【御同朋】浄土真宗(真宗)総合サロン37【御同行】
1 :
名無しさん@京都板じゃないよ:
浄土真宗(真宗)系の全宗派の話題を包括して取り上げる総合スレの第35弾です。
「どうして浄土真宗では○○をしてはいけないの?」という素朴な疑問から批判・要望、
各宗派を取り巻く諸問題、教義・教説、堂宇・荘厳、全国各地の真宗寺院・念仏道場・
説教所に至るまで、ありとあらゆる話題を取り扱います。
阿弥陀如来から見ればみな罪悪生死の凡夫。楽しく語らいましょう。
浄土真宗各派の情報交換の場としてもご活用ください。
前スレ
【御同朋】浄土真宗(真宗)総合サロン36【御同行】
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1317914409/
3 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/19(水) 17:10:10.77
995 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/19(水) 17:02:33.66
>>993 だからご文あげろってw他人の受け売りか?
あとスレ建てはよ
996 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/19(水) 17:05:13.40
>>992 化身土文類六
それもろもろの修多羅によつて、真偽を勘決して、外教邪偽の異執を教誡せば、(・・・)
『般舟三昧経』にのたまはく、「優婆夷、この三昧を聞きて学ばんと欲せんものは、{乃至}みづから仏に帰命し、法に帰命し、比丘僧に帰命せよ。余道に事ふることを得ざれ、天を拝することを得ざれ、鬼神を祠ることを得ざれ、吉良日を視ることを得ざれ」となり。
4 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/19(水) 17:18:18.93
ちょw
意味ないかもだけどテンプレ無し?
6 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/19(水) 17:20:37.75
<現在の浄土真宗の教えまとめ>
・人間死んだら終わり。霊魂は存在しない
・当然、あの世もない
・阿弥陀如来は頭の中の理屈上でだけ存在するもの
・葬式は死者の霊のために行うのではない
・葬式は参列者が死者を偲ぶのと、真宗の教えを学ぶ場である
・死後に霊を供養するということも無意味である
・法事も供養する場ではなく、生きている人間が真宗の教えを学ぶ場である
・仏壇も先祖供養するためのものでなく、真宗の教えを学ぶためのもの
・墓も生きている者が死者を偲ぶだけの場である
・占い、迷信、オカルトなど科学的証明ができないものを信じる者は馬鹿である
・よって、聖徳太子の夢のお告げを信じた親鸞は馬鹿である
・阿弥陀如来像、親鸞像なども単なる物質であるので、これに対して祈りを捧げるのも馬鹿である
・報恩講などのお布施は、親鸞はもう存在しないし、阿弥陀如来は架空のものなので、
現在の僧侶に対するお礼として納めるべきもの
親鸞の「見真大師」称号、今後は使いません 真宗大谷派
真宗大谷派(本山・東本願寺、京都市下京区)は、戦争協力を含め国家にのみ込まれた過去への反省から、
明治政府が宗祖・親鸞に贈った「見真大師」の称号の使用を今後は見合わせることを決めた。
7月1日からは、本山が信仰のよりどころとして全国の寺や門徒に授与する御影(ごえい)(肖像)に用いるの
は「宗祖聖人」「親鸞聖人」の称号だけとする。
教団は自らの戦争責任を認め、国策に追従した歴史の批判を進めており、昨年は大谷暢顕門首が「周辺諸
国にも惨禍をもたらした」と懴悔(さんげ)した。
最近は僧侶(そうりょ)から「親鸞聖人は朝廷の弾圧を受けても信心を貫いた。その宗祖をしのぶのに、歴代
朝廷が高僧に与えてきた大師号はふさわしくない」などという声があがっていた。
「見真大師」号は1876(明治9)年、太政官から、東西の両本願寺など浄土真宗の有力宗派に与えられた。
両本願寺などが国に働きかけた成果という。
9 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/19(水) 17:23:05.54
>>3 ご文とやらが出てきたけど儲側からの反論はなしか?
--------------------------------------------------------------------------------
過去にあがった大谷派僧侶の発言例
〜メダルはEUのものでも、国のものでもなく、それぞれの選手の努力の上に輝いているものなのに
それを国家を代表する人が他国と比べていばってどうするのだろうと思わないでもありません。
自分の国の選手を応援し、地元の学校に声援を送るのは、私たちの中にあって自然にでてくる身贔
屓の気持ちです。
しかし、その気持ちは身贔屓であるだけに限界があり、相対的で、偏りという暗さがある気持ちです。
(略)
〜そして他の国に対し、日本を優位に置いて誇り、領土も文化も日本にするのが善いことのよう
に思う錯覚も生まれます。
〜同朋新聞10月号四衢亮氏のコラム時言より
--------------------------------------------------------------------------------
>>9 般舟三昧経を引用して悲嘆されてるだけで禁止はしてないよね
かなしきかなや〜と同じ内容じゃないの?
別冊宝島Real 025 西本願寺「スキャンダル」の真相!
実録!悪徳高僧たちの”カネまみれ”事件録!!
北山別院架空墓地造成事件
西山別院墓地造成問題
奥尻島震災・義援金ネコババ事件
富山別院財テク失敗事件
佐賀龍谷学園問題
社会福祉法人・岐阜龍谷会事件
<三権分立>まで敷く、もうひとつの巨大国家
出入り業者の一人が、自身の体験を踏まえてこう語る。
「政財界中枢部から地域のボスまで、西本願寺の人脈は、日本じゅうに二重、三重の
網の目のように張りめぐらされている。本山各セクションは、自ら担当する事業について、
出入り業者からどれだけ利ザヤを稼げるかを常に計算していて、時として異議を唱える
末寺に対しては、出入り業者を使ってつぶしにかかることもある。」
「本願寺はお寺さんというより、一つの巨大権力組織との印象を持った」
別冊宝島Real 025 西本願寺「スキャンダル」の真相!
あの大物政治家が関与?京都の”奇怪”な土地取引に不正はあったのか!?
前代未聞!?”東京教区・女性僧侶セクハラ暴力事件”!
検証!西本願寺に飛び交う、<怪文書>は、どこまで正しいか?
「本願寺派関係学園理事長協議会・差別発言問題」
”冤罪”はなぜ仕組まれたのか!?
「差別発言でっち上げ事件」のミステリーを追う!
宗門は”エセ同和行為”で私を陥れた!
同和問題解決のためなら何をやってもいいのか!?
「札幌別院連続差別落書き事件」「東海教区住職差別発言事件」の真実
<部落解放同盟>と<基幹運動>とのネジれた”絆”とは?
別冊宝島Real 025 西本願寺「スキャンダル」の真相!
さて、組織の命綱は人事である。西本願寺でそれを握るのは、前述した総局だ。
総局は「総長」を長に、定員三人以上五人以内の「総務」からなるが、総長が
内閣総理大臣だとすれば総務は閣僚にあたる。内閣たる総局は、本山直属寺院
である全国六九の別院・教堂(最大規模の別院は東京の築地別院、大阪の
津村別院、札幌別院、鹿児島別院などが大別院と言われる)の「輪番」(実務を
取り仕切る代表役員)や、全国八五校ある大学院から幼稚園までの宗門校の
「理事長」などの人事権、任命権を握っている。
ちなみに、輪番の収人はどうかといえば、「別院で行う葬儀のお布施もばかに
ならない。場所によっては、(年収は)数千万円から一億円と言われている」
(宗門関係者)。このため、幹部僧侶や高級宗務員(本山幹部僧侶)らによる、
ポストとカネをめぐる壮絶な出世レースが展開されることになる。
>>12 宗派を代表して意見する根性はさすがにないよwまだまだ勉強不足ですし
ただ個人的にはそう思います。なにを思って参拝されるのかわかりませんし事情もあるでしょう。ただ問答無用で禁止するのには抵抗がありますね
別冊宝島Real 025 西本願寺「スキャンダル」の真相!
宗会は、僧侶議員四五名、門信徒議員(教区で選出)三一名の計七六名からなるが、
議員選出のための宗会選挙ともなると、「地縁、血縁が幅を利かせ、実弾(カネ)や
紙爆弾(怪文書)が飛び交う、永田町さながらのドロ試合が繰り広げられる」(元宗会議員)。
二○○一年三月の、宗会解散によって行われた僧侶議員選挙では、三一選挙区・四五の
定数に六二人が立候補したが、現職候補に挑んだある新人候補は、「現職候補に敬意を
表して出した私信までコピーされて悪用され、挙句の果てに過激思想の持ち主と言いふら
された。終盤戦ともなると、恥も外聞もない、品位も品格もない個人的中傷がエスカレート
するばかりだった」と振り返っている
>>16 なんだ、素人か
布教使に聞きに行ってみるといいよ「当然、他の所お参りしてもいいですよね?」って。
ゴモゴモ訳の分からん回答されると思うがw
>>18 阿弥陀仏を護持する神様もいるし一概に悪とは言えない
21 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/19(水) 18:07:39.19
>>12 >>4 教化のパンフに神棚置くなって書いてあるんだよ?
NGにきまってるじゃん
22 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/19(水) 18:08:44.83
23 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/19(水) 18:10:01.02
>>11 >それもろもろの修多羅によつて、真偽を勘決して、外教邪偽の異執を教誡せば、(・・・)
>余道に事ふることを得ざれ、天を拝することを得ざれ、鬼神を祠ることを得ざれ
はっきり禁止してるじゃん
どうやったらそう読めるの?
>>23 そうだけどそれ般舟三昧経の内容ですよね
解釈は御文章ニ帖の三首読んでくれ
25 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/19(水) 18:24:00.02
>>24 >もろもろの修多羅によつて、真偽を勘決して、外教邪偽の異執を教誡せば
これは親鸞の文でしょ
>解釈は御文章ニ帖の三首読んでくれ
なんで蓮如の文章になんの?
教団の解釈は
>>4にある通りみたいですけど
>>25 親鸞と蓮如の言うことが大幅に違ってたらヤバイでしょ
わかりやすく解説してくれてる
とりあえず読んでくれ
27 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/19(水) 18:37:58.64
>>26 ざっと読んだけど
結局、阿弥陀仏だけ拝めってことを言葉を濁していってるだけじゃないか
これから
>>4にあるとおり「神棚置くな」って布告が出るのはすごく自然だね
時代背景を考えてる?
当時の仏教界は鬼神を祀ったり仏教にあらざる様子だったし、その事実を嘆かれてるんだよ
文面からだけじゃなくて時代も考えないと。
>>25の言うように諸法、諸宗、諸神、菩薩を軽んじてはならないとある。
帰依の対象にならないだけで否定はしてあないよ
29 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/19(水) 19:25:47.49
>>28 否定はしないけど阿弥陀仏ひとりだけに帰依するのが真宗だろ
そこがおかしいよね
念仏者を守護する諸神に感謝するために神社に参詣してもいいと思うけど
それもだめというか、推奨されないわけだろ?
創価学会みたいな印象しか受けないなあ
好きなこと言ってりゃ良かった親鸞と、カルト教団作るために信者のご機嫌
取らなきゃならんかった蓮如との立場の違いだな。
蓮如は原理主義を取れず、人に受ける現実的な話を言ったまでさ。
31 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/19(水) 19:46:02.01
時代背景を考えてみろよ。
これから人口は減るし、門徒の仏教離れも加速するから
相対的に僧侶の立場が弱くなるんだよ、集まる米が減っていくんだぜ?
そりゃトラブル起こしたくないから、あれはダメこれをしろ、とか言えないだろ。
「死んだら無条件で浄土に行きます」とか無茶苦茶じゃねえかw
坊主は飼い主に尻尾を振るしかないんだよw
また米櫃野郎かよ チャチャいれるな
33 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/19(水) 19:50:07.16
>>32 チャチャいれるなってw
カルトは批判禁止なんですか?www
米櫃禁止
米櫃言われるのがよっぽど堪えるんだな
喜んで使おう。
門徒という米櫃が逃げるから、神社に行くな、なんてキツく言えません。
それが現代の真宗布教使
36 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/19(水) 19:57:38.70
<現在の浄土真宗の教えまとめ>
・人間死んだら終わり。霊魂は存在しない
・当然、あの世もない
・阿弥陀如来は頭の中の理屈上でだけ存在するもの
・葬式は死者の霊のために行うのではない
・葬式は参列者が死者を偲ぶのと、真宗の教えを学ぶ場である
・死後に霊を供養するということも無意味である
・法事も供養する場ではなく、生きている人間が真宗の教えを学ぶ場である
・仏壇も先祖供養するためのものでなく、真宗の教えを学ぶためのもの
・墓も生きている者が死者を偲ぶだけの場である
・占い、迷信、オカルトなど科学的証明ができないものを信じる者は馬鹿である
・よって、聖徳太子の夢のお告げを信じた親鸞は馬鹿である
・阿弥陀如来像、親鸞像なども単なる物質であるので、これに対して祈りを捧げるのも馬鹿である
・報恩講などのお布施は、親鸞はもう存在しないし、阿弥陀如来は架空のものなので、
現在の僧侶に対するお礼として納めるべきもの
・神祇崇拝は外教邪偽なので排斥すべきであり、神棚は捨てることが望ましい <New!
興味深い議論だったのに流れを切るね〜
38 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/19(水) 20:01:04.92
もう真宗禿は念仏申さずにワンワン!とかニャーニャー!とか鳴いておけよ。
39 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/19(水) 20:01:57.44
>>35 そんなお嫌いですか?
狂気みたいなのを感じますねこの人・・・
>>37 興味深かったか?神祇不拝が宗派の公式見解だと確定してるだろ。
まあ神祇不拝をくつがえす儲側からの有力な反論はなかったわけだが・・・
>>41 ややこしいから儲者(信者)は止めてくれ。禿と一般人の門徒はスタンスが違うぞ。
>>43 「帰依の対象にならない」=「拝まない」でしょ
うんうん個人の自由でFAだな
まて
真剣に拝みに行ってるやついるか?w
もはや神社は観光地じゃないのか?
真宗布教使に聞いてみると、これが面白い。
他の神仏を拝むことについては、「別に止めない」と言うんだな。これは寛容を
示すもんではなく、本音では行くなボケ、と思ってるが、はっきり言うと嫌われるので
こういう言い方になる。
で、それだけでは現実に屈した感が強いので次の理屈を用意している。「(他に参る
ような)彼らは、いずれ本当の教えに気がついて、そんなものには参らなくなる。」
まあ、現実はそんな人間滅多にいないわけだが。
あ、カルト親鸞会に入るような奴はそうなるかもな。
>>48 スタンスであって判断は個人じゃない?
鐘ついた後初詣いくぜ
51 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/19(水) 20:23:01.45
>>49 >あ、カルト親鸞会に入るような奴はそうなるかもな。
予防線をはるなw
>>44 両親とも福井県の北陸門徒だがどっちの実家にも神棚がある。
殆どの北陸門徒はお盆やお彼岸は先祖供養のために墓参りに行ってるよ。
地元の禿も本山の禿みたいな堅苦しいことは言わん。寺変えられちゃうからなw
>>47 若い人ほど真剣だな。神社は
観光地といえば下手に世界遺産になってしまった西本願寺を思い出す。
あそこへ来た観光客は何か拝むのかね
「阿弥陀さん、なんかいいことお願いします」とか拝んでたら面白いが
真宗は個人が信仰告白によって加入する団体ではなく
イエで継承されてきているので、宗旨が真宗というおうちの方であっても、
神棚を祀ったり、神社に参ったり、実態は様々だろう。
強制できるわけでもないし。
神祇に帰依しないし、祈願もしない。
禁止なのではなく、する必要がなくなってしまう。
そんな人、滅多にいないかもしれないが、少しはいるだろう。
どんな少しが、途切れずにつながっていけばいい、と思う。
>>54 家で継承というか昔は住んでいる地域で宗派が決まった。
檀家制度で寺が戸籍を管理していたから引っ越した先が元の住所と
管理している寺の宗派が違うと改宗w
たとえば門徒が曹洞宗の寺が管理している地域に引っ越したら曹洞宗に変更w
56 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/19(水) 21:35:56.91
>>46 FAか、いいこと言うね。
明治の廃仏毀釈で檀家制度の廃止、
昭和の経済成長の人口移動で家の宗教の断絶、
平成のネットの普及で僧侶の知識の独占の破壊、
坊さんに実力が試されているよ。
57 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/19(水) 21:47:53.90
>>53 「阿弥陀さん、なんかいいことお願いします」とか拝んでたら面白いが
普通だよ、普通に拝んでるよ。
そりゃあ、俺達凡夫だからな、信心は阿弥陀様から貰うしかないよな
「阿弥陀様、信心ください」だよな。
徹底的に阿弥陀様を絶対化して凡夫と区別されて説教されるんだからな。
今 金子みすゞの番組やってますな
59 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/19(水) 22:28:15.64
昨日のNHKの歴史番組では、
享保の一揆の場面で百姓が六字名号を書いた旗を持ってたけどな。
暴走族も天上天下唯我独尊て彫ってるよね
>>57 ???
信者の話ではなくて、観光客の話してるんだが?
戦国期の真宗と一揆の関係には興味をそそられるな。
もともと強大な軍事力を誇る山門との対抗上、
教化の対象とともに、惣村の軍事力に目をつけたのだろうが、
それが戦国大名並みの軍事力に成長したんだからな。
63 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/19(水) 22:46:13.04
>>59 「進者往生極楽 退者無間地獄」か?
真宗伝統のスローガンだしな
>>62 一向宗が朝倉家崩壊で空白になった越前を支配したが、
あまりに坊主が傲慢で、反坊主一揆を起こされてたりして面白い。
65 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/19(水) 22:50:00.26
>>63 俺も一応アンチだがそういう根拠の無い言い掛かりはやめようや
罵り合いはつまらん
自演してないか?
なんでこんな急に書き込み増えるの?ww
平太郎の段が話題に出ないってのも興味深いね。
68 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/19(水) 23:40:27.18
昨日のNHKの番組内 一揆の再現
「あみだ如来か 家康か」
「極楽か 地獄か」
「宗門の危機」
「なもあみ陀佛」
なんなんだよ、これw
3つ目なんて要らねえだろw
そもそも一向一揆ってただの政治的な争いで
信仰上の戦争じゃないんだろ?
しかし、スレ早いな。昨日書き込みして寝たら、もう別スレだよ。
もしかしたら、ぬるぽ
一向一揆は、政治というか、ようはこれでは飢え死にだから、飯やらんぞ、食わせろってんじゃないの
朝倉は戦国No.1の無能大名だからな
73 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/20(木) 01:33:28.88
一向一揆は、如来の前に平等って意識が、権威を覆すエネルギーになったよ。
それと皆が同朋っていう団結。
加えて、死の恐怖を超えるから、強い。
歴史的にね。ばりばり宗門よりと思われると嫌だから、一言。
今は、そういう生き生きしたものがないし、一つ間違えると、真宗が、権威的なものになってる。
でもあの時代のような、あまり熱烈も困るか。
真宗は好きだけど。
ちなみに織田信長は、一向一揆に悩まされたが、浄土真宗と日蓮宗の法論争で、浄土真宗に軍配をあげました
まあ、日蓮宗がうざかったかららしいけどな。
>>73 近江堅田の源兵衛が、三井寺に生首差し出した話なんか、
現代の倫理観では理解できないものがあるわな。
持念佛を米櫃と笑いながら、御真影を取り返すに必死の
蓮如というのも、なかなか面白いエピソードだ。
>>75 源兵衛の首の話は江戸時代中期から語られる話やからな。
首といわれるのも2つか3つ残ってるぞw
勉強になるなあw ↓の話ですね
蓮如上人は、預けておいた親鸞の御影を引き取りに、
三井寺に出かけました。しかし、かわりに生首二つと
交換するという難題をふっかけられました。そこへ
、門徒で漁師の源平衛が進み出て自害し、首を差し出しました。
以来、源平衛を真宗の誇りとして、首を手厚く供養するようになりました。
>>77 自分が他所のHPからコピペしたんだが、チョット気になったんだけど
>首を手厚く供養する
というのは真宗的にはおかしなことだな、首を偲んでいますというのが正しいだろうね。
北陸の門徒でも家に神棚を持っているとは・・・
本当には真宗の教義が理解されてないようだな。
>>56 > 明治の廃仏毀釈
廃仏毀釈だけれど
これは何も
仏→神 へ信心が変わったわけではなさそうだね。
国家神道を信じたわけでもなく只単に
江戸時代(それ以前も)を通してあまりにも酷い僧に対する不審がエネルギー源
だと思う。
自民党への不審が民主党政権を生んだみたいな感じ、決して民主党を期待しているわけでもないが
自民党よりはましだろう、という思い。
81 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/20(木) 08:05:16.78
>>7 これはほとんど間違いはないの?
本山の勧学に直接聞いてもこのような答えが帰ってくrと言うことでいいか
>>79 だから基地外カルトは京都市で地蔵盆の反対活動でもしてろってw
150万人を敵にして寺が炎上すりゃあいいwww
今日の各地の地蔵盆は晩夏から初秋の恒例行事となっている地域が多いようです。
地蔵盆が仏教行事としておこなわれるのではなく、宗教性が希薄化して地域全体の風習
になっている場合、地域の子どもたちの楽しみであり、親たちが子どもたちの健やかな成長
を願う地域住民交流の場とするのであれば、なまはげのような風習の一種ということができ
ると考えます。
84 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/20(木) 08:37:03.79
自害したり、集まって騒ぎを起こしたり、昔からカルトだったんだね。
生首を差し出すと言って誰も止めなかったのかな?
命を軽視した悲しい話ですね。
一刻も早く現代の檀家が真宗僧侶の束縛から目覚めますように。
>>84 具体的にどんな束縛されてるの?
答えられるかなw
>>83 相変わらずの2枚舌だなw
お得意の「本来の仏教ではありません」て言えよw
炎上を避けるために言い回しがいやらしいわ。
>>86 ・当然、あの世もない
・阿弥陀如来は頭の中の理屈上でだけ存在するもの
この上の二点について教学はともかく僧侶がずばりこのように語ってるのか?
であるならその証拠がほしい。
>>87 それは共産党の地蔵盆に対する答えなんだがw
一部省略してコピペしたんだよw
ともかく地蔵盆は宗教じゃないんだろ、京都発祥の風俗。
>>89 習俗といいたかったんだろうが、習俗と宗教との差はどこにあるの?
>>89 お前さん無知か馬鹿だろ?
地蔵盆は町内会から呼んだ寺から僧侶が来てお地蔵さんに
読経してもらってるのに無宗教なわけねえだろwww
>>94 京都の俗習ののことなんか知らんがな。
近畿地方ならともかく全国的には地蔵盆なるもの無い所も多い。
>>90 それ言ったらこのスレ意味ないだろ
誰も知らないのかな
まあ
>>89が地蔵盆は宗教出ない理由をまとめてくれるだろ
まず
・創唱者がいない
これだけで笑ってしまいそうになるが、次どうぞ
>>95 まあ、知らないなら黙ってなさいってこった。
>>98 真宗に興味もないただのアンチ風情の
おまえがいうな
とにかく習俗についてあれこれいい出したらきりがない
豆まきはだめとか相撲も神道の関係があるからだめとか。
そうそう
これからある忘年会や大掃除だって元は宗教行事だったんだし日本人なのにグダグダ言うのはナンセンス
102 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/20(木) 09:34:19.16
地蔵盆で言いがかりをつけてた奴は
たとえ僧侶が取り仕切っていても
地蔵盆は習俗と言うことで一蹴されたなw
>>100・101
そう考えると「清め塩は迷信です」ってポスター作る真宗はひどい団体ですよねw
結局、地蔵盆は宗教でない理由は
・創唱者がいない
だけで、最後は習俗についていろいろ言いだしたらきりがない
って逃げたのかw
地蔵盆=米櫃
真宗布教使の収入になるのなら、宗教だろうが習俗だろうが
なんでもやりまっせ!
>>103 清めの塩の使い方しってる?俺知らないんだよ どうやって撒くの?
107 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/20(木) 09:49:20.09
日本には穀物豊作を祈る行事が多いのに
喧嘩を売っているとしか思えんな。
相撲も神道行事だろ?
ズバッ!と否定してくれないかな、
災害救助する自衛隊を否定するみたいにw
昔も今もあい変わらず了見が狭いということだ。
>>103 「俺達真宗布教師様はお前ら一般人と違って迷っていないぞ、真実に目覚めているぞ」
と言っているかのような啓蒙活動ですよねw
清め塩誰も知らんのかよ
知るかよそんなもん、
葬式でもらったから家ではから揚げ食べるときに普通に食用にした。
>>109 それが正しい使い方だよね。
つまり死者に使うのはやっぱ迷信だよな
111 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/20(木) 09:57:56.93
死を穢れと考えているうちは・・・
マダマダ
>葬儀から帰ってきた後、庭先に撒く。
またそんな嘘を・・・。
>>111 ありがとう
始まりは神道なんですね
つまり仏教徒にとっては必要ないって認識なんですな
115 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/20(木) 10:04:41.91
>>113 服の上から振りかける、というのも有りますね。
それぞれの思いでいいんじゃないでしょうか。
普通は玄関に入る前に地面に撒きそれを靴で踏みつけて穢れをとる。
と言うことをしてるみたいだな。
まあ、習俗と考えれば目くじらを立てることもないだろうが、
清め塩は差別と結びつくから最近の真宗はうるさい。
結局はっきりした答えって無さそうね・・・みんなバラバラだし
神道発祥の習俗だよねこれ
119 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/20(木) 10:14:24.04
>>84 > 一刻も早く現代の檀家が真宗僧侶の束縛から目覚めますように。
おいおい逃げるなよw
一体どんな束縛があるのか?
