神社仏閣板筆頭コテですが疑問に何でも答えるゆ

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54名無しさん@京都板じゃないよ
・・・近くの猿の神社が・・・。
もしかして、猿田彦神社のことなら猿公ではなくて人神です。

また、猿田彦神は別称の多い神様で、様々な神祇冥道諸霊と混同、習合がなされています。
庚申さま、八街の神。オニの神。興玉神。気の神。国底立神。
「天津御祖神」と言う言い回しまで有ります。

「さるた」=「さ」は美称。「る」は次の「た」に係る接尾語、「た」はマンマ田圃の事。
彦は日子。男性神
豊穣をもたらす田の日子神様。位の意味かと。

同神とされるのが、佐田彦大神。
こちらは須佐之男命と奇稲田比売命のご長子神に有らせますよ?
55名無しさん@京都板じゃないよ:2011/06/07(火) 15:21:50.45
賽銭箱は散銭箱。
「賽銭」の本来意味は、祈願成就した事のお礼の金品。
「賽」は事後の謝礼の意味

本来は現品を色々お供え物をして祈願の祭儀を執り行い、
祈願成就した後に復命と願解きの奉賽の祭儀の際に色々とお供え物をしたのもの。
中世〜近世には社殿で派手に米を打ち撒く散米が広く行われていた模様。
散米する事で罪穢を神様に祓って頂こうと言う趣旨のようです。
この流れが近代の賽銭を賽銭箱へ投げ入れる行為の原型。
賽銭は神様への祈願の折に様々な捧げ物、お供え物を簡略化した形。
この流れでいくと賽銭箱へは投げ入れずに静かに捧げ入れる形になります。
(祈願をするのに金品を祭神に奉り投げつけるのは如何なものかとオモ)

んで、賽銭箱が出来した時期は貨幣経済が全国に普く行き渡った時期。と言う事で概ね戦国末期の織田豊臣〜江戸時代以降ジャマイカ?
5649:2011/06/07(火) 20:00:56.05
>>54
「庚申堂、イボの神様」
と書いてます。猿田彦様の可能性が高いです。

誰もお参りしないような寂れた神社なのに、そのようなお方だったとは!
お側にいらっしゃるなんて嬉しい(^^)
57名無しさん@京都板じゃないよ:2011/06/07(火) 23:35:35.78
>>55
>時期は貨幣経済が全国に普く行き渡った時期・・・・・
全国遍く貨幣経済化状況は、必ずしも必要ないのでは?宋銭流通平安期や
明銭流通室町期の畿内か洛中の神社に賽銭箱が登場しても不思議はないのでは?
58名無しさん@京都板じゃないよ:2011/06/09(木) 22:01:26.72
>>46
稲荷神である宇迦之御魂こと倉稲魂は、スサノヲの息子で五十猛の弟で
合っておりますか?
59だるまたん_OnTheMoon ◆Mobile.loU :2011/06/09(木) 23:01:35.35
やおろずの神、日本らしいですね
萌えキャラが確立した背景でもあるとか

【国際】世界のどこにでもある紙を「神の物」と崇める日本人―中国メディア
http://raicho.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1307623962/1
60名無しさん@京都板じゃないよ:2011/06/10(金) 02:16:42.43
>>51
>ただ最寄の神社=産土神社ではないです
>上に書いた考えでは家族みな産土神が異なる事もあります

最寄の神社=産土神社とは限らないというのはわかりますが、
家族みな産土神が異なるとは本来の意味で仰っているのでしょうか?
確かに、産土神とは本来、自分が生まれた土地を司る神のことですが、
現代では土地の鎮守神と同義で使われていますし、氏神様と呼ぶこともあります。
家族がバラバラに自分の産土神にお参りするのは不自然な感じがしますし、
現代では土地の鎮守神=産土神=氏神と考えて差し支えないのでは?
各地の神社庁に問い合わせれば、土地の鎮守神を紹介されると思いますよ。
61名無しさん@京都板じゃないよ:2011/06/10(金) 02:48:50.47
>>54
桜は山の神を表す「さ」と神の座を表す「くら」が結びついて出来た言葉という説があります。
そうすると、「さ」は山の神で「た」は仰る通り田圃のた。彦=日子。
山の神は田植えの時期になると里に降りて田の神になり、田植えが終わると山に帰るから同一神。
猿田彦神は修験道との関わりも深い神ですから、山の神と田の神と太陽神が習合した神ではないでしょうか。
ただ大和朝廷による記紀神話のヒエラルキーでは、かなり実体は隠されているようですが・・・