>>598 消えるのは脳や肉体に依存するような事柄であって、「その結果」は善悪ともに次の状態に相続
されていく。不善は確かにムダだが、善行為にムダなものは一つもない。
>>620 今の自分の意識は相続されないんだから、結局ムダじゃん。
別の誰かがいい状態になったり悪い状態になったりするだけだろ。
今世でやりたい放題やったもんの勝ちだべさ。
>>621 確かに、過去の経験から得た知識の類を活かすのは今生限りで、来世有機生物なら持っていけん。
>今世でやりたい放題やったもんの勝ちだべさ。
行為の報いは早けりゃ生きてる内にすぐあるから、そんなうまくいくわけ無いだろ。
( ´,_ゝ`)プッ
聞く耳無ければ好きにすればいいが、人様や世間様には迷惑かけるなよ。
623 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2014/02/14(金) 14:18:26.17
>>622 >行為の報いは早けりゃ生きてる内にすぐあるから、そんなうまくいくわけ無いだろ。
行為の報いが生きてるうちに出るか来世に出るかの違いって、どういう按配なんだろうね?
たとえば極楽さんは、ひきこもりや精神病患者に修行をさせようとなさってるけど、
それは善因を作らせて、今世で善い報いを得させようとするためでしょ?
でも、その結果が今世で出るかどうかわからないんじゃ、本人たちもやる気が出ないですよね。
行為の結果が今世に出るか来世に出るかの違いはどこにあるのでしょうか?
>>623 >
>>622 > >行為の報いは早けりゃ生きてる内にすぐあるから、そんなうまくいくわけ無いだろ。
>
> 行為の報いが生きてるうちに出るか来世に出るかの違いって、どういう按配なんだろうね?
それがズバリ「縁」。
条件が揃えば、例えば事故など起こったとき殺生の因を作っていたら死ぬし、そこまでの
因が無ければ助かる。大事故で奇跡的に助かったというのは大抵そういうもんだろうね。
で、殺生の因を持っていても、事故や殺されるような状況になるなどの「縁」が揃わなければ
一生そう言う目にあうことはない。が、来世、来来世に持ち越されて行くだけの話し。
>>623 > でも、その結果が今世で出るかどうかわからないんじゃ、本人たちもやる気が出ないですよね。
その期待する結果とは「現世利益」か「道果」ということかが、先ず質したいところ。
不幸不運が治るかどうかは確かに保証は出来ん。まあよそ様をおあたり下さい。
「不幸不運を、心から受け容れることが出来る心」であるなら、まあ期待してもらっても良いかも知れん。
これは単なる諦めなどではない。因果の理法を頭でなく体感する(縁摂受智慧)道果である。