押し付けてくる人々なので、
いちいち相手にするのも面倒です。
24 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/12/28(日) 10:31:04.44
>>19 倭人と言うと矮(わい・小さい)と結び付けられた語意を除去すると
@ 諂う(へつらう)人
A 賓郎噛み(働かない奴)
が字面自体からは読み取れますから倭人と云う呼称は
体格の大きい北方系の採集生活種族が体格の小さい南方系の農耕生活種族を支配していくプロセスの内に被支配者に対して用いた蔑称であり
版図外の挑戦者である東夷とは術語の種類が本来的には異なると思われます
>>24 二千年以上の日女神の記憶を伝承しておられる現人神の耀姫様が仰るには、
倭国の倭は、「われわれ」から付けられたものだそうだ。
漢民族は、周辺の蛮族の呼称を、その部族の自称から取ることがよくあるらしい。
しかも、かなり蔑んだ文字を使うことが多いようだ。
その結果倭人となってしまったらしい。
倭人は海洋民族と認識されていた。
その分布だが、山東半島、遼東半島から朝鮮半島を経て九州から奈良にかけて、
日本海ルートは北陸まで達していたようだ。
北陸の天日一族の活動拠点を軽視することは出来ず、
弥生時代後期の集落遺跡「林・藤島遺跡」から2千点を超える鉄製品が出ている。
耀姫さまによると、日本産の鉄だけでは硬くて脆くて剣として使えないため、
新羅産の鉱物を混ぜて用いていたそうだ。
そのため、朝鮮半島に倭人の国が出来たり、新羅の四代国王が倭人という繋がりが生じたらしい。
東夷のほうは、漢民族から見て大陸の東の海岸付近に住んでいた、
体が大きく弓に長けた武人達のことで、倭人を傘下に置く支配階級、つまり豪族・王族に他ならない。
現代の日本人は、白人に比べて3割ほど燃費が良い、飢饉に強い体質へと進化している。
だから、高カロリーのものを食べると、欧米人より肥満になりやすい。
ところが、息長斎王家の鬼のような体格をした人々は、
カロリー喰いの体質のままで、いくら食べても筋肉は太るが肥満にならないそうだ。
相撲取り体型にならないのに、体重160キロを超えるというから、下々の日本人とは明らかに違う。
漢民族は異民族に対して蔑視の意味を込めた文字を当てるが、
東夷だけは良字を当てて敬意を示しており、そこからただの蛮族扱いでなかったことが分かる。
現在でも、大陸の女真族の地域では、体格が大きい人が見受けられる。
血統を重んじる婚姻制限がなされた階級社会で、
王族(豪族)と下々の者が同じ遺伝子を持つ同族というのは、考えにくい。
一般の倭人が、皆鬼のような巨体だったなどと、誰も考えたりはしない。
残念ながら皇室は公家化してひ弱な体つきになってしまっているようだ。
黄帝を漢民族は自分達の伝説上の祖先のように言うが、
その力の象徴とされる聖獣は日本生まれという伝承が残る。
また、その子孫とされる王族は東夷に分類されるため、
倭人文化圏の東夷族という見方もある。
黄帝の母親が姫水の出身ということから、別姓は姫とされ、
それが周王朝などを経て伊都国の斎宮=邪馬台国(高天原)へと流入し、
大姫=卑弥呼(ピミヲ・日巫王、最後のヲは食す(ヲス)=統治するの意味)=天祖
稚姫=宗女の台与=皇祖母神
日本の国姓として息長斎王家に伝わっているらしい。
黄巾の乱の発生は、地球規模の寒冷化に伴う飢饉が原因と考えられる。
大陸の各地で難民が発生し、倭人文化圏の人々は、豊葦原瑞穂の国を目指して移動を開始した。
渡来人は、何波にも分けてやって来ているが、日本の農地の開拓状況を見ての入植だったと思われる。
飢餓・戦争難民と名乗っては侮られて危害を加えられる可能性があるため、
彼等は明姫様の神託にしたがって、秦国の移民を名乗って渡来している。
香春神社に残る息長の姫の里帰りの年代と、渡来人の渡来時期がズレているようにも見えるが、
日本書紀は皇室の歴史を古く見せようと、長大に時間を引き延ばしているため、
時間軸のズレはむしろ当然と考えることもできる。
息長の大姫の里帰りの伝承から、辛国、唐土、を朝鮮半島に求め、
皇室は朝鮮人の子孫と主張する人々がいるが、これは耀姫様によって否定されている。
息長一族は縄文・東夷系で遺伝的に朝鮮系でない。
日本語は高句麗語と近い関係にあるが、朝鮮語とは遠い関係にある。
高句麗国は大陸の扶余から派生しており、朝鮮系ではない。
扶余・または高句麗から派生した百済の王族は、朝鮮の民と異なる言葉を話すという記録が残る。
神道の祝詞は吏読がベースになっているが、吏読は王宮に仕える役人の言葉であり、
王族寄りの言葉であって、朝鮮半島の土着の言葉ではない。
