>舎利弗、少善根福徳の因縁をもつてかの国に生ずることを得べからず。
>舎利弗、「もし善男子・善女人ありて」、阿弥陀仏を説くを聞きて、名号を執持すること、
>もしは一日、もしは二日、もしは三日、もしは四日、もしは五日、もしは六日、もしは七日、
>一心にして乱れざれば、その人、命終のときに臨みて、阿弥陀仏、もろもろの聖衆と現じてその前にましまさん。
>この人終らんとき、心顛倒せずして、すなはち阿弥陀仏の極楽国土に往生することを得。(阿弥陀経)
この「 」の部分だけど
お釈迦様は、仏教徒でなくても善人であるなら、
阿弥陀仏の世界を知り、その世界に行きたいと願うものは名号を称えよ
そうすれば、臨終の時に阿弥陀仏が多くの聖者と共に現れて
極楽浄土に連れて行ってくださるだろうと仰った(かなりの意訳)
だから、私は、お釈迦様は「仏教徒でなければ」という条件は
つけていないと解釈している
ここが真宗教義に対する疑問
あっちに書くといろいろ煩いんでこっちに書いとく