中世でも、某明神に帰依すれば仏教徒でもケモノ殺して肉食ってよかったんだが
そうすることで、食われたケモノにはよりよい来世がひらけるのだそうだ
この教えは、中世の武士たちにとても受けたね
まあ中世の支配者たちは人間殺すのが仕事だったわけでさ
現状に対応しない宗教なんて存在意義ないもんな
つーか、そういうのを原理主義と呼ぶわけだ
難しいところだな。
戒律を守ることと、
社会に役立つ事をすること、
素直に考えればどちらも必要だな。
現段階で言えば、普通の職業と同じように捉えていて
あまりにも夢ってのも変だが情熱がないのが問題か。
戒律が現代を考えた場合に厳しすぎる事そのものが問題かもしれないと
すると、やはりゆるいものを制定したほうがいいかも。
結局戒律というものがあやふやだと、
広告機能も社会貢献の意識もあやふやになり、
よくわからない教義的な理念の止まった世界に逃げてしまう。
広告と言っても一般の商業とは違うわけで、法を守って、
いい行動を取ってると言う証みたいなものだな。
あるいは、もうこれは戒律の無い新しい仏教なんです。と正直に
宣言して日本がその先陣を切ると言うのもひとつのアイデアかもしれない。
486 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/09/25(日) 05:30:56.28
八斎戒のどれひとつとっても社会貢献の妨げになるものはないが・・・
結局個人の問題でしょ
「女抱きたい」「酒飲みたい」、そういう欲を捨てたくないから色々言い訳してるんであって
俗人と同じ暮らしをしたい、でも僧侶として尊敬してほしいとか
馬鹿げてるにもほどがあるんだが
そう。一般の人は僧侶にはこうあって欲しいと云う「漠然とした雛形」がある。
その「漠然とした雛形」と僧侶の行動や暮らしぶりに落差があるので、とかく批判の
対象になる。
「漠然とした雛形」があるから一応は建前として敬われているかのような扱いを受ける。
僧侶もその「仮の尊敬」を捨てて、新たな緩い戒律を定めるか、それとも今の戒律を
守る努力をするか、選ばなければならない時期に来てると思う。
今のように本音と建前をごまかし続けるのは、日本の仏教自体の荒廃を加速させるだけ。
社会一般の普通の感覚で、今坊さんの存在が社会に役立っていると思う人はホンの数
パーセントだとおもう。殆どの人が社会に無用か葬儀のときだけ居ればイイくらいにしか
思ってない。
僧侶が僧侶として敬われたいなら、そして仏法興隆を望むなら、先ずは守るべき戒律を
キチンと定め直して、世襲寺の弊害をなくす努力をしないとダメだろね。
ふむう。
世襲寺かあ。
これそのものはもう既定路線だから、それに見合った戒律が必要なのかな。
いすれにしろ、偉大なる日本仏教の軌跡を歴史上に見れば、
その遺産をうまく発展させられないのは一般の日本人にとっても将来の僧侶に
とっても不幸なことだな。
490 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/09/25(日) 11:03:51.55
中国において儀礼装飾が施された時点で八斎戒に反してるんだからどーしようもない
491 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2011/09/25(日) 11:07:38.78
>>490 別にネックレスつけたり香水つけてるわけじゃないから違反してないぞ
それでも気になるなら七斎戒にすればいいし
江戸時代〜明治時代までの歴史の流れに
問題の芽があるような。
結果的に明治で深く考えることなしに西洋文化をどっと
入れてしまった。
伝統の東洋思想をきっちり吟味することなしに。
インドでの社会構造と戒
中国での社会構造と戒
じゃあ日本はってきちんと考えてればよかった。
考えなかった、のが問題かも。伝統に依存しすぎて考えなかった。