島屋財閥格の豪商廻船問屋家系 明治初期まで。
江戸初期、島谷市左衛門尉定重・身立さんが幕府の命で松浦党の拠点佐世保の出島管理を命じられ、後に、外洋航海船の富国寿丸を造り
小笠原諸島巡検使隊隊長として、小笠原を調査・測量し、大神山神社を建立してます。後妻は、水戸家臣の姫君。
江戸中期、大阪市此花区島屋と言う地名は、この新田開発で関わった島屋市兵衛さんが埋め立てした土地に産土神社を建立している。
幕府側の島谷は測量一族で有名。廻船のルーツ松浦党で幕府御用達だった家柄。
社家としては、元伊勢の祠掌。
泉州堺の廻船問屋島屋、後の明治〜昭和の島谷汽船株式会社=社家の島谷氏の発祥地が播磨。
元式内社 元伊勢 比沼麻奈為神社 島谷祠掌。
10代 崇神天皇が崇神歴39年に建立。
京丹後・大宮売神社の島谷宮司の神社は、現役の式内社。
あと、宮津市の天橋立・元伊勢 籠神社一宮、和貴宮神社も島谷神主ですね。
又、宮津市には、木積神社(与謝野町弓木)と言う、神社にも
弓木三輪社 島谷佐渡と言う人が関わっている神社があるそうです。
社家の島谷祠掌・神主・宮司で観てみると・・
元伊勢外宮、比沼麻奈為神社
元伊勢、天橋立・籠神社一宮、和貴宮神社
と、木積神社は、祭神が大山積神
素戔嗚尊の妻1、奇稲田姫の両親が足名椎命・手名椎命は、大山積神の子神。
奇稲田姫との間の子、八嶋士奴美は、大山積神の娘の木花知流姫と結婚し、布波能母遅久奴須奴を生んでいる。
布波能母遅久奴須奴の子孫が大国主。
天孫降臨後、瓊瓊杵尊は大山積神の娘である木花之開耶姫と出逢い、海幸彦・饒速日命・山幸彦←初代神武天皇の曾爺さま。
豊受大神が支える神→饒速日命の祖母が天照皇大神。
素戔嗚尊の妻2、大山積神の娘である神大市比売神との間の子神が大年神と倉稲魂尊=伏見稲荷の宇迦之御魂命。
伏見稲荷大社に合祀されている天鈿女命=大宮売女神の京丹後、大宮売神社
祭神に豊受大神でだと、昔は、この豊受大神では無く、国常立尊=天之御中主神を祀る、神道最高位神を祀る神社だったそうです。
何故、国常立尊から豊受大神なのかは、出雲・大国主の天照皇大神への国譲りの関係。
で、小笠原・父島の大神山神社や大阪此花区島屋の産土神社建立の祭神が天照皇大神の理由でしょう。