【御同朋】浄土真宗(真宗)総合サロン69【御同行】

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996名無しさん@京都板じゃないよ
>個人の後生が確かになり、安心すれば「念佛広がれ世の中安穏なれ」と念仏するだけだ。
>念仏を広げるには精神を統一させ一般社会より厳しい戒を科し経典を深く理解し
>他の念仏者を浄土宗へ導く意欲が出る。
>その為の戒律坐禪は全て阿弥陀仏のはからいです、だから坐禪も自力じゃなくて
>あくまで他力になる。それが親鸞真宗の本当の願い。

親鸞の哲学はそうだろうけど
実際には本願ぼこりが多出して親鸞にとって「ちからおよばざる」状況になってしまっていた
「後生を確実だからと現生で安心すること」はどこの経典にも勧められていない
逆に「安心せずに修行すること」を勧め、「現生で安心すること」を戒めている
善悪を弁えるべきなのに良心的に「すべて悪人」と位置づける考え方は仏典への捉え違いで
結局、勘違いを生み出し、異安心、本願ぼこりを量産する結果となる
親鸞から750年間、今に至るまで異安心を生み出し
逆に異安心とされた人が善良な仏教徒(たとえば小池竜之介)だったりする浄土真宗の現状を見ると
まちがいなく本物の異安心は真宗教団そのものにある