>>117 俺は塩は撒かないんだけど差別ってどういう意味?
死を穢れとみる人を差別してはいけないって意味?
>>120 >>111 この問題が複雑なのは、加えて政治勢力の問題もあります。
こういった顛倒をむしろ意図的に吹聴して、わが国の過去の習俗
を十把ひとからげに「不合理な遺物」として消し去りたい唯物論的
な勢力が存在するように思えます。あまり緻密な論考を経ずにこ
のケガレ問題を天皇制や被差別部落問題に短絡しようとする運動体
も存在することは知っておいても損はないのではないでしょうか。
浄土真宗もこの「清め塩」廃止には熱心なのですが、仏教原理主義的
な立場からは理解できますが、しかしそれならそれで教学の徹底してい
ない他の諸々のことを差し置いてなぜこの問題が先なのか、ご都合主義
的ではないかとの批判も起こって当然でしょう。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/608681.html
>>121 さっき見ました。
いやコピペじゃなくて・・・
123 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/20(木) 10:34:01.85
>>119 あれを辞めろとかこれを辞めろとか。
逆に浸透の側から仏教行事を辞めろとか言われたら困るだろ?
自分がされたら困ることを人にやってはいけない。
124 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/20(木) 10:34:59.30
×浸透
○神道
126 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/20(木) 10:39:20.60
>>125 塩撒くな。神社行くな。
ここで述べられていることいくつか。
>>126 > 塩撒くな。
これは差別につながるからよしましょう。ということだろ。
>神社行くな。
あまり厳しく言う真宗僧侶はいないだろ?
本来はもっと厳しく他宗教との境界を設けるべきと俺は考えてる。
128 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/20(木) 10:54:39.29
>>7 俺はこれにほとんど異論はないがもし間違っているところがあれば
誰か偉い人間違いを指摘して教えてくれ。
>>128 最初の死んだら終わりって言っちまうと今まで散々やってきたやりとり意味なくないか?
>>129 現実に苦しんでいる人に「終わり」という言葉は救いにならない場合が多い、
ペットと再会したい人にあの世はない。と言い切るのは現在苦しみを与えるだけ。
あの世よりこの世が大切と口を酸っぱくして言うのはあの世の事を誰も知らないから。
あの世が無いと言えば苦しむ人も多いので「一切は空」とかは知ってても言わないで
あの世のことはお浄土と言います。
131 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/20(木) 11:48:59.02
娑婆世界と私が一体であるように
浄土世界・涅槃世界もまた私と一体なのです。
132 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/20(木) 11:55:13.99
よくある間違いは、
娑婆世界を指す時、私と娑婆世界を切り離して考えること、
浄土世界を指す時、私と浄土世界が切り離して考えること。
邪見とか倒見とか因果の道理をわきまえていないとかって言う奴かな。
133 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/20(木) 11:57:16.83
>>130 「あの世」というのは、もちろん、
時間の流れにおける仮定された未来を指すのであって、
「肉体の死後の霊魂の時間的な位置」ではないですよね?
死んだ人に会いたいから、自殺して私もお浄土に行きますって人には何て諭すの?
>>134 天寿を全うしたら会えるけど自殺したら無間地獄ですので会えません。
138 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/20(木) 14:34:13.58
「死後の世界」は現実逃避だってw
139 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/20(木) 15:17:53.64
>>132 追記
誤解を招くようですが、
切り離して考えることはできない、ということです。
私というある一面を娑婆といい、
またある一面を浄土ということが正しいということです。
「私」の定義は、倶舎論・唯識にお譲りします。
140 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/20(木) 17:03:04.37
>>139 >私というある一面を娑婆といい、
>またある一面を浄土ということが正しいということです。
倶舎論・成唯識論のどこにそんなことが書いてあるの?
141 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/20(木) 17:08:24.97
米櫃、米櫃と茶化していた奴がいたけど。。
一概の彼のことを悪くいえない実態もあるわけだ。
家に神棚は止めなさいと指導したらお寺を替えられるから
本当は止めてほしいんだけど言い出せない。
としたらやはり在家を米櫃扱いしているともいえる。
インドの輪廻の思想も、日本の霊の宗教も、いずれの場合も、この現在の
矛盾と不正と過ちを作り上げてきた私たち自身の愚かさに目を向けることを
妨(さまた)げています。それに対して浄土真宗の教えは、我は「煩悩具足
(ぼんのうぐそく)の凡夫(ぼんぶ)」、我が世は「火宅無常(かたく
むじょう)の世界」であると、どこまでも過去を背負い、未来をはらむ自分の
この「現在」をごまかさず問うものであります。
そのような自分の「現在」を問わないで「人は死んだらどうなるのか」と
考えることは、私たちを出口のない路(みち)に迷わせ、神秘的な世界観に
惑わすこととなるだけでしょう。
同朋大学教授 尾畑 文正
http://higashihonganji.or.jp/about/sermon/leaflet/08.html
↑上の尾畑文正先生のお言葉の意味はサッパリ理解できないが、
ともかく東本願寺が「輪廻を認めない」ということはわかった
>>7は正しかったんだな
<現在の浄土真宗の教えまとめ>
・人間死んだら終わり。霊魂は存在しない
・当然、あの世もない
(ウィキペディア「真宗大谷派」より。)
真宗大谷派では、釈尊の説いた「浄土三部経」は、一如真実を説くための
「方便」であると捉える。
「極楽浄土」は、凡夫の煩悩による「死後に一切の苦が無い世界」を
方便として説きあらわしているとする。その「極楽浄土」とは、
「あの世」・「死後の世界」というような、どこか別の世界に実体的に
存在する事象ではなく、「真実の象徴」として捉える。
(中略)
また一般に考えられがちである、現世の行いにより死後に落ちるとされる
「地獄」なども、自分の生き方・考え方によって、今もたらされている世界で
あるとする
149 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/20(木) 20:21:04.54
「現在」と切り離された「未来」という世界(時間と空間)と
「過去」という世界(時間と空間)は人間の分別によるものです。
切り離された前提で論を進めて言ったのが
説一切有部の「三世実有法体恒有」です。
しかし、龍樹を徹底して否定しました。
残念ですが、このスレで変なイチャモンつける前に
自分で学んでほしいものです。
150 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/20(木) 20:35:01.98
真宗以前に仏教が分からないとね。
仏と衆生に空間的な距離があるとか、
あの世とこの世に区切りがあるとか、
おかしなこと言う奴ばかりだよ、このスレは。
私はそんなレスは大抵流してるけどねw
151 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/20(木) 20:38:51.59
「今いくよ・今くるよ」という漫才師がいるんだから
「今この世・次あの世」という笑わせ屋がいても不思議ではない。
>>149 もう少し緻密に考えたほうがいい。
龍樹は人が分別した輪廻を否定したが、輪廻そのものを否定したわけではない。
http://www.homyou.hello-work.jp/ron3.html また、「中論」が説く無自性の思想を根拠にして、
「あらゆるものが空であり、生じる者も無く滅する者も無しだから、
後生・後報は無い」と論じる人も有るようです。
中論第十六章に「輪廻は存在しない」と論じていますが、これは勝義諦
(あらゆるものは空と考察する最勝真実の道理)の立場で「輪廻は存在
しない」と論証しているものです。
しかし、世俗諦では輪廻を認めています。この事は、第二十六章に
「十二支(観十二因縁品)」と云う章が有って、「無明に覆われた者は、
後の生存の為に、三種(善・悪・無記。あるいは身体・語・意の三種)に
形成作用を作る。そ(の形成作用)の諸業によって、(未来の)生存形態へ
行く」とある事より知られます。
153 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/20(木) 22:19:53.50
自分はインド仏教を専攻してるのでいろんな本を読むし、
日本仏教も好きだからいろんな宗派のスレを見るんだけど、
正直言って真宗と創価の仏教理解はかなり変わっていると思う。
154 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/20(木) 22:22:50.36
真宗非仏教はさんざん指摘されてきたが
まともに反論した儲はいない
156 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/20(木) 22:47:17.68
>>152 龍樹は人が分別した輪廻を否定したが、
輪廻そのものを否定したわけではない。
だからそのことは、
前者が「霊魂がある」「肉体の死後にあの世がある」を指し、
後者は「心の作用の不断なる変化(念念相続)」のことですよね。
また、「後の生存」や「未来の生存形態」というのは
「新たな肉体の生成」ではなくて
「(今の一刹那の私という存在を受けた)次に来る一刹那の私という存在」ですよね。
本来、未来の私というものは現在の私と区別・隔離されて実体として存在しないけれども
仮定の未来というものが現実の私を相続するということですよね。
>>153 悪名高い2chはやめときなマジで
参考にならん事の方が多い
158 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/20(木) 22:53:36.55
159 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/20(木) 22:58:14.95
>>158 龍樹は後生としての輪廻を否定したわけではない
>>156 > また、「後の生存」や「未来の生存形態」というのは
> 「新たな肉体の生成」ではなくて
> 「(今の一刹那の私という存在を受けた)次に来る一刹那の私という存在」ですよね。
これは……どの本に書いてあった理解でしょう?
(本当に知りたいので、できればご教示ください)
龍樹が『中論』第二十六章(観十二因縁品)で言っているのは、
「生まれ変わりはある」ということです。
第二十六章第一偈に次のようにあります。
「無明に覆われたものは、再生に導く三種の行(業)をなす。
そしてその諸業によって、何らかの生存(趣)に生れるのである」
(平川彰訳「中論の頌」より。『世界古典文学大系 仏典I』筑摩書房)
通常、「輪廻」(サンサーラ)とは六道(六趣)に生まれ変わり続ける
こと(生死輪廻、六道輪廻)を指します。
われわれの心身(要するに五蘊)が一刹那一刹那連続すること
(念念相続)は「輪廻」(サンサーラ)とは呼ばないはずです。
単に「相続」(サンターナ)と呼ぶのが普通でしょうね。
162 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/20(木) 23:38:19.75
>>160 私は倶舎論をベースにしていますが、
ある種の業が続く期間を「一生」と呼び
縁に触れて次の新たな業が起これば前の業を受けてその新たな業が起こり
その(新たな次の)業が続く限り「(新たな次の)一生」を続けるというものです。
基本、私という存在は、はその連続・繰り返しになります。
ま、「私」といっても、分別と有見(?)によって仮構されているだけで、
実際は、五蘊仮和合ですか?そんなものでしょうし、
親鸞は「自性唯心の浄土」をに陥ることを非難されているみたいですから、
無自性という性質なんでしょう。
163 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/20(木) 23:45:52.69
>>160 「生まれ変わり」と「生存(趣)」について。
真宗では五悪趣(地獄・餓鬼・畜生・人・天)、三悪趣(地獄・餓鬼・畜生)
が親しみがあるかと思います。
>>162で「一生」というように業の性質を分析すると、
倶舎論を見ていただければ「横暴」とか「むさぼり」とかいろいろあるわけでして、
ま、わたしは三悪趣というのは「三大煩悩が作用する」ことかな、と思っているのですが、
あ、レスが面倒くさくなったw
風呂入ってきます。
>>162 >私は倶舎論をベースにしていますが、
要するに倶舎論を自己流に解釈したってことね
>ある種の業が続く期間を「一生」と呼び
一刹那しかないみたいな言い方だったが、それじゃあある程度間隔があるみたいだな
一刹那の心の生滅を「一生」と呼ぶならまだ分かるけど、
業が尽きる尽きないを問題にしてる時点で完全に誤読
>>162の倶舎論のご理解については賛成です。
>>163の「わたしは三悪趣というのは「三大煩悩が作用する」
ことかな、と思っているのですが」という点については、
それは倶舎論でなく、天台宗的なご理解だと感じています。
>>163 >ま、わたしは三悪趣というのは「三大煩悩が作用する」ことかな、と思っているのですが、
貪、瞋、痴(lobha,dvesa,moha)は一切衆生に作用してるもので、そんなものを三悪趣とは呼ばない
仏教の基礎も分かってないのに、アビダルマで妄想をふくらませただけ
>>163 「心が一刹那一刹那相続するのが輪廻である」という説を、時々
目にするので不思議に思っていました。
それで、どうもそれは、天台宗の十界互具説の影響じゃないかと考えて
いたところです。
天台宗では、心の中に六道+仏菩薩声聞縁覚の十要素があって、一刹那
ごとに餓鬼の心を起こしたり、阿修羅の心を起こしたりすると説くんですよ。
つまり、天台宗によれば、心は一刹那ごとに輪廻しているわけです。
しかしそれは、通常の仏教が説く輪廻ではないし、親鸞が説く輪廻も
そんなものじゃないと思うのですが。
>>162 あ、今読み返して気づいたのですが、
> ある種の業が続く期間を「一生」と呼び
というのは、ある人の人生の間にたくさんの「一生」があるという
意味でしょうか?
もしそうなら、
>>164氏が言うように倶舎論と無関係なご理解だと思います。
私は、貴方がいわゆる「順現報業」のことをおっしゃっているのかと
思っていたので・・・。
169 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 00:44:04.89
>>166 はい、それは私の妄想です。
そうじゃないかな、というつもりで書いただけです。
間違いだということを指摘していただいてありがとうございました。
倶舎論の解釈でもどんどん指摘してください、
ただ、大きなところでの流れは間違わないようにしているつもりです。
171 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 00:56:12.41
ごめんなさい。
>>156の一刹那という言い方は変でしたね。
それを言ってしまうと有部になるのでしょうか?
その時点で「一生」は出しにくかったものですから。
172 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 01:06:22.61
>>167 通常の仏教が説く輪廻 親鸞が説く輪廻
上記の二つについて教えてください。
173 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 01:12:36.87
>>172 教行信証を読む限り違いはない
衆生が生まれ変わり死に変わり、無数の生存を続けていくこと
あなたの妄想する「一生」の輪廻とは関係がない
174 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 01:34:57.41
>>173 つまり、一個人が肉体を伴う生まれ変わりを繰り返すのではなくて
すべての生命という見方で生まれ変わりをするということですか?
175 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 01:39:25.25
176 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 01:47:54.93
>>175 それかよw
ちなみに親鸞は何を基準に輪廻を定義したのですか?
どのような書物を見て「輪廻とはこのことだ!」と思ったのでしょうか。
ここは学問したい人いっぱいだね
浄土真宗は、とにかく簡単に人に救いがあるということを伝えるために簡略してるからね
念仏はあくまで感謝なんだよ
だから、みんな救われるよ
死んだら、どうなるのか。分かる訳ないよ
しかし、死んだら終わりというのも、今の物理学ではわからない。なぜなら、今の科学の限界だからね
ないと思い適当に生きちゃいかんと無量寿経にもある
空の概念は量子力学の概念に近い、また宇宙は10次元あるんだろ。観測できないが、重力は、三次元以上の素粒子の働きとする説も多い
今、科学が明らかにしたことは観測できないことがある
以外と極楽は本当にあることが証明されるかも
ってさ、ぐらいに考えていないと、家族や友人が亡くなったら、たえられんよ
葬式仏教は必要だと思うよ
ぼったくりじゃないと
178 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 01:58:36.54
>>176 多分、天親菩薩の浄土論か、正しくは曇鸞の『浄土論註』
問うて曰わく、何の義に依って往生と説くぞや。答えて曰わく、
この間の仮名の人の中において、五念門を修せしむ。前念と後念と因と作る。
穢土の仮名の人・浄土の仮名の人、決定して一を得ず、決定して異を得ず。
前心・後心またかくのごとし。何をもってのゆえに。もし一ならばすなわち因果なけん。
もし異ならばすなわち相続にあらず。この義、一異を観ずる門なり。
ここらへんは中論にも通ずる輪廻理解ですな。不一不異の相続で輪廻するという。
親鸞の仏教理解は結構しっかりしてて感動する。この当時でこれだけはっきり理解しているとは。
179 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 02:02:41.22
180 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 02:04:25.01
>>178 なるほど、輪廻ということは浄土に往生しても
また三悪道に落ちるということですね。
181 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 02:06:26.62
>>179 天親菩薩は部派に所属していたからアーガマ、阿含経から
つまり原始仏典から
182 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 02:08:32.80
183 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 02:10:19.67
>>182 倶舎論は天親菩薩(ヴァスバンドゥ)作だけど、
経量部の立場もあるから有部とは言い切れない
184 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 02:13:47.02
>>178 引用された文章のどこを探しても輪廻という言葉が見当たらないですが、
輪廻を因果の相続ということでよろしいですか?
で、肉体の生まれ変わりはどう読めばよろしいでしょうか?
185 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 02:20:59.39
>>184 >輪廻を因果の相続ということでよろしいですか?
そうだよ
>穢土の仮名の人・浄土の仮名の人、決定して一を得ず、決定して異を得ず。
穢土の念仏者(仮和合)と浄土に生まれる念仏者(仮和合)は、同じではないが、異なるのでもない。
ここが輪廻転生を解説した所ですな。
>で、肉体の生まれ変わりはどう読めばよろしいでしょうか?
肉体の死後に輪廻転生(往生)するんだから、新しい肉体を持つのは当たり前の前提なんだが
むしろどこに、心のあり方の変化が輪廻転生だと書いてあるのか教えて欲しいね
186 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 02:25:17.56
>>185 肉体の死後に輪廻転生(往生)するんだから、
新しい肉体を持つのは当たり前の前提なんだが
その前提はどこから?
187 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 02:26:32.82
188 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 02:30:38.02
>>185 ちょっと訪ねたいんだが
「抜衆生出生死泥」のくだりを知ってるかな?
それと、「肉体の死」の定義をしてほしいのだが
189 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 02:31:25.06
あ、明日返事してくださいね。
190 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 02:31:42.29
>>186 原始仏典にいくらでも。
長部経典『大縁経』
「アーナンダよ、この法を悟らず理解しない、このような人々は、糸のもつれから生まれ、
腫れ物に覆われた中から生まれ、ムンジャ草やバッバジャ草の中で生存し、
苦界や悪趣や地獄や輪廻を超えでることがないのである」
これは虫として生存を示したものだね
191 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 02:33:35.20
>>188 >「抜衆生出生死泥」
倶舎論の冒頭だね
これが何か?
肉体の死の定義は仏典に記述あったかなあ?
ちょっとわからん
192 :
190:2011/10/21(金) 02:34:39.51
虫としての生存ってのは間違いだな
畜生道としての生存
193 :
190:2011/10/21(金) 02:35:49.97
>>187 俺は浄土から退転するかなんて知らんよ
そこらへんは真宗のプロに聞いてよ
194 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 02:44:43.44
195 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 02:47:05.83
196 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 02:54:13.22
>>185 心のあり方の変化が輪廻転生だと書いてあるのか教えて欲しいね
>>178の「前心・後心またかくのごとし。」
輪廻と言いきっていいのかどうかわからないが、これじゃないの?
>>185で浄土に生まれる前と後を輪廻転生としていますが、
同時に「肉体の死後に輪廻転生(往生)する」と言っています。
心の問題ですか?肉体の問題ですか?
197 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 03:00:45.01
>>196 それは心が刹那滅してしかも相続することの説明だね
同じ理屈だよ。
一刹那前の自分と今の自分は同じでもなく、かといって違うのでもない。
これは輪廻転生しても同じ。穢土の念仏者と浄土の念仏者は不一不同。
>
>>185で浄土に生まれる前と後を輪廻転生としていますが、
>同時に「肉体の死後に輪廻転生(往生)する」と言っています。
???
今の浄土真宗では心の中に浄土があるといってるの?
固定概念で文章を読むからそう読めるだけでは?
文字通りの生まれ変わり(肉体的にも)ですよ
198 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 03:34:25.85
>>185で「心のあり方の変化が輪廻転生だと書いてあるのか教えて欲しいね」
と書いておいて
>>197で「それは心が刹那滅してしかも相続することの説明だね 同じ理屈だよ。」
と書いて、こいつはダメだな、と思いました。
固定概念を外したら
>>190の経典に有るように「糸のもつれから生まれ、
腫れ物に覆われた中から生まれ、ムンジャ草やバッバジャ草の中で生存」
する人も中に入るみたいですよ。
>>178で引用された文では「往生」とはなんと述べてありますか?
あなたは長部経典『大縁経』 から引用しているみたいですが
もういちど
>>178の文章を読んだ方がいいですよ。
収拾がつかなくなっているみたいで。
199 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 03:37:36.12
>>197の引用の文のどこに、文字通り「肉体的にも」と書いてありますか?
先入観で「肉体の死後に輪廻転生(往生)する」と決めているだけでは?
200 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 03:38:37.63
>>「肉体の死後に輪廻転生(往生)する」
輪廻転生=往生の定義は?
>>198 ダメと思おうがどうでもいいがアビダルマとかで輪廻のメカニズムをどう説いてるか、もうちょっと詳しく勉強してくんない?
輪廻があるかどうかは置いておいて、とりあえずメカニズムとしてどうなのかっていう。
心の刹那滅とか、心の相続(citta-santhAna)とかさ
はっきり言って俺もプロの学者じゃないから、あんたに分かりやすく説明する方便なんてないんだよ
往生はサンスクリットで何ていうのか忘れたけど、ごく一般的な転生を指す言葉だよ
往生浄土となったときに特別な意味をもつだけで
>>199 じゃあ浄土真宗では今生のこの身で、往生浄土すると説くのか?
>>200 往生=輪廻転生は文献学の先生に聞いてくれ
往生の原語は用法としてそういう使われ方をしているから
ぐぐったら出てきたパーリ語で往生はupapajjati, upapattiだ
意味は再生、往生。
サンスクリット語形でどうなるかわからんが多分同じだろう
>>202 今生この身において救われねばなんといたしましょう。
本来、浄土往生とは今、成就すべき事です。
「苦しい苦しい」と溺れている者に、「死ねば救うぞ」と言うのが阿弥陀仏の教えでしょうか?
…しかし、
私を救う為の仏の教えを聞けば聞くほど、救われ難き煩悩の身が明らかになります。
己の煩悩を微塵でも慚愧するならば「信心を得た」「往生浄土した」なんて口が裂けても言えません。
「死んだら極楽」とは、念仏によって自己の姿を明らかにされた事によって、
せめて「死んだ(煩悩のはたらきが止んだ)時には往生したい」という
煩悩熾盛の身を自覚せしめられた上での、切実な想いなのではないでしょうか。
>>205 真宗節はどうでもいい
あんたとは話はできないからサヨナラ
207 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 05:20:33.95
>>205 それと現生の往生はありえない
http://www.icho.gr.jp/seiten/html/560.html 明法御坊の往生のこと、おどろきもうすべきにはあらねども、かえすがえすうれしうそうろう。
鹿島・行方・奥郡、かようの往生ねがわせたまうひとびとの、みなの御よろこびにてそうろう。
また、ひらつかの入道殿の御往生とききそうろうこそ、かえすがえす、
もうすにかぎりなくおぼえそうらえ。めでたさ、もうしつくすべくもそうらわず。
おのおの、いよいよみな、往生は一定とおぼしめすべし。
親鸞は往生を明らかに死後のこととして扱っている
>本来、浄土往生とは今、成就すべき事です。
基地外にもほどがあるw
サンスクリットやパーリから漢語へそして日本語へという翻訳の過程で
どうやら大変な混乱が生じているようですね。
まず輪廻と言うことを日本人にわかるように日本語で語る努力をしようよ。
それと今現在のあなたが、輪廻というものをどう考えているのかも。
相手の揚げ足を取って質問攻めにしてもつまらんよ、議論のために
わざと争点を作り出しているのか?
210 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 07:47:16.72
>>209 とりあえず「輪廻=心の変化が倶舎論・唯識の説」ってのが間違いってのを言いたかっただけだからな
それは
>>167,168氏のレスからも明らかになったろ
211 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 09:58:32.79
そのような私たちの生きることの現実が、真宗が浄土をもって人間の救済を明らか
にしてきた根本的な理由です。浄土とは阿弥陀経に「倶会一処(くえいっしょ)」
(ともに一つ世界に生きる)とあります。あなたも私もともに生きることのできる世界です。
それは、決して私たちが普通に考えているような死後の世界としての「あの世」では
ありません。また、ユートピアとしての理想郷でもありません。それは、人間を
見失ったものに人間を回復させる仏さまの世界なのです。
http://higashihonganji.or.jp/about/sermon/leaflet/05.html 大谷派は堂々と浄土=現世と主張してるな
>>212 どこに現世て書いてある?
てゆーか大谷派はゴニョゴニョ・・・
214 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 10:28:23.34
>>207 古文は詳しくないのだが、「死後」とはどこに書いてあるのでしょうか?
