【御同朋】浄土真宗(真宗)総合サロン67【御同行】

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490渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
>>484
>死んで直ぐ往生するなら、墓は要らないはず、往生に関係ないのだから。どこぞに散骨すればいいの
ではないのか?真宗米櫃商法 でなくて、なんだと言うのか。

 非常に重要なテーマなのでこの問題を考えよう。坊さん達は触れたがらないが、これをタブーにする
ことは許されるべきではないだろう。

善光寺の如来の 我らを哀れみましまして 難波の浦に来たります 御名をも知らぬ守屋にて
そのときほとおりけと申しける 疫癘あるいはこの故と 守屋が類は皆共に ほとおりけとぞ申しける
易く勧めんためにとて ほとけと守屋が申すゆえ 時の外道皆共に 如来をほとけと定めたり
この世の仏法の人は皆 守屋が言葉を下として ほとけと申すを頼みにて 僧ぞ法師は賎しめり
弓削の守屋の大連 邪見極まりなき故に 万のものを勧めんと やすくほとけと申しけり
                            (親鸞作 和讃)

 親鸞は、「ほとけ」という日本語の語源と、日本仏教の起源と、善光寺の起源について説明している。
親鸞と善光寺との関係を追ってみる。

 四十歳、 〜 其より善光寺に一七日御参籠のことあり。 〜 下向の時、善光寺に御参詣、南門の
ほとり堂照坊に日を経て御寄宿あり。毎日仏前に於て三経読誦したまう。   (親鸞聖人正統伝)
 下野国大内庄に一寺を建立したまう。 〜 信州善光寺分身の如来を感得し、斯寺に安置し給う。 
〜 高田専修寺是也。  (親鸞聖人正明伝)
 定禅問いていわく、「かの化僧たれ人ぞや。」くだんの僧いわく、「善光寺の本願御房これなり」と。
(口伝抄)

 親鸞は四十歳の時、善光寺に十七日間参籠している。さらに、別の機会にも善光寺に参詣し、南門近
くの堂照坊に泊まり、そこでは毎日仏前で(称名念仏ではなく)三部経を読誦した。
 高田専修寺は、善光寺分身の如来を安置している。  
 親鸞の肖像画を残すにあたり、絵描きが親鸞と対面したとき、実在の親鸞聖人は、夢の中で出会った
善光寺の本願御房にそっくりであると言った。