新羅は元を秦韓と言い、大陸から移動した戦争難民の秦氏が興した国で、朝鮮系ではない。
息長一族が伊都国の高天原(現雷山神籠石城)を設営する前は、
高句麗国の最初の王都があった桓仁の五女山城に高天原があったとする伝承が残る。
http://pic3.qu114.com/userpic/tmp/image/2011-05-24/20110524115905363-4607.jpg このような標高4〜5百mの高地に築かれる大陸式山城は、
敵(遊牧民など)が攻めてきたときの緊急避難用として作られており、
普段は巫女(神女)が棲む宗教施設として機能していた。
五女山城の名前は、
軍隊に守られた5人の神女が住んでいて、人々が困ったとき地上に舞い降りて救った、
とする現地に残る伝説に由来するが、
これと同じ伝承が息長斎王家に残っているため、
大陸の高天原が五女山城にあった可能性は高いと考えられる。
日本では、天日槍の末裔とされる伊都国王家の東進によって、
紀州に伊都郡かつらぎ(葛城は山城の意味)の標高4〜5百mの高地にも、
高天原(現丹生都比売神社周辺)が設営された時代があったようだ。
その後六甲山(武庫山)の標高5百m地帯の奥池(現芦屋市奥池)に移転し、
武庫山の高天原は京の御所から見て西宮と称された。
明治維新以降になって、海外の軍隊に武器庫がある山と勘違いされて攻めらることがないように
武庫山(むこやま)→六甲山(むこやま)→ろっこうさんと改名している。
武庫や兵庫とは、皇軍の駐留する場所を意味し、
天皇が直接軍隊を有していた時代は、武庫山の高天原は皇軍によって守られていた。
やがて、天皇が公家化して武士階級が誕生すると、
武庫山の高天原は修験者に姿を変えた男衆に守られるようになった。
六甲山は、山火事と土石流災害が多く発生する山で、居住に適さないとされてきたため、
かえって隠し城を築くのに適しており、
小規模な地上部を除いて、ほとんどの祭祀施設が地下に築かれ、
出水が多いことから、竜宮城の別称が付いている。
息長斎王家の日の巫女達は、滝修行をすることがあり、
現在の新神戸駅の北にある布引の滝などを行場として使ってきた。
そのため現地には、乙姫(弟姫・若い巫女)の修行の場とか、
竜宮城の入り口がある、などの伝承が残っている。
卑弥呼の邪馬台国の名で知られる、伊都国の高天原は、
神籠石で山を囲んだ大陸式山城の形式を持っていた。
邪馬台国は邪馬壹国の表記という説があるが、これは山囲国の意味だと耀姫様は仰っておられる。
かつらぎ(丹生都比売神社の里)の高天原や武庫山の高天原は、神籠石を用いることなく、
緊急時には閉じられる、天の岩戸の奥の地下神殿施設のみを石造りとしている。
竜宮の最下部は地下9百mに達して海面下という話もある。
昔から海まで繋がっているとする説があったらしく、
天皇は即位すると姫嶋付近まで来ては、衣を海水で洗い清めて即位の報告をし、加護を祈る風習があった。
姫嶋に祀られているのはもちろん、息長斎王家の明姫(アカルヒメ)である。
天皇は伊勢神宮に参拝をせず、天(海)津神を祀る高天原の遥拝施設で明姫に報告していた。
委系統てのはインドラの事だってのw
宇佐八幡もいっしょだけど日本神話的にはイザナギを示すと思う
インドラって言っても中身は習合して扱われてるる可能性はあるのでそこだけ注意
【素戔嗚】
牛角の兜をかぶった武神。
中東からインドにかけて、信仰が厚かった。
インド産の牛頭天王などはその名残り。
中国大陸では、炎帝一族の蚩尤。
日神だが、武器の神でもある。
日本では兵主や天日槍。
纏向遺跡を見下ろす穴師坐兵主神社は、
その昔天日槍を祀っていたことが分かっている。
穴師(鉱山技師)は、息長(天日)の大姫(阿加流比売)も奉斎しており、
大和最大の宗教施設跡に天日槍の痕跡があることから、
ヤマト王権の大王家は、天日槍系の可能性がある。
邪馬台国の衛星国家の一つ伊都国は天日槍の末裔を名乗っている。
それが東進した紀州の伊都郡かつらぎの丹生都比売神社は、
息長(天日)の大日女(大姫・阿加流比売)の妹の
稚日女(阿加流比売)を祀っていた痕跡が残る。
香春神社の息長(天日)の大姫から、宇佐八幡宮が派生し、
道鏡の宇佐八幡宮神託事件によって、香春神社の大姫=天照大神と見えてくる。
天照大神(阿加流比売)の夫の天日槍が奈良の纏向の跡に祀られているのだから、
ヤマト王権の大王家は天日槍系と考えて間違いないだろう。
33 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/12/28(日) 14:53:50.42
自前でキチガイ・スレ立てて、そっちで思う存分独り問答すればいいのに。>キチガイ燿姫(♂)