>>212 そう読めるな
親鸞の手紙を読む限り現世=浄土はありえない
歎異抄でもそうだろう
>>214 文脈でわからないか?
これを往生=現世と読めたらたいしたもんだがw
217 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 10:42:39.24
>>178の引用文を解釈したらどうですか?
問うて曰わく、何の義に依って往生と説くぞや。答えて曰わく、
この間の仮名の人の中において、五念門を修せしむ。前念と後念と因と作る。
穢土の仮名の人・浄土の仮名の人、決定して一を得ず、決定して異を得ず。
前心・後心またかくのごとし。何をもってのゆえに。もし一ならばすなわち因果なけん。
もし異ならばすなわち相続にあらず。この義、一異を観ずる門なり。
どこに肉体の生まれ変わりと書いてあるのですか?
「前心・後心」はよめますけれども、これについて答えていただけますか?
それと往生の義についても説明してください。
218 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 10:46:01.39
>>216 どこに書いてあるのですか?
あなたが「往生=肉体の死後」と捉えて勝手に殺しているだけでは?
219 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 10:47:59.80
>>217 >穢土の仮名の人・浄土の仮名の人、決定して一を得ず、決定して異を得ず。
穢土の仮名人と浄土の仮名人は同一でなく、異なるのでもない。
これを肉体的な輪廻でないと主張するには、穢土も浄土も心のあり方ということを証明しないといけないが、
親鸞の消息(
>>207)や歎異抄を読む限り、そういう解釈は成り立たないというのは明らか
220 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 10:51:07.45
死んで浄土か三悪悪道とかおっしゃる方は
現世はそのいずれでもないのですか?
いずれでもなければなんという状態なのですか?
221 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 10:51:16.77
>>218 逆にあの引用文に出てくる往生をどうやったら、現世の往生と捉えられるの?
誰だれは往生したって列挙されてる人物は、皆亡くなって往生したとして示されてるようにしか読めないが
あなたはアレをどう解釈してる?
222 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 10:53:14.16
>>220 あなたが人間なら”人(manussa)”という状態です。
六道輪廻の「天・人・阿修羅・餓鬼・畜生・地獄」の、”人”です。
223 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 10:56:02.95
224 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 11:05:22.82
>>217 >「前心・後心」はよめますけれども、これについて答えていただけますか?
前念・後念については何ともいえないけど、ここは恐らくアビダルマでいう
死心と結生心でしょう。臨終の心(死心)と転生先に生まれた心(結生心)の関係をのべたもので、
それは不一不同だと。
225 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 11:11:42.58
226 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 11:17:50.10
>>225 長いし、一々批判できないから
三行でよろしく
227 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 11:23:59.88
228 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 11:25:50.94
>>227 人の文章を引用するだけであなたの主張はださないの?
かなり専門的なんで読みこなせないから、あなたの言葉で説明してくれます?
229 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 11:26:56.22
230 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 11:42:09.25
一応ざっと読んだけど、本願寺派の
「真宗においては、基本的には往生ということを『彼土往生』とする。
つまり往生即成仏ということである。正定聚が現世であるとしたところに親鸞聖人の教学の特色があるが、
聖人が往生を現世で語るのは、自力がすたって他力に帰す、という信一念において前後を分かつ場合のみであり、
信益同時をあらわすのであって、この世で往生するといわれているのではない。」
という説明で合ってるんじゃないの?
でないと消息や歎異抄の説明がつかないからね
231 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 11:47:09.18
>>229 ページの始まりの「即得往生」のところでも読んだら?
私の言葉で説明?このままでいいんじゃない?
長部経典を引用して新たな「即」の解釈をして
新興宗教を作れと?
わたくし古文は弱いので
>>207の現代語訳をしてください。
232 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 11:48:29.62
>>229 あなたは親鸞の言葉を引用していますが、
なんの引用もせず自分の言葉で往生の説明はなさらないのですか?
233 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 11:50:23.37
>>231 申し訳ないが、親鸞の原典を自分で読めない人間が、親鸞の思想を云々するのはどうかと思う。
それから、もし本当に親鸞が現世=浄土と主張してるとしても、
それは仏教からの逸脱であって、仏教の名を借りた新興宗教をつくったということに他ならない
234 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 11:52:25.27
>>232 なぜあなたは質問ばかりして自分からは答えないのか?
いい加減疲れるんだけど
235 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 11:58:08.00
そちらがいろいろ文献を持ってくるので疑問がわくのですが?
こちらとしては勉強になります。
236 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 11:59:25.97
>>235 なぜこっちの質問には一切答えないの?
フェアじゃないでしょ
両人とも出典あげていって検証したら?
自分の思いを言っても噛み合わないよ
238 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 12:06:42.89
『唯信鈔文意』
「『大経』には、「願生彼国 即得往生 住不退転」とのたまえり。
「願生彼国」は、かのくににうまれんとねがえとなり。
「即得往生」は、信心をうればすなわち往生すという。
すなわち往生すというは、不退転に住するをいう。
不退転に住すというは、すなわち正定聚のくらいにさだまるとのたまう御みりなり。
これを「即得往生」とはもうすなり。
「即」は、すなわちという。すなわちというは、ときをへず、日をへだてぬをいうなり。」
(『真宗聖典』東本願寺・五四九〜五五〇頁)
「信心獲得する=往生する=不退転に住する=正定聚のくらいにさだまる」
ということがすべて「すなわち(同時)」に起こっている、異なる事が同時に起こっているのではなくて
ある一つの事柄の事象の言葉づかいが違うというだけですね。
239 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 12:11:18.29
>>230 「信心をうること」も「正定聚のくらいにさだまる」も同じ事象なんだから
「この世で往生する」んでしょ?
信心を得ることが往生なんですよね?
240 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 12:19:32.75
>>230の「自力がすたって他力に帰す、
という信一念において前後を分かつ場合のみであり、」
は、
>>217の「穢土の仮名の人・浄土の仮名の人、決定して一を得ず、決定して異を得ず。
前心・後心またかくのごとし。」
のことじゃないの?
241 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 12:36:50.25
>>238,239
>信心を得ることが往生なんですよね?
それは「大経」に「願生彼国 即得往生 住不退転」とあるのを注釈しているところですよね。
「即得往生 住不退転」と併記してあるから親鸞は、即得往生=住不退転とみて、信心=往生=正定聚と主張してるんでしょう。
そこの「即得往生」に限って言えばその通りですね。
>>240 なるほど。前の文章とあわせてそう読むと合理的に読めますね。
なら、親鸞は往生=現世と主張したことになり、手紙や歎異抄で死後の往生を説いたと見える文章は
すべて方便ということになる。たしかに。
では、この読みが正しいとするなら親鸞は、経典にある異時の「即得往生」を同時とする独自の往生説を唱えたことになる。
なら、それは経典にもとづく仏教ではなく、「親鸞教」と呼ぶべきものでしょうな
そのような輪廻観は、阿含経、倶舎論、唯識説のどれにも基づかないことは
今までのレスでさんざん主張したとおりですが
242 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 12:42:06.79
訂正
×経典にある異時の「即得往生」を同時とする独自の往生説を唱えたことになる。
○往生浄土を現世のみに限る、心のみの輪廻説を唱えたことになる。
古文の成績晒さないと、議論に参加できない。オイラは10段階評価の4でしたのでついていけますん。
244 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 13:06:14.39
他力に出会えた人は現世往生、
出会えなかったら肉体の死で往生、
これでええやん。
245 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 13:17:11.99
>>217の「穢土の仮名の人・浄土の仮名の人、・・・ 前心・後心またかくのごとし。」
>>230の「という信一念において前後を分かつ」
これって「前念命終 後念即生」でしょ?
現世の信一念で穢土の命が終わり浄土に生まれるという。
246 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 13:33:38.28
願いというのは仏の願いと衆生の願いの二つがあって
仏の願いは「我が国に生まれよ」ということですよね?
「(人間の分別の上の仮構された)肉体の死後の世界に生まれよ」
と言っているのではないのですよね?
親鸞は仏の国に生まれるということを
目的としていたのではないでしょうか。
そうなると、浄土や安楽世界、涅槃や極楽世界は何かということになると思うのですが。
247 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 13:41:41.18
>>230 基本的には往生ということを『彼土往生』とする。
彼土得証 ですよね?
248 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 13:43:27.72
「『後』 念 即 『生』」で「 後生 」だよね?
249 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 13:50:20.76
仏の世界の時間・空間観と
人間の世界の時間・空間観の違いかな。
仏様(縁起世界・真実世界)は時間や空間なんてものは持ってないんでしょ?
グタグタになっとるなw
倶会一所という言葉をよく考えてごらん
一発で親鸞さんの死後の世界観がわかるよ。
252 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 15:52:19.59
『岩波仏教辞典』は、現在では改訂されている。第二版(二〇〇二年)の〔親鸞〕の項では、
「他力信心による現世での往生を説き」の部分は、たんに「他力信心による往生を説き」に改められ
、次のようなただし書きが加えられています。
「浄土真宗諸派の間では親鸞解釈に関して相違があり、たとえば往生・成仏思想について
、浄土真宗本願寺派や高田派の教義では、命終わって浄土に往生し、ただちに成仏すると説
くが、真宗大谷派では、信心決定後の生活が往生であり、その帰着点が成仏であると説く。」
勉強になるな〜
現在安住の根拠
「かくて来世の往生、それが現在安住の根拠になるのではないでしょうか。
未来往生を拒否しては現在安住がなく、未来往生という立場に立って、
はじめて現在安住というものが感じられてくるのであるといいたいのです。
法然上人のお言葉にもあるように、それまでは往生ということは来世であります。
宗祖聖人に至ってはじめて、現生不退になったのだということは、真宗教学におい
て繰り返されていることでありますが、今まで来世往生といったことを拒否し、
否定して現生不退というのではなく、むしろ逆に、来世の往生ということがあっては
じめてそこに現生不退が成り立つのであります。未来往生という時間的な、永遠の
場ができなければ、現生不退ということもでてこないでしょうし、又現在安住ということ
もでてこないでしょう。」
(曽我量深・金子大栄著『往生と成仏』法蔵館・一七三頁)
わしは西やけど上の意見と同じだと思ってるよ。
255 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 16:44:38.62
>>254 未来往生と来世往生の違いとは?
法然聖人までの来世往生とは肉体の死後のことで、
ここで述べられる往生というのは現世往生じゃないの?
>今まで来世往生といったことを拒否し、否定して現生不退というのではなく、
>むしろ逆に、来世の往生ということがあっては じめてそこに現生不退が成り立つのであります。
このくだりは現生不退と浄土往生を分けているの?
256 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 16:53:30.40
>>253 浄土真宗では成仏の定義ってできているの?
257 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 16:57:34.11
結局現実として往生するかどうかではなく
本人の主観で往生すると思えばおうじょうする、ってことか?
>>255 > 未来往生と来世往生の違いとは?
同じ
> 法然聖人までの来世往生とは肉体の死後のことで、
> ここで述べられる往生というのは現世往生じゃないの?
その通り
> このくだりは現生不退と浄土往生を分けているの?
別であるけれど同じもの、つまり氷と水みたいなもの
>>257 ちがう、それはまだ自力門、聖道門のレベル。
261 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 20:14:13.99
逢いたくて 逢いたくて
この胸のささやきが あなたを探している あなたを呼んでいる
いつまでも いつまでも 側にいると言ってた
あなたは嘘つきだね 心は置き去りに
いとしさの花篭 抱えては微笑んだ
あなたを見つめてた 遠い春の日々
やさしさを紡いで 織り上げた 恋の羽根
緑の風が吹く 丘によりそって
やがて 時はゆき過ぎ 幾度目かの春の日
あなたは眠るように 空へと旅立った
いつまでも いつまでも 側にいると言ってた
あなたは嘘つきだね わたしを置き去りに
木蘭のつぼみが開くのを 見るたびに
あふれだす涙は 夢のあとさきに
あなたが来たがってた この丘にひとりきり
さよならと言いかけて 何度も振り返る
逢いたくて 逢いたくて
この胸のささやきが あなたを探している あなたを呼んでいる
いつまでも いつまでも 側にいると言ってた
あなたは嘘つきだね わたしを置き去りに
結局、浄土はおとぎ話ということでFAか
素人乙
根本要は門徒?
265 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 22:19:46.66
>問うて曰わく、何の義に依って往生と説くぞや。答えて曰わく、
>この間の仮名の人の中において、五念門を修せしむ。前念と後念と因と作る。
>穢土の仮名の人・浄土の仮名の人、決定して一を得ず、決定して異を得ず。
>前心・後心またかくのごとし。何をもってのゆえに。もし一ならばすなわち因果なけん。
>もし異ならばすなわち相続にあらず。この義、一異を観ずる門なり。
この一節にて、往生とはどういうことだと述べられていますか?
266 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/21(金) 23:40:32.00
なんやおまえらこんなんもわからんのか
おまえらにはにしほんがんじのそうりょもふくまれとるで
にくたいのしでじょうどにおうじょうするとかいってんのはだれや
にくたいのしをじょうどおうじょうのじょうけんにしたんはいったいだれやねん
最近は、西も東も教えに余り差はないというけど、どうなんかな
ただ、浄土は方便と言い切るのはどうなんだろう
結局は死んだ後や生きる理由を探すために宗教はあるんだと思うんだ。
気休めでも、いい
また、倶会一処って、浄土教くらいだろ
カルトの親鸞会を信じる人も、生死についての、何かを探してるんだろ
人はなぜ苦しみ、悲しみ、寂しく、そして、喜びや幸せを感じ生きる。
それは、バランスのとれたものではないし、悲しみや苦しみを知らない人はいない
たとえ気休めでも、何もできなくても、仏さん助けてって、思えば救われる
親鸞の言う信心は難しく考えず、ありのままに生きることしかできなくても救い(救いとは何かを克服する力)があると伝え、
死んでも大丈夫という慰めもあると思う
どうせ、俺達は肉も食うし、種も食う
あの世があるなら、大変だ。でも大丈夫。死んだら、阿弥陀様が必ず救い、浄土に生まれるというのは、この思想が悲しみの中から生まれたからだと思う。
俺は親鸞会じゃないから、教義は知らん
うちは本願寺派だけど、坊さんは親鸞上人とはいわず、親鸞さんという
信心に大小はあっても、死ねば同じ
救いに違いはない
観経なら内容は違うけどね
ただ、信心を誇りに思ったり、他者を攻撃しても仕方ない。
私は、今は他のお経とかも読んで勉強中
まだよく知りません。
でも、仏教の理想は生あるもの全てを救うと信じ読んでいます。
余談ですが、私は家族を殺されました。その後から、生きる意味、死ぬ意味を見つけたい。
相手を恨むより、自分を責める方が多いです。
無駄な人生がないと信じて
南無阿弥陀仏
>>267 お釈迦様が悟った内容は、お釈迦様以外にはそのまま伝えるすべがない。
それほどに深い内容だった。だけど、伝えなければそのまま終わってしまう。
だから方便の教えを説き始めたんだ。
法滅の時代に方便によらずに真実を知ることはできないと思う。
そういう意味では、今の日本仏教はすべて方便の教え。
念仏も信心も、最良の方便といえるのではないでしょうか。
「うそも方便」ということわざがあるが、方便にうそはないはずです。
269 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/22(土) 02:26:40.08
方便とは救いの方法か
270 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/22(土) 09:27:51.77
娑婆も浄土も無自性の業ってことだろ。
倶舎論に「染・浄」の概念が出てくるんだけど。
ただ、小乗と大乗で、自性・無自性との違うってことじゃないの?
架空の阿弥陀如来、架空の浄土を頭の中で作り上げて、それを正当化する
文書を探してきて、屁理屈をこね回し、その架空のものに救われたと思いこみ、
またその小難しい屁理屈を理解した俺は凄いなと自画自賛する
もうそんなもの、みんな捨てよう!
捨てて自由になろう!
>>271 もともと自由だったんだけど、歳取って興味を持った。
>>271 自由になれましたか?
小乗の人なんでしょうか どちらにしろ悟りはむずかしいよね。
>架空の阿弥陀如来、架空の浄土
一応、仏説ですが・・・偽作とか後世の創作と言いたいのですね。
宗教自体が肌に合わないんだろう
いかにもな現代人
20代かな?
275 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/22(土) 10:54:47.99
25 :名無しさん@12周年:2011/10/21(金) 20:08:15.76 ID:L+b1YcWw0
1)韓国、ウォン安政策で日本つぶしに成功!
近年、韓国は頻繁にドル買い・ウォン売り介入を実施し、ウォン安政策をとってきました。
その結果、円高で不利な戦いを強いられる日本製品は隅に追いやられて、
韓国製品が世界の市場を席巻しました。
最近の日本経済は「円高不況」と言われますが、
日本の企業業績・雇用悪化は、円高によるものだけでなく、
ウォン安を受けた韓国企業の攻勢に負けた結果といえます。
(2)韓国、こんなはずではなかった?
ところが、あまりにウォン安政策を推し進めすぎた結果、
韓国国内では物価が上昇するなど弊害が出始めていました。
欧米の景気懸念に加えて韓国経済に対する不安から、今月急速に資金流出が加速。
ウォン安が思ってもみなかった水準まで進んでしまいました。
(3)韓国、手のひら返し?
今までウォン安政策をとっていた韓国当局は、想定以上のウォン安に慌て始め、
「ウォン安は韓国経済のファンダメンタルズを反映しておらず望ましくない」、
「ウォン安を防ぐために国際協調が必要だ」
などと言い始めました。
これまで無謀なウォン安政策で、日本経済を苦しめて、甘い汁を吸っておきながら、
想定以上にウォン安が進むのを見て、
「国際協調してウォン安を防げ!」というのはあまりに虫が良すぎる話です。
日米両国の政府がどう反応するのか見物です。
最近、日本では韓国に対して冷ややかな見方も増えていますが、
根底には、為替レート操作によって、韓国が莫大な利益とシェアを日本から奪い取っており、
そのせいで日本の製造業・下請け企業が衰退し、
そこで働く日本人とその家族の生活が苦しめられている現実があり、
そのことに多くの人が気づき始めていることも関係していると私は見ています
本願寺派の僧侶で平生業成した人がいるのか?
或いはそのような本願寺派僧侶を知っている人、
若しくは一般門徒でそのような方を知っている人、
自分が平生業成した人。
ぜひ教えてほしい。
>>276 高森先生しか知らない 食わず嫌いしないで欲しい
死鸞の花びら
裏方のプロフィールを知りたい
>>277 すまん誤解を与えた、親鸞会とは関係ない。平生業成という言葉がいけなかったか・・・
質問の意味は今生きている現在が大切と浄土真宗は教えているが
生きながらにして信心を獲得して大慶喜した人を身近に知っているか、
若しくは自分が本当に信心を獲得したと自覚している人。
そのような人がいるかお尋ねします。
281 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/22(土) 15:54:19.68
宗教なんて感覚世界のお話なんですよ。
しかし感覚は主観でしかわからないわけですから
それを伝えるためには言葉を用いるしかないわけですね。
だから言葉は感覚を表したものなんですよ。
特に仏教においてはそうであります。
先にどなたかが天台や日蓮を取り上げて
心の作用としての輪廻を否定されましたが、
心の作用には間違いないのですが自性というところに
親鸞は異を唱えたのだろうと思います。
宗派が違うだけで何から何まで異なるというスタンスも
発想が短絡的ではないかなと思うわけです。
今日、初めて、インドで仏教を広めようと活躍されている佐々井さんの本を読みましたが、
彼が、日本で違和感を感じたことというのは、
何故、法要では、他宗はの僧侶は共に読経をしないのか。またしたとしても片隅で
申し訳なさそうに読経するのかと述べられていました。
本来、共にお釈迦様の教えを頂くものとして、お釈迦様の残されたお経を
読めば良いのですが、浄土真宗の僧侶と、般若心経を読むなんてことは
ありえません。
インドでは、当たり前のことが、日本では当たり前ではない。
この気づきは、私たちに大事なことを伝えてくれていると思います。
283 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/22(土) 17:07:10.46
真宗教団は害悪。
「自分たちの説教を聞け」と自己主張ばかりして人の意見を聞かない。
仏法を聴聞する前に人の主張を聴聞しましょう。
世間とのつながりはそこからです。
嫌なら帰れということだろ。
でも聴きにきてる人が帰らないということは納得して聴いているということ。
他所の宗派がごちゃごちゃいう問題じゃない。
>>276 必ずそう思うよね
現代の妙好人はドコかにいないのか
信心獲得がハッキリとした人がいればその人にどういう心理状態か
どういう経過をたどってきたのか聞いてみたいと思うのは自然なんで
しょうね。
でもそれは「その人の真似をする」ことになって本来の姿じゃないん
でしょう。
ただ、ただ、法をお聞かせいただきましょう。
お聖教を読むことも親鸞さまからの説法を聞くことになるでしょう
>>283 西洋の格言に
「人には口が一つなのに、耳は二つあるのはなぜだろか。
それは自分が話す倍だけ他人の話を聞かなければならない。」
とある。
仏法を語る前に数多く聞かねばならない。聞き重ねてこそ
法の何かを語れるのだろうと思う。
ただ「人の主張」を聞くことは「聴聞」とは言わない。
うちのおてつぎの住職は、学校教師と兼業です。ですが、勤め先の学校は天台宗門なんです。
毎日毎日般若心経を読誦されてます。だから、門徒のみなさんも般若心経を唱えたって大丈夫です。
「自力のお経なのでだめ」などという布教使の言うことを真に受けることはないですよ。
>>288 変な工作するな
自力のお経はダメなんて誰も言ってないよ
290 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/22(土) 19:12:12.24
>>290 別にいいよ
つーか住職の言うこと信じてやれよw
般若心経を唱え読んでも害はないよ
ただし弥陀の本願他力とは道が違うので「真宗なら効果がない」
293 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/22(土) 19:23:06.56
とりあえずも真宗禿が浄土往生を話せるかどうかだ。
それを話せないのに聴聞しろというのもなんだかなあ…
世も滅法だ。
295 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/22(土) 19:27:38.61
浄土経典を唱え読んでも得はないよ
ただし弥陀の本願他力とは道が違うので「真宗なら効果がない」
『阿弥陀経』には「これより西方に、十万億の仏土を過ぎて世界あり。
名付けて極楽といふ。その土に仏まします。阿弥陀と号す。今現に
ましまして法をときたまふ」とある。
また、『観無量寿経』には「阿弥陀佛ここを去ること遠からず」とある。
阿弥陀仏はどこにおられるのか、それは上記のように確かにおられる。
弘法大師の『般若心経秘鍵』にある言葉で
「仏法はるかにあらず。心中にしてすなわち近し」
>>296 言いたいことは分かる。
その前に文章として「ただし」の使い方はあってる?
どなたか「あんじん子守唄」の内容をご存じの方おられますか?
確か岡山とか鳥取あたりの子守歌で真宗の安心を交ぜ込んだ内容
だったと思うのです。
299 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/22(土) 22:57:01.28
おい真宗禿!元気出せよ!
浄土往生を語れないくらいでシュン(泣)となるなよ!
元気出して明日も頑張っていこうぜ!
>>298 僕は大阪なんですが聞いた事ないですね
節談説法みたいなのですか?
節談説法でも使えるかも知れませんが地方によくある子守歌
のようなもので、歌詞の節々に真宗の安心を組み込んである
ようです。一度聞いたので探してはいるのですが。
多分こんな感じじゃない
ただしこれは田植え唄なんだがね
五劫思惟の苗代に 兆載永劫の代をして
一念帰命の種おろし、雑行雑修の草を取り
年々相続の水流し、往生の秋になりぬれば
この実、穫(と)るこそ うれしけれ
この身、摂(と)るこそ、うれしけれ
303 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/23(日) 00:17:28.73
なんでこの宗教だけ妻帯でいいの?
