スウェーデンボルグはイエスキリスト一神教だけどほとんど多神教です。
神社の神様というのはおおむねスウェーデンボルグの言う銀の時代の人々で霊的な天使のこと。
イザナギと言ってるのはそうで、ひとり神といわれてるアメノミナカヌシとかクニドコタチと言われてるのが、金の時代の人々で天的な最上級の天使。
ここからイザナギなどの子孫たちが生まれた。
前の時代の人々(ムー大陸の人々?)が神様だけど、神社にいるのは眷族でいわゆるケルビム。
クリスチャンは否定する人が多いけど、実際私は何度か人間じゃない方を見たことあるし、感じることはよくある。
フランシスコは自然賛歌を残して自然のスピリチュアルなもの認めてるけど、ヨーロッパで変遷したキリスト教の多くはそういうもの感じない人たちだったので否定してしまった。
福音の中でもイエスは、湖上で風を叱咤してとめて、弟子たちは「風も言うことを聞くとは・・」と驚嘆してる。
これは自然界のスピリチュアルなものと交流できたからで、その中の神的な方とも対等に語り合ってたからだよ。
フランシスコや、ベネディクトの時代は分からないけど、現代の牧師はほぼ全員そういう感覚は持ってないから、分からないことを否定してしまってるけど、これはとてももったいないし、危険でもある。
日本は太古からそういう道が残っていて、その交流の中で国が存続していて、想像超える霊的背景があるみたいなので、分からないことは否定するのではなく、そっとしておくのがパウロを教えたガマリエルの知恵だと思う。
危険というのはケルビムに触ると死んでしまうから。