【座禅・瞑想】修行しよう!【滝行・写経】

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486482
>>483
>ある方向への誘導が過ぎるのではないでしょうか?

工エェェ(´Д`)ェェエ工 そーですかねぇ。別に特定の方向の答えを誘導してる
意図は全くないですけど・・・ただ、人類は霊的世界を認識する方向に移行しつつ
あるとは思ってますが・・
>>484 437氏 の回答を読んでも未だ「誘導が過ぎる」と思います?

>>481 437氏 質問ばかりですみません。
>彼らは普通の人にも付いているそうです。
>ただ、声も姿も見えないので、みんな「いない」と思うのです。

善因を積み、悪因を断つことで神様との距離が近くなる事は、人が生きて行く
指針として、とても励みになる事です。
時に人は大きな災厄に遭ったりすると「神も仏もない・・・」などと身勝手な事を
云いますが、決してそうではなく、どんな時でも神仏が見ていると云うことなのでしょう。

神様が訪れる条件については分りましたが、コチラの人間側の感性が鈍いと
その神様を感じる事が出来ません。また多くの人にとって、それが神様の存在を
ハッキリ肯定できない原因とも云えます。
そこで、人間側の感性として、神様が付いている事が認知出来るような、或いは
その付いてる神様と意思疎通が出来るような感性になるためにはどのような訓練が
効果的だと神様は仰るのでしょうか?
昔から多くの先人が「感応同交」を願って、滝に打たれたり瞑想にふけったりと修行を
重ねてきました。しかしなかなか「感応同交」が叶いません。
善因を積み、悪因を断つことの他に、夫々が神様と繋がり易いようにその感性を磨くには
どのような訓練を積むことが効果的なのでしょうか?