妻帯してもよいであって妻帯しなければならないという訳ではない。
逆に妻帯したくなくてもよい。
念仏と聞法の生活においてそうした妻帯を戒めとしない
事実上の妻帯は真宗に限らずどの宗派でもあったよ。
比叡山は麓の坂本の町に、愛妾を住まわせていたぐらいだし。
307 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/23(日) 01:25:24.31
煩悩はなくならないんではないか。
性欲がほんとうに、悪であるか、善であるか、も良く分からない。
人間だもの。→使い方が違うと思う。
でも欲望があるから生きてるような気もすんだ。
そこを厳密にみていくと、悪人でしかない、んだよな。
308 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/23(日) 01:29:35.71
本当に苦悩してる人間って、やはり煩悩の問題でしょ。
そこを否定せずに、仏法を考えていったのが法然様であり、親鸞様だろう。
煩悩をなくせ、コントロールしろ、って言われてもできないような凡夫が救われていく。
それは俺はありがたいです。
寺はもっと法を伝えなくちゃ。
浄土真宗は、日々頑張って生きよう
怖いことも不安なこと、思い通りにいかない世の中だけど、
みんなで助けあいましょうというのが、信条だろ
他の宗教を攻撃したり、迷信で人を差別したり、まじないに頼ったりして何になるのかというのが教えだろ
門徒の勤行集にもはじめに、そんな感じでかいてある
般若経典も否定してないし、親鸞の師、法然も信心を誇ってはならない、すくわれるからと言って、
何をしてもいい訳ではない。社会のルールを守り、助け合うように言ってる
阿弥陀如来は目の前に現れないが、お経では、目の前にいても煩悩で見えないととく
真実かどうかは死ななくてはわかるまい
だって、煩悩すてられんだろ
正信偈にもあるように、苦道のあゆみ難けれど、船路の旅の安きかな
浄土真宗、というか、宗教が嫌いなのか、苦行をする自分を誇っているのかもしれんが、
死は、ひとりさるもの、何もない。そこに救いとしての極楽が、もし、夢物語なら、なぜ、人を生き、人は死ぬのかを見つめなければならない
私は生きることに意味があるなら、救いはあると思う。極楽も。でも、内容はお経のとおりとは思わんけどね、でも、そう信じることにした。
信じない人もいていいと思うし、その人も救われます
なぜなら、阿弥陀如来は、いきとしいけるもの全て、このみ光のうちにあり
信心ひとたびおこりなば、迷いの中に救いあり
ちなみに信心は往生をお知らせするものだから、結局のところ、信不信は阿弥陀様のお考え、凡夫のしるところではありません
310 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/23(日) 01:43:18.84
そりゃ信心には色もないし形もないからな、作用のみだ。
その時まさに生死が涅槃に転ぜられる。
311 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/23(日) 02:04:53.90
>>280 「信心を獲た」って自覚したらおしまい。慢心も甚だしい。
「悟るといっても、迷っていることを悟るのである。」安田理深
312 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/23(日) 02:43:43.25
でも、そういう人が多いな。
えたというは、えぬなりって蓮師も言ってるな。
感情で何かえた、とか思うのが多いでしょう。
まぁそれで満足してる人はいいけれど、謙虚にね。
313 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/23(日) 06:41:19.92
>>286 > でもそれは「その人の真似をする」ことになって本来の姿じゃないん
> でしょう。
>
まねするんじゃなくて、只確かめたいだけ、易行なんだから
信心を獲得した人が一杯いそうなものなのに。
> ただ、ただ、法をお聞かせいただきましょう。
法を語る布教使さん、もっと上のレベルでは必ず信心を獲得しているのでしょうね。
信心を獲得していない人が頭の中だけの教義を語られてもピンとこないだろ。
>>311 > 「信心を獲た」って自覚したらおしまい。慢心も甚だしい。
> 「悟るといっても、迷っていることを悟るのである。」安田理深
私はすでに迷っていることは自覚していますが・・・
もっと勉強して迷えと言うことでしょうか?
はっきりとした信心を獲得してその以降は現世を安養世界として生きていくことが出来る。
(お東、親鸞会、華光会
信心獲得の確信もなくフワフワと只迷い苦しみながら、しかしそれこそが来世の浄土を約束する
救いの道と信じる。
(西本願寺
教学の違いについて大雑把には↑こうか。
これはまたすごい新人が現れたなw
妻帯しないと寺経営的に不利な場合があるからな
だから明治大帝は他宗派にも僧侶の妻帯を命じたのだと思う
>>314 >私はすでに迷っていることは自覚していますが・・・
だからそれが迷ゴニョゴニョ・・
>>301 「浄土真宗 子守唄」でググったらヒットしたよ
CDが出てるみたい
>>313 信心を獲得したと自覚している人がいるならそれは宗派関係なくアブナイ人だぞ
千日回峰をやり遂げた人だってそんなこと口が裂けたって言わないよ
>>309 >他の宗教を攻撃したり、
今も続く、真宗の伝統なんですけど?
323 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/23(日) 13:11:22.42
この宗教の妻ってどんな人が多い?
324 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/23(日) 13:16:59.70
信心が発する惑染の凡夫は生死即涅槃を証知するのです。
それを本願成就といい、聞其名号信心歓聞というのです。
また、阿弥陀経の最後に述べられているように、
仏の所説を聞くところに「歓と喜と信」を受くのです。
「歓と喜と信」が生起することもまた、生死即涅槃を証知することなのです。
>>324 まあ、そだね
大切なことはおしょうしんげに全部書いてあるみたい
327 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/23(日) 14:02:52.30
信心を得た人はわざわざ再確認なんてしないんです。
喜んでいる人はわざわざ再確認なんてしないんです。
泣いている人はわざわざ再確認なんてしないんです。
>>324 >>325 そういうことを勉強して知ってすべてを
わかったつもりになっている心こそ
異安心
330 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/23(日) 15:21:13.36
>>329 具体的に言えないならもうやめときな
何が気に入らないの?
んなことより来週大阪でダライ・ラマの講演あるね 行こうかな?
>>267 >余談ですが、私は家族を殺されました。
法然さんもそうだったみたいだよ。
法然は、家族に弟子、いろいろと殺されてるからね
親鸞も両親をなくし、兄弟弟子をなくし、実子を破門
みんな深い悲しみの中に仏をさがしたんだろうな
ちなみに、法然の父は法然の功徳により極楽往生したというんだな
念仏してないけどね
>>328 知ってるくせにw
また、揚げ足取ろうと思ったでしょ?
嘆異抄に唯円が、念仏してもよろこべないよというと
親鸞は、お前もか、といっています。
そして、それが煩悩の仕業なんだろうといってます
生に執着し、市を心細く思う煩悩のせいだと
教えてくれてありがとうございます。
「浄土真宗 子守唄」では確かにありましたが、「あんじん子守歌」は
どうもないようです。「あんじん子守歌」とはどうも備後地方で昔から
謳われていた歌だと聞きました。
>>313 私を布教使と思ってくれるのは光栄ですが、ただの一門徒ですから
法を語るべき布教使ほどではないのでそれなりしか言えませんが
信心は「獲得=手に入れるもの、会得するもの」じゃないんだと
思います。与えられるもの、たまわるものだろうと。
親鸞先生も「我は信心を獲得したぞ」とは言っていないと思います。
有名な高森先生はどうなのかは分かりません。
339 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/23(日) 18:32:17.85
法を喜び伝えることが出来た人は
布教師にならずとも布教師になったようなものです。
340 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/23(日) 18:34:26.97
耳勧学って名称もあるくらいですからね
341 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/23(日) 20:21:07.99
門を通るだけの門徒か
聞が出来ている聞徒か
342 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/23(日) 20:24:27.03
>>341 うまいこというね
同じ「もんと」でも中身は違うってことか
禿げも同様に
343 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/23(日) 21:09:03.22
耳勧学はググったけどわからんかった
345 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/23(日) 21:42:39.93
口勧学もあるん?
ちなみに、お東は勧学じゃなくて講師な。
では、今宵も
南無阿弥陀仏
みんなが救われ、あるいは既に救われていますように
皆
今宵、後生へ出かける覚悟はよいか?
by庄松同行
あにき覚悟はよいか
by庄松同行
>>335 昨日本屋さんで購入した本で同じような箇所を読んでた。
西本願寺が正定聚の位についてもはっきりと覚醒した感じではなくて
モヤモヤしているというのはこの箇所を踏まえてのことかなと思った。
庄松同行も現代に生きて義務教育を受けていれば
とても同じような妙好人にはなれなかっただろうな。
門徒で漁師の源平衛も現代に生きてたらどうか
ハワイの眺望のよいホテルで7日間、インドのブッダガヤ、中国の天台にも
それぞれ旅行ぐらいは出来ただろ。
死ぬことより次の旅行を楽しみにしてたかも。
グルメでそこそこ食べ歩きして味を知っていたら、
おいしいスウイーツ食べてたらこの世に執着してたかもしれん。
文字が読めたら次々疑問がでて思い切りがでなかっただろう。
354 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/24(月) 07:10:25.28
ここで、昭和20年5月21日に出された本願寺門主の手紙を読んでみます。
長いので、書き出しの一文と途中の一文だけ読んでみます。「戦局いよい
よ重大にして、皇国今や存亡の関頭に立てり。一宗挙げて国恩に報ゆるの
とき、今日をおいてまた何れの日にかあらむ」。「遺弟今こそ金剛の信力
発揮して、念仏の声高らかに各々その職域に挺身し、あくまで驕敵撃滅に突進すべきなり」。
ttp://www.mitene.or.jp/~nose/bosoboso-a.html 本願寺は完全に間違っていたの?
それともアジア人を下級のものとみなすキリスト教徒に信心を禁止されるかもしれないのに
黙って念仏だけを唱えていていいの?
355 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/24(月) 11:01:01.24
弁円!
何を今さら。従軍僧侶を一番たくさん出して、一番熱心に戦争協力した宗派だろ
で、戦後は反動で左傾化が一番激しい。
宗派の特性として、何でも過激な方へ動く習性がある
357 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/24(月) 11:57:15.18
>>356 まぁそれで今日の日本があるんだから一概に悪とは言えまい。
今平和なのは誰のおかげか?
誰も好き好んで戦争なんてしないよ
>>357 はげどう
しかし、ここは絶対に悪という連中によって占められているので。
なにが悪でなにが善かは人間の知恵の範囲外。
なにゆえ過去の避けられなかった行為を批判するのか。
戦争への危機感やいのちの軽視、倫理観の欠如などに伴う出来事が相次ぐ
現代社会にあって、私たち一人ひとりが自己中心のこころを反省して、同じい
のちを生きている相手の存在に気づくことが求められています。
自分一人を善として、相手を排除する考え方に真の安らぎはありません
。善と悪に固執する偏見を破り、対立の構図を解消できるのは仏の智慧だけであります。
聖人は、仏法がひろまり、世のなかが安穏であることを願われました。
そのおこころをいただいて、宗祖の750回大遠忌を迎える今、スローガンといたしました。
仏の智慧だけって所に何か違和感が・・・・
クリスチャンやモスレム、ブードーのしそうはどうでもいいのか?
そもそも仏教徒は偶像教徒として排斥されればどうなるの?
黙ってそれに従うの?
戦後徐々に国の指導者もキリスト教徒が占めるようになって
100年経ったらカルト認定されるかもな。
そうなったらキリスト教がカルトじゃん
仏の智慧だけじゃないかも知れんが戦争ばっかしてる教え(キリストやイスラム)だと説得力ないよね
363 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/24(月) 14:37:37.79
>>356 戦争や平和という曖昧な言葉で人を責めてはいけないのに
それを平気でやってしまうところに、自己反省の欠片も見えないんだよね。
だから簡単に左翼に乗っ取られるし、同和利権や在日利権にも利用されちゃう。
>>364 本山に対してそんな偉そうな事言ってもいいのか、君は門徒じゃないよな。
>>365 別に偉いつもりはありませんが。
何か間違っていたらご指摘下さい。
戦争やら平和ということで、他国を持ち上げたり、自国を批判する時には
「国」「日本」という枠組みを積極的に利用するくせに
自国を持ち上げる時には、「世界」「地球」規模で見ろと言ってくる。
なお、他国を批判することは一切許されない。
在日が乗っ取って、日本人イジメをしていると考えれば道理に合う。
社会勉強が絶対的に足りない
誰が?
とにかく宗の「舵とり」が極端なのが真宗の歴史なんじゃないのか
>>367 あんたこそ自虐史観に偏りすぎているんじゃないのかね?
未だに、強制連行はあったとか、慰安婦は被害者だということを
言い出すのかい?
>>354 黙って念佛を称えていれば良かったんだよ。
戦争に反対もせず、賛成もせず、、ね。
ただし、個人として動く分には自由だ。
だって、わかるだろう?
医者が、弁護士の仕事に口出ししたり
大工が宇宙飛行士の仕事に口出ししたりは出来ないでしょう。
宗門としては、戦争については「わからない」と答えるべきだよ。
>>371 国家に協力する旨味を知ったからだよ
逆に権力と対峙した時の怖さをよくよく思い知ったからだよ
国家や権力と付かず離れずのバランス感を持つ事かできなかったんだろう
>>371 当時何もしないことは戦争に反対と解されるよ、それは常識の範囲だけど。
375 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/24(月) 17:07:51.23
>>363 お寺の嫁さんて、経済的にはまず安定だし、地位もそう悪くない。
坊守さんで、寺が興隆するくらいだから。
でもしんどいのかな。
この不安定なご時勢だと、都会の寺は安定してて、いいと思うけど。
どの宗派が経済的に安定してるんだ
377 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/24(月) 17:17:26.43
戦時中に身を置いてみないとなかなか実際は分からないだろう。
ほんとうは、何が善か、悪かも分からないのだし。
歴史的には、英雄と高く評価されている戦争の勝者もいるんだし。
まぁ、殺しあうのは悪だろうな。
しかしさるべき業縁の中では、何をするか分からないのが人間だ。
平和でも、平等でも、その人の、それが坊さんでも、心底から、本気で、語れる人は少ないだろう。
信でも。
借りてきたような言葉は信頼できない。
アンチも同じだぞ。
>>376 それは"soka"
と昔は思っていたんだが、真如だ いまは。
>>378 真如すごいよなw
施設が浮世離れしてるw
「さるべき業縁」で人は慈母にもなれれば、鬼にもなれる
両本願寺の体制翼賛の精神、軍事国家協力の黒歴史とその関係者を
糾弾し否定するのはたやすい。
しかし大事なのは「どうしてその結果になった」かだ
どのような経過を経てその結果を生んだかだ
本願寺さんは同じ轍を踏まぬよう戦時教団を総括したのだろうか
真如のカウンセリングスキルを本願寺禿も会得して
いれば・・もっと違うんだろうな
でも安心からは外れた異端になるだろうな
382 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/24(月) 17:36:37.71
真宗は地味だから、蓮如さんの時、みたいにはやらんな。
でも女子の聞法、増えてるんじゃないの?
今時の真宗は知的にアプローチしたほうが人が集まると思う。
信心は、一文不知でいいけど、まず来てもらわないと。
それと言行の多少の一致を願いたい。
法話はすごい立派なのに、プライベートの話は下品で偉そうで、びっくり経験がある。
>>380 上等文句だね
結果の原因を探すのは大事だけど、
それは仏法を持ち出すことではない。
社会通念上の範囲で考えることだ。
当時の命令系統から責任の所在をはっきりさせ、責任をとらせれば良い。全体の責任だとかは言わなくて良い。
教団や国となると独特の理屈を持ち出すのはもうやめにしたほうが良い。
中国人や韓国人みたいだね
>>380 黒歴史ってなんだよ。
国家の政策に関わることが悪いのか、内容次第なのか。どうなの?
>>383 残念だが、そう思えない程の一味同心一心同体ぶりだったんだ、
当時は。その資料からみて。
>>385 国家の政策に関わるならいいが、当時は引きづられていたと思う。
当時、真宗から政策に口を出した事はあるのか。それは仏法に基づ
いた考えによってなのか。
>>380 日本は欧米諸国の植民地からアジアを解放させたという素晴らしいことを成し遂げた。
それを応援したのはあながち間違ってない。
黒歴史なんかじゃない。もちろん、白ではないが。
>>386 日本全体が一心同体だった当時の状況で考えると、異常では無い。
赤紙貰った息子を喜んで送り出した母さんは、きっと心では泣いていたにちがいないと現代の感覚で好意的に捉えようと試みて、責めるようなことはしないが、教団のことを、やむを得なかったんだろうとは決して考えない。
ダブルスタンダードはやめてくれよ。
>>387 これは真宗がどうこうではなく、仏教関係無しの私的歴史観だが
欧米列強の植民地支配からアジアを解放させるきっかけはもたらして
いるとは感じる。
しかし、単なる解放者で終始したのではなく新しい支配者となった
側面はないだろうか?
ベトナム戦争の遠因にもなっているだろう。
>>390 仮定の話を主張するのであればダブルスタンダード。こちらの勝手な推測だが。
教団の採った方針や行動を「やむを得なかった」とは思わない。
ただし、戦後となり平和でかつ自由に発言できる時代の人間が
単純に当時の行動を非難するには値しない。
非難ではなく検証こそ必要だと思う。
>>392 検証は大事。
しかし社会通念上必要とされる範囲で納めるべき。
チョンコロのいう通りにやっていたらいつまでたっても終わらない。
ざわわ ざわわ ざわわ
忘れられない悲しみは
ざわわ ざわわ ざわわ
波のように押しよせる
風よ 悲しみのうたを
海に返してほしい
夏のひざしの中で
ざわわ ざわわ ざわわ
風に 涙はかわいても
ざわわ ざわわ ざわわ
この悲しみは消えない
♪ 和歌の浦曲(うらわ)の 片男波(かたおなみ)の
よせかけよせかけ 帰るごとく
われ世に繁く 通いきたり みほとけの慈悲 つたえなまし
一人いてしも 喜びなば 二人と思え
二人にして 喜ぶおりは 三人(みたり)なるぞ
その一人こそ 親鸞なれ ♪♪
チョンコロとは左側の方とか、半島系の方を指しているのかな
その名指しした方々のいいなりでは、自省を含んだ意味での検証
にはなりえない。
社会通念上満足できるかどうかではないと思う。
自ら振り返り、省みるべきではないだろうか。二度と同じ道を
歩まないように。阿弥陀仏の願いのように。
親鸞は「世の中安穏なれ 仏法ひろまれ」と言ったそうでし。
チョンさんたちやコロさんたちを満足させる為でもその利益の為
でもない。と
平気で差別用語を使うお前さんたちがこわい
>>397 日本の過去を黒歴史と言われることに声を上げず、チョンコロに反応するなんて情けない。それでも日本人なのか?
>>396 世の中を安穏にしようぜ、と読み替えていないか?
親鸞は国家を相手にしていたのか?
自分の過去を検証して二度と過ちを繰り返さないようにしていたのか?また、そうすることを阿弥陀は願っていると説いたのか?
>>398 黒歴史実際あるんだからしょうがない
愛国心てのは都合の悪い事に目をつむる事なのかよ?
あんた歪んでるよ
>>400 黒歴史があると断言するなら、黒と言う根拠を言いなさい。
>>351 なんというタイトルの本ですか?
もしよければ参考までに教えてください
>>400 愛国心が何かも知らないくせに。
そういう言い回しが左翼っぽいんだよ。都合よく、軽々しく使うな。
>>400 歪んでるとか。自分の意見と違うからといってそういう言い方はないでしょう。そういう他者を理解しようとしない心こそ差別心の現れです。まずは相手の言い分を理解するところから始めないと。
差別用語を平気で使うのはどうなの?って言ってんのよ
もう戦争は終わったんだぞ
見下げるのも問題だし、媚び恐れるもの問題だろう
増上慢卑下慢になるかな 確かに差別の意識を秘めた言語は
使わぬべきだろう。そのような瞋癡の毒が荒れ狂うままにして
おくのは如何かと思う
日本の過去にも誇れる正しき事もあれば、やましく不正義な事も
あるだろう。それは半島に住む方々も大陸の方々も同様。
もちろん正義不正義はその人間の思考、主義、価値観によって
様変わりもする。
愛国心はやはり「国」という枠から越えられないと感じる。
愛地球や愛生命という心の名詞がないのは不思議である。博愛では
意味が響きにくいと思う。
「世の中安穏慣れ」かも知れないが、やはり世を安穏にしていこう
その為に何かをしよう 世の姿は自らの姿・心にも通じると慚愧自省する
ことを意味していると思う。
ちょんころ と言葉を目にしたが、もし半島・大陸の方々を暗喩し蔑む
のであるなら、日本人はその文化の影響から未だ脱することはできていない。
漢字である。経文である。仏教である。
>>405 差別用語とは思わんよ。
気にしすぎなんだよ。せいぜい侮辱用語くらいなもんだ。
>>406 日本に文字を伝えた帰化人の先祖は今の半島にはおらんよ。すでに滅びてる。
それに文字を伝えたことで優位にたちたいんだろうが、常識で考えてみろよ。ギリシャがお前の祖国のようなことを言い出したら世界中に笑われるぞ。
>>405 戦争って何言い出してるの?
あなた日本人ですか?
>>405 黒の根拠も言えないのに、宗門の過去を侮辱することは差別だろう?まずは根拠を言いなさい。
>>409 >ギリシャがお前の祖国のようなことを言い出したら世界中に笑われるぞ。
ギリシャのことわざか何かですか? 別に俺は左じゃないんだよ
自衛隊は兵士であり国軍にすべきだし、領土問題ははっきりと主張すべきだし
ヤスクニは影響下から抜け出すべきだし。
文字で優位とかではない。
独島は私達の土地と言った女優がいた。
彼女は一つの英雄かも知れない。
日本には竹島は私達の先祖が築いた島と言ってくれる
芸能人はいるだろうか。
何よりその行動を求め、大いに応援するだろうか
>>412 日本語がおかしいwww
ロムってなんだか知ってるの?
うまやどの皇子は
「十に曰く、忿(こころのいかり)を絶ちて、瞋(おもてのいかり)を棄(す)て、
人の違うことを怒らざれ。
人皆心あり。心おのおのの執れることあり。かれ是とすれば、われ非とす。
われ是とすれば、かれ非とす。われ必ずしも聖にあらず」
「一に曰く、和(やわらぎ)を以て貴しと為し、忤(さか)ふること無きを宗とせよ。
人皆党(たむら)有り、また達(さと)れる者は少なし。
或いは君父(くんぷ)に順(したがわ)ず、乍(また)隣里(りんり)に違う。
然れども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、
すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。
和を以て貴し そんな感覚を持つのが仏教ではないだろうか。
憎しみに陥ることなく、愛に溺れることなく「中道」を目指す。
>>413 私もほぼ同意見だ。
しかし、それは宗門を巻き込むことではないし、親鸞聖人を味方につけて主張することではないと思うんだ。
あくまで己の考えで行動すること。
昔も今も宗門がイデオロギーにやられちまってるけど、私たちは仏法を学び行動するが、仏法を後ろ楯にしてはいけないと思う。
>>417 難しくも重きをおくのが仏法を要とすることでしょう。
仏法を学び行動するが、仏法を後ろ楯にしてはいけないと思う。
むむっ マウスの感度が・・・
>>417 難しくも重きをおくのが仏法を要とすることでしょう。
>仏法を学び行動するが、仏法を後ろ楯にしてはいけないと思う。
つまり我を中心とし仏法の知識や精神を利用するということですね
しかし「自らを灯とせよ 法を灯とせよ」とありますので
法を人生の中心に据えて生きるということでしょう。
>>416 自慢じゃないが、2chが出来たときからやってるw
>>419 そうではないんだが、私の考えが間違っているのかな?
