【座禅・瞑想】修行しよう!【滝行・写経】

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続きです
そして結局自分が行った判断は、約束した謝礼は一切求めない。そこでの作業は
神仏への奉仕と思う。
そして月の三分の一は外にバイトに行くので、そこでの作業を休ませて貰うでした。
世間的に見れば、ただ働きで「損をする行為」ですが、今にして思うと矢張りその選択は
誤って無かったと思います。
そこには、三年居て、やっと安アパートを借りるギリギリの蓄えを作ることが出来ました。
そして一昨年の暮れ、やっとそこを離れるに至りましたが、あの三年の無報酬は矢張り
神仏の「試し」だったのかとも思えます。

そしてそこを離れた今でも時々数日の作業を頼まれる事があります。
作業を終えて謝礼も無く帰り、数か月後に謝礼が渡されるような形で数回お手伝いして
ますが、謝礼が無ければ無いで、請求はしないと決めてます。
「ただ奪うだけの人やイヤ」の話がありましたが、本当に神仏が見ていて下されば、
奪われた人には、神仏から御褒美があるのかもしれません・・・
権利を言ったら、労働対価を求めるのが当たり前ですが、そんな「損」とも見える
生き方の数年です。
植木の剪定や草刈り・伐採など他で依頼されることも有りますが、請求しない自分には
支払いをしない(失念か?)依頼主が何人かいますね・・・・