なんで他スレにわざわざ寄生して汚物垂れ流すんだよ
倭人文化圏の東夷の英雄って表現が拾えない人がいたのかwww
倭人=民、東夷=豪族、の違いが見えてこなかったわけだ。
血統を重んじる家は民と血が混ざらないんだよな。
皇室も長い間、五摂家としか婚姻関係を結んでこなかった。
その結果遺伝的に危ういことになっていると指摘を受けて、
民間から皇妃を選ぶようになっているが。
息長斎王家の直系の血筋は、
又従兄妹までの間で婚姻制限されているから、
※一部例外はあるらしい
千数百年間血統が変っていないそうだ。
ところが今の耀姫様は、
幕末の頃西との交流を図るため西洋に嫁いだ(一説によると誘拐された)
側に属しているから金髪碧眼と聞いている。
神事のときはカツラとカラーコンタクトで黒くしているから、
奉賛会のほとんどのメンバーは知らないらしいが、
耀姫様御自身が営むセカンドライフなどのバーチャルカフェで
チャットによってこの事実を暴露している。
ユダヤの長老達の礼拝を受けていることや、
日本が無条件降伏したことと、無関係ではないかもしれない。
なんでも、父親が女装を強いられる一族のシキタリを嫌って、
高校卒業と同時に家を飛び出して西洋に渡って、
先進的な考えを持つヨーロッパの同族の末裔を頼ったことで、
明姫様にヴァイキング系の王侯貴族の血が入る事態に至ったらしい。
しかし、当代の明姫様は卵子を取り出して代理出産で得た自分の子達には、
明姫を襲名させないと明言なさっておられる。
千数百年間、下手をすると黄帝の時代から数千年続いているかもしれない姫(姬)の血統は、
純粋なまま保たれることになるそうだ。
皇室が民間の血を入れて皇統の遺伝子を損なっていく流れとは、状況が違うようだ。
普通は、近親婚を繰り返せば遺伝病などが出やすいはずだが、
息長斎王家直系の遺伝子は優れていて、そのようなことはないらしい。
昔の天皇も、異母兄妹間で結婚することが多かったようだが、
遺伝病の話はほとんど表に出ていない。
藤原氏の元になった中臣氏は、明姫様付きの審神者の子孫というから、
五摂家の婚姻制限が完璧だったら、皇室に遺伝病が出ることはなかっただろうが、
五摂家が他の家と不必要な婚姻を持ってしまえば、
徐々に皇室の遺伝子も影響を受けて変質していった可能性がある。
どこかで、遺伝病の原因になる悪い遺伝子が取り込まれたとしか思えない。
息長斎王家の男衆の鬼神のような巨体と、今上天皇の普通人の体格を比べれば、劣化は一目瞭然か。
それだけでなく、今上天皇からは現人神としての御神威が感じられない。
畏れ多くも強い精神感化力を備えた現人神は、見た者から強い反応を引き出すため、
御簾を降ろして下々の目から隠すシキタリがある。
その影響は、失立、失歩、失目、失禁、失神とされている。
失立は、あまりにも激しく驚くと、腰が抜けて立てなくなるヒステリー症状。
失歩は、同じく腰が抜けて歩けない状態。
失目は、精神的ショックを受けると、目の前が真っ暗になって見えない症状。
失禁と失神は、説明するまでもないだろう。
このような畏れ多い御神威の影響を受けないように、
御簾を下げて現人神の御姿を隠すだけでなく、
いきなり神前で失立状態に陥って転倒する粗相のないように、
予め姿勢を低くして膝行するシキタリも残っている。
また、御神威の影響を受けない精神力=胆力を鍛える修行の体系が存在する。
天皇の神道の指南役の白川伯王家に、これらのことが伝承されていた筈だが、
お家断絶となった今、天皇が精神的に真の天皇になるための修行を行えなくなっているらしい。
天照大神と精神を一つに出来なければ、本当の精神的な天皇、つまりは現人神と言えないわけだが、
残念ながら、そのような修行が、現代の皇室では行われていないようだ。
伊勢神宮に形だけ参拝してみたところで、皇室神道の精神が宿ってなければ話にならない。
37 :
前スレ1と今スレ1:2014/12/30(火) 17:54:19.27
前スレ(初代のこのスレ)を企画して立てた者です。
前スレ中盤以降から荒らしがわきました。
キチガイ燿姫(♂) を荒らしと認定します。
書き込むのは拒否できませんがスレ主の権限で、私はあなたがこのスレに参加する事を拒否します。
前スレ立て当初の博識なお方の書き込み有難かったです。
そのお方と討論されていたお方などの遣り取りも有難かったです。
今後もそのようなお方でこのスレを運営されることを望みます。
取り急ぎご連絡まで。
>>35 キチガイ在日が、父親が高卒であることを自白wwwwww
40 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2015/01/08(木) 23:10:25.04
は、、、禿げるwww