【御同朋】浄土真宗(真宗)総合サロン67【御同行】

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590渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
 伊邪那美の命言いしく、「愛しき我が那勢の命、如此爲せば、汝が國の人草を一日に千頭
(ちがしら)絞(くび)り殺さん」。爾くして伊邪那岐の命、「愛しき我が那邇妹
の命、汝が然(しか)爲せば、吾は一日に千五百(ちいほ)の産屋(うぶや)を立てん」と詔り
き。是を以ちて一日に必ず千人(ちたり)死に、一日に必ず千五百人(ちいほたり)生まるるな
り。(古事記)

 死に神となったイザナミがイザナギに向かって呪(のろ)いの言葉を吐く。「貴方がこのよう
なことをするなら、私は今後、貴方の国の人々を一日に千人も殺していきますよ」。イザナギが
これに言い返す。「お前がそのようなことをするなら、私は一日に千五百人の子供を産ませてみ
せる。」このようにして我が国では、一日に千人も死ぬが、千五百人の子供が誕生してくるので
ある

 ごい迫力ではないか。誰でも死は恐い。死は悲しい。しかし、その死に対して古代の日本人は、
一歩も引かなかった。千人も死んだか。よし、千五百人の子供を作れ。古代の我々の先祖は、現
代の我々には想像もできない生命力にみなぎっていた。ここには、死んだ霊魂が苦しんでいるか
ら何とかして差し上げましょうなどという、そんな欺瞞はない。むしろイザナギはイザナミが黄
泉の国すなわち死の世界から出てこれないように大きな岩で出入り口を塞ぐ。

 我々は身内が死ぬと墓に埋める。墓には大きな石を使う。何気なく当然のように思っていて気
にも留めなかったが、日本人の墓における墓石の意味が分かったような気がする。墓とは何だっ
たか。
 「お前とはもう縁切りだ。ここから二度と出てくるな!!」。どうやらそういう通せんぼの意
味があったようだ。死んだ人間が成仏できないで苦しんでいるから、何とかして差し上げましょ
う。仏にして差し上げましょうなどという、そんなとぼけた話とは正反対の死生観をもっていた。

 弔いとは、「お前とは縁切りだ。二度と出てくるな」、古代にはそういう意味があったようだ。
イザナミの死にまつわる話は、実に我々への様々な示唆に富んでいる。最初から話を追ってみよ
う。亡霊、霊魂、呪(のろ)い、祟(たた)り、禁忌、呪文など、我々の先祖はどういう筋書き
の中で語っていたのか、その一端が見えてくる。仮説を立てながら考えてみる。