誤解を恐れず端的に言えば、法を中心とした行動をとろうとするが、法を中心に置いた行動はこれだ!とは言えないということなんだ。
一つ辿りついた生き方としては「法を鏡とする」
法を通して我が身を見る
>>413 英雄じゃねーよ。
かの国の人はみんなそう言うの。
言わないとリンチに合うような、それこそあなたの大嫌いな差別や嘘で溢れてる国なの。
世界中から嫌われている国なの。
ちなみに、韓国人は在日を嫌ってるんだよ。そんな祖国のためにがんばる必要ないよ。さっさと帰化して日本人になっちゃいなよ。
◇われ必ずしも聖にあらず、かれ必ずしも愚にあらず。共にこれ凡夫のみ。(聖徳太子)
煩悩をやめることはできぬけど 煩悩としることはできる (仲野良俊)
◇「あんなやつ 死んじゃえばいい」わたしのこころの中の 鬼がさけぶ
「あのね人を恨んでね ほんとうに傷つくのはじぶんなんだよ」
鬼のうしろで 仏がそっとささやく鬼心 仏心同居の わが家 家主はじぶん(相田みつを『家主』)
◇自分を よいと思う心が、すべてのつまづきのもとである
◇我がこころにまかせずして、心を責めよ 『蓮如上人御一代記聞書』第46条
◇他をとがめんとする心をとがめよ (清沢満之)
427 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/25(火) 00:15:23.12
仏法を宗とするは悪人なり 仏法ありきを宗とするは善人なり
いかにもいかにも学問して、本願のむねをしるべきなり
今宵はまたぎすぎすした人間であふれておりますな。
山門僧兵集団と並んで軍事的好戦的な真宗教団。
どのような歴史であれ、歴史教科書に名を刻む。
立場や時期、場所いろいろかわれば考え方も生き方も変わる。
戦争は悲惨だが、それは宗教ではなく、その指導者の話だろう。
人は正しい判断などわからない、まさにその例えだろう
ローマ教皇もイスラムも歴史をみればしかり
日本の戦争は、結局は負け、日本を焦土とし、たくさん命が奪われた、もちろん敵国民も
宗教者なら、理想をかたり、戦争を批判すべきだと思う。
だが、家族や故郷、恋人を守るためなら、人は悪にでもなれるだろう
それは、罪であっても、許されなければならない。
人間はもろく、はかないから
戦争を美化はしないだが、ひとりひとりの兵士は自分の信じたいもの、守りたいもののために戦った。
私は戦犯も同じだと思う。
だからこそ、この悲しみの世の中に阿弥陀如来の救いを信じたい
>>402 あらすじとイラストでわかる親鸞 (読むとココロがすーっとなる)
イースト・プレス定価(本体476+税)
正直に答えるのは恥ずかしいけど・・・
だけど要点は捉えてる本田と思った。
まあ半分漫画みたいな本でしたw
日本人が反省することはいいことだ、
しかし反省することのないお隣民族に
戦後一方に言われるがままでは逆にウルトラナショナリズムを招来させるよ。
反省することを知らない民族に「正義」を無制限に与えてしまったの現状。
それに対してポチポチ日本人が気づき始めて怒り出してきた。
マスコミ、教育界、そして宗教までが
「日本人が悪い」、「日本人が悪い」と百万遍唱えたために
日本人がすっかり萎縮して自信を失い
先祖のことに誇りをもてなくなり、内向きになっているのが昨今の現状
先の大戦にはいろいろな原因があるだろうけど
欧米の侵略に対抗する意味での自衛の戦いと言う側面は多分にある。
また従来語られている帝国主義間のさけざる帝国主義間戦争と言う評価もあるが
欧米のキリスト教徒による侵略に対して仏教徒がやむなく立ち上がった
宗教戦争という見方もある。←New
またソ連共産党の無神論が朝鮮半島を植民地化すればそれはすなわち
日本の仏教全滅の橋頭堡にもなりえた。
そのような当時の状況を無視して一方的に日本だけが悪いかのように言う
今の真宗の見解には限界がある。
>>431 この本でもはっきりしたが法然さんの考えと親鸞さんの考えには
ほとんど差がない。
だから親鸞さんは法然さんの弟子と生涯思っていたのはうなずける
あちらのHPも見たが今でもほとんど差がない
修行のための南無阿弥陀仏がやがて心から阿弥陀仏の本願を知り
御恩報謝の南無阿弥陀仏に変わるのが自然と思える。。
最初から御恩報謝と思わなくても行を通してやがて御恩報謝に変わったのも
親鸞さんと言う先駆者がいるわけだから、その道を通るのは間違いではないと思う
同時に融通念仏宗だが、これは自力の南無阿弥陀仏と位置づけているが
やがて御恩報謝へと変ずるは必死だからこれもいいと思う
時宗も似たようなもんだろ、みんな浄土の教えは同じみなものとに帰する。
>>415 日本国内だけならそれでいい(平等精神を言うためなら)
しかしお隣さんをはじめ世界の現状はそのようなことにはなってない。
他者は意識するが、他者の意思や主義主張に流されるばかりなのでは
私の考える「自ら省みる」事にはならないと思う。
他者に流されるならそれは媚びかご機嫌取りであろう。自らの判断と行動
に自信がないということなら、それは「自ら省みる」になるとは思えない。
先祖達の歴史から何を学び将来どう生かすか、その意味で先祖先人達に敬意を
払いつつ素直に見つめなければならない。
「温故知新」
将来を考えるというのは過去から学ぶということにもなるのだろう
あまりにも他を意識しすぎて「自らが尊び重きをおくべきもの」を
忘れている。
それはまた我にトラワレていても同じきこと。
禅問答のような言葉の遊戯に逃げ込み真実から目を背けてはいけない。
現実に生きるわれわれに降りかかる火の粉は振り払わねば・・・
>>437 > 先祖達の歴史から何を学び将来どう生かすか、その意味で先祖先人達に敬意を
> 払いつつ素直に見つめなければならない。
率直になにを見つめるかが問題だ。
この言葉の意味は
一般的には過去の負の歴史を見つめると言う意味ですね。
自分でない他人にまで共通の歴史観を持ち責任を押し付けることがいいのでしょうか。
本願寺は戦時中の本願寺指導者のみならず戦後生まれの若い人にまで共通の歴史観を
押し付けているように思えます。
信心を教えるならともかく俗世界の出来事までなにの責任を持つ必要があるのか。
どうしても反省したいなら指導者だけでどうぞ。
>>432-434 >>437 素晴らしい意見ですね。
まったくもってその通りだと思います。
>>440 負の歴史という捉え方は一般的なんだよね。
でも、私は、間違った見方だと思っている。
戦争協力の中にさえ、正負混濁しているんだ。
信心の世界は所詮、俗の世界とは乖離しており俗の世界=娑婆のことを
考える必要はないだろうか。
離れているのか近いものなのか一つなのか、あるのかないのか。
他や過去から学ぶことは重要だと思う。学ぶということは逆に伝える
ことが重要になってくると思う。
>>442 信心の世界は、俗の世界とは乖離している、にも関わらず
私たちは、俗の世界を通してしか、知る手段を持たない。
444 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/25(火) 17:54:29.20
あらゆる仏教の立場から出てくる答えは、平和だろう。
ただ人間は、仏陀のようには生きられない。
また釈尊の時代にも戦争はあったね。
真宗が仏教の立場で、平和を訴えるべきだ。
しかしここは娑婆で、凡夫の世界である現実とどう向かい合うか。
イデオロギーではない、真実をどれほど語りうるか。
それは命をかけた問いですね。
それだけの覚悟はほんとうにあるか。
445 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/25(火) 18:26:17.81
石山戦争で信長に勝ってたら、日本は天皇と農民の支配する
先進的で平和な自治国家になってたかもしれない。
>>444 > あらゆる仏教の立場から出てくる答えは、平和だろう。
仏陀は平和を説いたの?w違うでしょうにw
> ただ人間は、仏陀のようには生きられない。
親鸞の言う、末法の世だから、悟ることは出来ないということ?
> また釈尊の時代にも戦争はあったね。
この一文は全体の中でどういう意味を持つのか教えてくれw
> 真宗が仏教の立場で、平和を訴えるべきだ。
どうしてさw前文との脈絡が0なんだけど。
> しかしここは娑婆で、凡夫の世界である現実とどう向かい合うか。
突然何を言い出すのw
> イデオロギーではない、真実をどれほど語りうるか。
意味がわかりませんw
> それは命をかけた問いですね。
詳しく説明して下さいw
> それだけの覚悟はほんとうにあるか。
はぁ?w 小学生の作文より酷いな。
これこれ ↑の人、高校のテストじゃないんだから
添削っぽく一言一句につっこまないってばさw
>>445 歴史へifをしてもしょうがないが
信長への謀反その一端を担っていたのは天皇側じゃないのか
石山合戦で信長が勝ち切って本願寺を解体したとしても
天皇と農民の支配できるような革新的な自治国家にはなれないよ
信長はそんな日の本を理想とはしていないだろう。
あと石山で勝ってもその後にどんどん敵が現れたよ。家康あたりも
最終的には敵対するだろう。
信長の欲する世界には何も努力せず血筋だけで膨大な権力を持てる
天皇制など百害にしか映らないんじゃないか。
448 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/25(火) 20:33:15.72
449 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/25(火) 20:36:17.76
一向一揆の人だろうね。
>>446 このレスで、真宗の坊さんがほんとに怖いのが分かっただろう。
なんかめちゃくちゃ、怖いな
道ですれ違いたくないぜ
453 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/25(火) 22:07:06.34
>>446は仏教をきちんと理解してるぞ。
仏教は因縁を説くだろう。
きちんと因縁をつけてるぞ。
>>451 この種の人間って、自分から筋のとおおったことは一切話せない。
455 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/25(火) 22:32:33.60
まじで質問。
仏陀は平和は説かなかったの?
456 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/25(火) 22:33:20.70
不殺生
仏陀は争いは説いていないのは事実じゃないか
まぁ普通に考えて行き着く先は平和というか平穏だよな
446みたいに、平和を説かない宗派もあるんだろう。
真宗とは思えんが。
460 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/25(火) 23:06:15.18
つい先日外国で巨大地震が起こったそうですが
本願寺は偽捐金を募らないのですか?
>>460 やるかも知れんが、んな早く動けないだろ
462 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/25(火) 23:19:26.72
464 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/25(火) 23:28:38.50
>>462 人が沢山亡くなってる事をダシにして本願寺叩き。
ご立派ですな
465 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/25(火) 23:30:30.38
早く動いて損することがあるから動かないのでは?
467 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/25(火) 23:41:04.48
>>466 めんどくさい。
ある程度世論が動いてから追従。
>>467 めんどくさい事が損?
損失は何?って聞いてるんだけど
469 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/25(火) 23:44:01.08
ほんと、単に、真宗が嫌いで、因縁つけてるみたい。
誰なんだ?
>>464には同意
叩くなら別の方法でやれ
不謹慎だわ
471 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/25(火) 23:51:19.81
なら早く募れよ、と。
473 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/25(火) 23:53:41.00
先の大戦に兵隊送ったのに金ぐらい出せないわけではないだろう。
人が死んでるなら早く金を送って復興の助けにでもしたらいいとは思わないのか。
475 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/25(火) 23:57:10.67
本願寺は募らないのですか?
外国人は除外ですか。
476 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/25(火) 23:58:45.72
まあ、もう少し待ってみよう、2年くらいは。
478 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/26(水) 00:04:27.62
おいw
480 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/26(水) 00:08:46.84
>>473 本願寺が兵士送る訳ないだろう 応援したとか激励勧奨したということだろ
先の大戦と諸外国の自然災害を同じ次元で語られてもなぁ
他のところの事情を言えばだが
創価だった直ぐには義捐金は送ってないだろうよ
数か月ほどあとじゃないか
もちろん「紐付き」ではあるがな
ただでくれるほど人がいい訳ではないし。
484 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/26(水) 00:24:24.47
宗教にからむといい奴になるのかと思ったけど、みんな嫌な奴になるな。
感動しました。
他のところの事情を言えばだが
創価だった直ぐには義捐金は送ってないだろうよ
数か月ほどあとじゃないか
もちろん「紐付き」ではあるがな
ただでくれるほど人がいい訳ではないし。
からんでいるって、さっきからのやりとりを言っているのかい?
それなら絡んでいるというより宗教を否定したいか
結局真宗は無意味だとか嫌いだと言いたいとしか思えないが
487 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/26(水) 00:44:43.12
ひどいこと書いている人たちは、(彼らにすれば正しいことかもしれないが、)どっかの宗教をやってる人たちじゃないのかな。
この話は浄土真宗だからどうではなく、宗教とはどうかになってしまったね
浄土真宗は基本、在家だから、寄付とかどうかとか、本願寺がどうとかはあんまり関係ないよ
寄付できる人はしたらいい。なんにもできなければ、祈るしかできないよ
トルコは宗教違うけど、そんなことは関係ないだろ
同じ人間という同朋だから
戦争時の対応は、仏教うんぬんよりも、あの戦争をもっと見直ししなければならない、そして宗教とは仏教、浄土真宗はどうあるべきか
私は、あの悲惨な戦争を美化はしませんし、戦争に正義があるとは思いません。
それでも、戦争には相手の思惑もあり、自衛のために戦い、やぶれた
悲しい犠牲者に南無阿弥陀仏
悲しく、つらく、苦しかったからこそ、救われていますように
阿弥陀様のおはからいありますように
489 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/26(水) 01:17:47.88
もちろん相手国民の犠牲者にも南無阿弥陀仏
話ぶった切りですんませんが11/12、13に神戸で、12/10、11に京都(共に場所不明)で
1万円払って朝から晩まで話を聞く(?)何かがあるらしいんだけど、
このイベント(?)って何なのか分かる人います?
婚約者の父親にできれば結婚前に2人で行ってほしいと言われて困ってます。
うちも浄土真宗なんだけどそんなの聞いたことないし・・・ハッキリ言って嫌だ。
でもお父さんも良かれと思って言ってくれてるし、断りづらくてもうどうしていいのやら。
>>490 お布施にしては高いね
せめて場所が分かれば調べられるんだけど
>>490 相手側によく聞いてみ、はっきりしないようならまずカルトだろ。
何事も最初が肝心、フラフラしてると一生の不覚をとるかも。
494 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/26(水) 09:19:00.98
100年前の650回のときの熱気すごかったみたいだね
伝道会館の写真で見たよ。
495 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/26(水) 13:54:06.12
嫉妬はみっともない
497 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/26(水) 15:36:25.89
珍しく延びてないな
誰か法話でもして
あおらないから
499 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/27(木) 07:36:00.90
お念仏を称えたから救われるわけではありません。
信じたら救われると思っているのは大間違いです。
親鸞会が忙しいんだろ
今まで仏教っぽい話があったのは、全部親鸞会の人間のしわざです
本願寺は仏教ぽい話はしないのか。
たとえばある者に七人の子がいたとして、七人の子のなかで一人が病気になれば、
親の心は平等でないわけではないけれど、その病気の子にはとくに心をかけます。
この七子のたとえには、もっとも苦しんでいる者こそ救わずにはおれないという如来
の慈悲心が表わされています。
お念仏ってなんなんでしょうか?
>>502 そして、現代では、皆が等しく病んでいるため
阿弥陀の慈悲心は全衆生に向いて、、、、
あれ、動物にも末法の世ってあるんか・・・?
全衆生は、動植物を含むのか
含むとすれば、動物も現在は末法の世なのか。
鶯の声なかりせば雪消えぬ
山里いかで春を知らまし
天文学の知識もなくカレンダーもない奥山の住居であれば、
何時となく雪はふり積もって、冬とも春とも知ることはできないけれども、
木々の間に鶯の声を聞いて初めて春の訪れを知ることができる。
鶯の声なければどうして春を知ることができようぞと詠われたものである。
とても知られぬことであるのに知られたというこころ、今なぞらえて頂いてみると、
三毒煩悩の雪に覆われて人生の行き先も知らずにいるこの私を、聞かせて救うと
誓われたのが超世の本願と申すもの。迷いと悟り、進みゆく方向もわからぬ者に、
我れにまかせよ必ず救うと、南無阿弥陀仏の声聞こえ、雪の中にありながら、
確かな救いの春であったことを知らせていただくのである
508 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/27(木) 17:12:58.15
天文学の知識はないのに四季の知識はあるのか。
509 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/27(木) 18:23:37.35
雪が溶けようと溶けまいと、日出没で夏至冬至春分秋分くらいわかるわい。
山奥の田舎者だからって見下したようにばかにすんな!
510 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/27(木) 21:03:57.03
きみ、カルシウム足りてないのとちゃう?
>>510 イライラとカルシウムは無関係
これ豆な
512 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/27(木) 22:11:17.13
家庭内の不和?
では、南無阿弥陀仏
みんなが救われますように
生きてよし、死してよし、生死の峠に立ちて、ただ念仏す
死ぬことが
情けないのではない
空しく終わる人生が
やりきれないのだ
なぜ生まれたのか
どう生きるべきなのか
何をしたいのか
はっきりしていますか
私たちはただ日々を何となく過ごしているにすぎない
だから、死ななければならなくなったら、ちょっと待ってくれ、と言いたくなる
本願力とは、教えに出会い、鏡に照らされて、自分自身が教えられて目を覚ますというはたらきです。
そういう教えのはたらきに遇った者は人生が空しく過ぎないんだ、そしてそこに人が人になっていく
道があります、空しく終わらない道があります、という歌です。そういうことを歌われた親鸞聖人の
『和讃』
本願力にあいぬれば むなしくすぐるひとぞなき
功徳の宝海みちみちて 煩悩の濁水へだてなし
をお葬式の時に歌うわけです。
つまり、労苦多き人生を生きつくされ、今亡くなられた方を前にして、私に空しく終わらない人生を
生きているだろうかということが、あらためてその死から問われているわけです。そして、空しく終
わらない人生を見つけて、人が人になっていく人生をきちんと歩んでほしいということが、亡くなっ
ていかれた人が残された大きな願いですし、課題だと思うんですね。そういう、亡くなった人の課題
を受けて、そこから問われ、自分の人生を見直そう、そういう形で、大事な人の死を通して、大事な
問題に気づかせていただく。そして、そういう問題の与える人生を人として生きつくくして下さった
方を前にして、あらためて自分が人生の問題を目を覚ましていく。こういうことがこの『和讃』を歌
う大事な意味だと思うんです。
ですから身近な方が亡くなられたということは、その方から死をかけて説いて下さった大事な問題
を受けていくことだと思うんです。こういうことから私たちは空しく終わらない人生を見つけて歩み
出していく。そういうことが始まっていくことが大切だし、そういうことを大事に伝えてきたのが、
真宗門徒であったのかなあ、と思います。
517 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/28(金) 06:07:58.75
>>516 > 本願力とは、教えに出会い、鏡に照らされて、自分自身が教えられて目を覚ますというはたらきです。
でまじめに聞くが、
本願寺派ではどのくらいの人が目を覚ましたと自覚している人がいるのでしょうか?
>>513 他人の救いのために南無阿弥陀仏と言われてもなw
そもそも衆生はみな救われてるんだから。
520 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/28(金) 08:11:58.73
嫌がらせされたことある。苦情言いたいけど苦情受付とかないから困る
徳のあるお坊さんに正信偈を読んでもらうと両肩が温かくなります。すごく気持ちがいいです
私はこういう体質です。
ですから、本物か偽物かすぐにわかります。
真宗坊主で「徳のある」坊さん?
声明の訓練を積んだ坊主のことか?
524 :
521:2011/10/28(金) 09:00:10.30
>>523 どのような経験を積んでこられたお坊さんなのかわかりません 私の家は大谷派です 私の先祖が気持ちがいいと言います 私はこういう体質なんです。
>>524 徳のあるお坊さんとは?
儒教の徳とも考えられるが、
すでに正定聚の位にある人のことか?
君ら どこまで本気なんだ?
本気なんだよ、でも疑いの気持ちが晴れない。
疑いの気持ちを晴らしてくれる明快な答えがほしいからここにいる。
これは本当の気持ち。
でも疑ったままでもいいと気休めを言うてくれる人もいる。
一方疑いの気持ちを持ったままの往生は仮土往生だと言うらしいからね。
あー いやいや 疑いが晴れないのはまともな証拠だよ
ただ疑いを晴らしてくれる「一言」はないよ。多分誰も言えない。
そこは聖道門も浄土門も同じで一生かけて身に聞いていくんだと思うよ。
>>528 一生をかけてか、、
ものすごい難行だなw
530 :
521:2011/10/28(金) 09:57:29.82
「徳の高い」という表現が間違っていたかもしれません すいません
とにかく私は素人です 僧侶ではありません。体でダイレクトに感じてしまう体質なんです
坊さん達「呪詛」って言っちゃダメですよね 私はそれがあっちに行ったりこっちに行ったりしてるのが見えるときがあります
>>530 オカルト板行け(^O^)(^O^)(^O^)
532 :
521:2011/10/28(金) 11:33:59.51
あははは でも正信偈は大好きです
534 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/28(金) 11:59:42.51
45 :名無しさん@恐縮です:2011/10/28(金) 11:37:24.91 ID:oRdIcMol0
● 北京五輪での、各国のオリンピック強化予算
中国 年間予算480億円 金メダル 51個 ( 開催国 )
米国 年間予算165億円 金メダル 36個
英国 年間予算470億円 金メダル 19個 ( 次回開催国 )
韓国 年間予算597億円 金メダル 13個 ( 開催年は特別に+63億円で計660億円 ) ← ★
日本 年間予算 27億円 金メダル 9個
< 金メダル1個当りのコストパフォーマンス >
中国 年間予算480億円 ÷ 金メダル 51個 = 9億円/個
韓国 年間予算660億円 ÷ 金メダル 13個 = 51億円/個 ← ★ 1国だけ必死バカ丸出しwwwww
日本 年間予算 27億円 ÷ 金メダル 9個 = 3億円/個
http://www.sponichi.co.jp/olympic/news/2008/08/26/06.html
うは、ドウチが来た
>>534 ここをどこだと思ってるんだ?
--------------------------------------------------------------------------------
過去にあがった大谷派僧侶の発言例
〜メダルはEUのものでも、国のものでもなく、それぞれの選手の努力の上に輝いているものなのに
それを国家を代表する人が他国と比べていばってどうするのだろうと思わないでもありません。
自分の国の選手を応援し、地元の学校に声援を送るのは、私たちの中にあって自然にでてくる身贔
屓の気持ちです。
しかし、その気持ちは身贔屓であるだけに限界があり、相対的で、偏りという暗さがある気持ちです。
(略)
〜そして他の国に対し、日本を優位に置いて誇り、領土も文化も日本にするのが善いことのよう
に思う錯覚も生まれます。
〜同朋新聞10月号四衢亮氏のコラム時言より
--------------------------------------------------------------------------------
>>536 日本の誉れは身贔屓で、日本の歴史は黒と決めつけた上で未来永劫償うべき。
なんというダブルスタンダード。
勘違い僧侶の自虐暴走のせいで信心する人が少なくなっていく。
宗門は大病に侵されてる。
540 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/28(金) 15:40:51.10
「差別しないことが信心」という曲解。
そもそも僧侶、と言ってる時点で間違えてるだろ
君がどう定義しようが勝手だが真宗僧侶は僧侶だろ これが世間の見方・・・。
真宗の専業のお寺って大体どのくらい軒数かかえてるもんですか?
過疎・少子高齢化していってるし、
これから体力のないお寺なんかはどんどん吸収合併されたり解散するんでしょ…
どのくらいのお寺なら基礎体力があるって思われますか?
というのが、ウチは分家して付き合ってるお寺がまだないのと、
誰かが亡くなってから一見さんでいきなり世話になるのではなく、
大規模ではないけど歴史や体力のあるお寺と付き合いをいまのうちに形成しときたいんです。
あとは、創価や幸福や光の類へ子供が走ってしまわないように、
親として家の宗教として意識をうえつけておく目的もあります。
なるべく新寺や街中の葬儀屋と結託してない、
やや田舎でいいけど歴史があって専業で面倒みてくれるような体力のあるお寺が希望なので
アドバイス頂きたいです。
婆ちゃんからご本尊をお下がりでとりあえずもらいました。
仏壇や墓も購入予定、
挨拶代わりに永代経懇志も必要なら50〜100万までならあげてもいいです。
546 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/28(金) 20:55:30.10
>>545 地域の違いや寺の運営状況にもよる
まあ郡部でも500以上の門徒戸数があって
離郷門徒でも法事の度に地元へ戻ってきたり
門徒が市街地へ出てる場合も面倒がらずにお参りにきてくれる
そんな寺なら過疎化が進んでも十分に体力はあると思う
上記に当てはまる寺でも、あまり大伽藍を抱えて門徒を役僧や新寺に食われてる寺などはお勧めしかねる
理由として、大伽藍の維持が大変で門徒一軒あたりの寄付の負担額が高くなることかな
とりあえずあんたの婆ちゃんの世話になってる寺にでも頼めばいいんちゃう?
知り合いがいて、上記の条件が当てはまるならそれが無難だよきっと
寺も悪い顔しないしな
547 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/28(金) 21:35:11.65
>>545 ありがとうございます。
実家の師匠寺はそれらの条件にちゃんと該当します。
探す手間とか考えたら実家や親戚が世話になってるお寺が良さげですね。
分家云々でなく、近場でやれば人間関係あるしいいかな、と。
さっき実家の兄貴と話してたらお寺の若院さんと飲み会してたらしく快諾してもらえましたw
ありがとうございました!
最近は、なかなか檀家にはなれんよな
特に都会だからかも、わからないが、近くのお寺は新規は受け入れてないらしい。
坊さん、ひとりだとなかなか難しいらしい
>>530 密教系ならともかく呪術と完全に断絶することで易行門を完成させた
浄土真宗では、絶対にありえないことだと思います。
基本的な仏教の教義的にも呪詛というのはありません。
あなたは仏教以外に何かの信仰をお持ちのようですね
>>545 >あとは、創価や幸福や光の類へ子供が走ってしまわないように、
これを熟読すればいいよ。
<現在の浄土真宗の教えまとめ>
・人間死んだら終わり。霊魂は存在しない
・当然、あの世もない
・阿弥陀如来は頭の中の理屈上でだけ存在するもの
・葬式は死者の霊のために行うのではない
・葬式は参列者が死者を偲ぶのと、真宗の教えを学ぶ場である
・死後に霊を供養するということも無意味である
・法事も供養する場ではなく、生きている人間が真宗の教えを学ぶ場である
・仏壇も先祖供養するためのものでなく、真宗の教えを学ぶためのもの
・墓も生きている者が死者を偲ぶだけの場である
・占い、迷信、オカルトなど科学的証明ができないものを信じる者は馬鹿である
・よって、聖徳太子の夢のお告げを信じた親鸞は馬鹿である
・阿弥陀如来像、親鸞像なども単なる物質であるので、これに対して祈りを捧げるのも馬鹿である
・報恩講などのお布施は、親鸞はもう存在しないし、阿弥陀如来は架空のものなので、
現在の僧侶に対するお礼として納めるべきもの
551 :
521:2011/10/29(土) 08:11:13.99
>>549 誰も教えてくれないのでよくわからないのですが、間接的に天孫と言われました それってなんですか? 私は伊勢の神が見えます。
母方は平安時代から真言宗です。平安末期のごたごたで四国に逃れて800年間真言宗です。
父方はずっと大谷派です。私の親戚は名古屋の東別院につとめております。
空からハッキリ「霊は存在しない」という声が聞こえて来たことがあります。これって浄土宗系ですよね?
