【御同朋】浄土真宗(真宗)総合サロン66【御同行】
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ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :
寺子屋 加持力 今月の言葉 如何なる学問も、現象の理由付けにすぎない。
とても変わった例をお話しましょう。一九九一年の事でした。
札幌市の近郊に広島町という町があり、そこに住むある奥さんからの依頼で供養に行った
時の事です。
供養を始めると間もなく亡くなったご主人と息子さんがでてきて、
「苦しくて供養を受ける事ができないから、なんとかしてくれ。」
と言うのです。
どうしてと尋ねたところ
「酒を飲み過ぎて死んだ。二日酔いで頭は痛いし胸は悪いし戻しそうだ。」
と言うのです。
そこで奥さんに銚子を二本持ってきてもらい、先にご主人に前に座ってもらい少し上を向いて
口を開けてもらった。
そして印を結びその指をご主人のお腹に入れ中のお酒が口から出るように持ち上げて出し、
そのまま銚子までもってゆきお酒を銚子に戻した。
お酒は放物線を描いて銚子にはいった。
入ったお酒が戻らぬよう印を結んで封印した事は、言うまでもない。
息子も同じようにお酒を抜き、その銚子は後で捨ててもらった。
その後の供養は、順調に進み二人は成仏した。
このようなおかしな事が起きたり、目の前に源平合戦の船団が見えたり、供養は亡くなった者
の人生がパノラマのようにひろがって(テレビと違い鮮明ではない)供養する者とされる者の
壮大なドラマが展開する。
そして長い間苦しんでいた者達が苦しみから救われた歓喜を表し、その心に触れた私も熱い
涙をとめどもなく流す。
それは、仏の慈愛に満ちた素晴らしい供養となる。