日本の坊主が戒律を守らないのはなぜ? 2

このエントリーをはてなブックマークに追加
834名無しさん@京都板じゃないよ
423 27(9-5)/36 sage 2010/10/29(金) 00:03:23 ID:3pweFwBx
さて、問いそのものに戻りましょう。
> 「小乗」と「大乗」との根本的相違は何か。
小乗は hIna-yAna、大乗は mahA-yAna、文字通り「小さな乗り物、劣った乗り物」「大きな乗り物、優れた乗り物」
ということです。 ま、聞きたいのはこういうことではないのでしょうw
この呼称の導入時の意味・意義は、
彼らの(=これまでの)教えは、
「学問的で、難解で、学び理解した者だけを悟りへ導く」『小さな【一人乗りの】乗り物』である、
対して、我々の(=この)教えは、
「平易で、誰もが理解し得、分け隔てなく悟りへ導く」『大きな【大勢の乗れる】乗り物』である、というものです。
そして、「教えの【働き】」に着目した場合、次のような対比となります。
彼らの(=これまでの)教えは、「学び、理解した【自分だけを】悟りへ導く」『小さな【一人乗りの】乗り物』である、
我々の(=この)教えは、「他者、【自分以外の者をも】また悟りへ導く」『大きな【他の者も乗せる】乗り物』である、
というものです。
 *(これが発展すると、『自分は乗らず、他者を乗せる』というところまで向かいます。)
このような点が、基礎的意味、差異となります。
人口に膾炙している定型的謂いをすれば、

《「小乗」は「自利」》(→「自分を悟らせるもの」、「自分だけを悟らせるもの」)。
《「大乗」は「利他」》(→「自分以外も悟らせるもの」、寧ろ「自分以外【をこそ】悟らせるもの」)。

という【自負】と批判が、大乗小乗という呼称の骨子となります。

一応、これが問いへの簡潔な答えとなります。
 *(また、「根本分裂」の所で触れた「仏陀観如来観の神格化」に着目すれば、
  『「超人的存在として仏陀や如来を扱う」というのが大乗仏教の特色だ』という説も成立します。
  『仏陀を、人間から遠い存在へ押し上げる形で変革した、換骨奪胎した』とも言い得るわけですw)
  **(当然、着目する要素が変われば、また違った『変革の意味』を見ることができます。)