浄土宗が支配していた江戸時代が一番長く安定していたと思います。
552 :
521:2011/10/29(土) 08:24:34.35
私がハッキリと識別できるのは
日本の神々 浄土宗 醍醐派、豊山派 大覚寺派 御室派 日蓮 天台 カトリック ユダヤ 朝鮮呪詛です
朝鮮は悪質です
>>552 ここ真宗スレだし浄土宗スレ行ってみたらどう?天台もあるし
554 :
521:2011/10/29(土) 08:49:58.37
大谷派も識別できます うちは大谷派です
555 :
521:2011/10/29(土) 09:04:45.70
大谷派の呪詛は密教系とは違い、誰か他人にめがけて好き勝手に飛ばしているわけではなく、自分の先祖霊に直接飛んできます
余分なことはしません
珍客が現れたようだね
いわゆる「霊感体質」の人は宗教の教義に関係なく
横断的にシャーマニスティックな感覚を発揮するようだね
大谷派が先祖霊なんてものに飛ばしちゃいかんなw
霊魂の存在を信じる裏切り者がいるのかw
このスレ、オレ以上にイタい子がおるやん(^O^)(^O^)(^O^)
559 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/29(土) 15:27:23.52
>>558 「おまえが言うな」のレスはありふれてるから却下ねw
大谷派の僧侶が霊感とか意識してなくても
霊視能力の人の立場から「霊魂に感応している」という状況は想定しうるんじゃないか
561 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/29(土) 15:56:18.05
歴史秘話ヒストリアで取り上げられた井上円了は、越後長岡藩の大谷派慈光寺の子。
>>559 >>561 ギコナビのレスエディタで「sage」と「ハンドル保存」にチェック入れ忘れorz
スマソ
>>311で安田理深さん(お東)の言葉が出てるけど安田さんってけっこう難解だよね
>>555 夢でも見てるんちゃうか。
夢などに頼るようではマダマダ
>>555 あなたの言う呪詛とは言霊のような言葉にやどる霊的パワーかなにかですか?
大谷派のお坊さん本人には恐らく誰かに呪詛を飛ばそうという意思はないと思いますから
言葉自体が持つ力という解釈が妥当かと
>>527 あなたの態度は全く正しいと思うよ。
私は支持します。
567 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/29(土) 17:18:40.71
だれかが前にブルトマンの非神話化という言葉を出していた。
自分はそんなに詳しい者ではないが、大谷派はどっちかというと
非神話化の傾向が強かったようにみえる。
非神話化っていうよりただ科学思想に教えをすり合わせてるだけかと
570 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/29(土) 19:19:00.03
悪霊、祟り、霊障、憑依現象、守護霊
真宗ではこれらは(否定的な形での)定義付けされているのですか。
571 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/29(土) 19:25:51.35
ぜんぶ迷信で
>>564 聖徳太子が夢に出てきて、ワシが女に変身するからセクースしようといいました。
まだその女は現れていませんが、信じた私はマダマダでしょうか。
575 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/29(土) 20:57:36.18
浄慧修梵行ってどういう意味ですか?
576 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/29(土) 21:58:38.56
578 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/29(土) 23:39:36.03
>>575 「浄らかな智慧をもって禁欲行(梵行, brahmacarya)を行う」かな?
>>579 どうい
ではなくて
どうち
ですが何か
581 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/30(日) 00:51:19.46
マジで!?
>>581 そこで「マジすか学園」とどーして書かないのだ(>_<)(>_<)(>_<)
もし「マジックリン」と書いたらしばく(^O^)(^O^)(^O^)
>>582 スレタイ知らず(^O^)(^O^)(^O^)
うざけりゃNGあぼーんすればいいだろ
コテつけてるだけ荒らしよりよほどマシ
>>586 それはそうだった。
くそこてに垣間見える我執が心底嫌いなもんでな。
お説に従うよ。
煩悩の火を消すのではなく、透明あぼーんすることが
煩悩即菩提
大谷はともかく、西は極楽を認めてるがな
浄土宗もな
魂としてかどうかは議論があるが、親鸞も死んだ弟子に極楽にいけてよかったと手紙を書いている
590 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/30(日) 07:20:34.70
本日のお題は
双樹林下往生と難思義下往生、難思往生について
591 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/30(日) 10:30:50.01
>>590 で、その中のどれが浄土往生なのですか?
はやくも立ち往生
>>590 どれが一番、米櫃として効率がいいですか?
18願、19願、20願を熟読するように、それがヒント
お題に誰も乗らない不具合
597 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/30(日) 12:45:07.10
親鸞『顕浄土真実信文類』序
「しかるに末代の道俗、近世の宗師、自性唯心に沈みて浄土の真証を貶す。
定散の自心に迷ひて金剛の真信に昏し。」
598 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/30(日) 12:47:05.69
曽我量深「往生と成仏」(曽我量深・金子大栄著『往生と成仏』法蔵館・一八頁)
「念仏往生の本願によって浄土を開いて下された、浄土というものをどこかに
つくって下さって、そこへ往くというものでなく、私どもの心の中に浄土を
開いて下さった。浄土は私どもの心の中に、あるいは、心をひらくのが
浄土であるともいえます。」
599 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/30(日) 12:49:39.66
600 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/30(日) 12:51:26.25
思い出したが曽我量深は「法蔵菩薩は阿頼耶識である」とも唱えてたなあ
601 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/30(日) 13:41:00.09
浄土真宗はカルトなんですか?
自演しました
いつも自演してる人間ほど、他のをすぐに自演だと言う傾向にあるw
>>601 マジレスするとカルトからみたらカルトだろう。
あと2chは信用するな
>>605 なるほどなあ。真宗の人間も創価や親鸞会をカルトって言ってるけど
それと同じようなもんなんだな
納得した
>>607 君はカルト真宗じゃない一般人だと思うけどまさか創価や親鸞会はカルトじゃないと思ってるの?
カルトかどうかを見分けるのは簡単でつ
脱会が簡単で自由かどうか、簡単自由でないのがカルト。
>>607 バカというやつがバカ
カルトというやつがカルト・・・・
アホか
まともなやつなら何がカルトでそうでないかすぐにわかるわw
>>601 ベルギー政府が公式にカルト団体と認定しています。
オウム、草加、等々と同一レベルです。
>>611 ベルギー国内で活動する浄土真宗の団体って一体なんなんだよってこと
カルト宗教の走狗必死だなw
>>611 川島に「フクシマ フクシマ」て暴言浴びせる国だぞ お前らがカルトじゃねーか!って言いたいですね
いくら言い繕ってもベルギーでカルト認定されてるのは覆せない事実な訳でww
まとうなクリスチャンにとって仏教などすべてカルト。
そうでなければクリスチャンとは言え得ない。
異教徒はカルト
一向一揆とかみると過激なカルト宗教と見なされても間違い無いわな
623 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/30(日) 15:13:42.39
お金がかかる→カルト
そんなにかからない→カルトじゃ無い
あなたの手次の寺もカルトかもしれないぞ!!
多すぎる布施の要求は断固拒否で!
結局他の国や昔の事をほじくり返す事しかできないか・・・。
自分の宗派をカルトと思いたくない心境は分かるよ
逆に聞くがベルギーがカルトじゃないと認めている
キリスト教以外の宗教ってどんなのがあるんだ?
>>627 まずベルギーが宗教に関して寛容ではないんだよ たしか禅宗もアウト
ベルギーに振り回されてるやつがおるなww
ベルギーを世界基準と思い込んでるバカ発見w
こういうヤツこそカルト脳(笑)
>>600 曾我先生はお東の有名な先生
確か安田先生のお師匠さんではなかったかな
大谷派は曾我先生の影響が強いのかなぁ
自分の心をひらくのが浄土、と聞くと
「なぁーんだ、浄土なんて想像の産物、気休め、気の持ちようか」
と早とちりされる可能性がある
熱心なカルト信者ほど自分の宗派はカルトじゃないし
カルト信者じゃないと思い込むよね
迷っていることを知らせる法を聞いて、自分は迷っていたのだ、と自覚することはありえる。
迷っていることすら自覚できないのだ、という態度もありえるだろうけど、
それもやっぱり「自覚できないという自覚」といえる。
でも、もし本当に言葉どおりに、
迷っていることを知らせる法を聞いて、迷っているかどうかわからない(自覚できない)
というのはなにか変な気がする。別の一面を省いた言い方をしているのではないか。
>>634 自覚できたところでどうすることもできない「私」がいる。
これがかなしい。
自覚してしまった どうしようもない「私」 を見離さないと願われた真理がそこにある。
これが頼もしい。
すべては米櫃だと、自覚してしまった私
TPP交渉始めたねw。
アメリカさんは研究熱心だから一向一揆、天皇制など宗教と政治の関係には特に気をつけるはず。
家康は分割したけどアメリカさんは容赦ないから面倒事の種は消しにかかるよ。
>>638 それをいうなら戦時中の敵国研究や戦後の占領政策でとっくに
研究済みじゃないか
なにをいまさら・・・・
鬼畜米国の撃滅は、極右から極左に大きく振れた真宗の中では
唯一継続されたスローガンだからな。
日本情けねぇな
なめられっぱなしだよ
「念仏とは自我崩壊の音なり」(金子大栄)
念仏は絶対沈黙の声、自我崩壊の音
今の東の状態みたら曽我先生や金子先生はなんて言うだろうか
これまでは一応「信教の自由」は日本の憲法に謳われてるけど
アメリカさんの属国になるんだから
日本の国益<<アメリカさんの国益だからね。
信長でさえ逆らった真宗はアメリカさんの思うようになれば一番に消されるよ。
今のうちに身の振り方を考えておけば痛い目に合わないと思うよ。
>>信長でさえ逆らった真宗はアメリカさんの思うようになれば一番に消されるよ。
ちょっと何言ってるかわからない
元総長暁烏氏の
「靖国は浄土(仏国土)である」
の真意はなんだったのでしょうか。
今は東ではその文言についてはどう教えているのでしょうか
>>646 もしそれが起こりえることだとすれば、真宗以上に
創価など日蓮原理主義の団体が先に打撃をうけるでしょう
「日本こそ」の意識も強いことですし。
また創価は左寄りの親朝鮮中華志向を感じるので特に。
>>647 お前は最低のアホか?
今アメリカさんが力を持ってるからそういうだけで、
俺は痛い目にあわなければだれにでも尻尾振るわ。
正義を覆されることの苦しみもまた人生だ。
ハミ死ね
654 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/30(日) 19:15:22.67
ここも他宗派スレと同じで罵詈雑言だけのスレになりつつあるな
655 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/30(日) 19:43:15.35
荒らすのは何処のスレもアンチ
ほっときゃいいものを
656 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/30(日) 20:08:46.76
>>600 それだと法蔵菩薩は私たちの心で阿弥陀仏に成仏することになる
それまでは阿弥陀仏はいないことにも
お経に説かれる本願成就はなんだったのかという話にならんのかねえ
657 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/30(日) 22:01:47.76
「自性唯心」というところがミソなんじゃないの?
心を「無自性」と捉えたら問題ないのでは?
658 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/30(日) 22:32:37.18
>>657 「自性唯心」というのは「自性がある唯心」という意味じゃないよ。
「唯心浄土、自性弥陀」(唯心の浄土、自性の弥陀)という言葉の略だよ。
「唯心浄土」は心の中に浄土があるという説。
「自性弥陀」は自らの自性(清浄仏性)が阿弥陀だという説。
『楽邦文類』という宋の浄土教文献によく出てきて有名になった。
宋の時代に流行していた考えかたらしい。
659 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/30(日) 22:36:34.50
ちなみに法然上人も『一百四十五箇条問答』の中で浄土教の弥陀は
「己心の如来」じゃないとおっしゃっている。
一、真言の阿弥陀の供養法は、正行にて候べきか。
答、仏体は一つににたれども、その心不同なり。真言教の弥陀は、
これ己心の如来、ほかをたづぬべからず。この教の弥陀は、これ
法蔵比丘の成仏也。西方におはしますゆへに、その心おほきにことなり。
*「おほきにことなり」=「大いに異なる」
660 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/30(日) 23:24:33.35
>>658 では、心の外に浄土があると捉えればいいのですか?
661 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/30(日) 23:27:36.73
>>658,659
なるほどねえ
誰かさんじゃないけどこのスレは勉強になるよ
そんな時代から浄土を内面的に見る考え方はあったんだな
662 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/30(日) 23:42:02.79
>>657 ん?
無自性と捉えたらどうして問題なくなるんだ?ちょっとわからん
663 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/30(日) 23:52:52.10
阿弥陀とは みなみにあるを 知らずして
西を願うは はかなかりけり
一休の浄土も己の中にあったな。
一休さんもカルトだったの?
カルトカルトっていうけど、その定義と被害性はどう考えて
カルトって名指ししているの?
真宗はカルトなの?
667 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/31(月) 00:24:05.75
>>663 自性弥陀で阿弥陀仏を内面的に把握しつつ無自性というんだったら
阿弥陀仏はどこにいっちゃったの?ってなるんだが
カルトでめなんでもいいが、死んだら終わりというのもカルトだろ
科学的には、死後のことはわからないっていうのが、基本
特に最近は
目の前に見えないのに、実は目の前に5次元とか、6次元はあるって、研究してるとこいっぱいある
無量寿経にもあるが、極楽は行きやすいのに行く人は少ない
なぜか、それはみんな信じない(信心じゃないよ)からだとある
一切生きるものを救うという教えは、たとえカルトでも素晴らしいと思うよ
キリスト教とかみたいに、厳しい戒律もなく、ただ助け合い生きなさい。死んだら、阿弥陀様が必ず救うというわかりやすい教えだから
宗教は薬みたいなもの、かたちや使い方は違うけど、もしかしたら、同じなのかもしれない
極楽なんて本当にあるのか?って、思ったら、あなたは阿弥陀如来の光の中にある。見えない光
死んでみないとわからない光
悩み、否定してもいい、非難してもいい、救われてるのに、なぜ不幸だ、つらいんだ、寂しいのかってさ
誰も何にも悪いことしてないよ
ただ、生きてるんだ
浄土真宗は基本は在家だから、月参りでもないと、お坊さんに会うこともないから、このスレも役に立ちます
ただの大谷派の檀家ですが、質問させてください。
浄土宗と浄土真宗、私には同じような感覚なのですが、どのように違うのでしょうか。
やっていることは同じような気がしますが
>>669 檀家というな門徒といえ
浄土宗と真宗の違いだが寺へいってみるとわかるが全然違う
浄土三部経を主要な経典とするところは同じだが浄土宗が観無量寿経を
重視するのに対し真宗では大無量寿経を重視する
浄土宗は木魚を叩くが真宗は叩かない
浄土宗は線香を立てるが真宗は横に寝かせる
浄土宗は焼香をつまんだとき額に押し抱くが真宗はそんなことはしない
浄土宗では戒名というが真宗にはいわゆる戒というものがないので法名という
浄土宗では僧侶のことを和尚というが真宗では和上(儀式指導者のも)という
671 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/31(月) 01:58:13.64
何このエラそうな物言いの人w
まぁ 浄土宗は自力で「頼む」意味の念仏でしょうね
んで浄土真宗は他力で「願われていた」意味での念仏じゃないかな
とにかく念仏の回数を重視するのが浄土宗と感じるし、
回数ではなく、信の一心を重視するのが浄土真宗じゃないかな
念仏為先の浄土宗と念仏(信心)為本の浄土真宗という風に思える
673 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/31(月) 05:10:00.80
真宗は観無量寿経を否定したいのかな?
あんパンを作るのにパンの中にあんを入れたらいいのか
それとも、あんの外をパンで包んだらいいのか
最近の真宗はそんなことばかり言っていて
あんもパンも腐らせてしまっている
「お念仏を称えましょう」なんて言おうものなら村八分
お念仏は自然に出てくるものだから称えさせてはいけないという理屈らしいよ」
合掌と礼拝は一つのものという理屈だから「礼拝」なんて言うのも禁止らしいよ
私には屁理屈としか思えないのだが
そのうち、法要の日時を決めたら破門かも
法要は皆様の信心が出会って自然に行われるものだから日時を強制されるものではないなんてね
>>669 まずは真宗の教えを理解しないと。熟読して下さい。
<現在の浄土真宗の教えまとめ>
・人間死んだら終わり。霊魂は存在しない
・当然、あの世もない
・阿弥陀如来は頭の中の理屈上でだけ存在するもの
・葬式は死者の霊のために行うのではない
・葬式は参列者が死者を偲ぶのと、真宗の教えを学ぶ場である
・死後に霊を供養するということも無意味である
・法事も供養する場ではなく、生きている人間が真宗の教えを学ぶ場である
・仏壇も先祖供養するためのものでなく、真宗の教えを学ぶためのもの
・墓も生きている者が死者を偲ぶだけの場である
・占い、迷信、オカルトなど科学的証明ができないものを信じる者は馬鹿である
・よって、聖徳太子の夢のお告げを信じた親鸞は馬鹿である
・阿弥陀如来像、親鸞像なども単なる物質であるので、これに対して祈りを捧げるのも馬鹿である
・報恩講などのお布施は、親鸞はもう存在しないし、阿弥陀如来は架空のものなので、
現在の僧侶に対するお礼として納めるべきもの
>>669 平生業成できないなら浄土宗も浄土真宗も同じ。
平 生 業 成
676 :
675:2011/10/31(月) 07:37:24.33
あ、言っておくけど私は親鸞会とは関係ないよw
677 :
521:2011/10/31(月) 07:45:09.47
678 :
521:2011/10/31(月) 08:12:22.97
「呪詛」って言葉があてはまるのかどうかわかりませんが、大谷派のお坊さんがお経を読んでいる最中に、きれいなのが仏壇の中から出てきて、直接両肩にあたります。
679 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/31(月) 08:37:03.26
>>660 >では、心の外に浄土があると捉えればいいのですか?
そもそも善導『観経疏』そのものが無量寿仏を「唯識法身観」や
「自性清浄仏性観」によって観ることを禁止している。
「あるいは行者ありて、この一門の義をもって唯識法身観となし、
あるいは自性清浄仏性観となすは、その意、はなはだ錯(あやま)れり。
絶えて少分もあひ似たることなし」(『観経疏』定善義)
>>678 家族や友人はその話聞いて何て言ってる?
浄土宗は僧階があるが浄土真宗にはない
浄土宗には7つの階級がある、衣の色も階級によってちがう
大僧正【緋衣】(赤の衣)
正僧正【紫衣】(緋衣が許可うけた者は緋衣許可)
僧正【紫衣】 年齢制限52以上
大僧都【松襲】(青色の衣) ただし紫衣の許可を受けた者は紫衣許可 年齢制限40以上 修行をもう一回受けないと大僧都にはなれない。
僧都【松襲】
少僧都【萌葱色】(緑色の衣) ☆大正大・佛教大卒で単位を完璧にクリアしていればここからの階級から
律師【萌葱色】 高卒・養成講座卒はここから、少僧都になるのに最短7年
浄土真宗にはこの様な階級はない
あと浄土宗には学階(学歴階級がある)
擬講【宗門大学または一般大学から宗門大学の大学院卒】
得業【佛教大学仏教専修科 または一般大学短大卒】
なし【高卒 または高校から養成講座卒 または一般大学卒で頭悪い奴】
浄土宗は僧階があるが浄土真宗にはない
浄土宗には7つの階級がある、衣の色も階級によってちがう
【大将】大僧正【緋衣】(赤の衣)
【少将・中将】正僧正【紫衣】(緋衣が許可うけた者は緋衣許可)
【中佐・大佐】僧正【紫衣】 年齢制限52以上
【大尉・少佐】大僧都【松襲】(青色の衣) ただし紫衣の許可を受けた者は紫衣許可 年齢制限40以上 修行をもう一回受けないと大僧都にはなれない。
【少尉・中尉】僧都【松襲】
【軍曹・曹長】少僧都【萌葱色】(緑色の衣) ☆大正大・佛教大卒で単位を完璧にクリアしていればここからの階級から
【2等兵・1等兵・古参の律師は上等兵・兵長扱い】律師【萌葱色】 高卒・養成講座卒はここから、少僧都になるのに最短7年
浄土真宗にはこの様な階級はない
あと浄土宗には学階(学歴階級がある)
擬講【宗門大学または一般大学から宗門大学の大学院卒】
得業【佛教大学仏教専修科 または一般大学短大卒】
なし【高卒 または高校から養成講座卒 または一般大学卒で頭悪い奴】
浄土真宗について
一口に「僧侶」といっても、各末寺(一般の寺)に所属する形で「未教師衆徒」(一般の僧侶)と、
「教師衆徒」(住職継承資格を有する僧侶)とがあり、
○「未教師衆徒」・・・「得度」を受式した者
○「教師衆徒」・・・「得度」受式の後、さらに「教師」を取得した者
あとは世襲制だから殆ど家柄で決まる。
つまり、僧侶であっても、「教師」を取得していなければ「住職」にはなれない。
僧侶にはこの他に「布教使」、「開教使」などの資格、あるいは学問の上での
研鑚に対して与えられる階級としての「補教」、「助教」などがあるが、
僧侶としてのステップの基本は、これら「得度」と「教師」である。
他力と言うがつまるところ、人間が自覚しているのは
自力の否定でしかありえない。
絶対他力と言うのはアヤラ識のレベルにまで掘り下げないと現れてこない。
686 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/31(月) 11:32:25.62
>>679 浄土真宗では心・識をどのように定義していますか?
第六意識だけではなくマナ識・阿頼耶識をも含めるのですか?
また、どのように存在していると捉えているのでしょうか?
「浄土真宗では」、もしくは、「親鸞は」でもかまいません。
687 :
521:2011/10/31(月) 11:34:33.25
>>680 病人あつかいです 病人扱いするのは天台呪詛に見えます
688 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/31(月) 11:40:11.01
自性・無自性って何?
誰か教えて〜!
浄土真宗は唯識を否定していると考えていいの?
690 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/31(月) 11:45:46.84
>>658>>659>>679 「これは浄土じゃない、あれも浄土じゃない」とかいうばかりで、
結局何が浄土か説明できないんだね。
心と浄土は全く永遠に別物ですか?
仏凡一体とはどういう意味ですか?
691 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/31(月) 11:49:22.40
>>689 だからその前に「識」の定義をしないと。
識が、ほかの何物にも影響を受けず独自で作用していると思っている人も多いんじゃないの?
世親の言う唯識は「ただ感覚のみ」って言う意味じゃないの?
だったら浄土真宗は中観を否定してるのか?
般若心経を読むなと言うぐらいだしな。
ここ観てたら、吉水の草庵で法然上人の高弟と、比叡山から降りてこられたのちの親鸞聖人との間で繰り広げられた問答や、
後鳥羽上皇に専修念仏停止を申し出た南都北嶺の僧侶たちの言い分を思い出してしまうのはオレだけ?(^O^)(^O^)(^O^)
694 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/31(月) 12:16:19.63
695 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/31(月) 12:17:37.59
>>693 「思いだす」ってw
お前生まれてなかっただろ
皆さん位牌はどうしてるの?
過去帳にしようと思ったら身内から猛反対をくらって位牌にしたんだけど、
住職に聞いたらやっぱり過去帳が正しいと言ってたんだよな。
位牌は扉付きのやつだから、いつでも過去帳と入れ替えることができるんだけど
入れ替えたらまた叩かれるんだろうな。
>>693 たまにはいいこと言うな
もう議論し尽くされてるんだよなこの手の話題。
698 :
521:2011/10/31(月) 12:28:34.47
私は、真言宗 特に醍醐派の僧侶が唱えている呪文「オンバラサ、、、、」だったと思うんですが、そのまんま丸ごと聞こえてきます。
多分まちがいないです。あれ醍醐です。
神道系の呪詛は スパッ!スパッ! って飛んできますね。
でもうちは大谷派です。浄土真宗は気持ちいいです 大覚寺に似ています
>>696 位牌はもともとない。白木の位牌は満中陰が終われば持って帰ってもらうしな〜
ご実家の宗旨は真宗じゃないの?
門徒物知らずで、身内から非常識と叩かれるのは常にるな。
なんだか知ったか振りが2〜3名おるなw
中観と唯識これがわからなきゃ浄土真宗の奥義はわからんのか?
自力と他力と言うけれど・・・
他力でも阿弥陀仏からの本願を知るには自力が必要だろう、
自力を完全否定し他力がわかったという認識行為もまた自力による認識でしかありえないだろうからね。
それを完全に超えるには唯識とかを持ち出して理論付ける他なかった。
と言うことでいいのか。
それでいいなら俺は一週間前より少し前進した。
>>695 教育新潮社刊「親鸞聖人がわかる本」その他を精読しているので思い出したまでですが何か。
>>704 誤 「親鸞聖人がわかる本」
正 「浄土真宗がわかる本」
初歩的な入力ミス、スマソorz
龍谷大生か中仏生か何か知らんけど、机上の学問より人生経験かと(^O^)(^O^)(^O^)
>>697 お言葉、額面通り受け取らせていただきます(^O^)(^O^)(^O^)
おおきに
>>706 でも、哀しいかな、血脈相承なのよねぇorz
本願寺で世襲制度を批判したらどうなるんだ?
