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名無しさん@京都板じゃないよ:
江戸時代、女犯が発覚した僧は寺持ちの僧は遠島、その他の僧は晒された上で所属する寺に預けられた。
その多くが寺法にしたがって、破門・追放になった模様である。
例えば、江戸市中であれば、ふつう日本橋に3日間にわたって晒されることになっていた。
寛政8年8月16日には67人(69人とも)の女犯僧が、天保12年3月には48人の女犯僧が晒し場に並ばされたという。
また文政7年8月には、新宿へ女郎を買いに行ったことが発覚した僧侶6人が、
日本橋に晒されたと記録されている。
さらに、他人の妻妾と姦通した女犯僧は、身分の上下にかかわらず、死罪のうえ獄門の刑に処された。