【座禅・瞑想】修行しよう!【滝行・写経】

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>>496 のつづきです
437氏は、氏の元に現れた光の玉と・・・いま合一しなくても、死後には彼らと
合流します。・・と仰ってますが、と云う事は、437氏の元に現れた光の玉は、
比較的最近、幾人かの人と合流した「光の玉」なのではないでしょうか?
自分の印象では「光の玉」が仰ったことばの幾つかが妙に生きている人間の
感覚に近く思えて仕方ないのです。

・「取ってくだけの人はイヤ」
・「昔はよくものを貸してやった。返してこないのが大半だったが、
 返しにきたものとは友情ができた。」
・「師を見つけて金を払うのと、困っている人に援助をするのと、
 私たちはどちらに納得すると思うのか」

そう考えたのには伏線がありまして、ある不動行者さんですが、その方が
仰るには、自分が亡くなったら、閻魔様の上を飛び越して、その奥に連なる
数多くの仏壇の一つに収まり、やがては不動明王としてこの世に再び現れる
だろう。多分どこかのお寺のお不動様かな・・・と仰ってました。
つまり、人の魂がある境地になると神や仏と一体になる。
437氏の云う「合一」と同じだと思ったからです。