破門かw
>>708 681 名前:堂地 茂 ◆hid2mORWN2 [sage] 投稿日:2011/10/14(金) 13:37:30.82 ID:HGKvMadh
やっぱり、浄土真宗本願寺派は、
人殺し教団
やってんなあ(^O^)(^O^)(^O^)
690 名前:堂地 茂 ◆hid2mORWN2 [sage] 投稿日:2011/10/14(金) 17:59:09.05 ID:CWOy8oHe
おまいら、悔しかったら、オレを殺人予告で捕まえてみ(^O^)(^O^)(^O^)
誰もそこまでの勇気を持ちあわせてないやろ(^O^)(^O^)(^O^)
ホンマ、本派の僧侶は「名無しの根性なしのど甲斐性なし」という言葉がピッタリやわ〜(^O^)(^O^)(^O^)
691 名前:堂地 茂 ◆hid2mORWN2 [sage] 投稿日:2011/10/14(金) 18:37:15.19 ID:CWOy8oHe ]
早よ逮捕しに来いや(^O^)(^O^)(^O^)
待ってんでぇ〜(^O^)(^O^)(^O^)
711 :
521:2011/10/31(月) 14:12:08.23
御室派の呪詛はシュワ〜って抜けて爽快な気分になります。抜け過ぎちゃって寒いくらいな時があります。
でも私は大谷派信仰です。こんな体に自然に身についてしまいました
712 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/31(月) 15:14:57.92
>>701 別に中観や唯識は要らないよ。
曇ランや善導や道シャクや源信も法然も親鸞もそんなもの学ばなかったんだからねw
学んだということが証明されていないのだから
学んでいないと捉えるのが当たり前でしょう
713 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/31(月) 15:33:20.48
中国や日本といった仏教に関する知識の無い国の学僧が
いきなり経典を解釈して今まで伝わっているのだからそれはそれですごいことだ。
中観や唯識を含む部派佛教はアテにならないってことだ。
714 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/31(月) 16:06:40.10
>>682 高田派は今でも僧階あるし、本派だって以前は僧階あったでしょ
近代になって廃止されたもんだし、浄土宗と真宗の違いを説明するときに出すのはちょっと違うんじゃ無いの
>>711 へ〜 見えるんならしょうがない。
病院には行ってみた?
716 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/31(月) 17:10:59.04
>>713 それはそれですごいが自己流の解釈な可能性が高いでしょ
仏教に関する知識のない国の学僧の経典解釈がすごくて、
中観・唯識・部派仏教がアテにならないというのはおかしくないかな?
717 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/31(月) 17:12:40.70
>>711 呪詛だけですか?他になにか見えたり感じたりしないの?
718 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/31(月) 18:37:43.68
>>701あなたは中観・唯識を学んでどのあたりが不必要だと思いましたか?
>>684 そんなにたくさん資格があったんだ
教師資格や布教師って龍谷大学出ないと取れないの?
仏教中央学院の通信教育では無理か?
あと知り合いの本願寺派のあるお寺の住職の息子さんから
聞いたんだけど高槻かどこかに合宿制の僧侶養成機関が
あるらしいが
720 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/31(月) 18:49:51.96
本願寺と仲の良い政党のことか。
1 :ラストボーイスカウト@空挺ラッコさん部隊ρ ★:2011/10/31(月) 18:38:44.33 ID:???0
偽装結婚に協力したとして、電磁的公正証書原本不実記録・同供用の疑いで
神奈川県警が逮捕、送検した民主党の横浜市議中尾智一容疑者(45)は31日、
市議会に議員辞職願を提出し、議長は辞職を許可した。
市によると、辞職理由は「都合により」としている。
中尾容疑者は2009年10月、知人の中国籍の女=電磁的公正証書原本不実記録
などの罪で公判中=の在留資格を得るため、女と日本人の男=同=の虚偽の婚姻届の
証人欄に署名。横浜市に提出し、受理させた疑いで13日に逮捕された。
ソース:
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2011/10/31/kiji/K20111031001933200.html 2 :名無しさん@12周年:2011/10/31(月) 18:39:26.84 ID:jvxxsnaE0
犯罪者だらけ
民主党
3 :名無しさん@12周年:2011/10/31(月) 18:42:17.24 ID:wdv2Ebnl0
ほんと犯罪者予備軍ばっかだなw
どうなってんだよ民主党は・・・綱紀粛正しろ
>>703 >他力でも阿弥陀仏からの本願を知るには自力が必要だろう
いまいち意味がわからないんだが。念仏すら報恩であって行ではないんだろ?
>自力を完全否定し他力がわかったという認識行為もまた自力による認識でしかありえないだろうからね。
他力本願の理解はひたすら聞法によるのでは?
722 :
521:2011/10/31(月) 19:15:30.99
たぶんお坊さん達は私を病人扱いしたいんだとは思いますが、
送ってきている人間が向こう側に存在するのがハッキリ認識できます
>>719 あるよ 養成機関というか塾といった方が近いかも
724 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/31(月) 20:07:18.37
>>722 ところで朝鮮呪詛ってなんですか?
在日系のお坊さん?
725 :
521:2011/10/31(月) 20:13:03.87
朝鮮呪詛は、やめてやめて、けなげけなげ 可憐可憐 川底の汚泥 貢物 恫喝 真似 ○○のふりをする
とにかくあの手この手で必死になって食い込んでこようとするんです。
食い込んだら出て行きません。神様仏様を徹底的に否定して金絶対主義です、病巣を送りつけてきます。
いっぺん食い込んだらわぁ〜って群がってきます
726 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/31(月) 20:21:12.08
>>721 獲信後の念仏は報恩だろうけどそれまでは違うでしょ
>他力本願の理解はひたすら聞法によるのでは?
聴聞も大事かもしれないけど、他力はお念仏で気づかされるもんじゃないの?
じゃないとお念仏唱えず聴聞だけしていればよいということになりかねない
727 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/31(月) 20:22:51.00
>>725 貴方が直接お経をきいたことがあるのって大谷派と真言宗だけですよね
カトリック、ユダヤ、朝鮮呪詛とかはどこからくるの?
>>727 カトリックは長岡京市から来ます。在日カトリックです ユダヤは海の向こうから来ます。本物です。打ち上げてる黒い修道服の集団が見えます。
朝鮮呪詛は醍醐に食い込んでました。日蓮にも食い込んでました。まだ日蓮にいるような気配ですが、今どこから来てるのかわかりません。白峰神宮にも朝鮮が食い込んでるように見えます。
ユダヤは悪意をあまり感じないのですが、強烈です。ユダヤは仲間に見えるんです。
朝鮮はとにかく悪質なんです。必死に食い込んでこようとして、出て行こうとしない。明智光秀公が江戸城の裏口に持っていった意味がよくわかります。
相手にしてもらおうと必死なんですけど、相手にしたらどんどん食い込んできて出て行きません。汚す専門なのが朝鮮呪詛です。彼らの最終目標は御皇室です
729 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/31(月) 21:03:14.32
>>728 貴方は愛国者なんですね
毎日皇居に向かって敬礼はしてますか?
730 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/31(月) 21:35:04.12
もともと浄土真宗は「中観(三論)も唯識(法相)も部派仏教(成実・倶舎)も
華厳も律も天台も真言も難しくて全然わかりません全くできません阿弥陀様に
おすがりするのみです」というバカなハゲ(愚禿)の自覚に立って親鸞上人が
始めたもの。
だから浄土真宗を唯識によって解釈しようとするのが根本的に誤りなんだよ。
曽我量深とか安田理深とか金子大栄とか全部ウンコ。
731 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/31(月) 21:44:54.23
>>730
なんで金子大栄?
733 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/31(月) 21:47:42.19
>>730 教学の上に成り立つ本願寺もウンコってことですねw
それは同意しますw
>>729 いいえ、そこまではしていませんが、陛下の御威光を感じるときシャキーーーーン、キーーーンてのが飛んできます。
あれが日本の霊的根源ですよね。
それから、確認のしようが無いのですが、陛下が話している言葉が直接聞こえてくるときがあります。
朝鮮呪詛の連中はあれを汚したくてしょうがないんですよ。だから排除しないと。たぶん、これが私の人生です。
おやすみない
お前ら親鸞会のサイト載せるとかほんと好きだな〜ww
736 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/31(月) 21:57:20.44
親鸞会も往生浄土をはっきりとしていないからウンコだw
う〜ん、親鸞と門弟までは良かったがそのあとに続いた人間がアホだったわけだ
>>736 はっきり言い切ってる宗派紹介してよ
乗り換えるわ
唯心の弥陀、己心の浄土は有名だね
一休さんも「西にはないぞ 南=皆の身にあるぞ」という
説話があるが己の心に浄土を感じていくのは天台での浄土教
での世界らしい。親鸞のいうのは己の心に感じる浄土じゃないだろう
740 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/31(月) 22:17:11.27
741 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/31(月) 22:20:23.75
華厳・法華・随求・尊勝、
起信・宝性・十住・摂大乗、にはどう書いてあるの?
743 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/31(月) 22:29:48.24
中観・唯識の必要・不要の話はどうなったのですか
安田理深なんか、唯識の大家だろ w
曽我量深もそうだし、山口益も。
お東の有名どころは、ほとんど、基礎的な仏教学は唯識じゃないかな。
お西はしらない。
要不要でいえば、不要だろうな。
後でできた教学にすぎない。
一つの学説(立場)といってもいい。
746 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/31(月) 22:45:53.15
真宗教学も不要だな、後で出来た学説だ。
未だに浄土が何かわからないんだろ?
748 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/31(月) 22:52:24.26
>>746 真宗教学ほどつまらないものはないからな
重箱の隅をつつくような議論ばっかり
浄土はなんですか なんなんでしょうね一体
まぁ 仏となる世界とかじゃないかなとか思っていますが
となると仏ってなんですかに繋がりますね
偉そうな事を言う割にはハッキリいわないなアンチさんは。
浄土て何なんすか?
>>749 その類の議論にすっぱり答えてる宗旨はありますか?
>>751 アンチというか
>>746さんならはっきり答えられそうだったからね。
知ってそうな書き方だったから
754 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/31(月) 22:59:50.31
>>749 >浄土はなんですか
三部経に説かれている通りでは?
阿弥陀仏が建立した仏国土でしょ。明々白々じゃないか
あるとかないとかじゃなくて要するに信じるか信じないかということ
信仰ってそんなものじゃねえか?
阿弥陀経読んでねーからなみんな
>>752さん
>>754さんが浄土って三部経に書いてある通りなんですよ
と答えを上げています。
納得してくれました?
要するに極楽世界なんて御伽噺を信じるか信じないかの問題でしょうね
>>758 あなたがそう思うならそれでいいんじゃないですか
でも完全否定はできていないですね
760 :
752:2011/10/31(月) 23:26:46.18
>>757 家はお西ですし僕も同じ意見です。
真宗以外にあるのかな?と思って質問しました。ありがとうございます
761 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/01(火) 00:05:56.51
結局、死んだら西の彼方にある極楽というあの世に魂が行くわけだ。
それを受け入れるか受け入れないかは本人次第。
受け入れなければ死後に地獄世界に魂が赴くことに
恐怖を感じながら死んでいくしかないわけだ。
これ以上に説明のしようが無いんじゃないの?
魂とかやめとけw
今まで何見てきたんだよ・・・
763 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/01(火) 00:19:49.03
>>761 >受け入れなければ死後に地獄世界に魂が赴くことに
なんで地獄決定なんだよ
自分の業に従って六道のいづれかに趣く、だろ
765 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/01(火) 00:26:29.89
>>748 真宗教学の特徴というのはですね、
仏教用語の関係性を構築した学問なんですよ。
関係性を述べただけの学問ですから
いちいちすべての用語の意味を説明しているのでもないのです。
宗門内で認められた書物で説明されている用語以外は
責任回避のため明記できないのです。
だから浄土を説明できないという黒歴史を歩むわけです。
766 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/01(火) 00:27:52.56
>>765 そもそも親鸞は仏教用語もよく知らなかったんでしょ?
真宗の「増上縁」とふつう仏教でいう「増上縁」は全くの別物
768 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/01(火) 00:55:03.97
西本願寺派の教義はこうだよ
南無阿弥陀仏のみ教えを信じ、必ず仏にならせていただく身のしあわせを喜び、常に報恩の思いから、世のため人のために生きる
宗教はそもそも生死のためにあるんだから、死んだら終わりってんなら
宗教の意味ないと、思うが
魂とか難しい話はいらん。
共産党みたいに宗教は迷信とかいいだしたら、きりがない
浄土はある
信じることに救い、つまり、助けられる
歎如抄の出だし
弥陀の請願不思議に助けられ
浄土がないとか、どうだとかわかるのか、お釈迦様の仏力なくして、浄土を見ることは難しい
だから、この教えを絶やさず伝えよとお釈迦様は言われたわけだ
阿弥陀如来は真言宗や法華経典にも出てくる。また、菩薩信仰と並び、古い信仰がある
大日如来とも関連が深いと研究もある
何がいいたいのかというと、浄土があって、また死んだ家族や友人に会えるなら、
これほどの幸せはない
死んで終なら、どうせわからん
なら、信じて生きる方が楽だ
布施がいやならやめればいい
心の中でも念仏はできる
769 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/01(火) 00:59:22.36
>>767 ということは真宗は仏教じゃないわけだ。
>>768 自分のすんごい嫌いな奴が信心得て浄土に行ったら
俺は浄土でそいつに会いたいとは思わない。
>>769 大丈夫
そう思ってるのは娑婆にいる今だけ。
そんな心も沸き起こらないから
浄土で家族友人に会えるって言っても、
もはや喜怒哀楽のない煩悩の消滅した清浄な
身になってしまうので、愛する人、憎んだ人誰に会おうと
嬉しくも悲しくもないと思うんだよな。
倶会一処ってそんなもんだろう。
772 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/01(火) 01:06:49.42
>>770 娑婆にいるときに解決せずにいつ解決するの?
773 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/01(火) 01:09:28.97
>>771 煩悩を断じて涅槃を得るということですね。
>>772 会いたい人に会える世界だから会いたくない人には会わないんでいいんでないかい?
普段煩悩得涅槃!!
浄土は愛憎の途絶えた世界でしょう
でも凡夫の娑婆は煩悩の盛んな世界でしょう
コッチ側は会いたいとか一緒にいたくないとかあるが
アッチはそんな感情が絶えた世界でしょう
780 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/01(火) 01:20:23.61
>>771 煩悩の消滅した
煩悩を断じてるのとちゃうの?
>>780 清浄な世界だが我々が煩悩を断じていくんじゃないよ
断じると消え滅するはどう違う?
ニルヴァーナですね。煩悩の吹き消えた状態でしたっけ?
煩悩転じて徳と為すってあるじゃん?つまり消さなくていいの。(断ぜるに越したことないけどね)
浄土は清浄な世界。煩悩のない世界。つまりそういうこと。
罪障功徳の体となる
こほりとみずのごとくにて
こほりおほきにみずおほき
さはりおほきに徳おほし
「断じる」だと主語がわたくしになって、自力。
「消滅す」だと煩悩自体が主語で、他力。
単なる国語のテストだやww
787 :
782:2011/11/01(火) 01:35:34.71
>>786 あざーす。
教えがどうのと言う前に国語読解力の問題でしたね
788 :
782:2011/11/01(火) 01:39:43.89
やっぱ こうやってみると浄土真宗ってすばらしくね
別に他が悪いというわけじゃないが 他力とか浄土とか往生とか阿弥陀仏とか凄いネ
親鸞さんあんたサイコーだよ
浄土真宗に会えて幸せですw
789 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/01(火) 02:13:36.07
愛欲は煩悩だけど、仏になれば無限の愛を持つよ
慈悲の慈は、見返りを求めない愛
悲はつらくかなしく苦しいという呻き声
だから、大慈の心で大悲を見捨てず救う。岩波の注釈かなんかで読んだ
大いなる慈悲とは、最高の愛なんだよ
みんな愛しい人には会いたいだろ、極楽が西にあるとか、金銀であるというのは、わかりやすいたとえだと思う。
本当の幸せは愛しい人や家族と幸せに暮らせることだと思う。
だから、極楽はそんなとこだと、自分勝手な解釈をしてるんだ
790 :
782:2011/11/01(火) 02:17:11.01
四苦八苦のある世界=娑婆
四苦八苦のない世界=浄土
この世には求不得、愛別離、怨憎会の苦がある
792 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/01(火) 03:54:55.89
>>791 >四苦八苦のない世界=浄土
いやそれはおかしい
煩悩を滅していないのに四苦八苦がなくなるってのは
浄土で悟りを開いたらそうなるよ
おはようさんです。
父が亡くなったのが31年前。今ほど個人情報保護というのがやかましくなかった時代。
香典返しの品物の勧誘に来た業者が、口八丁手八丁でいろいろ勧めてきよった。
その中で、「ナムアミダブツとよく言われますが、もともとはナムアミダブ『チ』と言ってたんですよ」と、
もっともらしく話をし、悲しみに打ちひしがれるわれわれ遺族をうまく丸め込もうとしていた…
でも、この話、ある面ではマジ話で、ある面ではホラ話なんやろうか…と思うようになってきた。
実際のところはどうなんですか?
ちなみに、香典返しはこの業者を使わず、親戚の自宅のお隣にお住まいの方のつてで、
デパートの外商を利用したw
本日のお題は霊告についてです。
真宗門徒たるもの霊については完全否定ですよね、
それを踏まえたうえで語り合いましょう。
ナムアミダブ『チ』
初耳です。WEBでもヒットがないので詳しく。
ナムアミダブチじゃなくて
「なもわあみだぶち」な
797 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/01(火) 07:58:15.80
>>794 霊=餓鬼道に落ちた衆生
夢告=菩薩の方便
議題終了
>>797 夢告というならそれでいいが
御伝鈔のなかでなぜ霊告という言葉が使われているのか?
箱根霊告、熊野霊告、等・・・
799 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/01(火) 08:22:44.91
800 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/01(火) 08:25:21.19
霊地という言葉はあったが
wiktionaryによると「霊」にはspiritual worldという意味があるから
「スピリチュアルな地」という意味で、「霊妙な地」とも訳せるだろう
803 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/01(火) 08:32:08.14
>>801 やっぱり本文には霊告という言葉はなく、章立てに付けられてるだけ
>権現仰せられていはく
>示現いまだ覚めをはらざるに
これらから権現(菩薩)が夢うつつに現れたということが読み取れる
804 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/01(火) 08:33:06.45
霊はちっとも出てこないから関係なし
終了
>>803 本文にないから無いということにはならない。
夢告なら夢告でなぜ統一しなかったのか疑問に残る。
806 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/01(火) 08:36:08.25
内容を見ろよ
どこに霊が出てくるの?
>>806 俺が聞きたいよ、なぜ霊告という章をわざわざつくり今までそれで押し通してきたのか?
808 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/01(火) 08:38:59.06
>>807 とりあえず霊なんて出てこないからどうでもいいじゃないか
「霊告」=「霊妙なお告げ」でFA
幽霊のお告げww
馬鹿じゃねーの?
近代合理主義、唯物論で過去の人間の話をむりやり
解釈しようとするからおかしくなる。
811 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/01(火) 08:39:54.28
れい‐みょう〔‐メウ〕【霊妙】
[名・形動]人知でははかり知れないほどに、奥深くすぐれていること。
神秘的な尊さをそなえていること。また、そのさま。「―な楽の音」「―不可思議」
霊告を無理に霊妙と解釈するなよ、。
813 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/01(火) 08:44:02.10
>>812 幽霊なんて出てこないのに
霊告を無理に幽霊のお告げと解釈するなよ
霊=霊妙の方がよほど自然だし、文脈的にも合ってる
>>810 と言うことは
ビックバン理論や進化論が常識の現代人には鎌倉時代の宗教を
理解するのは無理か。
質問者は霊告の「霊」は神仏、悪霊の類だと思ってるんだろう
そりゃわからんだろう
>>814 今の君には無理かも
現代人を巻き込むな
>>814 少なくとも、今の常識をベースにして考えてはいかんだろうな
さらに現代真宗の場合は唯物論フィルターを通して
都合の良い解釈をしようとしてるのがまずい
>>817 しかし
>>7で書かれていることを考えれば唯物論の影響は無視できんだろ。
それが現代人の集団的無意識になっていると思う。
>>814 仏教では宇宙は「成劫・住劫・壊劫・空劫」のサイクルを繰り返すと説く
ビッグバン>膨張宇宙>ビッグクランチ>収縮宇宙
というサイクルと似ていて面白い
進化論は仏教国では何の議論にもなってない常識
仏教は科学と親和性高いよ
ここのテンプレ鵜呑みにすな
話がずれてる
821 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/01(火) 08:52:49.42
>>815 いや、悪霊はともかく神仏ではあるだろ
「権現さまが夢に示現した」という話なんだから
>>819 うん、それはわかる。
>>820 テンプレにもそれなりの歴史があるんだろw
違うならテンプレの項目ごとに反論してみろよ
>>822 新参かよ 質問自体おかしいと思ったわ
テンプレ云々のそのセリフ100回くらい聞いたわ
>>823 > 新参かよ
その言葉で議論を打ち切りたいんでしょうねw
でもまともなテンプレ間違い論を聞いたことがない。
堂々巡り?
>>826 反論するべき側が逃げ回ってるだけでしょ
>>824 一番最初の死んだら終わりから議論するのか?
>>7 > ・人間死んだら終わり。霊魂は存在しない
> ・当然、あの世もない
> ・阿弥陀如来は頭の中の理屈上でだけ存在するもの
> ・よって、聖徳太子の夢のお告げを信じた親鸞は馬鹿である
> ・阿弥陀如来像、親鸞像なども単なる物質であるので、これに対して祈りを捧げるのも馬鹿である
↑このあたりはマダマダ十分議論すべきだろう
死んだら終わりからいきますか?
>>828 「浄土真宗では極楽往生を説くので死んだら終わりではありません」
ですぐに話はおわるんだけどな
832 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/01(火) 09:13:42.85
死んだら終わりなんだけど、それでは現実に苦しんでいる人にあまりにも冷たい、
だから仮に浄土というものを想定してそこへ往生すると言う安心を与えることで
人を救う。
そういう仕組みを作ってくれた善智識の人を尊敬する。
そして実践者の親鸞さんを尊敬する。
>>834 死んだら終わりか、いっぺん死んで見なきゃわからんでしょw
836 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/01(火) 09:22:57.40
>>837 ん?テンプレは現在の浄土真宗の教義がどうなのかだろ?
>>834が死んだら終わりっていってるんだから、現代の教えで「死んだら終わり」は正しいってことになるのでは?
839 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/01(火) 09:33:46.82
というか布教使なりなんなりの資格もってる人が
このスレにいないと確かめようもないが
840 :
834:2011/11/01(火) 09:34:51.20
死んだら終わりってのは唯物論にどっぷり浸かったわしの考えだが、
ひょっとしてエンプレを作った人は中観あたりかも導き出したのかもしれない、、或いは
唯識論あたりからも導き出せるかもしれないと思っている。
死んだら終わりとは思うけれど本願寺の阿弥陀堂に座って
不信人者である自分を自覚して俺は泣いている。
死んだら終わりて何が終わり?
今の人生?今の命?
死ななきゃわからん
>>840 中観・唯識ともに輪廻は否定してない
特に唯識は必ず輪廻を主張するハメになる
チベットは中観帰謬論証派という立場だが輪廻を説いてるし、
歴代の中観派の論師も輪廻を説いてる。
たしか中観派に「他世の論証」っていう輪廻を論証する意図の文献があったはず
844 :
834:2011/11/01(火) 09:40:28.54
845 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/01(火) 09:40:48.80
死んだら終わり=死後はない
ってことで
必然的に浄土もないということになるのかな
生きることは素晴らしい、死ぬことはつまらない。
そう考えてしまうから死んだら終わりなんて事が言えるのだろう。
浄土が説かれてあるんだしそれが答えでいいじゃないか
近代教学でしょ?
すまん「現代真宗教学」という言い方もあるみたいだ
ちなみに「宗学」というのもあって、こちらは伝統的な信心です。
戦前と戦後で変わってるところがあるからね。
マルクス主義/唯物論の影響が強くなっている。
まあ、団塊全共闘世代の左翼布教使が消えれば
また変わるんだろうが。
倶会一処も釈迦の妄想
みなさん
亡くなった身内に手を合わすということは死んでも終わりじゃないって事ですよね?少なくとも自分の中では。
知らんがな、浄土は一人一人違う浄土があるんや。
どっちだよw
浄土はあるでFAだな!?
