天台宗のスレ 第五

このエントリーをはてなブックマークに追加
379名無しさん@京都板じゃないよ
>>373
比叡山の長い歴史の中で失敗した行者は沢山います。
回峰の行門でも、途中挫折し自ら命を絶った行者もいます。
行者は不退転の決意で行に望むが、それでも儘ならない時も有る。
冥助無かったことは、自身の至らなさと自らを恥じ、内省して再び
行に臨むのが行者ではないでしょうか。
それは恥ずかしい事ではないでしょう。。
未熟だからこそ人間です。 だからより高見を目指し行ずるのでしょう。。
そこには当然失敗もあれば過ちも有ります。人は失敗し、その失敗から如何に
学ぶかが人間の試練であり行であり、神仏からの「試し」ではないでようか。
その学びの場が現世でしょう。

>失敗した行者もたくさんいるはず。 そんなに目くじらたてなくても・・・

失敗したその事が問題ではないのです。失敗を失敗とせず、恰も成満した
かのように繕ったことが問題なのです。
神仏がなぜ満行を良しとしなかったかを省みれば、行者として取るべき態度は
見えて来る筈です。
しかしながら、行者本人は勿論、行門の諸師も延暦寺も正しい選択を
しようとしてない。
380名無しさん@京都板じゃないよ:2013/04/01(月) 14:28:59.10
立派な衣を纏って、高いところから尤もらしい法話が出来ても、このような所に
天台の真の姿が現れてしまう。 真摯な気持ちで手を合わせ、山に登り来て
浄財を託して下さった人が、次々に落胆して去ってゆく・・・
誰も行者さんを責めていません。 堂入りの姿に涙して合掌した自分が
情けなくも口惜しくて去ってゆくのです。

行に失敗したことに目くじらを立てるとかそんな問題ではないのです。
そのことが理解できませんか。

>>371
本当に同感です。
比叡山の歴史を築いて来た祖師・先師。そして全てを見通している
神仏の目から逃げてはいけないと思います。
それにしても大勢の信者の前で、「記者の人に大変だ〜と笑いながら
言ってた」とは・・・  行者が行者なら周囲も周囲。