ないよ 目覚ませ
あると思う人にはある、ないと思う人にはない。
もう俺にはそれ以上の答えを導き出すことが出来ない。
浄土が有ると思う、浄土は無いと思う
それは個々人の主観になるでしょう。
あるいは有無見の邪見になるかもしれない
「龍樹大士出於世 悉能摧破有無見」
龍樹大士は世に出でて、ことごとくよく有無の見を摧破して
他人が見る猫は自分が見る猫と同じではない。
他人が考える浄土は自分の考える浄土と一致はしない。
仏壇から霊が出てくるという人がいる、それはありえないと否定する人がいる。
浄土の存在もまたかくのごとし。
>>854 「倶會一處」
>>858 そうですね。
どこまでいっても私のはからい・主観から逃れられない事が悲しいです。
「念仏には無義をもって義とす 不可称不可説不可思議のゆえに」
70億の一人の凡夫である私ごときが浄土を理解し説明できるはずもない、
私ごときが理解できるな古今東西誰でもが理解できるはず。
相対的な存在の私ごときがみなを飛び越えて絶対的なものを理解できるとは
とても思えない、理解したとしてそれは自己欺瞞に過ぎない。
心得たと思うは、心得ぬなり。
心得ぬと思うは、心得たるなり。
倶會一處
この言葉にとらわれて何も見えなかった過去のわたし。
浄土があるなら人それぞれの数だけ浄土はある。
浄土がないならあの世は無い、その場合 みな宇宙の真如と言うべき所へ行くだけ。
不可思議な光に包まれて。。
浄土がどうなのかは仏説に従うでいいんじゃない?
で、その仏説にどうかいてあるんだw
>>867 仏説にもいろいろあるが、どの仏説なんだよ。
それだけでも言えよ。
すまんすまん
三部経ね
真宗スレでの話なんだから仏説っていったら
浄土三部経でいいんじゃない
知っていると思うが細かくいうと大無量聚経、歓無量聚経、阿見陀経
やれやれ、マダその段階かw
>>871 ん なんか低い段階なのか 君からすれば
で君はもうどの段階なの?
正聚衆
875 :
870:2011/11/01(火) 16:28:25.66
ツッコミ狙いだったが無駄なようなので正確に
無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経・・共に仏説。
無視な
877 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/01(火) 17:18:46.88
878 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/01(火) 17:22:45.21
>>864 >浄土があるなら人それぞれの数だけ浄土はある
いや阿弥陀仏の佛国土なんだからひとつだろ
経典のどこにいくつもあるって書いてあるんだ
>浄土がないならあの世は無い、その場合 みな宇宙の真如と言うべき所へ行くだけ。
浄土がなくてもあの世はありうるぞ
というか六道輪廻が仏教の基本なのにあの世は浄土しかないって意味がわからん
>>795-796 ありがとうございます。
たった今、聞法会館さんに到着。
今月は、中仏通教集いの会学習会にも行かせていただく予定ですので、
その際にもっと詳しくお訊ねしたいと考えています。
とりあえずお礼まで。
880 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/01(火) 18:14:53.22
浄土はどのような形で存在しますか?
時間の流れや空間の広がりという視点で教えてください。
881 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/01(火) 18:18:18.40
>>880 他方世界だから、別宇宙もしくは別の次元という感覚でしょうな
空間の広がり、時間の流れは娑婆と変わらんでしょう
浄土が有るか無いかは信仰の問題だが
浄土は確実に存在する
真宗布教使の米櫃として
浄土はあるのではなく、またないのでもなく、空なりと観ずれはいいんじゃないの。
存在にこだわってもしようがない、そもそも不可思議なんでしょ?
>>843 >たしか中観派に「他世の論証」っていう輪廻を論証する意図の文献があったはず
DharmottaraのParalokasiddhiのことだね。
生井智紹『輪廻の論証 仏教論理学派による唯物論批判』東方出版はこの辺の
問題に関する大著なんだが版元倒産のため長らく入手困難な状況に。
インド仏教でも、伝統的な中国・日本仏教でも、輪廻(生まれ変わり)を
否定した人は一人もいない。現代真宗だけが輪廻を否定する。
輪廻を否定するのは六師外道の一人、アジタ・ケーサカンバリンの説だ。
Wikipedia「アジタ・ケーサカンバリン」より:
> アジタ・ケーサカンバリンは世界を地、水、火、風の4要素の離合集散に
> よって説明する四元素還元説を唱えた。これは、霊魂の存在を完全に
> 否定するものであり、ヴェーダに示される正統バラモン教における
> アートマン(ātman、我、真我)をも否定するもので、当時、汎インド的に
> 最も重要視された業(karma、カルマ)の報いについても、霊魂の行くべき
> 道を示した業のはたらきや善悪の行為の報いを完全に否定した。また、
> 輪廻の思想を否定し、死後の生まれ変わりも来世も認めず、人は死ねば
> 4要素に帰って消滅するとし、道徳も宗教も不必要なものであるとして、
> 無神論の立場に立った。布施に功徳があるという考えもまた愚者の
> ものだとみなしている。
>>863 心得たと思うは、心得ぬなり。
心得ぬと思うは、心得たるなり。
っていうけど
心得ぬと思って、実際に心得ていないということもありえるよね
887 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/01(火) 20:05:27.24
>>883 仏智や本願力が不可思議なだけで、浄土は別に不可思議ではないだろ
経典にはあると説かれている
あと有無二辺というのは実在(有)と畢竟無(無)の両極端って意味だから
不可思議とは関係ないし
有無を離れるというのは実在と畢竟無の二辺中道である空に達するってことだし
「浄土は有るとか無いとかいう思慮分別を離れたものなんですよ」ってのは
仏教教義に無知な真宗門徒の誤解にすぎない
>>768 俺もお西だけど同意
門徒の信心のあり方を偽りやごまかしなく
正直に表明したらこうなるしかないと思う
889 :
887:2011/11/01(火) 20:15:28.30
ちなみに
実在=自性・実体をもって存在する
畢竟無=まったく存在しない
ってことね
二行目の心得たるなりは信心を得ることじゃないよね
>>890 本当だ。勘違いしていたようだ。ご指摘ありがとう
>>884 AmazonのKindleでこういう高価な仏教学術書が電子書籍として出版されたらいいのに
「近・現代真宗教学史研究序説―真宗大谷派における改革運動の軌跡」
という本を読んでみたいのだが15750円もするので手が出ない
896 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/01(火) 21:08:06.79
>>887 その辺りは『弁中辺論(中辺分別論)』を読めばいいのですか?
897 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/01(火) 22:13:09.83
このスレでそれぞれが語る輪廻の定義もバラバラだと思う。
有ると主張する人は何がどうなることとを輪廻というか言ってください。
>>176あたりから輪廻についていろいろ書いてあるね
ちょっと勉強になった
輪廻とは違うが
他力はだめだね、やはり自力であるべきだ
と聞く
自分で解決しないと何事も身に付かない、他人や他をあてにするのは進歩や
成長がないという
違うんだけどな本当は。そして他力無しで生きれないんだけどな本当は。
900 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/01(火) 23:14:02.74
世の人おもへらく、自力他力を分別してわが体をもたせて、
われ他力にすがり往生すべしと、云々。
この義しからず。自力他力は初門のことなり。
一遍上人は偉大だね
902 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/02(水) 00:27:24.23
「たりき たりき とおもうていたことが みな じりき」
さいちさん か げんざさん だったと思う
903 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/02(水) 00:29:12.64
>>887 一体何について実在とか畢竟無とか二辺中道の空とかを述べているのですか?
904 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/02(水) 00:29:39.12
じゃあ自力でいいんじゃね?
そんだけ他力他力ってなんかマゾいよ
>>899 洋の東西問わず他力が主流だぜ
キリスト教でも予定説や奴隷意志論を基礎とするプロテスタントの方が優勢だろ
人間の力ではどうしようも出来ないってことはあるんだよ
それを知ってはじめて人々は神に対する畏敬や仏に対する崇敬が生じるんだよ
906 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/02(水) 00:31:51.63
>>903 >一体何について
龍樹大士は一切法について、有無の二見をはなれた空を説いています
907 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/02(水) 00:36:22.43
>>906 霊魂の存在について龍樹大士はどのように述べておられますか?
908 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/02(水) 00:38:15.79
>>907 霊魂(アートマン)に対して無我(アナートマン)を説いています
909 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/02(水) 00:41:51.73
910 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/02(水) 00:42:45.18
>>908 無我であるなら輪廻や涅槃は存在しますか?
911 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/02(水) 00:47:11.52
お釈迦様が輪廻を説いたか?については、現在も論争あるね
竜樹を信仰してる宮崎哲也は、輪廻には否定的だよね
生まれ変わって生きる輪廻があるとして、人間として生きることは幸福なのだろうか
動物やら虫の方が幸せに思えるときがあるよ、生きてるのはつらいことあるからね
913 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/02(水) 01:08:53.81
初歩の初歩の質問します。
南無阿弥陀仏を、なんまんだー、なーまんだんぶー等とよくお坊さんは読みますが、それは読みやすいからですか?
914 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/02(水) 01:44:27.21
>>913 お坊さんたちは伝統的にそう読むから読んでるだけだと思いますけど
もとは何度もよんでるうちに訛ったのかな?
915 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/02(水) 01:51:42.24
即日回答ありがとう
西は「ナモアミダブ」だよな。ナモナモって名古屋かよw
プラークリット語でもNamoだからインドの発音をたもってるともいえる
>>887 私が思う「ある」は思慮分別から離れられない。
私の煩悩の視点から見れば「ある」と言うのも自己満足のはからい。
「ない」と思うのも、私のはからいの域を出ない。
仏の視点から見れば、浄土はある。間違いなく在る。
仰る通り、阿弥陀経にも説かれている。
しかし仏説は不可思議なる仏の智慧の顕れである。
その仏智を「凡夫の思慮分別」からは、計り知る事が出来ない。
だから、確かに浄土は在る。
しかし「私が」あると言うのは誤り。
また、「私が」ないと言うのも誤り。
浄土三部教も人間が作ったんだぞ、
そのことを忘れて論理を構築してもだめだぞw
本日のお題は
浄土三部経を離れても浄土はあるか?です
つまり浄土というのは浄土三部経にある浄土を指すのか、
絶対的な宇宙真理の中にあるのか。
>>919 人間が作ったんだぞ=浄土三部教 とすれば
部派の経典も大乗も阿含も=人間が作ったんだぞ
になりはしませんか
>>920 ま 当たり前の事をツッコむが浄土と言っても各種ありますね
阿閦仏の東方妙喜(世界)浄土、薬師仏の東方浄瑠璃浄土、
釈迦牟尼仏の無勝荘厳浄土や霊山浄土、毘盧舎那仏の蓮華蔵世界という浄土とね。
浄土経典群からすれば浄土といえば一応「極楽浄土」を意味するけどね
親鸞先生は「極楽無為涅槃界」とも言っているね。
浄土三部経に書いてあるんだから、やっぱそれじゃないの。
でも阿弥陀経には『従是西方過十万億仏土有世界名曰極楽』
「これより西方に十万億の仏土を過ぎて一つの世界があり極楽という」
となっているし『観無量寿経』には「ここを去ること遠からず」と
ある。
近いようで遠いし、遥か遠いようでどうも近い
923 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/02(水) 11:06:14.09
「浄土」という言葉が何かをいい表した言葉なのですよね?
漢訳の前に梵語が有るわけで、
梵語で語った人は何を浄土と呼んだかということですよね?
この世の物を一切法と呼ぶならその数ある方の中の一つを浄土と呼んだのではないでしょうか?
924 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/02(水) 11:12:53.27
浄土は漢語圏の言い方じゃないのか
ここは真宗スレだから
七高僧にについて考えてみても
彼らそれぞれが心の中で描く浄土は違ってる。
親鸞さんの考える浄土と妙好人の考える浄土とは微妙に違ってる。
一人一人の心の中に浄土がある。
浄土とは生きている人が心で思う理想空間、
死んであの世の浄土は無い。
928 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/02(水) 11:23:29.52
>>918 乱暴な言い方だな。
>>887を参考にすると、2種類の「有・無」が有ることが分かるよね。
1つには、実在(=自性・実体をもって存在する)としての有
畢竟無(=まったく存在しない)としての無。
もう1つは、空としての「有・無」。
そして
>>908を参考にすると、(おおよそ世間で言う)霊魂というのは
前者の「実在としての有」の範疇にはいるということになり、
「無我」という所の「無」とは
「実在有・畢竟無」という邪見が「無」いところの「我」を指すということですね。
だから無我というよりも空我といった方がいいんじゃないかと思いますね。
浄土は確実に存在する
真宗布教使の米櫃として
逆に言えば、それ以外には存在しない
930 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/02(水) 11:29:20.58
>>928 それなら仮名我、仮設我ともいいかえられるな
それと
>>918の意図は
仏が「浄土が」あるというのは正しいけど、凡夫が「浄土が」あるというのは間違いってことでしょ
相変わらず意味不明な理屈だが。だいたい経典にそんなこと書いてるのか?と言いたくなるが
931 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/02(水) 11:33:39.23
>>924 だからインド人が「joudo・じょうど」なんて発音するわけないから
梵語を訪ねろってことだろ。
浄土に当たる梵語が何に基づいて表現されたかってことだろ。
それを時の訳経僧が「浄土」と訳したんだろ?
それを俺達が見たら「土」という言葉が付いているから
現実に目に見える土地・大地と勘違いしてるってことだろ?
そして実有と畢竟無という思考回路の延長線でしか物事を捉えられない人間が
西の方にそういった惑星みたいなものが実在するって言ってるんだろ?
>>927 > 倶会一処
というのは肉体が滅んで何もないところ、ある空間とでも申しましょうか、そこのことなんだ。
無いと言えばない、あるといえば在る。不思議な光のような空間だよ。
そこには阿弥陀仏も、すべての衆生も・・・
933 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/02(水) 11:40:52.25
>>931 スマン経典には浄土という言葉は使われてなくて、仏国土や極楽としか使われてないと思ったんだよ
それと
>>922によると、西にそういう世界があるってのは経典に書いてあるじゃないか
阿弥陀経には『従是西方過十万億仏土有世界名曰極楽』
「これより西方に十万億の仏土を過ぎて一つの世界があり極楽という」
となっている
934 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/02(水) 11:41:25.86
>>930 そうそう、「仮名」ね。
言語表現の曖昧さ・不確かさを分析したインド人はすごいよね。
>>925 それってお東さんの?
観念の浄土ということじゃないですよね
>>926 浄土は「己心唯心」の世界なのでしょうか
937 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/02(水) 11:43:59.49
938 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/02(水) 11:45:25.35
まず浄土の定義をしてから浄土について語りましょう。
話がかみ合いませんよ。
940 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/02(水) 11:54:58.11
>>933 実有・畢竟無で読むと西に有ることになっているね。
西という存在も本当は西ではないんだがな。
「実有・畢竟無」は相対的なものの見方です。
それは私たちの物の見方です。
一般的に「お父さん・お母さん」と言うと、
一体、だれがお父さん・お母さんなのでしょうか?
だれから見たお父さん・お母さんなのでしょうか?
世間でお父さん・お母さんと呼ばれる人は数多くいます。
だれから見ても一様にお父さん・お母さんと言える人紹介してもらいたいものです。
ある妙好人は仏様を親様と呼びました。
その仏様は私たちやあなたたちにとっても真実の親様です。
941 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/02(水) 12:02:04.01
>>940 >西という存在も本当は西ではないんだがな。
その読みの根拠は?
「実有・畢竟無で読むと」とかいう脅し文句で適当な自己流解釈をのたまってるだけにしか見えませんが
943 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/02(水) 12:14:15.93
目の前に家が一軒建ちました。
柱、壁、かわらなどが組まれて出来上がりました。
さて、その一軒の家とそれを構成する柱・壁・瓦は別々の存在でしょうか?
別個の存在、無関係であるなら、柱など部分と関係なく、
家というものがどこかから飛んできたのでしょうか?
同一の存在なら部分が組まれる前に家はどこかに存在していたのでしょうか?
それらの部分が解体されると家はどこかに飛んで行ってしまうのでしょうか?
それとも家の形をしてその場所にとどまり続けるのでしょうか?
私たちは何を指して家と呼んでいるのでしょうか?
944 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/02(水) 12:16:29.92
>>942 なぜ西なのでしょうか?
なぜ西でないといけないのでしょうか?
浄土というものが有るのか無いのかかもわからんのに
750年よく続いたな、これこそ不思議の仏力だ。
現代人の感覚でいえば、西向いて行けば、地球を何周もしてまた戻ってくるさ。
地球を飛び出すと考えると、今度は東西自体がどちらかも不明。
浄土ってアーラヤあたりから沸いてくるんでないの?
>>929 NHKが震災関連でずっとピックアップしている、瀬戸内寂聴師の言い分はどうなる?
ホンマに、このスレの人間は「木を見て森を見ず」ばっかしやなぁ(^O^)(^O^)(^O^)
文句あるんやったら、ローソン西本願寺前店に来いや(^O^)(^O^)(^O^)
相手したるで。
949 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/02(水) 12:53:22.61
東でも南でもどこでもよかったが最初に西にしようと誰かが言って西になった。
どこでもいいよと言うと迷うから、「西にしましたw」って感じ。
なぜ西だからなんて仏説での釈迦に聞けいw
凡夫に聞かれても答えようなかろう
阿閦仏の東方妙喜浄土、薬師仏の東方浄瑠璃浄土でもなぜ東なんだよ
ってならない?
>>948 なんでナチュラルローソンで行かなきゃならんのよ茂さん
きみ、そこの従業員かい?
ナチュローに迷惑かかるやん
西本願寺境内じゃダメなんかいw
いや西ってのは日の沈む方角っていうことだからって
解釈を聞いた気がする。
わからんやつらだなw
西と言うのはペルシャあたりを指していることだろ、
そのあたりの土着宗教の影響を受けてそうなったんだよ。
たかがペルシャ辺りを指すのに十万億土の仏国土を間にはさんだりする?
西は太陽がかえっていく方角
命がかえっていくと考えていたんだよ
ペルシャとか当時の人間考えるか?
サンダーバード22号乗車ちう(^O^)(^O^)(^O^)
島本通過。
5(土)は、12時に大垣書店イオンモールKYOTO店、15時に東本願寺、19時に錦市場に出没予定。
どっからでもかかってこんかい(C)岡八郎師匠(^O^)(^O^)(^O^)
それか、今晩、油小路錦上ルの「坊主バー」さんでやり合うか?(^O^)(^O^)(^O^)
>>940 もうそろそろ「仏=親」というステレオタイプからは脱却すべきだと思うんだがな。
本願寺の天の邪鬼知ってるか?
962 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/02(水) 17:19:25.83
そもそも親さまっていつごろから言われだしたんだろうな
963 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/02(水) 17:57:30.97
>>946 それって唯心の浄土にならないか?
でもって祖師方の「指方立相」の義に反するんでないかい?
あとアーラヤ識に浄土があったら無始爾来より
心の種子(ユングでいう原型か)に浄土が存在することになるから阿弥陀仏の本願成就が必要なくなるよ〜
もはや浄土門じゃなくて、禅宗とか真言教の聖道門に近い教えになるんじゃ?
964 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/02(水) 18:29:25.60
965 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/02(水) 19:15:52.17
>>960 じゃあデジタルタイプってどんな表現なんだよw
>>965 それをいうならモノラルタイプじゃないか
ワロタ
968 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/02(水) 21:33:33.48
969 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/02(水) 23:05:53.98
ニトリ
970 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/02(水) 23:35:23.69
え?
971 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/03(木) 00:11:35.81
2chだからステレオタイプでいいんじゃないか?
しりとり
973 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/03(木) 01:32:13.11
揚げ足とり
>>931 そもそもサンスクリット語に「浄土」に相当する言葉ってあったのか?
浄土の起源はペルシアじゃないかといわれているけど禅などと同様
俺は中国で創作されたものではないかと思うんだよ
975 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/03(木) 02:15:10.52
おん あみりた ていせい から うん
976 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/03(木) 06:06:03.72
namassarvajnaya
977 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/03(木) 06:09:47.28
>>974 浄土を大正新脩大藏經テキストデータベースで検索したら経典でかなりヒットするから原語はあるんじゃないか
禅はジャーナからきてるし、中国で発展したとはいえ原型を伝えたのはインド文化圏の人間だろう
978 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/03(木) 09:52:04.06
お浄土は一人一人の心の中にあります、
地球上のある地点を指し示しているのではありません。
有無を超えた摩訶不思議な光、それがお浄土でございましょう、
智慧で知ろうとしてもなかなか難しゅうございます。
979 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/03(木) 10:05:10.18
>>978 >有無を超えた摩訶不思議な光
いや、そこらの石ころも有無を離れてるんですけど。一切法皆空ですから
>智慧で知ろうとしてもなかなか難しゅうございます。
智慧によって有無見をはなれるんですけど
「信ずる心のいでくるは智慧のおこるとしるべし」(正像末和讃左訓)
浄土はどこに有りますか 南無阿弥陀仏と念ずる人の前にあるのです
今回のスレはスレ違いの不規則発言が少なくて、
自分としては読みごたえがあった。
とくに
>>225のリンク先は興味深かったな。
お東とお西、往生観が少し違っていて、そこからいろんな違いがあらわれてくるのかな、
と思いましたです。
>>981 同感。
225は面白かった、それ以降あれこれ調べて自分の浅学非才を思い知った。
急にわからなくなってきたw
浄土というのは仏国土と言う理解でいいとしたら
その清らかで清浄な世界で誰にも邪魔されずに悟りを得る
修行が出来る、そのための往生浄土なのか?
浄土でみなと一緒に悟りへの道を歩むと言うことなのか?
もしそれなら浄土は一人一人の心の中にあるのではない事になる。
俺は今まで浄土往生=すでに悟り済み、と思ってたが・・・
違うのか?
確かな人答えてほしい。
984 :
983:2011/11/03(木) 14:24:25.99
当然のこととして浄土真宗の立場としてきほんを教えてほしい。
>>225のリンク先から
>親鸞聖人の往生観は、『教行信証』や晩年の『かな聖教』などにおいて、
>厳密な論として立てられている場合には、ほぼ明確に「現生往生」説といえる。
そうか、そうしたら臨終後の往生をいっているように思える東以外の各派は
異義になりますね。親鸞会ですらそうじゃありません?
まぁ親鸞会ではその現生往生を観念での浄土観で間違いだと会HPのマンガで
反論していますがね。
私としての問題は「現生往生」なら往生後の煩悩はどうなるの?
変わらず有るということでしょうか。
>>983 返事じゃないけど悟りも弥陀から与えられるものじゃないですか
浄土に往生して悟りの身へ変えられるんでしょうね。
986 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/03(木) 16:11:27.75
そろそろ新スレたてますね
987 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/03(木) 16:14:56.54
スレ立て規制されてました
どなたかよろしくお願いします
<現在の浄土真宗の教えまとめ>
・当然、あの世もない
・・阿弥陀如来は頭の中の理屈上でだけ存在するもの
↑
テンプレのこの部分は宗旨に完全反してる、
死後は浄土往生すると言う確信が浄土真宗の核心部分。
あの世が無ければ浄土系仏教のすべてがアウトになる。
また阿弥陀仏は人間の意識外にある絶対的存在としなければならぬ。
ない、って言ってんだから仕方ないだろ
いま浄土とは…
http://higashihonganji.or.jp/about/sermon/leaflet/05.html そのような私たちの生きることの現実が、真宗が浄土をもって人間の救済を
明らかにしてきた根本的な理由です。浄土とは阿弥陀経に「倶会一処
(くえいっしょ)」(ともに一つ世界に生きる)とあります。あなたも私もともに
生きることのできる世界です。
それは、決して私たちが普通に考えているような死後の世界としての「あの世」
ではありません。また、ユートピアとしての理想郷でもありません。それは、
人間を見失ったものに人間を回復させる仏さまの世界なのです。
>阿弥陀仏は人間の意識外にある絶対的存在としなければならぬ
これじゃキリスト教になっちゃうね
阿弥陀仏はそんな絶対者的な存在ではなくこの世のあらゆる万象を
決める物理法則みたいなものと解釈すればいいんじゃね
物理法則崇めてんのか。馬鹿呼ばわりされそうだな
993 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/03(木) 18:36:48.51
つまるところは救いというのは感覚世界なんだよ。
生き方を問題にするのだから、人間の考え方が変わるんだよ。
考え方も感覚も同じだ。
感覚・認識を無視すればそれこそ観念じゃないのか?
ただ、考え方がどうやれば変わるか、だ。
994 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/03(木) 19:07:02.97
>
>>991 そんなもんに帰命してどうなるの?
物理法則にお念仏唱えさせられるのが他力なの?
995 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/03(木) 19:10:33.06
>>990 >人間を見失ったものに人間を回復させる仏さまの世界なのです。
すげーえらそうだなw
大谷派じゃなくてよかったわw
本願寺派も理屈にうるさい連中の本音は同じだぞ
一般門徒にはうけないから、はっきり言わないだけで。
自分は西だから現世での現生往生っていわれても
納得できないなぁ
この世でってんなら還相はどうなるんだい?
998 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/03(木) 20:30:16.12
999 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/03(木) 20:32:13.00
>>997 還相は菩薩行です。
お釈迦様がモデルです。
無住処涅槃のことです。
1000 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/03(木) 20:32:40.52
1000ゲット!
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。